2018年1月31日水曜日

「架空の友達」との会話が問題解決能力を育てる

子どもが創り出す「架空の友達」の存在は問題解決能力を高めるのに有効であることが判明 - GIGAZINE:

 今回の話題はちょっと耳慣れない「架空の友達」です。「架空の友達」なんて言うと独り言をブツブツ言っているアブナイ人を想像してしまいますが、ここでは空想上のお友達と話しながら遊ぶ幼い子どもを思い浮かべてください。幼い子が一人遊びをするときに架空のお友達に話しかけることを「Private Speech」と呼び、Private Speechには学習効果を高めるなどさまざまな効用があるのだそうです。

 Private Speechは2歳から7歳の子どもによく見られ、その効果については50年も前にLev Vygotsky博士とJean Piaget博士によって研究が始められたそうです。Private Speechには子どもの言葉遊びという側面ももちろんありますが、想像・リハーサル・応答・自己抑制など様々な役割があり、その頻度と問題解決能力に相関があることが明らかになっています。小学生になることくらいからPrivate Speechは減ってきますが、「自分自身に問いかける」行為は大人になってからも続き、やはり問題解決に大きく関連するのです。

 実は、自分はどちらかというと独り言が多い方で、大抵は自分で自分に対して何かを説明しています。インプットした情報を自分自身に対してアウトプットすることで、理解を深めたり、記憶に刻み込んだり、考えを整理したり...そういったことに寄与している気がします。だからと言って、自分の問題解決能力が高いかと言うとそれは分からないのですが、少なくとも自分なりの勉強法や思考を整理する方法は、まるで先生が生徒に解説するかのように自分に対してアウトプットするという作業が有効だった気がします。

 そして、Private Speechをよくする子どもは、架空のお友達がいることが多いのだそうです。ダラム大学のPaige E. Davis博士、Charles Fernyhough博士、ヨーク大学のElizabeth Meins博士の共同研究チームは、5歳の子どもがおもちゃで遊ぶ様子を観察するのと合わせて、「仮想の友達がいるか?」「その友達の名前や年齢は?」などを質問しました。結果は、46%に架空の友達がいて、さらに母親の半数は子どもに架空の友達がいることに気づいていたのです。そして、架空の友達がいる子どもは、いない子どもに比べて、自由時間に2倍も多くのPrivate Speechをしました。研究者は、空想上の友達との関わり合いは、現実世界の人との社会的交流と同じ役割を果たすと述べています。

 自分の4歳の娘が一人遊びする様子を見ていると、お人形に対してお母さんのように振舞って話しかけたりしているので、「ままごと」もある意味Private Speechに近いのかも知れません。そして、実際のお友達と遊ぶ様子と見比べても、一人遊びの時と話し方はあまり変わらなかったりするので、娘の頭の中ではお人形もお友達も同じように楽しく一緒に遊ぶ対象なのかも知れません。人はコミュニケーションのなかで自分の考えを整理する力や問題解決能力が養われて行きますが、いつもいつも他人とコミュニケーションが取れるわけではありません。そんな時、Private Speechでコミュニケーションの不足分を補って、経験値を高めているのかも知れないですね。

2018年1月29日月曜日

三角形の面積を求めるマイクロソフト入社試験が難問すぎる

【超難問】これ解けたら天才でしょ! マイクロソフト入社試験「この三角形の面積を求めなさい」が理系男子もお手上げの難解トリック | ロケットニュース24:

 今回はマクロソフトの入社試験の難問を紹介していた、沢井メグ氏の記事を紹介させていただきます。その難問とは、こんな問題です。

問題:次の三角形の面積を求めよ。
みなさん、いかがですか。あらかじめ難問なんて言うくらいですから、
    10 × 6 ÷ 2 = 30
が答えでないことは予想がつくと思います。自分も、これが難問なんて言われていなければ、30を答えにしていた可能性が高いと思います。

 では、この難問の正解は何でしょう。

 実は、正解は「こんな三角形は存在しない」。いやいやいや...面積を求めよと言ったのはそっちでしょうが、と言いたくなります。いわゆる「ひっかけ問題」と言うやつですか。なぜ、そんな三角形は存在しないと言えるのでしょう。

 実は、直角三角形の斜辺は、それに外接する円の直径になります。したがって、下のようにACを直径とする円に外接し、Cはその円周上のどこかにあることになります。したがって、ACを底辺とするときの高さが最大になるのは三角形が直角二等辺三角形になる場合で、高さの最大値は外接する円の半径と等しい5というわけです。つまり、最初の図のように、6という高さはありえないと言うのが答え。
 なんだか狐につままれたような問題で、いわゆる入学試験としてこの問題が出たら、だいぶ騙された気になってしまいますよね。今回は入社試験ということだったので、かろうじてセーフでしょうか。学校とは違って、社会では問題をどう定義するかから始まることが多いので、与えられた問題そのものを疑う冷静さが必要ということかも知れません。

2018年1月27日土曜日

失われる仕事があれば新しく生まれる仕事も

今後10年で生まれる「未来の仕事」21選 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン):

 この山ちゃんウェブログでは、ロボット・コンピュータ・人工知能(AI)によって人間の仕事が奪われるという趣旨の記事を何度か書いてきました。テクノロジーの進化の先にはバラ色の世界が待っていると思い込んでいた自分としては、下手したら人間対AIが鮮明化したダークな未来だとしたら。そう悲観的になっていたところ、捨てる神あれば拾う神ありではありませんが、人間には新しい仕事が待っているという趣旨の記事を見つけましたので、ご紹介したいと思います。元記事はAdi Gaskell氏の記事を遠藤宗生氏が編集されたものです。

 Gaskell氏が指摘されているのは、世の中に一定数の仕事しか存在せず限られたパイをロボットやAIと人間が奪い合うという構図がそもそも誤りだという点です。これは経済用語で「労働塊の誤謬」と呼ばれているもので、例えば産業革命以降に生産性は何倍にも上昇してきたにも関わらず、失業率が上昇し続けてはいないことが根拠とされます。テクノロジーの進化によって、従来人間が行なっていた仕事が機械やAIなどに移行していっても、人間には新たに行うべき仕事が次々と出てくるだろうという指摘なのです。そして、そんな今後でてくるであろう新しい仕事としてITサービス企業コグニザントが出しているのが、次のような職業です。

<今後5年で生まれる可能性のある職業>
データ探偵
BYO(個人所有機器活用)ITファシリテーター
倫理的な調達(ES)責任者
人工知能(AI)事業開発責任者
エッジコンピューティング専門家
散歩・会話の相手
フィットネス・コミットメント・カウンセラー
AI支援医療技師
サイバー都市アナリスト
ゲノム・ポートフォリオ・ディレクター
人間と機械の協働責任者
財務健全性コーチ
デジタル仕立屋
最高信用責任者(CTO)
量子機械学習アナリスト

<今後10年で生まれる可能性のある職業>
仮想店舗シェルパ(案内役)
個人情報ブローカー
個人記憶キュレーター
拡張現実(AR)旅行構築者
ハイウエー制御官
遺伝子の多様性責任者

  これらの今後生まれてくるであろう職業に共通しているのは、Coaching(指導)・Caring(医療・福祉)・Connection(繋がり)の3つのCです。人間に必要とされるスキルが細分化・高度化するので、人を育て導くCoachingの重要性が増すことでしょう。テクノロジーが進化し裕福になると、人々の関心が健康と福祉へ向かいCaringの重要性が増すのは現時点もその傾向があるでしょう。そして、機械化が進むにつれて人と人のふれあいが大切になるのもそうですが、人と機械や現実と仮想などのConnectionも重要になってきます。

