2018年4月21日土曜日

「居眠り」に対する不思議な寛容性

Napping in Public? In Japan, That’s a Sign of Diligence - The New York Times:

 今回はThe New York Timesに掲載されたBryant Rousseau氏による記事を元に、日本人の、「居眠り」に対する不思議な寛容性と見えない部分を想像する文化について考えてみます。

 Rousseau氏は日本のビジネス界でしばしば見られる、「居眠り」に対する不思議な寛容性を指摘しています。ほとんどの国で仕事中に「居眠り」することは、評価を下げるだけでなく、悪くすれば解雇されてしまう可能性があります。しかし日本では、仕事中や会議中に「居眠り」する人を見かけても、不思議にも許してもらえる傾向があるというのです。

 「居眠り」という日本語は英語で「sleeping on duty(勤務中の睡眠)」と訳されることが多いのですが、Downing Collegeで日本人学生相手に教鞭をとるBrigitte Steger氏はむしろ「sleeping while present.(出席中の睡眠)」だと述べています。Steger氏は、居眠りに対する日本人の不思議な寛容性は、複数のことをできるだけ同時に行なうことこそ時間の上手な使い方だという考え方が関係していると言っています。つまり、退屈な会議に出席することと同時に浜辺の休暇を夢見ることを同時に行なっているという分析です。

 しかし、そういうことでしょうか。自分には、Steger氏の分析は全く間違ってはいないものの、的を射ている気はしません。むしろ、日本人にある「影の努力」を美徳と考える文化が関係しているのかもしれないと思います。例えば部下を評価するというシチュエーションで、おそらく世界的には上司の見える範囲が全てなんだと思います。上司と同席した会議中に部下が居眠りすることがあれば、大きなマイナスポイントでしょう。しかし日本では、上司が見えない範囲も「想像で補って」評価に加えるということがないでしょうか。会議中の居眠りも、きっと彼(彼女)はこの会議の資料準備で昨日遅くまで残業したに違いない、こんなに疲れ切ってしまうほど頑張っているんだ、とむしろ評価を上方修正するバイアスがあると思うんです。

 もっと言えば、「みなまで言うな」とか「行間を読め」という日本文化の特徴が関係しているのかもしれないと思うのです。例えば短歌とか俳句では、「5・7・5・7・7」とか「5・7・5」という少ない文字数で言いたいことを表現することが求められます。そして、少ない言葉の裏にできるだけ多くのことを想像させる作品が高く評価されます。これって、とても日本人の特徴を表している文化だと思うのです。それは、書き手と読み手がほぼ同じ文化的背景を持っていることを前提とできる、ということです。一方海外の多くの国では、書き手と読み手が同じ背景を持つことは前提にできないので、「みなまで言う」ようにしないと伝わりません。人を観察したり評価したりするシチュエーションでも、海外の人はその人の見えている部分が全てなのに対して、日本人は見えていない部分を想像しようとするのでしょう。

 居眠りに対する日本人の不思議な寛容性。Steger氏は、この寛容性は中年以上の男性に向けられることが多く、若者や女性に向けられることは少ないのが不思議だと述べています。でもそれは同じ居眠りしている光景の向こうに、中年の男性が疲れ切っているのは遅くまで残業していたに違いない、若者や女性はきっと夜遅くまで遊んでいたに違いない、という想像を働かせているからではないでしょうか。偏見です、もちろん偏見なんですが、そういう偏見の想像を働かせていると考えれば、居眠りに対する寛容性が中年以上の男性に向けられやすいのも理解できると思うのです。

2018年4月18日水曜日

「火垂るの墓」のダブルミーニング

「火垂るの墓」ポスターに隠された意味 夜空の影は...「ほんとだ」「知らんかった」(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース:

 今回は、最近ネット上を賑わしていた「火垂るの墓」のポスターの話題を。ネット上の話題も半年や1年遅れて紹介することの多いこの山ちゃんウェブログですが、今回は比較的早めに取り上げた方かも知れません。

 「火垂るの墓」といえば、高畑勲監督の死去を受けて、つい最近の4月13日の「金曜ロードSHOW!」(日本テレビ系)でも放送されたアニメ界の名作です。野坂昭如氏の小説が原作で、野坂氏自身の幼少時の実体験がベースになっているとも言われています。第二次世界大戦末期から終戦直後の混乱期にかけ、清太と節子の兄妹が生き抜こうともがきつつ、ついには悲惨な最期を迎えるまでが描かれています。

 そして今回、話題になっているポスターがこちら(↓)。「火垂る」は「ほたる」と読み、このポスターはあたり一面を飛び交う蛍に戦果をかいくぐる束の間のひと時を楽しむ兄妹のように見えます。

 しかし、このポスター画像の明るさを調整してみると、兄妹の上に不気味な影があられます(↓)。そう、巨大な爆撃機の影があらわれ、ポスター一面の光の一部は爆撃機から落とされた焼夷弾だと思われます。そう思うと、光にも丸い光と細長い光が描かれているので、地上でふわふわと舞う優しい蛍と爆撃機から落ちてくる鋭い焼夷弾の対比を描いているとも見て取れるのではないでしょうか。ネット上では「だから蛍じゃなく火垂るなのか」という声で溢れているようです。

 戦時下でたくましくも儚い人生を送る兄妹は、兄の清太が14歳、妹の節子が4歳とされています。映画の公開は1988年。自分が13歳の時でまさに兄の清太と同年代、自分にも節子ほどではありませんが歳の離れた妹がいたので、もしこの時代に生まれていたらこんな人生だったのかも知れないと戦慄を感じたことを覚えています。「火垂るの墓」というタイトルそしてポスターに込められたダブルミーニングに "なるほど" と思いながら、戦争の悲劇が繰り返されませんようにと祈るばかりです。

2018年4月17日火曜日

バスも食パンも実は略語だった!

「バス」や「食パン」も略語だった! 元の言葉の意味と由来は? - ねとらぼ:

 今回はねとらぼに掲載されたQuizKnock氏の記事を元に、以外にも略語と知らずに使っている言葉のお話です。日本人は長い言葉をすぐに略して使う習性があるようで、デパ地下とかバイトとか、もはや略語のまま定着している言葉もたくさんあります。そんな中、意外にもこの言葉が略語だとは知らなかったという言葉をいくつかご紹介しましょう。

 まず最初は、元記事のタイトルにもなっている「バス」。バスって、あの「bus」じゃないですか。そもそも英語なんだから、略語かも知れないなんて疑ってもみませんでしたが、実は「omunibus」の略なんだそうです。いや「omunibus」ってあの音楽アルバムでよく見かけるオムニバスじゃないですか。複数のアーティストの楽曲が入っているアルバムを「オムニバス形式」と言いますが、もともとomunibusはラテン語で「全ての人のために」という意味です。そこから派生した「乗合馬車」「乗合自動車」の意味が、現在の「バス」の元になっているのだそうです。

 もう一つ元記事はのタイトルでもある「食パン」。自分は省略前は食用パンじゃないかと思ったのですが、そもそも「食用」なんてあえて付けるのも変ですよね。まるで「パンはパンでも食べられないパンは何でしょう」のように、食べられないパンがあるかのようじゃないですか。実は、美術のデッサンで消しゴム代わりに用いるパンを「消しパン」と呼んだのに対して、食べる方のパンを「食パン」と呼んでいた説もあるそうですが、主流なのは外国で「主食」とされていたことから「主食用パン」と呼ばれ、それが省略されて「食パン」になったという説だそうです。

 他にも、「切手」は何の略かご存知ですか。郵便切手かなと思ってしまいますが、そもそも「切手」が「切符手形」の略なんです。もともとは「商品券」の類を「切符手形」と呼び、それが郵便に使われるようになって「郵便切手」となったようです。

 さらに意外なところで、「ペペロンチーノ」。いやいやもはや料理名だし、そもそもイタリア語のpeperoncinoなんだから、自分は何の略かなんて考えたことありませんでした。しかし、正式には「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ(Pasta aglio, olio e peperoncino)」。アーリオがにんにく、オーリオは油、ペペロンチーノは唐辛子ですから、普段私たちは例のパスタを「唐辛子」としか言っていないわけですね。

 もうちょっと硬いところで「経済」。実は、元記事にはこれが「経世済民」の略だと指摘されているのですが、いわゆる「economy」のことを言っている「経済」と「経世済民(經世濟民)=略して経済(經濟)」はちょっと意味が違っています。経世済民は、より広く政治・統治・行政全般をカバーする言葉なので、いわゆるeconomyのことを言う経済の元の言葉というにはちょっと微妙です。

 最近のネットやSNSの流行で、日本語の略語文化はすごいことになっています。「激しく同意」を「禿同」とか、「ちなみに」を「ちな」、「了解」を「り」とか。確かに2チャンネルとかだと、「ちな虎(ちなみにタイガースファン)」なんて表現も普通に使われています。でも「り」って何ですか。たった一文字ですよ。最近の若者は言葉を略しすぎるという指摘もよく見かけますが、日本語の歴史は略語の歴史そのもの。ネットやSNSで見られる略語は正常系の進化かも知れません。

2018年4月13日金曜日

エンジニアにとっての加齢という恐怖

シニアSEに仕事がこない本当の理由 | 日経 xTECH(クロステック):

 今回の話題は、中高年エンジニアと仕事について、人材コンサルタントの崎山みゆき氏による記事を元に考えてみたいと思います。実は、自分もいつの間にか40代中盤に差しかかろうとしており、中高年エンジニアは仕事が無くなると言われると、不安がよぎるところです。

 ソフトウェア開発の現場には若い人材を求める声が大きく、どちらかというとシニア世代は敬遠される傾向があると崎山氏は指摘されています。ある意味で年齢による差別「エイジズム」が強いと言えるかもしれません。これは、米国の老年医学者、ロバート・バトラー氏が1969年に提唱した概念で、歳をとっているからという理由で差別を受けることを指しています。確かに、内閣府が2014年に発表した「高齢期に向けた備えに関する調査」(↓)によると、いわゆる「老人」のマイナスイメージが先行しているように思えます。

 エイジズムには、偏見によるものと制度的なものの両面があります。偏見は高齢の人は仕事が遅いとか考え方が古いとか、人の個性をステレオタイプに分類してしまうことです。一方で、制度的エイジズムは、例えば定年退職や中途採用などに年齢制限を設けることで、実際のところ制度的なものも元を正せば、中高年は仕事を覚えるのが遅いという偏見に行き当たるかもしれません。制度的エイジズムは、1986年米国では年齢による雇用差別禁止法を、日本も2007年に雇用対策法を改訂して、採用にあたっての年齢制限を禁止しました。しかし、制度的エイジズムの根本が偏見であることを考えると、中高年の労働者が働きづらい現場もまだまだ多いのが実態だと思います。そして特に技術革新著しいソフトウェア開発の現場は、中高年プログラマーへの偏見が強い傾向があるようです。

 IT企業でよく言われるのが、プロジェクトマネージャが年下だとコミュニケーションを取りにくいということです。例えばプロジェクトマネージャが30代そこそこの場合、60歳近い中高年プログラマーは父親くらいの世代にあたり、なかなか「あなたは間違っています」とか「私の言うことに従ってください」とは言いづらいのです。そのため、シニア世代のプログラマーは敬遠されてしまうというエイジズムです。

 ただ今回の崎山氏の記事を読んでみて自分が感じたのは、自分の周りにはこの傾向は少ないなということでした。年上のメンバーに言いたいことが言えないということがなかったというか。そう言う意味で、自分の環境は非常に恵まれているのかもしれません。自分の環境がなぜエイジズムと縁が薄いかと考えてみると、2つの大きな要因があると思います。

 1つ目は会社間と発注・受注の関係です。自分のようなメーカー系開発者の場合、ソフトウェアに関してはプロジェクトマネージャやプロジェクトリーダーは社員ですが、実際のコーディングを担当するプログラマーは関連会社か外注さんのケースがほとんどです。大抵はリーダーやマネージャの属する会社とメンバーの属する会社とは、親会社と関連会社とか発注者と受注者という関係があり、年齢的なものでリーダーやマネージャがメンバーに過度に気を使うシチュエーションがありません。実際自分が今関わっているプロジェクトでも、マネージャは自分の上司、リーダーは自分ですが、メンバーは関連会社だったり外注さんですので、メンバーには親くらいのシニア世代の方もいますが、若いメンバーに指示するのと同じように指示することができます。

 そして2つ目は、技術的バックグラウンドの問題です。たまたま自分は入社直後にプログラミングを覚えたので、今でも並のプログラマー以上にはプログラムができること、そして標準化活動などアカデミックな場にも関わっているので、比較的若い頃から年上の人からも相談を受ける立場でした。つまり、技術的バックグラウンドがしっかりしていると周囲には思われていたわけです。そのため、ソフトウェア開発の現場では、年齢が上の人でも心理的に上位の立場からものを言うことができたのです。もちろん、年齢的に上の方に指示する時には、言葉遣いに気をつけたりリスペクトを持った上で、ビジネスとしての指示命令といった言い方をすることは忘れてはいけませんが、年齢が上だからといって言いたいことが言えないわけではないということです

 自分の場合、2つの幸運に恵まれていたので、これまで年齢面で気を使って言いたいことが言えないということはありませんでした。しかし、今後は自分自身がシニアエンジニアとなっていくのです。2つの幸運は、いざ自分がシニアになった時には、逆に働いてしまうかもしれないのです。特に2つ目の技術的バックグラウンドについては、下手に技術力があると逆に「老害」と扱われてしまう可能性につながります。

 そうならないためにはどうすれば良いか。明確な答えを持っているわけではありませんが、経験を重ねたエンジニアは若手と競うのではなく少し目線を高くしてアドバイスするような立場を築くことが重要かもしれません。若いうちはバリバリのプログラマーだった人も、全体を見渡してリスクを取り除くような仕事や経験を生かしたプロジェクトマネージャ・プロジェクトリーダーになっていくというキャリアは、自然なことかもしれません。自分の仕事の仕方も、若い頃のように次々と新しい技術を習得していくというより、最近は若い頃の「貯金」で仕事をしているケースも増えてきました。「円熟味」と言えるのかもしれませんが、40代中盤ではまだまだ最前線の技術を追いかけたい気持ちとのジレンマを感じる日々です。これが50代になっていけば、若い頃の「貯金」でする仕事の割合がどんどん増えていくことでしょう。

 若い頃の「貯金」がないと、年齢だけが高い「使えない」人材になりかねません。年齢が上がってきた時に「お払い箱」や「老害」にならないために、若いうちにしっかり「貯金」を作っておくことが重要かもしれませんね。

2018年4月12日木曜日

マルバツゲームはベストを尽くせば引き分けになる

マルバツゲームは引き分けになる | 高校数学の美しい物語:

 今回は「高校数学の美しい物語」の中から、マルバツゲームは引き分けになるという話をご紹介したいと思います。マルバツゲームは、三目並べとか様々な呼び名がありますが、アメリカだとTic tac toe、イギリスだとNoughts and Crossesなど、世界的に遊ばれているゲームです。昔黒板に書いたコレ(↓)です。