 この3つのCは、よく考えてみると当たり前のことを表しているかも知れません。それは、どれほどテクノロジーが進歩しても、人は人間的な関わりを最終的に欲しているということです。そういう意味で、人にしかできない仕事というのは将来的にも存在すると言えるかも知れません。

2018年1月25日木曜日

内申点と過程重視の教育は働き方改革の大きな障害

日本的「裏の承認欲求」が働き方改革を妨げる | ワークスタイル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準:

 働き方改革とかワークライフバランスとか言われていますが、今回は長時間労働を妨げる日本企業の文化に関して、同志社大学の太田肇教授の記事を元に考えてみたいと思います。元記事で言われていることは、実は自分のような古き良き日本企業に勤めている者からすると、当たり前にある企業文化ではあります。

 少し古い情報ですが、労働政策研究・研修機構が2005年に行なった残業に関するアンケート調査では、残業の理由として「上司や仲間が残業しているので、先に帰りづらいから」と答える人が1割以上いたそうです。同機構の2010年の「年次有給休暇の取得に関する調査」では、有給休暇を消化しない理由(複数回答)として「休むと職場の他の人に迷惑をかけるから」(60.2%)、「職場の周囲の人が取らないので年休が取りにくいから」(42.2%)、「上司がいい顔をしないから」(33.3%)などが上位を占めたのだとか。いかにも日本企業にありそうなアンケート結果です。労働者側が、まるで早く帰ったり休んだりすることが悪いことであるかのように感じてしまっているのですが、大田氏はこの風潮は「裏の承認欲求」が元になっていると指摘されています。

 人は誰かに認められたいという欲求(=承認欲求)があり、それは我々が仕事をする上で金銭的な報酬以外の大きなモチベーションになります。しかし日本企業の場合、優秀で大きな業績を上げても、周囲とうまくやれない一匹狼だとか残業をほとんどせず涼しい顔で成果をあげる人は評価されない傾向があります。日本企業で成果主義が上手くいかないのもこの辺りにありそうですが、定量的な成果よりも定性的なものの方がむしろ評価される傾向にあるということです。例えば、昼間は汗水垂らして顧客回りをして、事務所に帰ってからも見積作りで毎日残業し一千万円の売上を達成したAさんと、インターネットを使って売上を上げる仕組みを開発して以来、昼間ぶらぶらしていて定時になったらそそくさと退社しても売上は一億円のBさん。定量的な成果主義に立てば、評価され出世街道に乗るべきなのはBさんですが、日本企業の場合はむしろAさんの努力を評価するという傾向があります。(あるべきは、Aさんのような非効率な働き方は是正の対象とされ、Bさんの効率性向上が評価されるべきと思います)

 Bさんの売上がAさんの10倍もあるということを素晴らしいと認められるのが「『表の』承認」、Aさんの生活を犠牲にしてまで努力を重ねる姿が素晴らしいと認められるのが「『裏の』承認」ということでしょう。この裏の承認は、しばしば職場での上司や周囲の目・居心地の良さなどにも直結します。Bさんのラクして稼ぐ仕組みをよく思わない上司がBさんの人事評価を下げたり、毎日定時退社のBさんを妬んだ同僚からの破壊工作に合うかもしれません。

 日本で顕著な、頑張っている姿を認めてもらいたいという「裏の承認欲求」は、もしかしたら幼少期の教育に端を発しているかもしれません。私たちは幼い頃から、結果よりも過程を重視し、努力する姿こそ美しいという教育を受けて育っています。典型的なのが、高校受験ではないでしょうか。私立高校の場合は当日の試験の点数が全てというケースが多い一方で、公立高校の場合は内申点という分かりづらい点数が加味されます。試験の点数と内申点(正確には調査書ですが)の割合は、東京都の場合、2016年度から全校一律で7:3ですが、神奈川県は試験の点数・内申点・面接の比率が学校によって異なり、6:2:2、4:4:2、3:5:2と、学校によっては試験の点数と同じか、むしろ重視される場合もあります。

 そして、内申点の付け方は、最近ようやく「観点別評価」の考え方が徹底されつつあり、先生の恣意的な評価はやりづらくなっていますが、その評価方法は長い間グレーだったと思います。試験で高得点という結果を出せない子に対して、普段真面目に頑張っていることを評価して救済する仕組みという一面も否めなかったでしょう。つまり、我々は結果と過程の両方が評価される、むしろ結果が伴わなくても過程が大切だという教育を受けて育っているのです。それは、評価する側もそうですし評価される側もそうなので、過程(プロセス)重視、そして過程が高く評価されるのは、いかに自分を犠牲にしているかということなのです。例えば、家に帰ってからの自分の時間を使って宿題をきちんとやったり予習・復習をする、休みの日を使って課外活動に参加する、など自己犠牲の量が過程の評価に大きな影響を与えます。

 日本という国の教育は、「結果を出す」ことよりも「自己犠牲を厭わない」ことが大切だと刷り込んできたと言えるかもしれないのです。「自己犠牲」を示して過程を認めてもらおうという心理、逆に「自己犠牲」を多く示す人を高く評価するという心理的なバイアスは、働き方改革の足かせになるだけでなくむしろ改革を逆行させるものかも知れません。

2018年1月23日火曜日

「スケスケすぎる美女」が激写される

モロ見えどころじゃない! ビーチで「スケスケすぎる美女」が激写される | ロケットニュース24:

 今回はタイトルだけ見るとちょっとエッチな話題のようですが、これこそ「スケスケ」の名にふさわしい写真をご紹介したいと思います。そもそも「スケスケ」とは、一般的に衣類の状態を指すことが多く、布地が極度に薄い、透明、もしくは濡れるなどして「透けて見える状態」のことを言います。

 写真は海外サイト「reddit」に「Camouflage(カモフラージュ)」というタイトルで投稿されたものです。キラキラ輝く青い海、そして一人のブロンド美女が写っているのですが、その写真こそこちら!


 世の中に様々なパンツが存在しますが、ここまでスケスケに見えることはまずないでしょう。海が素晴らしく青く美しいことが、こんなミラクルを起こしたのかもしれませんね。

2018年1月22日月曜日

無能ほど自分自身を過大評価する

(405) Why incompetent people think they're amazing - David Dunning - YouTube:

 無能な人ほど自分を過大評価するというお話。耳の痛い話ですが、この手の話をするとき、ついつい自分を無能「ではない」方へ分類し、本当に無能な人って困ったものだよという論調で語りがちです。しかし本当にそうでしょうか。あなたの見識が狭いがために、自分自身の無能ぶりに気づいていないだけじゃないでしょうか。そんな問いかけにハッとしてしまいます。元にしたのはTED-Edのアニメーションです(↓)。


 従来の研究で、自分で自分の能力を正確に評価するのはとても難しく、特に能力や技術がないほど自分の能力を過大評価する傾向があると言われています。「ダニング=クルーガー効果」と呼び、優越の錯覚を生み出す認知バイアスでのことで、自分で自分自身の不適格性を認識すること(客観的に自分を見る「メタ認知」)ができないのがその原因だと言われています。例えば、あるソフトウェア企業では、エンジニアに自分自身の能力を評価してもらう実験を行なったところ、32%の人が自分自身の能力を「トップ5%」だと評価しました。また、アメリカでは車を運転する人の実に88%が、自分自身の運転技術が平均以上と評価しているそうです。

 面白いのは、能力がない人ほど自分自身の能力を過大評価するということです。本物のエキスパートよりも、エキスパートではない人の方が「自分自身はその分野に精通している」と思いがちだというのです。そして残念なことに、私たちはみんなこの傾向を持ってます。

 それは、私たちが「自分が認識していない苦手なこと」を持っているからです。つまり、本当のエキスパートはその分野の本当の広さや奥深さを知っているがゆえに、自分はそこから考えるとまだまだだと考えるのに対して、無能な人はその分野を狭く浅くとらえてしまっているということでしょう。いい例えかどうかわかりませんが、地方の公立学校でトップの学業成績をおさめている人がついつい天狗になりがちなのに対して、中央のトップクラスの進学校にいる人は本当のトップレベルを知っているがゆえに自分はまだまだと考えるというようなものでしょうか。つまりは「井の中の蛙」というこだと思うのです。

 なお別の研究では、論理クイズで悪い結果を出した生徒たちに論理に関する講義を受けてもらったところ、生徒たちは自分のパフォーマンスについて低い評価を下すことが分かったのだそうです。経験や専門的知識を身につけるにつれて、「知らないということを知る」ようになり、人は自分を過大評価しなくなるのです。つまりはソクラテスの言う「無知の知」といったところでしょうか。

 しかし一方で、その分野の本当の広さや奥深さを知っていてしたがって自己評価も正しく下せる専門家は、逆にその知識がゆえに逆の過ちを犯す場合があるのです。それは、「自分の知っていることは他の人も知っている」と考えてしまうことです。そのため、他の人がなぜつまずくのかわからず、「名選手、名監督にあらず」と言われるように、他の人を導く存在にはなれないのです。つまり、無能な人も能力が高い人もいずれもが正しい自己認識には失敗するのです。能力がなければ本当の広さや奥深さがわからないために自分の見識の狭さに気づけず、能力が高いと逆に自分自身の能力の高さに気づけなくなるのです。

 では、人はどうやっても正しく自己評価を行なうことはできないのでしょうか。実は私たちは、自己評価の誤りを正すことはこれまでも行なってきました。なんのことはない、それは「他にフィードバックを求める」という方法で、自分が評価する自分と他人が評価する自分のギャップを埋めるということです。他者の評価の方が自己評価より厳しいことが予想されますので、耳を塞ぎたいような内容もしっかり聞いてかみしめることが重要です。

2018年1月19日金曜日

逆さまでも読めるアンビグラムが面白い

【驚異】逆からも読めるポスターが大絶賛 / 極めて難しい漢字のアンビグラムが凄い | バズプラスニュース Buzz+:

 今回はちょっと面白い芸術の紹介です。元記事はyamashiro氏の記事ですが、逆さにしても読める文字のポスターがちょっとした話題になっているのだそうです(↓)。こちらがそのポスター。逆さまにしても読める文字のことを「アンビグラム」というのだそうですが、このポスターの文字部分ははその第一人者である野村一晟氏が制作したのだそうです。

 それならばと他のアンビグラムを探してみると、ネット上には結構あるようで、例えばこちら(↓)。見る方向を逆にすると逆の意味の言葉が現れるというのは、ちょっとオシャレですよね。

 逆の意味になると言えば、こんなものも(↓)。模倣と独創は逆の意味ですが、独創は模倣から始まるとも考えられ、なんだか哲学の世界をアンビグラムで表しているとも捉えられそうです。

 あとはもう少し軽いもので、こんなものも(↓)。引いた "くじ" にこれが書かれていて、見る方向が変われば「あたり」になったり「はずれ」になったりするなんて、ちょっと面白いかも知れませんね。

2018年1月18日木曜日

コンピューターに学ぶ「仕事を効率的にこなす方法」

コンピューターに学ぶ「時間をより効率的に扱う方法」 - GIGAZINE:

 突然ですが、皆さんは同時並行でいくつもの作業をこなせる「マルチタスク人間」ですか。実は自分はあまりマルチタスクが得意ではないのですが、ついつい複数の仕事を「ながら」でこなそうとしてしまいます。パソコン上でファイル移動をしながら、それを待っている間にメールチェックし始め、返信のためのデータを検索しているうちにファイル移動が終わったことに気づかず、人を必要以上に長く待たせてしまったり。そんな実世界でマルチタスクが苦手な人が、コンピュータのマルチタスクの仕組みにヒントを得ようというのが今回の主題です。

 前置きが長くなりましたが、元記事で紹介されているのはTED-Edによるムービー(↓)で、時間をより効率的に扱う方法をコンピュータの仕組みから学ぼうというものです。


 動画では、1997年NASAのマーズ・パスファインダーが火星に着陸したものの、搭載されていたコンピュータのスケジューラにバグがあったため、重要なタスクを実行できなかったという事例を紹介しています。スケジューラというのはOS(オペレーションシステム)が持つ重要な機能で、同時並行的に行なう必要のあるたくさんタスクにそれぞれどのくらいずつCPUの時間を割り当てればいいか、どういう順番にタスクをこなすべきかを判断する機能です。簡単に言えば、自分がパソコン上のファイル移動とメールチェックという作業を同時にするとき、人を待たせているのでファイル移動を優先するが、移動させている時間ぼーっと待っているのは無駄なのでその間メールチェックをする、という判断こそまさにスケジューラのようなものでしょう。

 一つ目のポイントは、「タスクの優先順位付けに費やす時間は、タスクを実行する時間ではない」ということです。この教訓を聞いて、自分は小学生の頃に夏休みの宿題をこなす計画を立てたり、中高生の頃の定期試験のための試験勉強の計画を立てたりしたことを思い出しました。そして往々にして、立派なスケジュールができたことで満足してしまって、肝心の宿題や勉強はまあ明日から頑張ろうなんてトーンダウンしたりしたものです。他にも、メールボックスの中から重要なものや優先順位の高いものと低いものに仕分けたりする作業も、本来のタスクのための時間ではないのです。実はLinuxのプログラマーも2003年に同様の問題に直面しました。元々は、Linuxのスケジューラが実行すべきタスクをランク付けしてから処理していたそうですが、タスクを実行するよりもランク付けする時間の方がかかってしまうケースが出てきたのだそうです。

 そこで取られた解決策は、直感に反する気がするのですが、そもそも「ランク付け」することをやめ、「限られた数の優先バケツを設ける」という策でした。そうすることで、タスクが実行される順番は優先順位に従ったものではなくなりましたが、トータルの時間は短くなったのだそうです。意外なことに、完璧な順序で物事を実行していくことをあきらめることで、タスク実行の効率が上がったということなのです。例えば、メールの仕分けをして重要なものから処理しようとすると、肝心のメールのチェックや返信の時間が足りなくなってしまうので、頭から順番に処理したりランダムにチェックしていくことがむしろオススメというわけです。

 二つ目のポイントは、現実の世界でも頻繁に起こるタスクの「中断」と「切り替え」について。コンピュータは、あるタスクを途中で中断して別のタスクに取りかかるとき、「コンテキストスイッチ」と呼ばれる機能を使います。コンテキストスイッチというのは、中断するタスクの途中状態を一時保存して、メモリの内容を入れ替えることです。例えば、机の上に広げていた英語の教科書やノートを脇にどけて、数学の参考書とノートを机に広げるようなものです。もう一度英語の勉強に戻る場合は、今度は数学の参考書とノートを脇にどけ、脇に置いてあった英語の勉強セットを机に戻すということです。机の上を入れ替える作業はそれなりに時間がかかりますので、あまり頻繁に行なうと英語も数学も中途半端になってしまいます。そんな場合は重要な方、例えば英語ばかりをまず勉強して終わらせてから数学の勉強を始める、というように同時並行の作業を諦めて1つずつ順番にこなしていきます。