 ルールは改めていうまでもないでしょう。9つのマスに2人が交互にマルとバツを描いていき、縦・横・斜めの一列に自分のマークが揃うと勝ちというオセロの簡易版のようなゲームです。このゲームは、実は「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という種類のゲームで、お互いにベストを尽くせば先手必勝か後手必勝か引き分けのどれになるかが決まっています。そして、マルバツゲームの場合は互いにベストを尽くせば引き分けになることが分かっているのです。

 ただ、やってみると分かるのですが、このゲーム先手が圧倒的に有利に思えます。先手が真ん中にマルを打つと、もう後手は防戦一方です。つまり、このゲームの本質は、後手がベストを尽くして引き分けに持ち込むことができるかどうかにあるのです。そういう意味で、後手のつもりになってベストの手を考えてみましょう。

 まず常套手段で先手が真ん中にマルを打ってきた場合ですが、後手のベストの手は角にバツを打つことです。そうした時の先手のパターンは以下のように4通りありますが、基本的な戦略は相手のリーチを妨害することです。マルとバツが一つずつの時、次の先手はマルを揃えようとしてきます。したがって、下の最初の3つのケースはそれに当たりますが、相手のマルが揃わないようにバツを打ちます。実は最後のケースはコレに当たりませんが、その場合だけ特殊な戦略が必要です。この場合は、先手の戦略は次に右上か左下にマルを打ってダブルリーチに持ち込もうという戦略ですので、右上か左下にバツを打って相手の戦略を潰します。これであとはベストを尽くせば引き分けに持ち込めます。

 次は先手が角にマルを打ってきた場合です。この場合の後手は、遠慮せず真ん中にバツを打ってください。実は先手は、下のように対角線上にマルを打って、次に右上か左下でダブルリーチを狙う作戦ですが、後手が真ん中にバツを打っている時点で先手と後手の有利さが逆転しています。遠慮せず自分のバツを3つ揃えようと打てば(↓)、先手は守らざるを得なくなります。結果的には、このケースも引き分けになります。

 そして、最後は先手が辺にマルを打ってきた場合。このケースも、後手は遠慮せずに真ん中にバツを打ってください。以降の戦略は、先手が最初に角に打ってきたケースと同じです。

いかがでしたか。やっぱり圧倒的に先手有利、というより真ん中に打った方が圧倒的に有利にゲームを進めることができますが、真ん中を取れなくてもベストを尽くせば引き分けに持ち込めるのです。

理論上は完全な先読みが可能であり、双方のプレーヤーが最善手を打てば、必ず先手必勝か後手必勝か引き分けかが決まるという点である。実際には選択肢が多くなると完全な先読みを人間が行う事は困難であるため、ゲームとして成立する。

 「二人零和有限確定完全情報ゲーム」は、理論上は完全な先読みが可能で、互いがベストを尽くせば結果が決まっているのですが、選択肢が多くなると人間が完全な先読みを行なうのは困難になり、ゲームとして成立することになります。そういう意味では、今回のマルバツゲームは人間が完全な先読みできる点で、必ず引き分けに持ち込めますが、他の「二人零和有限確定完全情報ゲーム」である将棋やチェス・オセロ・囲碁などの場合は、選択肢が多すぎて人間には完全な先読みができません。

 つまりゲーム理論からすれば、いくら複雑であろうとも「二人零和有限確定完全情報ゲーム」である限りは、人工知能(AI)などコンピュータが人間を凌駕するのは明らかです。DeepMindのAlphaGoや山本一成氏のポナンザなど、人間のチャンピオンを凌駕するソフトウェアが次々と開発されていますが、理論的にはそれも当然の流れと言えるのかもしれません。

2018年4月9日月曜日

300円を持って170円のパンを買ったらお釣りは?

文系・理系を判定。「300円を持って170円のパンを買ったらお釣りは?」 - まぐまぐニュース!:

 今回は軽めの話題で、「ある日300円を持ってコンビニにパンを買いに行きました。170円の焼きそばパンを買った場合のお釣りはいくらでしょう?」という問題。この問題にどう答えるかで理系脳か文系脳かがわかるという話題で、ネット上で話題になったのは2年ほど前なので何を今さらと思う方もいるかと思いますが、文系脳と理系脳の話題を最近いくつか書いていたので、その流れですお付き合いいただければと思います。@heaaartの記事が元ですが、皆さんはどう答えるでしょうか。

 実は、130円と答えた人は理系脳なんだそうです。極めて単純に
  300円ー170円=130円
ですよね。ところが文系脳の人はこうは答えない。文系脳の答えは、ズバリ30円。そうです。300円財布に入っていたからといって、170円のパンを買うとき300円を渡すわけじゃないですよね。100円は財布に残したまま、店員さんには200円しか渡さないですよね。だからお釣りは30円だというわけです。単純な算数問題としてとく理系脳と、シチュエーションを想像して答える文系脳といったところでしょうか。

 実は、ひねくれ者の自分の答えは...0円でした。文系脳の人は100円玉を3枚持っている暗黙の前提をおいていましたが、自分は100円玉2枚と50円玉1枚、10円玉5枚を前提にしていました。ぴったり払えばお釣りなし。いや、これはかなりひねくれ者ですね。

2018年4月7日土曜日

自分探しよりも何か1つ武器を手に入れる方が重要

30年間も"自分探し"を続けた50代の末路 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online:

 今回はマーケティングアドバイザー・永井孝尚氏の記事を元に、自分探しを続けても自分の市場価値を高めることはできないというお話です。元記事では、反面教師として、永井氏のご友人で「好きな仕事しかしたくない」が口癖の小林氏(仮名、52歳)を登場させています。小林氏は「好きな仕事」を求めて次々と転職を繰り返します。そして52歳になって望んだ面接で、それまでの生き方を全面的に否定されてしまいます。その面接でのやり取りを元記事から転載させていただきます(↓)。

課長「小林さんですね。A社を皮切りに、さまざまな会社を渡り歩かれて、華麗な略歴ですね。当社の業務はご存じと思いますが、どのような仕事を希望されますか?」
本人「希望というより、自分の好きなことしかしたくありません」
課長「……わかりました。質問を変えましょう。小林さんの売りは、なんでしょうか?」
本人「そりゃ、いろいろとできますよ。A社では◯◯◯の部署で◯◯◯の仕事をして、B社では◯◯◯の仕事を……」
課長「そこまでで結構です。どんな仕事をしてきたかはレジュメで把握しています。お聞きしたいのは『小林さんが得意なこと』です」
本人「先ほど申し上げた通りです。『自分が好きなことしかしたくない』と」
課長「……それでは、質問を変えましょう。小林さんが好きなのは、どんな仕事ですか?」
本人「……どんな仕事が好きか、ですか……。ええっと……」
課長「……わかりました。結果は後日ご連絡します。今日はお疲れさまでした」

 もちろん面接の結果は... 永井氏によれば、好きな仕事を求めて転職を繰り返す小林氏は、結果的に30年間ひたすら「自分探し」しかやってこなかったのです。どこかに「本当に自分が好きな仕事がある」と考え、それに巡り会うチャンスを追い求めて来たのです。ビジネスパーソンとしての「売り」を作って来なかった、つまり「商品力」を磨いて来なかったのです。