 つまり、コンテキストスイッチを頻繁に行なうと生産性が低下し、あまり行わないと応答性が下がるので、トレードオフの関係になるわけです。最適に処理するためには、重要なタスクはコンテキストスイッチを最小限にすることで中断を減らし、さほど重要ではないタスクはグループ化してまとめて処理することで中断を最小限にするのです。ちょっと難しいですが、「Interrupt Coalescing」と呼ばれる考え方で、「どれくらいの中断タスクを保持しておく余裕があるか?」から逆算し、ある程度の中断タスクをまとめてグループ化、まとめて消化するというアイデアです。現実世界の時間管理でも、「Interrupt Coalescing」を取り入れて、重要なタスク以外をまとめて処理するというアイデアは役にたつかもしれませんね。

2018年1月16日火曜日

人類はこれを待ち望んでいた!衣服自動たたみマシーン「FoldiMate」

人類はこれを待ち望んでいた! 衣服を自動でたたむマシーン「FoldiMate」 | ギズモード・ジャパン:

 今回は、コレ欲しい!と思えるものを見つけたので、紹介したいと思います。元記事は岡本玄介氏によるもので、そのおすすめ商品こそ、自動で服をたたんでくれるマシーン「FoldiMate」です。まずは、紹介動画を見てみましょう(↓)。


 皆さんは、家事の中で面倒なものは何ですか。食事の後片付けは面倒ですが一応食器洗い乾燥機がありますし、掃除も面倒ですが自動掃除機があります。洗濯に関しては、自動洗濯乾燥機に放り込んでポチッとボタンを押すだけですが、意外に面倒なのは出来上がった衣服をたたむという作業です。そんな面倒な作業を自動化しようというのが、この「FoldiMate」なのです。

 ただ残念なのは、完全自動とはいかないことです。自動食器洗い乾燥機がお皿やグラスを機械にセットしなければならないように、乾いた衣服を1枚1枚手作業で機械にセットする必要があるのです。乾燥機を使わない場合に洗濯物をハンガーや洗濯バサミを使って干すことを考えれば、面倒さは同じ程度かもしれませんが。一度にセットできるのは15〜20枚くらいですので、バスタオルや靴下・下着など手作業の方が早いものは手でたたんで、面倒なシャツやズボンなどはこのマシーンにセットする...というのが現実的な使い方でしょうか。

 完全自動化で決定的な便利さとまではいきませんが、目の付け所はなかなかですよね。

2018年1月15日月曜日

思い出の癒し効果を簡単に得る方法

How to Use Nostalgia to Your Advantage (Instead of Getting Stuck):

 前回、自分が生きた時代でもない古い写真でも懐かしさを感じるという記事を書きました。このブログではこれまでも何度か、古き良き日本と言えるような写真を紹介しているのですが、懐かしさになぜ惹かれるのだろうと思って少し調べてみました。自分が言っている「自分が生きた時代でもないのに懐かしく感じる」という現象の理由までは教えてくれませんが、「懐かしい」という気持ちがそもそもどんな効果があるのかを教えてくれる記事を見つけたので、ここに紹介したいと思います。

 元記事はThorin Klosowski氏によるものですが、いくつかの学術論文を引いて論理的に「懐かしさ」を紐解いています。日本語で言っている「懐かしさ」は、元記事では「ノスタルジア(nostalgia)」と言っていますが、「ノスタルジア」というのは17世紀末のスイスの医師による造語で、面白いことに、当時はホームシックに似た病気と扱われていたのだそうです。Klosowski氏は、社会心理学者のClay Routledge博士による研究結果を示しています。

 一般的に「ノスタルジア」の言葉の定義としては、「過去への感傷的な切望または思慕」ですが、Routledge博士は「ノスタルジックになる」ということが具体的にどういうことかという調査をしたのだそうです。方法は、被験者にノスタルジーの経験について詳細に書いてもらい、ナラティブ分析によってその叙述を分析するというものです。その結果、「ノスタルジックな思い出」とは、人生の分岐点となるような出来事や個人的に大きな意味を持つ出来事にフォーカスを当てたもので、かつ身近な他者(友人や家族や恋人)が特に大きな役割を果たしている出来事であることが多い、ということです。例えば、家族や友人との旅行、結婚、卒業、誕生日パーティー、親戚が勢ぞろいする休暇など、ありきたりで1日1日を思い出せない日常とは違った特別なイベントで、かつ自分と身近な人との間の楽しい出来事ということでしょう。どういう出来事にノスタルジーを感じやすいかを調べた研究もあり、それは12歳から22歳にかけての出来事が多いという結果だったのだそうです。確かに自分も、中高生の頃に聞いていた音楽や見ていた映画、その頃の出来事思い出したりすると、ひときわ懐かしさに胸がキュッとなる気がします。

 そして、最近の研究ではノスタルジーには多くの有益な点があると指摘されているのだそうです。例えば、自己評価を高めてくれる役割があったり、人生の意味を見つけたり孤独に立ち向かったりするのにも役に立つというのです。ノスタルジーがあるおかげで、将来を楽観的に考えられるという研究もあるそうです。

 ノスタルジーは、ネガティブな精神状態に立ち向かう時の強力な武器の一つです。孤独を感じたり、うまくいかない時にくよくよしたり、一体何のために生きていのかなどと思ってしまった時は、ノスタルジックな思い出の宝庫のドアを開けましょう。そうすれば、あなたは必要とされる存在でとても価値があるのだというエビデンスを思い出すことができ、前を向いて次の一歩を踏み出せるはずです。

 しかし一方で、思い出の世界に閉じこもってしまい、そこから出られなくなってしまうのは問題です。他にも「思い出補正」による素晴らしい過去にとらわれて、今現在に向き合えなくなってしまう問題もあります。これらはノスタルジアのマイナス面と言えるかもしれません。例えば、若かりし頃の成功を思い出すことで、逆に今の自分はダメだと落ち込んだり、子供の頃に祖母の家で過ごした週末を思い出して、その祖母が今はもういない現実に愕然とするようなものです。

 カリフォルニア大学リバーサイト校で心理学を専門とするLyubomirsky教授は、こういう昔を思い出すことで帰って辛い思いをする場合、過去と現在のギャップに目を向けるのではなく、過去と現在を繋げるような捉え方をしましょうと述べています。つまり、今と比べてあの頃は良かったと思うのではなく、あの頃があるから今の自分があるのだと考えるのです。あの頃の成功があるから今の自分はこうしていられる、あの頃祖母に可愛がってもらったから今の自分がある、というように。

 「ノスタルジー」は、それをうまく使えば精神的な安定を得られたり自分に自信が持てたりするプラス面がありますが、下手に使ってしまうとあの頃に比べて今はダメだとマイナス効果になってしまいます。しかし、この記事で最初に述べた「古い写真を見て、自分が生きた時代でもないのに懐かしいと思う」という感情は、自分の過去と現在を比較するものではないので、過去と現在のギャップに落ち込むことなく、むしろ自分のルーツである古き良き日本の素晴らしさに自信を持つプラス効果だけがあるのではないかと思います。「ノスタルジー」の精神的プラス効果だけを簡単に得る方法、それが古き良き日本の写真を見ることなのかもしれないと思うのです。

2018年1月11日木曜日

どこか懐かしいサムライとゲイシャの姿

Life In 19th century Japan: Color Photographs Of Life With The Samurai And Geisha - Flashbak:

 今回は古い日本の写真をご紹介したいと思います。元記事はFLASHBAKというサイトの記事で、イタリアのFelice Beato氏が江戸時代の日本で撮影したとされる写真が掲載されています。Beato氏は19世紀の有名な写真家で、1862年から1885まで日本に滞在しており、今回の写真はその時の撮影と思われますので、時期的には明治維新の直前くらいでしょうか。

 最初の写真は、戊辰戦争(1868–1869年)の頃の薩摩藩士の写真。現代人の自分から見ても、凛々しいサムライの姿がそこにはあります。




 凛々しい男性たちの次は、可憐な女性たち。一張羅の着物でポーズをとる女性たちは、現代女性とは一味違った凛としたキレイさがあるような気がします。




次はもうちょっと普段の姿に近いだろう写真。当時はこんな風に高い建物が全くない背景と、水面に渡し舟が映り込むほど綺麗な水があったのでしょうね。




最後はゲイシャと紹介されている女性の、なんとも艶かしい姿。現代の女性と比べると、どこか奥ゆかしい色っぽさを感じることができる気がします。


 いかがでしたか。この時代に生きていたわけではないのに、自分はどこか懐かしいような気がしました。現代社会の慌ただしさとは少し違った、ゆっくりと時間が流れていそうな、そんな古き良き日本。たまに思い出したくなる、日本人のルーツに思えます。

2018年1月10日水曜日

小学生にとって宿題は全く無駄だった!

Homework is wrecking our kids: The research is clear, let’s ban elementary homework - Salon.com:

 今回は、小学生の子どもを持つ自分にとっても衝撃的な元記事です。毎日子どもを机に向かわせて宿題をやらせるのが大変だという親御さんはたくさんいると思いますが、その努力が全く無駄だったとしたら。何より宿題をこなすという苦痛な時間を強いられる子ども本人がその我慢が全く役に立たないとしたら。そんな話題です。

 衝撃的な元記事は、Heather Shumaker氏によるもので、デューク大学で宿題に関する研究を行なうHarris Cooper氏の言葉として書かれています。Cooper氏によれば、宿題をすることで成績が上がるかどうかは年齢に依存し、高校生くらいならかろうじて成績向上に結びつくものの、小・中学生にとっては全くの無駄なのだそうです。無駄というのは文字通りの「無駄」で、子どもが宿題をどれだけやっても成績向上に結びつくという証拠は見つからないということです。そして、かろうじて宿題をやる意味がある高校生にとっても、1日2時間が限度なのだそうです。

 自分が子どもの頃から、学校と宿題は切っても切れないもので、小学校から高校に至るまで(もしかしたら大学も)宿題は出るのが当たり前でした。たまに課題を授業中に全部終わらせたら宿題なしなんていう先生がいて、その時は物凄い集中力で家に宿題を持ち帰らないよう頑張ったものです。それはさておき親となった今も、特段の根拠なく無条件に宿題はするべきもので、学業において宿題をこなすことでメリットこそあれデメリットは全くないと思い込んでいる自分がいます。しかしCooper氏の研究によれば、小学生の場合は、むしろ宿題をさせることで学習に対する意欲を失わせる影響があると言うのです。

 しかし宿題擁護派は、学業にとって特段のメリットはなくとも、宿題は「責任能力」を訓練するために役に立つと主張するかもしれません。大人になれば仕事の責任を放り出して遊ぶわけにいきませんので、子どものうちから与えられた責任を果たすトレーニングになるという主張はそれなりの説得力がある気がしますが、Cooper氏はそれも否定します。つまり、子どもの責任能力を養う機会は、親の手伝いやペットの世話など他にいくらでもあり、むしろ宿題のために「良い睡眠」「家族との時間」「遊ぶ時間」を削るのは本末転倒だと言うのです。

 何だか目からウロコな気がしませんか。学校の先生はプリントを作るなど宿題のための労力をかなり費やしているでしょうし、親も子どもに宿題をやらせるためにガミガミ言ったりしてすり減ります。子ども本人も、あとで宿題をやらないといけないと思うと心から遊びを楽しめなかったり、親から叱られながらやる宿題は苦痛なことこの上ありません。宿題が学業にいい影響があるという迷信にとらわれず、いっそのこと宿題なんて無くしてしまえば、みんなハッピーになるかも知れません。

 そしてもう一つ、宿題以外にも特段の根拠なく盲目的に信じてしまっていることってあると思うんです。そういうことに、本当に必要なものなのかと一歩下がって見つめ直してみる態度も必要かも知れませんね。

2018年1月9日火曜日

知能と学業に関する残酷な「遺伝の真実」

残酷な「遺伝の真実」あなたの努力はなぜ報われないのか(安藤 寿康) | 現代ビジネス | 講談社(1/4):

 今回は慶應義塾大学教授で行動遺伝学・教育心理学の専門家である安藤寿康教授の記事を元に、なんとも衝撃的な真実について考えてみようと思います。その衝撃の真実とは、行動遺伝学で得られる「知能と学業成績は遺伝60%・環境40%」という知見です。

 実は行動遺伝学が扱う心理学的な特徴の中で、知能と学業成績は、最も遺伝の影響が大きい特徴のひとつです(↓)。全体的には、体重や身長といった身体的特徴が90%以上遺伝で決まるのに対し、神経質・外交性・同調性・勤勉性といった性格に関する遺伝の割合は40〜50%とやや低め。このことは直感的にも合います。そして、IQ・国語・算数・理科といった知能と学業に関する遺伝は60〜70%くらい。この割合は、我々が考えるよりずっと高いのではないでしょうか。


 しかし、遺伝が60%というのは絶妙な割合で、残り40%が環境で決まるのだから、まだまだ本人の努力の価値はあると考えるかもしれません。

 しかし、ここで一卵性・二卵性双生児の類似性を示す相関係数を見てみましょう(↓)。これは、きょうだいが完全に類似していれば1、全く似ていなければ0になる数値で、知能と学業に関しては一卵性双生児の場合は0.75、二卵性の場合は0.45くらいです。遺伝要因xも家族が共有する環境要因yも同じ値で散らばった人たちの類似性が0.75ですので
  x+y=0.75
遺伝要因では半分しか類似していない(0.5x)が、家族の共有環境要因では同じ値yで散らばった人たちの類似性が0.45なので
  0.5x+y=0.45
これらの簡単な連立方程式から、遺伝率x=0.60と算出されます。残り0.40が環境の影響ですが、家族で類似する共有環境の割合yはやはり上記の連立方程式からy=0.15ですから、遺伝でも家族の影響でもない純粋に個人の環境影響としては0.25(ちょうど一卵性が類似して「いない」程度、つまり完全な一致を示す1から一卵性の類似性0.75を引いた値)ということです。


 つまり、遺伝が60%と言っても、環境要因が40%あるのだから、頑張って勉強することには意味があると考えられそうですが、それはあくまでも親の論理です。子どもにとってみれば、自分ではどうしようもない遺伝が60%、やはり自分ではどうしようもない家庭環境がさらに15%もあるので、知能や学業に関して純粋に自分の努力で何とかなるのは25%しかないということになるのです。にも関わらず、先生や親から「できないのはおまえのせいだ。努力不足だ」と学業不振の責任を子ども本人に押しられたら、極めて不条理だと思いませんか。