 確かに、就職活動の中でその仕事は自分にぴったりだと思っても、いざその仕事を始めてみると、思ったような仕事をさせてもらえず「こんなはずじゃなかった」と思った経験がある人は多いんじゃないでしょうか。実を言うと、自分はあまり深く考えずに今の電機メーカーに就職しました。それでもそれなりに自信を持って就職したわけですが、最初の与えられた仕事は現場実習で製品のペンキ塗りとゴムの緩衝材貼り。その後正式に配属された部署でも、1つ1つのスイッチを入れてパソコン画面上の正しいシンボルの色が変わるかをひたすらテストするという仕事でした。「こんなはずじゃなかった」と思ったものでした。でも不思議と、ここに好きな仕事はないと見限ることはなく、気づいたら18年も同じ会社にいます。幸いにも、ひたすらスイッチを入れては画面を確認する仕事は最初の半年間くらいだけ、その後は比較的好きな仕事(チャレンジングでワクワクする仕事)をさせてもらっています。

 自分は小さい頃から物作りが好きでしたが、就職してからはハードウェアよりもソフトウェアに興味を持ちました。ソフトウェアという分野を志すには遅いくらいでしたが、それでもその仕事をさせてもらい、学会などで標準化活動をしたり講習会で講演したりするアカデミックな場も与えてもらえました。単にモノ作りするだけでなく、事業部門も経験させてもらい、現在は事業部付きの設計部というお客様にも近く物作りもできるという格好のポジションにいさせてもらっています。

 振り返ってみると、入社間もない頃は会社にいる時間も勉強に当てられたので、その時にひたすらプログラムを覚えました。自分の会社は電機メーカーでもそこそこの規模なので、プログラムは外注というケースが多かったのですが、自分はわざわざプログラムを書けるようになったのです。入社数年経った頃には、ソフト開発専門の外注先の担当者さんと比べても負けないプログラミング能力を手にできたのです。この武器を手にしてからは、課題を解決するためにどう実装すればいいか、どの程度の工数がかかるのかなど、立ちどころに判断できるようになり、上の人からの相談事もたくさん舞い込むようになりました。そして、一つの武器を手に入れると、他の武器は向こうから次々とやってきました。この武器を使って手に入れたアカデミックな場では、同業他社のトップエンジニアや顧客筋との人脈を手に入れましたし、アカデミックな交渉ごとで揉まれるうちに苦手だった交渉力やコミュニケーション力もある程度付いてきました。社内では単純な仕事は割り当てられなくなり、チャレンジングでワクワクする仕事が回ってくるようになり、その度に成長することができたのです。

 小林氏も、「好きな仕事」ができないからとすぐに見切りをつけるのではなく、せめて転職時にアピールするための武器を1つ身につけるまではその職場にと止まるようにしていれば、結果はだいぶ違っていたでしょう。武器がない人にはチャレンジングな仕事が回ってこず、一方で1つでも武器がある人には次々と他の武器を身につけるチャンスが回ってくるのです。「売り」がない人はずっと商品価値が低いまま、「売り」がある人はどんどん商品価値が上がって行くわけです。この4月から就職したという人も多いと思いますが、そういう人にアドバイスするなら(ちょっとおこがましいですが)、自分探しなんかしている暇があるなら、できるだけ早くに「何か一つ仕事上の武器を手に入れること」が重要だと思うのです。

2018年4月6日金曜日

大人になりきれない40代

大人になりきれない40代の「おっさん若者」に言いたいこと(熊代 亨) | 現代ビジネス | 講談社(1/3):

 突然ですが、40代と聞いて「大人」だと思いますか「若者」だと思いますか。実は自分がまさに40代なのですが、普段「若者」扱いされたことは一度もありません。世間的に40代は十分に「大人」なのでしょう。しかし、いざ自分が大人になってみると、子ども時代あるいは若者時代に思っていた「大人」とはちょっと違う気がします。40代は思ったほど大人じゃないなと。今回は精神科医の熊代亨氏の記事を元に、そんな話題を。

 元記事は熊代氏ご自身の著書「『若者』をやめて、『大人』を始める』」を宣伝する内容ではありますが、高度経済成長期に言われた「成熟困難」問題のその後が議論されています。「成熟困難」というのはあまり一般的な用語ではないと思いますが、アダルトチルドレンのような、育った家庭環境のトラウマから生じる「大人になれない」ではなく、なんとなく大人になるのが怖いとか大人としての責任を持ちたくないという精神的・社会的に未成熟なままでいたいということを言っています。「ヤングアダルト」なんていう言葉もありますが、「大人になりきれない大人」といったところでしょうか。

 年齢的・肉体的の部分は置いておいて、社会的・精神的に「大人」かどうかという指標に、就職・結婚というのがあると思います。専業主婦という状況を除けば、仕事に就いて収入を得ていること、あるいは結婚して家族を持っているのが大人の証というわけです。しかしこれらの指標は、年齢的・肉体的に大人の人の中でも就職・結婚している人の割合が減少して社会問題化している実態があります。

 例えば「ニート」という言葉があり、就学・就労・職業訓練のいずれも行なっていない人を指しますが、15〜34歳の人口に占める「ニート」の割合は増加傾向にあります(ちょっと古いデータですが↓)。しかし実際のところ「ニート」と「引きこもり」の人は多くが重複していると言われ、内閣府の2010年の調査によれば、15〜39歳で引きこもりに該当する人は69.6万人もいるそうです。年齢的・肉体的に大人であっても、いわゆる「引きこもり」状態にある人が多く、精神的・社会的に「大人」と言いづらいのではないでしょうか。

 結婚についても、最近は晩婚化が指摘されていて、生涯未婚率も上昇傾向にあります(↓)。古き良き日本の年功序列の崩壊や非正規社員の増加によって、結婚適齢期の人(特に男性)の収入が減っているという問題もその背景にあるでしょう。しかし、何れにしても、いわゆる「大人」の指標である就職・結婚のハードルが昔より格段に上がっているということは言えると思うのです。

 熊代氏の記事に面白い指摘があります。それは、かつての「大人」には「責任」だけではなくきちんと「メリット」あったにも関わらず、現代の大人は「責任」だけを背負いこんで「メリット」が失われたという指摘です。熊代氏の指摘されている「メリット」とは、年齢が上がるにつれて年功序列で昇級するという経済的な部分だけでなく、心理的・社会的なメリットも大きいというのです。つまりかつての日本には、「年下は年上の言うことを聞くべき」とか「年下は年上を敬うべき」という儒教的な価値観が広く存在していました。それは言わば「心理・社会的な年功序列」で、大人が子どもや若者に命令したり物申す時の大義名分だったのです。

 しかし今の40代が子どもだった時代、この「心理・社会的な年功序列」への反発が強かったと思います。自分の子ども時代を思い出すと、田舎の方はまだこの手の年功序列が強く残っているにも関わらず、都会では核家族化や若者文化が花開いたことなどがあって、この年功序列は崩れつつありました。大学生になって東京に出てきた時、心理・社会的な若者の地位の高さに驚いたものです。田舎での大人と子どもの上下関係の厳しさの中で育った自分には、若者の地位が大人と肩を並べる、あるいはシチュエーションによっては上位に立っているように感じたのです。ちょうどその頃に女子大生ブームや女子高生ブームなどがあったのも、年功序列崩壊の表れだったのかもしれません。

 その傾向は現在も継続しているだけでなく、さらに少子高齢化も手伝って、都会ではもはや「心理・社会的な年功序列」は過去の遺物と言っていいでしょう。大人と若者・子どもの心理的・社会的地位の逆転現象をリアルタイムで見てきた世代が、まさに今の40代くらいではないかと思うのです。むしろ自らが若者時代に、この逆転をドライブした人も多いのではないでしょうか。

 つまり40代は、幼い頃に「心理・社会的な年功序列」から大人に偉そうにされた経験から、その地位の逆転を狙い、そして実現してきました。しかしそれは諸刃の剣で、自分が大人になってしまうと、今度は自分たちが下になってしまうのです。大人の地位が下がったことにより、自らの手で勝ち取った「若者の地位の高さ」に止まっていたい、いつまでも子供でいたい、ということになるのでしょう。昔の大人に比べて今の大人が幼く見えるのも、こういった心理・社会的な年功序列の崩壊が大きいのかもしれませんね。