 行動遺伝学が示す知能と学業に関する知見は、ざっくり言うと「遺伝60%、家庭環境15%、本人の努力が25%」という数字を示しているのです。しかし、この知見は我々の常識になっておらず、むしろその正反対の知識観や学習観がはびこっていないでしょうか。つまり、学力は努力と環境しだいでどこまでも向上できるという考え方のほうが一般的ではないかと。安藤氏によれば、これは二重の意味で残酷なことだと述べられています。努力で何とかなるのは25%しかないという事実を知ってしまうと、学業不振でも頑張れば何とかなるという希望が失われてしまいます。逆にこの事実を知らなければ、学力や学歴の差に依存する社会格差が本人の努力ではどうしようもない部分が大きいのに、ひたすら苦しい努力を強いられ続けてしまうという残酷さです。

 「遺伝60%、家庭環境15%、本人の努力が25%」という数字はとてもショッキングで、子ども本人からすれば努力で何とかなるのが25%だけですが、親の立場からすれば家庭環境もコントロールできますから、親子で力を合わせて努力すれば40%は何とかなるということです。自分も子どもを持つ親としては、家庭環境の15%を整えることで子どもの援護射撃をしてやりたいところです。

 しかしそれにしても、遺伝60%は絶妙な数値です。人並み以上に何かを成し遂げたいと思ったときは、遺伝的な才能がないところに力を注いでも厳しいと言うには十分な値です。これまでの日本人的な「努力信仰」に反することで、心情的には言いにくいことではありますが、頑張っても成績が伸びないならそれは才能がないことだと諦めて、早めに別の道を探す方がいいと言えるかもしれません。

2018年1月8日月曜日

タモリ流「戦争がなくならない理由」

タモリが言う「戦争がなくならない理由」が深くて考えさせられる - まぐまぐニュース!:

 今回は、松尾英明氏による記事を元に、タレントのタモリさんの「戦争がなくならない理由」の言葉が的を射て射て深いという話題を。その言葉とは...「LOVEさえなければ、PEACE」というもの。

 戦争というのは、突き詰めていけばイデオロギーの対立に原因があるケースがほとんどです。戦争する国家間で、一方が正義で一方が悪というケースは稀でしょう。もちろん歴史的には一方的な戦略戦争というのもありましたが、現代に近づき人間の生命が重要視されるにつれて、最も大切な国民の生命を掛けてまで戦う行為には、それを超える何かがないと戦争の動機付けを行なうことができません。

 先の第二次大戦でも、「十死零生」と言われた特攻に向かう人々が、大切な大切な自分の生命を捨てるには相当の葛藤があったはずです。例えば、愛する家族を守るため、日本という国を後世に残すため。自分の生命と引き換えにできるほどの何らかの高尚な目的を設定しなければ、「九死に一生」ならぬ「十死零生」の戦場に向かうことはできなかったはずです。そして、自分の生命よりも高い価値を見出す先は、やはり「愛」をおいて他にはないのではないでしょうか。

 人間の最も高尚な感情である「愛」。戦争という大きな話でなくても、殺人や傷害事件・個人間の恨みも、「愛」が介在するケースは多いと思います。愛する人を奪われた恨みを晴らすため、愛する人を失う恐怖から逃れるため、そんな理由で相手を傷つけるケースをたくさん耳にします。

 そこでタモリさんの「LOVEさえなければ、PEACE」という言葉。誰かを愛する、愛する人を守るという感情が人間になければ、多くの争いごとは避けられるはずです。それは国と国の間でも同様で、「愛」がなければ「平和」な世の中になるはず。愛し守る対象さえなければ、何を奪われても何の感情も湧かないのですから。

 とても逆説的で皮肉の効いた、タモリさんならではの言葉です。そうは言っても、やはり人は「愛」を歌い「愛」に生きる。戦争がなくならないのは、地球上に愛があふれている証拠なのかもしれません。

2018年1月7日日曜日

スマートスピーカーをブレイクさせるコツ

日本でスマートスピーカー売るなら、コレつけないと絶対ダメだろ - まぐまぐニュース!:

 今回は、たくさんCMやっているのに、いまだ食指が動かない「スマートスピーカー」の話題。Amazon Echo・Google Home・LINE Clova WAVE・Apple HomePodなど、大手IT系ベンダーから「AIアシスタント」機能を持つスマートスピーカーが次々と世に出ていますが、個人的にはあまり欲しいと思いません。周囲を見渡してみても、コレを買って便利に使っているという人が見当たらず、自分と同じように食指が動かない人って意外に多いんじゃないかなと思います。

 そんな、なぜか食指が動かない「スマートスピーカー」ですが、この機能をつけるだけで爆発的に売れるようになるかもしれないという、ブレイクのコツをyomeronpou氏の元記事で見つけたので、紹介したいと思います。yomeronpou氏の記事自体も、ライトノベル&SFライターであるMAEJIMA Satoshi氏(@MAEZIMAS)の次のツイートを紹介したものです。


 確かに!! 恥ずかしやの日本人は、たとえ家の中でも「ヘイ!Siri!」とか「オッケー!Google!」なんて口に出せないじゃないですか。やっぱり、「あのちょっと、すみません」なんて控えめな声掛けじゃないと。これが今までスマートスピーカーに食指が動かなかった原因かも、なんて思ってしまいますよね。逆にいうと、呼び掛けの言葉をユーザーが自由に決められるようにするだけで、一気にブレイクするかもしれませんね。

2018年1月6日土曜日

「仕事を頼むときは一番忙しい人に頼め」が正しい業種

「仕事を頼むときは、一番忙しい者に頼め」は本当に正しいのだろうか。 | Books&Apps:

 今回は内科医のfujipon氏による記事を元に、「仕事を頼むときは一番忙しい者に頼め」と言うのは正しいのかという話題。以前この山ちゃんウェブログでも、チームで成果を出すコツは「デキる人を活かし切る」ことだという記事の中で、クリエイティブな職種の場合、仕事の振り方に濃淡をつけることが重要だという趣旨の主張をしましたが、果たして本当にそうなのかというのがfujipon氏の言われるところです。

 fujipon氏は「富士そばは、なぜアルバイトにボーナスを出すのか(丹道夫著/集英社新書)」という本のなかで、ナポレオンの言葉として紹介されている「仕事を頼むときは、一番忙しい者に頼め」という言葉に、本当にそうなのかと疑問を投げかけておられます。チームとして成果を出すことだけを目的にすれば、そして頼む側の論理からすれば、それはもっともなことですが、頼まれる側からすればどうだろうかと。忙しくて目の回る思いをしているときに上司が自分に仕事を振ってくる。アイツの方がヒマそうなのに、なんで自分にばっかり。そんな思いをするのではないかと。

 確かにfujipon氏の言われる通り、人間は周囲の人と自分を比べずにいられないところがあり、いくら他人は他人と考えようとしても、なかなかそうはいきません。そういう意味では、仕事をどんどん振られる人には「忙しい自分」「上司に信頼され仕事を任される自分」に充実感や優越感を感じる人が多いでしょうし、それを横目に見ている人は大して変わらない給料で仕事はラクだったとしても「自分は仕事を任せてもらえない」と不安や劣等感を感じることも多いでしょう。仕事を振られる優秀な人はモチベーションも上がってますます仕事ができるようになり、大きな仕事も任せられたりリーダーに任命されたりの好循環で、職場のエースに成長していきます。一方で仕事を振られない人は、不安や不満が募って周りに悪影響を与えるようになったり、扱いづらい人材に育ってしまうかもしれません。

 おっしゃる通りですよね。「人材育成」という考え方に立てば、仕事の振り方に濃淡をつけるマネジメントは、一部のエース格を育てることはできますが、他の人を役に立たないか下手したら足をひっぱる存在にしてしまうリスクがあります。エース格と見込んだ人も、大して変わらない給料で自分ばかりが忙しい目をしていると不満を募らせたり、仕事の振られすぎで潰れてしまったりしたら、元も子もありません。当然、マネージャーには誰をエースに育てるべきかという「見る目」が重要になりますし、他の人がモチベーションを下げないようケアすることも重要になります。これらを怠ったり失敗したりすれば、そのチームは崩壊してしまうかもしれません。

 しかし自分の経験上からは、クリエイティブな職種・個人のパフォーマンスの差が大きい業種に限っては、成果を出すためにはこれらのリスクをとる必要があると思います。そして、エースとそうでない人には、明確に報酬差をつけたり待遇の差をつけることも必要だと思っています。

 成果が数字として現れやすいスポーツの世界、例えばプロ野球の世界を考えてみましょう。トップクラスのパフォーマンスを出せる選手は、野手だとレギュラーとして毎試合出場して仕事の機会を与えられますし、投手だと中5日で先発して長いイニングを投げることで仕事の機会を与えられます。パフォーマンスが低いとみなされた選手は公式戦に出場する機会が与えられず、それは仕事をする機会を与えられないということです。そして、ハイパフォーマーばかりを出場させるチームと、ハイパフォーマーもそうでない選手も一軍・二軍から日替わり交代でまんべんなく出場させるチームとが、1年間のレギュラーシーズンを戦ったと想像してみてください。どちらが優勝に近づけるでしょうか。どちらが上位の成績をおさめられるでしょうか。後者のような選手起用をした監督は過去なかったと思いますので実際の比較はできませんが、明らかに前者のようなハイパフォーマーを優先的に起用する選手起用の方が成果が出やすいと思いませんか。

 そして、ハイパフォーマーは仕事の出来高にだいたいリンクする形で何億円もの報酬を得る一方で、ずっと補欠とかずっと二軍生活で仕事の機会を得なかった選手は数百万レベルの報酬にとどまるかもしれません。ハイパフォーマーとそうでない人との差は、仕事の機会を与えられるかどうかだけでなく、報酬の面でも歴然としています。プロ野球選手の報酬がパフォーマンスに応じて大きな差がつくことを、「不公平」とか「不平等」とはあまり思わないのではないでしょうか。むしろホームラン王とか最多勝とか大活躍した選手と、一軍で出場の機会がなかった選手が同程度の報酬だとしたら、逆に「不公平」とか「不平等」だと思いませんか。

 わかりやすいプロ野球の例を出しましたが、本来的にはハイパフォーマーとそうでない人との差が大きい職種の場合は同じ論理が適用できるのではないかと思うのです。例えば映画監督とかミュージシャン・画家といった芸術系の世界もそうでしょうし、自分も端っこにいるソフトウェア開発の世界も、個人のパフォーマンスの差が100倍とも1万倍とも言われます。ただ、スポーツの世界のようにパフォーマンスが明確に数字として表れづらいために、ハイパフォーマーとローパフォーマーの差が定量的に測定されていないだけだと思うのです。誰がハイパフォーマーなのかを見極め、見込んだ人を活かしきるマネジメントこそが、成果を出せるチームにできるかどうかの分岐点だと思うのです。

2018年1月5日金曜日

よくぞ思いついたカンニング方法

The Easiest Ways to Cheat on Your Test (20 pics) - Izismile.com:

 のっけから突然ですが、皆さんは学生時代カンニングをしたことがあるでしょうか。入学試験だけでなく定期考査でもカンニングは厳罰が原則ですので、カンニングしたことがあるとは答えづらいものですが、自分が学生の頃はごく一部ですが小さいカンニングペーパーにびっしり書き込んで試験会場に持ち込む人がいたものでした。イマドキは、スマホやスマートウォッチなどを活用するのかもしれませんが、今回の元記事は海外でこんなカンニングの方法があるんだと感心したので、紹介してみたいと思います。

 まず、日本ではあまりないのかもしれませんが、海外では試験会場にドリンクを持ち込むことが可能なケースが多いのだそうです。そして、このドリンクのラベルがカンニングペーパーの温床なのだとか。

 カンニングペーパーの作り方はカンタン。ペットボトルのドリンクのラベルを剥がし、スキャナーで取り込みます(↓)。

Photoshopなどを使って、ラベルに記載された成分表を消し、代わりに覚えなければならない公式や年号などカンニングペーパーとして持ち込みたい内容を書き込むのです(↓)。

最後にプリントアウトしてペットボトルに貼り付ければ完成(↓)。プリントする紙を工夫して、光沢のあるものを使用すれば、ほぼ見分けがつきません。

 他にも透明シートに印刷すれば、こんな風にペットボトル以外のドリンクの場合も注意書きや成分表と見分けがつきません(↓)。

ボールペンの軸にこんなに堂々と貼ってあっても、これがカンニングペーパーだとは意外なまでに気づかないのではないでしょうか。

 と、ここまでは海外で実際に行われている(らしい)姑息なカンニングですが、自分にもちょっと思い出した学生時代の同級生がいます。もちろん日本でのことですが、すでに30年近く前の話です。彼は、中間試験だったか期末試験だったかでとても大胆なカンニングをしたのです。その方法とは、こんな風(↓)に、黒板の隅っこに教科書のページ番号と問題番号のように書いておくのです。本来は試験が始まる前に黒板を消してしまわなければならないところを、もっともらしく「宿題」と書いてあったので、試験官の先生も鵜呑みにして消さないままだったのです。宿題というのはもちろん真っ赤な嘘で、歴史の試験に出る年号が羅列されていたというトリックです。

 「木を隠すなら森の中」という言葉がありますが、自分の経験上、ここまで大胆なカンニングをした人は彼だけでした。実は彼は学年でもイチニを争う天才で、カンニングなどしなくても高得点は間違いないのですが、先生への挑戦なのかイタズラ心なのか、ひねりの利いた粋な人物でした。一緒に試験を受けていた自分も、試験官の先生と一緒に騙されたので点数は赤点ギリギリでしたが、後から種明かしされて地団駄踏んだのでした。

 カンニングとそれを暴く試験官というのは、イタチごっこの部分があるかもしれません。スマホやスマートウォッチなどのテクノロジーを利用してカンニングするような味気ないマネは面白みがありませんが、こんなひねりの利いた粋なイタズラだとちょっと笑ってしまいませんか。大胆で粋なカンニング法で先生の鼻をあかした同級生に、グッドジョブ!と言いたいような。ですが、言うまでもなく、本当にカンニングをしたりしたらダメですよ。ここで書いたことも、当然フィクションだということを最後に強調しておきます。

2018年1月4日木曜日

プログラマー35歳限界説なんてくつがえせ

限界説なんてくつがえせ!輝く40代ITエンジニアになるための”いろは” | フリーランスへの道標(お役立ち情報):