2018年4月3日火曜日

仕組みが気になってしまう理系脳あるある

いつでも当事者気分、エンジニアだもの/理系の人々|【Tech総研】:

 今回はプログラマーあるあるネタですが、元記事はTech総研のよしたに氏の漫画ネタです(↓)。ついつい自らが当事者意識を持ってしまうエンジニア魂に、思わず「あるある」と口に出してしまいました。


 自分の場合、回転寿司屋さんとかファミレスとか居酒屋さんなどで、各席にある注文端末のデキが気になったりします。この操作性だとイマイチだなあとか、自分ならもっとこうするのになあとか。あとは実は自分は知らなかったのですが、最近のゲームセンターのゲームって結構Windowsで動いているみたいなんですよね。店員さんが調子悪いゲーム機を再起動したり、キャンペーンモードに切り替えていたりするのを見て、意外にも設定がコマンドラインベースなのにおぉっと思ったり。

  偏見かも知れませんが、エンジニアの人って、仕組みが全く分からないものは気持ち悪いと感じてしまう気がします。たとえブラックボックスだったとしても、きっとこんな風に動いているんだろうと想像してしまうのです。それが当たっていた時はふふっとなって、外れていたことがわかるとおぉーっとなる。ただそれだけなんですがね(笑)。

 最近、理系脳・文系脳なんて記事をよく書いているのですが、仕組みが気になってしまうのが理系脳、それを使った時の印象が気になるのが文系脳といったところかも知れません。

2018年4月2日月曜日

シンギュラリティ否定派は文系脳の感情論かも知れない

「人間にできてAIにできないこと」がこの本を読んでやっと分かった(佐藤 優) | 現代ビジネス | 講談社(1/2):

 今回は作家の佐藤優氏の記事を元にしたものですが、この元記事自体が新井紀子氏の著作「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」のレビュー記事に近いものです。人工知能(AI)技術を中心とした加速度的な技術の発展により人類の文明に計り知れない変化をもたらすとされる「技術的特異点(シンギュラリティ)」について、新井氏および佐藤氏の論調は、そういう時代は来ない、あるいはシンギュラリティは幻想だといった調子です。

 シンギュラリティが来るという言説が誤りとする根拠について、両氏は以下のように述べています。

論理、確率、統計。これが4000年以上の数学の歴史で発見された数学の言葉のすべてです。そして、それが、科学が使える言葉のすべてです。次世代スパコンや量子コンピューターが開発されようとも、非ノイマン型と言おうとも、コンピューターが使えるのは、この3つの言葉だけです。
「真の意味でのAI」とは、人間と同じような知能を持ったAIのことでした。ただし、AIは計算機ですから、数式、つまり数学の言葉に置き換えることのできないことは計算できません。では、私たちの知能の営みは、すべて論理と確率、統計に置き換えることができるでしょうか。残念ですが、そうはならないでしょう。

 いわゆるAIは、「強いAI」と「弱いAI」に分類されます。「強いAI」というのはちょっとSF的なAIで、そこに精神が宿るとされる代物です。映画ターミネーターに登場するスカイネットのような、自らの意思がある(と少なくとも外からは見える)AIです。一方「弱いAI」は、現在のAIブームの主流であるパターン認識を中心とした、特定の問題解決特化型のコンピュータプログラムです。もちろん「弱いAI」が自意識を持つことはありません。

 そして、佐藤氏・新井氏の上記の主張が「強いAIが実現されることは当分ない」と言っているのならば、その通りだと思います。少なくとも現在主流の「弱いAI」は、例えばDeepMind社のAlphaGoは「囲碁」という問題解決のための専用プログラムですし、その最新バージョンAlphaGo Zeroはもはや勝てる人間はいないとさえ言われていますが、そうであってもあくまでも特定問題解決型プログラムで、自ら意思を持っているわけではありません。「弱いAI」の延長線上に「強いAI」があるというわけではなく、両者は全くの別物なのです。

 しかし「強いAI」の実現性が今のところ乏しいことでもって、シンギュラリティは来ないと結論づけるのも早急な気がします。佐藤氏は、スーパーコンピューターの助成金詐欺容疑で起訴された齊藤元章被告人の言葉として、以下のような言葉を引用しています。

クリエイティヴィティ、マネジメント、ホスピタリティについても、AIが人間の能力に匹敵するようになるのは案外早いのではないかという気がしています。そうした意味において、現実がSFを超える日は近いのではないかと私は思います。

 佐藤氏は、この斎藤被告人の言葉はもはや宗教的なものだと切り捨てています。しかし自分は、特定問題解決型の「弱いAI」が今以上にブラッシュアップされ、やがて「弱いAI」の適用先も多岐に渡るようになり、人間の仕事の価値である「クリエイティヴィティ」「マネジメント」「ホスピタリティ」を凌駕するかも知れないという意味であれば、否定できないと思います。

 「シンギュラリティ」に関する極端な議論は、「強いAI」と「弱いAI」を取り違えていることが原因であることが多いと思うのです。シンギュラリティ否定派は、「強いAI」を頭に思い描き、神に取って代わるAIが生まれることはないとか、意思を持ったAIが人類を滅ぼすなんてことは杞憂だと言います。一方でシンギュラリティ肯定派は、頭に「弱いAI」を思い描いていることが多く、弱いAIが解決できる問題がどんどん増えしかも各分野で人間よりも良い成績を叩き出す時代を想像している気がします。そしてこれは完全に自分の印象だけかも知れませんが、研究者とか数学者・科学者と呼ばれる人の多くは後者で、前者には社会学者や政治家・作家・法律家といった人々、概ね科学万能論に押し流されまいとする人々が多い気がします。

 失礼な言い方かも知れませんが、いわゆる文系脳の人たちにとって、「AI」という科学万能主義の象徴は自らの存在価値をゼロにしかねない存在だと捉えられているのではないかとさえ思います。自分たちが連綿と研究してきた社会・文化・政治といったものが一瞬でAIに解析され、自分たちが無用の長物に成り下がってしまうかも知れないという不安感と焦燥感。そして主流の「弱いAI」のカラクリを理解できないので、SFで見たようなAI(実は「強いAI」)を槍玉に盛んに攻撃するのではないかと。

2018年3月30日金曜日

「以上で」で確定できるAlexa居酒屋

Alexa居酒屋、実証実験開始 音声で注文受付 「以上で」で確定 - ITmedia NEWS:

 年度替わりのこの季節、歓送迎会などが多いと思いますが、今回はスマートスピーカーを使った注文ができる居酒屋ができたというニュース記事を取り上げようと思います。元記事は、ITmediaの太田智美氏の記事です。

 回転寿司屋や居酒屋などでも最近はタッチパネル式の注文端末があって、そこから注文を受け付けるというお店をよく見かけます。これを音声で注文できるようになれば、お客さんの操作手間が省けて人間の店員さんがオーダーを取るのとほとんど同じサービスが提供できることが期待できます。元記事では、飲食店を運営するロイヤルダイニングとアプリ開発を行うヘッドウォータースが、スマートスピーカー(Amazon Echo Dot)で居酒屋のオーダー取りを行なう実証実験を始めたのだそうです(↓)。


 例えば、お客さんが「Alexa、飲み物メニューを開いて」と話しかけると、「はい、飲み物の種類と個数を教えてください」応答。「ロックの1番」と伝えると、「ご注文は、黒七夕芋のロックを1杯です。注文を確定する場合は『以上で』とお伝えください。次のご注文をどうぞ」などと応答するのだそうです。注文は厨房にチャットで通知されます。

 純粋に従来のタッチパネル操作の代わりに音声で操作できます、というレベルなので、人間の店員さんのように臨機応変な対応まではできなさそうです。例えば、「とりあえず生(なま)を人数分」みたいな注文では解釈できないでしょう。しかし、自分が何より素晴らしいと思ったのは、「以上で」という言葉で注文を確定できることです。以前に日本でスマートスピーカーをブレイクさせるには自然な合言葉が必要だという趣旨の記事を書きましたが、「以上で」はまさにぴったりだと思います。個人的には、最初の「Alexa」という呼びかけももう少し工夫できればなあと思いますが。「あのーすみません」とか「注文いいですか」とか。もちろん居酒屋さんですから、お客さんの会話の中で使われるような言葉で反応しないよう非日常的な「Alexa」という呼びかけなのでしょうが、それでも自然に口にできる言葉のチョイスにセンスが欲しいところです。

 ちょっと可愛いのは、Alexaの「店員さんを呼ぶ」を起動すると、Alexaが「店員さぁーん、店員さぁぁーん!」と大声で店員さんを呼んでくれるのだそうです。そういう意味では、Alexaは店員さんの代わりというより幹事さんの代わりという位置づけかもしれませんね。

2018年3月29日木曜日

美女アンドロイドかアンドロイド美女か...不気味の谷を乗り越える

この美女、人間じゃないのか…アンドロイド美女で検証「不気味の谷」 - まぐまぐニュース!:

 今回は人型ロボット(アンドロイド)の「不気味の谷」について。渡邊浩行氏の元記事はドラマ「ウエストワールド」の宣伝記事なのですが、その中で示されている「不気味の谷」に関する実験結果が面白いと思い、ここに紹介させていただきます。まずは前提条件なしで、こちらの動画をご覧ください(↓)。



 この女の子がアンドロイドなのか生身の人間なのかという疑問を一旦置いておいて、今回の主題の「不気味の谷」というのは、リアルなアンドロイドというのはむしろ気味悪く感じてしまうという心理現象のことです。一般的に、相手が人間と似ている度合いと感情の反応にはこんな関係があるとされています(↓)。例えば産業用ロボットのようなロボットロボットした外観のロボットに対しては親しみなんか湧きようもありませんが、人形のようなロボットには親しみを感じるようになります。しかし、あんまり人間に似せすぎると今度は逆に人間との微妙な違いが目について、却って嫌悪感を感じてしまう。そのことを不気味の谷と言っているわけです。もちろん、映画に出てくるような人間と寸分違いない形になれば、もはや相手を人間として扱うことに違和感がなくなりグッと親近感も高まります(↓)。


 さて、それでは最初の動画の種明かしを。実は動画の女の子は、東京ゲームショウで話題を呼んだ、モデルの高山沙織さんです。そう、アンドロイドではなく、生身の女性なのです。彼女はショウの中で「アンドロイド」としてディスプレイされたので、「リアルすぎる美女アンドロイド」として一躍有名になりました。本当のところは「美女アンドロイド」ではなく「アンドロイド美女」だったわけです。

 元記事では近未来的なコスチュームを着た高山さんに、横浜の「はまぎん こども宇宙科学館」の入り口付近に立って頂き、「おもてなしアンドロイド『SAORI-01』がみなさんをおもてなしいたします」ということにします(↓)。そして来館者たちの反応を観察するというわけです。


 最初のうちは、SAORI-01に気付きながらも遠巻きに様子を観察している方が多く「あれロボット? 違うよね、人間だよね。いや、ロボットなのかな?」なんて声が漏れます。そうこうするうちに、科学館に見学に着ていた幼稚園児たちが「にーんげーんでーすかー?!」と大きな声をかけます。それでも無反応なSAORI-01に対して、「やっぱり人間じゃないよ!」。園児たちは少し遠慮がちだったそうですが、それも不気味の谷を感じていたからかもしれません。しかし、SAORI-01が女の子に手を差し伸べて握手した時、一気に親近感を感じたのかしばらくその場を離れようとしなかったそうです(↓)。


 元記事の今回の実験で興味深かったは、たとえ人間が演じていても、アンドロイドだと思い込んでいたら「不気味の谷」現象が起きること、しかし谷を越えた瞬間「好感」を持つに至ったことでした。見た目のリアルさだけでは不気味の谷に陥ってしまっても、そこに人間らしい行動や触れ合いが加わったとき、谷を超えられるのかもしれませんね。

2018年3月27日火曜日

○○にしか見えなくなる呪い

○○にしか見えなくなる呪いをかけます!可愛いものを台無しにする爆笑の空目 7選 | 笑うメディア クレイジー:

 今回またしても元記事は笑うメディクレイジーですが、「○○にしか見えなくなる呪い」というテーマ。元記事のリンク先だけでなく、こちらも同じテーマだったので、2つの記事の中から自分なりにコレはというものを厳選してみました。

 最初はこちら。有名な某フライドチキン屋さんのキャラクターですが、ネクタイというよりも一度身体に見えてしまうとそれが脳裏から離れなくなってしまいます。

 次はコレ。この飲み物のタイトルが「一人称」に見えてしまうと、もうそうとしか読めなくなってしまいます。

 次はこちら。単なるパンダの絵に見えているうちはまだまだ。吹き出しでセリフを与えてみると、あーら不思議。笑顔で罵り合う二人を仲裁する人に早変わり。でも、そう見えてしまうのは、余程疲れているのかも。

 そして、こちら(↓)。あのディズニー映画のキャラクターですが、一度タレントの柳沢慎吾さんと蛭子能収さんに見えてしまうと、もうそうとしか見えなくなってしまいます。

 次はコレ(↓)。単なるサッカーの試合ですが、一度顔文字に見えてしまうと、もう点数に見えなくなってしまいませんか。

 最後はちょっと変則技で、本来のものを上下逆さまにした場合(↓)。もともと男性なのですが、頭のさみしい感じの男性が息を吐いている姿に早変わり。。

 今回は軽めのネタでしたが、一度そう見えてしまうともう他に見えなくなってしまう、というのはなかなか面白いですよね。こういう心理現象ってなんて言うんでしょうね。「錯視」とか「ゲシュタルト崩壊」のように、何か名前がついているんでしょうか。ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて頂けると幸いです。

2018年3月26日月曜日

日本のおじさんが「世界一孤独」なのは余計なプライドのせいかも知れない

なぜ日本のおじさんは「世界一孤独」なのか? | 文春オンライン:

 今回の話題は、自分に取っても耳の痛い話ですが、日本のおじさんは孤独だという話題。元記事は文春オンラインの岡本純子氏によるものです。確かに自分も休日は家族で過ごすことが多く、仕事と家庭の2つくらいしか居場所がありません。定年後や子供が独立した後を考えると、もう1つぐらいは自分の居場所を作っておかないと困るなあと不安を感じているところです。

 日本ではつい最近まで、孤独でもいいじゃないか、いやむしろ孤独大いに結構という風潮もあったと思います。「お一人さま」とか「孤独のススメ」とか、むしろ孤独を楽しもうと。しかし一方で「ぼっち」とか「コミュ障」とか、孤独な人を蔑むかのような言葉もあり、感覚的には孤独の美化は「負け惜しみ」感が大きい気もします。特に最近では、孤独が人の健康に与える影響が指摘されていて、人との繋がりがない人はある人に比べて早死リスクが50%高くなるとの調査結果も発表されていて(↓)、孤独でもいいじゃ無いかとは言えなくなってきています。