 今日から仕事始めという方も多いと思いますが、今回はプログラマー業界でまことしやかに言われる「プログラマー35歳限界説」(定年説という言い方をする場合も)について。昨年12月には、Rubyの生みの親・まつもとゆきひろ氏が「35歳限界説はある」と答えたという記事がありました。ただ、まつもと氏が言われるのは、日本企業の場合は「一定の年齢に達したらマネジメント側に回る」という流れが普通にまかり通っているので、能力や体力的な限界というよりは、むしろ組織上の問題で35歳を超えると単にプログラムを書くだけの仕事ではいられないということです。

 自分の場合もソフトウェア開発という職種に従事してきましたが、そこそこ規模の大きな会社だったからか、35歳よりもう少し早い20代後半くらいから単にプログラムを書くというよりも要件定義や上流設計・営業技術、あるいは学会などで標準化を進めるような、純粋にプログラムを作ることではない仕事が増えてきました。それは40代になった今でも同じなのですが、ただ、本当の意味で自分の理想的なプロダクトを仕上げるためには、コアな部分のプログラムは自分で書くということを続けています。フレームワークやプロジェクトで採用する先端技術(古き良き電機メーカーなので、あまり先端すぎてリスキーな技術は使えないの点はありますが)は自分がコーディングまで行ない、フレームワーク上で動くプログラムを書いたりテストしたりという作業は外注さんに作業して頂くスタンスです。経験上、いくら基本設計やアーキテクチャ設計を文書で示したとしても、実際に動く実装のお手本を示さなければ思い通りのプロダクトには仕上がりません。

 そういう意味では、IT系エンジニアとしては、「おいしいところ取り」の仕事の仕方をさせて頂いているかもしれません。しかし、付き合いがあるソフトウェア開発専門の外注さんの様子を見ていると、やはり35歳を超えた頃から純粋なプログラマーというよりはマネージャーや営業を兼務したりして、プログラムのことだけを考えてはいられないようになっていくようです。そうなると、いずれはプログラマーとしての腕を維持するのも難しくなり、50代になる頃には完全なマネージャーか営業のような仕事に移行するキャリアプランのようです。

 話がだいぶ自分の個人的な状況に逸れてしまいましたが、元記事では、ソフトウェア開発専門の会社で40代でも立派にITエンジニアとしてやっていくために、以下のような6つのキャリアプランを紹介されていました。

(1)マネージメント職を目指す
(2)ITエンジニアのスペシャリストになる
(3)技術営業として案件受注に大きく寄与する
(4)ITに関する講師業や執筆業を行う
(5)IT製品のコンサルティングを行う
(6)英語力を鍛えて外資で活躍する

 個人的なポイントは、「40代プログラマー」とは言わず「40代ITエンジニア」という言い方をしているところかなと思います。つまり、ここで挙げられていることは、やはり純粋なプログラマーの仕事だけでは40代はツライですよということなんだと思います。

 まつもと氏も言われていますが、設計された通りのプログラムを書いていくという仕事(本当は、設計がダメでプログラマーにしわ寄せがくるケースも多々ありますが、その話は次の機会に置いておいて)は、日本企業ではやや下に見られがちな気がします。海外、特にシリコンバレーのケースだと、プログラマーとマネージャーは芸能人とマネージャーのような関係に近くて、マネージャーよりもプログラマーの方が高収入というケースもごまんとありますが、日本の場合はレアケースでしょう。結婚や出産などのイベントで今後お金も必要になってくる35歳くらいでキャリアパスをプログラマーからマネージャーや営業技術に乗り換えるというのは、サラリーマンとしてはある意味妥当かもしれません。

 しかし、プログラマーの地位の低さは極めて大きな問題です。プログラマーがわずか10年や15年ほどの短いキャリア寿命だとしたら、せっかく積み重ねた技術を活かす時間がいかほどもありません。これは極めて大きな損失で、ソフトウェアやITの分野で世界的に競争力ある企業が日本から生まれてこない大きな原因の一つだと思うのです。20代・30代で積み重ねた技術を50代・60代まで還元できる、そのためには50代・60代でもプログラマーだけで勝負できる社会にならなければ、ソフトウェアやITが大きな力になるこれからの時代に日本企業は生き残っていけないのではないかと思うのです。

2018年1月1日月曜日

哲学者の言葉とともに2018年を生き抜く

1年を豊かに生きるには「哲学」体験が必要だ | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準:

 みなさま、明けましておめでとうございます。2018年もみなさまにとって素晴らしい一年となりますようお祈り申し上げます。2018年元日にふさわしい記事を探していて、原田まりる氏による今回の元記事に出会いました。取り上げるテーマは「哲学」です。理系一辺倒の自分の場合、哲学のような観念的な学問と程遠いと思われるかもしれませんが、実は偉人の言葉などは大好きなんです。

 自分としては、原田氏の言われる言葉のうち、「ハッとする体験こそ哲学だ」という言葉よりも、「哲学とは知っていると思い込んでいたことを別の角度から知ることだ」という言葉にハッとしてしまいました。元記事では三が日にあわせて3つの言葉が紹介されています。

 1つ目は、ドイツの哲学者・ニーチェによる「勇気は、最高の殺し屋だ」という言葉。日本語訳で「殺し屋」と言われるとインパクトが大きいですが、西洋では圧勝するとか克服するといったニュアンスにも使われる言葉で、日本的な「殺す」というだけの意味ではないんだと思います。ニーチェの言う、最も勇気のある動物は人間であるという考えを表した言葉で、人間はこれまで勇気によって動物や自然を征服してきた、無気力・苦悩・痛み・他人から受ける同情といったものを殺すのも勇気であると。勇気こそが人間を人間たらしめていると言えるかもしれませんね。

 2つ目は、フランスの哲学者・アランによる「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」という言葉。人間は自然にしていては悲観的になりやすい、自らの意志と自制によってようやくポジティブな感情が湧いてくると言っています。ただ、個人的には楽観論と悲観論は表裏一体というか、ポジティブ一辺倒では人生の深みがない気がします。ネガティブな感情があるからこそポジティブな感情が際立ったり、光があるところには影がつきもの、というような。ただ自分で自分を鼓舞したり、人生を楽しくするコントロールも時には必要と言う主張は確かにその通りだと思います。

 そして3番目は、イギリスの哲学者・ラッセルによる「人生に対して熱意を持っている人は、持っていない人よりも有利な立場にある」という言葉。「熱意」と言う言葉が使われていますが、自分はこの言葉においては「楽しむ心」というニュアンスに近いと思っています。ラッセルは幸福論の中で、冒険好きな人びとは、健康を損なわない限り、船の難破、暴動、地震、大火、及びその他の全ての不愉快な経験を楽しむとさえ述べています。つまり、予想外の事態や普通に考えれば不幸じゃないかと思うようなことさえ、良い経験ができたと楽しんでしまおうという心。その貪欲さこそ、ラッセルの言うところの「熱意」です。山の高さと谷の深さ、その両方を楽しんでしまえるなら、もう人生は幸福そのものじゃないでしょうか。

 テクノロジーの世界に生きている自分の場合、2017年は猛スピードで過ぎ去ったような気がします。IoTとかAIとかFinTechとか、キーワードとなる言葉もたくさんあり、ついて行くだけで精一杯でした。2018年はたまに哲学者の言葉を噛み締めて、これまでと違った視点で物事を捉えたりハッとする経験をしたりすることでバランスを取れればいいなと思ったりします。本年もどうぞよろしくお願いいたします。