 岡本氏によれば、孤独の要因の一つに「コミュニティの欠如」があります。昔の日本あるいは現代でも田舎の方へ行けば、まだご近所さんや地域の付き合いという慣習があります。この半強制的なコミュニティへの参加はわずらわしい反面、もともとシャイな日本人にとって自動的に人との繋がりを持てるというプラス面もありました。しかし特に都会を中心に地域のコミュニティは消滅しつつあり、それに変わるようなリアル世界のコミュニティはないのが現状です(ネット上などバーチャル世界のコミュニティはその限りではないのですが)。実際、日本では家族以外のコミュニティとの結びつきを表す「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」は、世界149カ国の中で101位とかなり低めです(英レガタム研究所の2017年調査)。

 そしてそんな孤独に一番陥っているのが、自分たち中高年の男性というわけです。OECDの調査では、「友人や同僚もしくはほかの人々と時間を過ごすことのない人」の割合は日本の男性が16.7%と21カ国の男性の中で最も高い値になったのです(↓)。ただこれに関しては世代別というわけでもないので、おじさん世代代表としては若い男性もやっぱり孤独な人が多いんじゃないかと反論したいところではありますが。

 昔から言われていたことではありますが、会社に生涯を捧げるような日本人特有の労働スタイルが背景にあることは間違いないでしょう。会社の中にしか居場所がなかったのに、ある日突然「定年」という名の強制退去を命じられ、どこにも居場所がなくなってしまうというのはよく聞く話でした。

 しかし、もう一つ厄介な原因が「男のプライド」です。偏見もあるかもしれませんが、男性の場合は、いつまでもおしゃべりしていられる女性と違って、コミュニケーション能力が低く、仕事上仕方なくコミュニケーションを取っているという「ポーズ」をしがちな気がします。本当は寂しくて、とりとめもない話でもいいから誰かとおしゃべりしていたいという場合でも、部署の飲み会で仕方なく一緒に飲んでいるんだとか、単に酒が好きでおしゃべりは二の次なんだとか。自分からコミュニケーションを求めることがまるで恥ずかしいことであるかのごとく、そういう「振り」をしてしまっている気がします。

 まずは、「男のプライド」なんて厄介なものは捨て去ってしまいましょう。変なプライドで孤独のままでいると、(1)一日にタバコ15本吸う、(2)アルコール依存症、(3)全然運動しないことに匹敵し、(4)肥満の2倍も不健康なのですから。

2018年3月25日日曜日

心のイケメンは人間としての総合力高し

惚れる確率100%!心が男前すぎる真のイケメン 6選 | 笑うメディア クレイジー:

 今回はちょっとした小ネタ。前回、笑うメディア クレイジー を元記事にさせて頂いた時に目に止まった「イケメン」ネタです。イケメンと言っても、いわゆる容姿が優れているという種類のイケメンではなく、『心の』イケメンの方。心のイケメンは、むしろ「男前」と呼んだほうがいいかも知れません。

 最初は、こういう対応できたらホントにイケメンだなーと思うツイート。ぺんたぶ@銀行小説「ハキダメ。」発売中!氏のものですが、相手から受けたマイナスをプラスに転換してしまう発想の転換と、相手への気遣い。素晴らしい!


 次(↓)は、実は同じ笑うメディア クレイジー でもこっちの記事から。八朔氏のツイートですが、なんとも皮肉が効いていてイケメンじゃないでしょうか。


 もう一つ痴漢からの救出ネタは、また別の記事が元ですがコチラ(↓)。先ほどのものよりも、顔の方もイケメンなのかなと想像してしまう気がします。

 この手の心のイケメンは、気が利いていて頭がいい、つまり総合的な人間力が高い人なんだなあと思います。自分も、顔の方はいかんともし難いので、せめて心のイケメンを目指したいなあと思う次第です。

2018年3月24日土曜日

理系脳のナナメ発言ネタ

1+1が答えられない?! 「これが理系の思考か…」と思い知らされたエピソード 6選 | 笑うメディア クレイジー:

 ここのところ2回連続で、大学入試のグラフの問題がちょっとナナメな理系脳の現れだという趣旨の記事を書きましたが、意外にも好評だったので、もう少し理系脳が顕現化したとしか思えないいくつかのネタを、笑うメディア クレイジーからご紹介。

 まずはコチラ(↓)。たろてゃん*氏のツイートですが、織姫と彦星に感情移入する文系脳に対して、冷静な科学的事実を元に揚げ足を取ってしまう理系脳。


 次はコチラ(↓)。おーた(╹◡╹)氏のツイートですが、実は自分もコレ心の中でつぶやいていました。本来はお札の枚数のことを指して奇数・偶数と言っているのでしょうが、言い方からは金額のことを指しているように聞こえるので、わざわざそこにツッコミを入れてしまうという。


 そして次はコチラ(↓)。理系の人って、なんだか炎色反応が好きな気がします。そういえば、高校時代「リアカーなきK村の動力は馬力」なんて覚えたなーと懐かしくなりました。なんだそれっていう方は、文系脳かも知れません。いや「リアカーなきK村 動力借りるとするもくれない馬力」だとか「リアカーなきK村 馬力で勝とうと努力すべし」のはずだという方は、純粋な理系脳かも知れません(笑)。

 最後はコチラ(↓)。ヌルオジジッジ氏のツイートですが、理系脳の人のちょっとしたギャグは文系脳の人には伝わらず、ナナメ発言は場所をわきまえないと大変な事態を引き起こすかも知れないという例です。


 元記事の中からコレはと思うものを4つ選ばせていただきましたが、相手の意図が分かった上でわざわざナナメな発言をするとことが極めて理系らしい気がします。ちょっと文系脳を小馬鹿にしたようなところ。じゃあ相手も理系脳だと分かっている状況で同じ発言をするのかというと、おそらくそうではないはず。コミュニケーション力の乏しさを、こんなナナメ発言で補おうとしているのかもと思ったりします。

2018年3月23日金曜日

面白グラフ問題には先人がいた!

1986年 秋田大学 何がでるかニャ? | 受験の月:

 前回、世界遺産の問題がまさかの数学で出題されたという話題を紹介しましたが、実はもっと先人がいたというお話です。元記事は引き続いて受験の月から。

 その先人というのが、秋田大学の1986年の数学の問題。こちらです(↓)。


 やっぱり謎の関数がたくさん並んでいるだけで、出題者の意図なんか全くわからないですよね。しかし、実際にこの①〜⑥の関数をグラフ上に描いてみると...

 静岡大学で富士山の問題が出題されたのは2000年で、山梨・静岡両県が富士山憲章を定めて世界文化遺産への登録を目指すとしたのが1998年であることを考えると、2000年の富士山はタイムリーだったかも知れません。

 しかし、秋田大学はなぜ猫なんでしょうかね。なめ猫が一斉を風靡したのが1980年代はじめですから、流行に乗ったにしては1986年の出題は少し乗り遅れ気味です。

 前回も書きましたが、描いてみて初めて出題者の意図がわかるグラフというのは、ある意味定番なのかも知れませんね。そこにメッセージ性があればなおさら、出題者のドヤ顔が見えるような気がします。

2018年3月22日木曜日

まさか、数学で世界遺産の問題?

2000年 静岡大学 前期 理系 正確なグラフの図示で現れる世界遺産 | 受験の月:

 今回は、受験対策サイト「受験の月」の記事を元に、実際に2000年の静岡大学の入試に出題された、世界遺産の問題をご紹介しようと思います。理系前期の数学の問題。ん?数学? てっきり世界史か日本史だと思ったのに、数学? 理系目線で世界遺産を扱うとこんな問題になるんだ、というのがなかなか秀逸です。

 早速ですが、その問題がこちら(↓)。

 なにやら難しそうです。実は自分は理系の大学を卒業しているのですが、これは問題の意図に全く見当がつかない関数です。問題の意図はわかりませんが、関数そのものは難しくはありませんので、実際にグラフ上に書いてみると...


 そうなんです。あの世界遺産がグラフ上に浮かび上がるんです。実際に描いてみてようやく出題者の意図がわかりました。この問題を出したのが静岡大学だということ、実際には国連教育科学文化機関(ユネスコ)が富士山を世界遺産に登録したのが2013年だということを考えると、2000年当時「富士山を世界遺産に」というメッセージが強く打ち出された問題だったのかも知れません。

 それにしても、大学入試の数学の問題で実際にこれを出題してしまうところ、出題者のしてやったりのドヤ顔が思い浮かぶところ、いかにも理系のナナメ目線な感じがしませんか。

2018年3月21日水曜日

[C#] 引数でコマンドラインとWindows Formを切り替える

 今回は久々の元記事なし、プログラムそのものに関する話題です。実は最近あるツールを自作する機会があったのですが、最初のうちはGUI画面を使って使いたいけれども、慣れて来たらコマンドラインから実行したりWindowsのタイマーで自動実行させたいというシチュエーションでした。そこで、プログラムを引数なしで起動したらWindows Formとしてウインドウを表示してユーザとGUIでやり取りし、引数ありで起動した場合は引数に応じた処理をして終了するようにするプログラムを作ろうというのが今回の課題です。

 ただ、今回色々調べたのですが、完全に100点の結果までは到達できませんでした。というのは、コマンドラインから引数ありで起動したら確かに思い通りに引数に合わせた処理を行わせることはできたのですが、引数なしでの起動をEXEファイルのダブルクリックで行なうと一瞬コマンド画面が表示され、それからWindows Formが立ち上がるのです。本当の100点はこの一瞬表示されるコマンド画面もなしなのですが、今回は内輪で使うツールなので、この点はこれ以上追求せず一瞬表示されるコマンド画面があっても及第点とすることにしました。

 では早速コードの方を見てみましょう。今回のコードは完全にテクニカルな感じで、もうこの問題に対してはこう答えましょうというおまじないに近いコードかもしれません。コツは、プロジェクトを作る時は「Windowsフォームアプリケーション」として作ることです(↓)。

 そうするとWindows Formに関する基本的なコードは自動生成され、Visual Studio上でボタンやテキストラベルなどを配置しながらGUIプログラムを作ることができます。こうやって、まずは完全にWindows Formのアプリケーションとして作るのです。

 ただ、後ほどコマンドライン引数だけで処理をさせられるよう、内部的には画面のクラスと処理のクラスを分けるよう設計しておきます。こんな風に、処理のクラスを分けることで、Main関数があるProgramから引数なしで起動した場合にも処理クラスを直接呼び出すことができるようにしておくのです。
そして、一通りGUIプログラムとして完成したら、Main関数があるProgramクラスを修正して引数なしに対応できるようにしていきます。このときのミソは、「Windowsフォームアプリケーション」として生成したプロジェクトを、ここで「コマンドラインアプリケーション」に変更することです。VisualStudioのバージョンによって多少名前が違いますが、メニューから [XXX のプロパティ]→[アプリケーション]と選んで、[出力の種類] を「コンソールアプリケーション」に変更します(↓)。

 そしてProgramクラスを次のように変更していきます。

using System;
using System.Collections.Generic;
using System.Linq;
using System.Threading.Tasks;
using System.Windows.Forms;

namespace Yamachan
{
  static class Program
  {
    [DllImport("user32.dll")]
    static extern int ShowWindow(IntPtr hWnd, int nCmdShow);
    private const int SW_HIDE = 0;

    static void Main(string[] args)
    {
      if (args.Length == 0)   // 引数なしはウインドウ表示として取り扱う
      {
          Process p = Process.GetCurrentProcess();
          IntPtr hWnd = p.MainWindowHandle;
          ShowWindow(hWnd, SW_HIDE);
          Application.Run(new MainForm());
      }
      else                    // 引数ありはコマンドラインアプリとして取り扱う
      {
          var service = new YamachanService();
          if (args[0] == "a")
            Console.WriteLine(service.a());
          else if (args[0] == "b")
            Console.WriteLine(service.b());
          ........
      }
    }
  }
}

 おそらく元のMain関数は自動生成でこんな風(↓)になっていると思いますが、これを上のように変えていくのです。かなりテクニカルで今回の課題に対する専用コード色が濃いですが、処理クラスYamachanServiceを画面クラスMainFormと分けていることで、引数ありの場合はYamachanServiceのメソッドを呼び出して支持に対する処理を行ないます。この中には表現されていませんが、MainFormからのボタン押下などのイベントハンドラでもYamachanServiceのメソッドを呼び出すような作りにしておくのです。
/*
        [STAThread]
        static void Main()
        {
            Application.EnableVisualStyles();
            Application.SetCompatibleTextRenderingDefault(false);
            Application.Run(new MainForm());
        }
*/

 今回の課題は、同じプログラム(EXEファイル)を起動時の引数でGUIプログラムとして実行したりCUIプログラムとして実行したりするというものでした。もちろん、そもそもGUI用とCUI用でEXEファイルを分ければいいじゃないかという反論には、まさにその通りなのですけれども。いざやってみると意外にテクニカルになったので、こんなテクニックも引き出しに入れておけば、プログラマーとしての幅が少し広がるかも知れません。

2018年3月19日月曜日

泣き叫ぶ子どもにかけるべき言葉

What to Say to Kids Instead of "Stop Crying":

 子育てをしていると、泣きやまない子供にオロオロしてつい感情的に「泣き止みなさい!」と言ってしまうことがありますが、今回はLeigh Anderson氏の記事を元に、泣き止まない子供に対する接し方について考えてみようと思います。

 自分も2人の子供を持つ父親で、上の男の子は小学2年生になったのでさすがに泣き叫ぶことは少なくなりましたが、まだ下の女の子は保育園の年少組なのでたまに泣いててのつけられなくなることがあります。そんな時、ついつい感情的に「泣き止みなさい!」と言ってしまうことがあります。しかし、「泣きやまないと、ひどい目にあわせるよ」なんて感情的で抑圧的な対応は、子どもが感情を抑え込むようになってしまうとAnderson氏は指摘されています。子どもが欲しいのは、「理解と共感」なのです。もちろん最初は痛かったとか悲しかったと言った理由で泣き始めますが、「理解と共感」が得られない場合、さらに高く大きな声で泣き叫ぶようになるのです。

 つまり泣き叫ぶ子どもに親が掛けるべき言葉は、感情的で抑圧的な言葉ではなく、子どもが泣き始めたきっかけの悲しさや寂しさ・痛さなどを理解して共感する言葉なのです。例えば、
「痛かったんだね」
「寂しかったね」
「悲しんでもいいんだよ」
「そばで聞いてるよ」
といった言葉。大人、特に理性が先に立ちがちな男性からすれば、直接的な解決策を何も示していないこの言葉。しかし、子供の感情に寄り添う言葉が子どもを安心させ、泣き止ませるのでしょう。

 もちろんこんな言葉、とっさの場合に言えるものではありませんし、子どもの泣き声のオクターブが上がるに連れて、親の方の感情も高ぶってしまって、冷静でいられないでしょう。しかし、子どもより大人の方がはるかに感情のコントロールが上手なはずです。あらかじめかけるべき言葉を書き出しておいて、いざという時落ち着いて言える親でいられれば素晴らしいと思うんです。

2018年3月15日木曜日

サルでもわかる公開鍵暗号方式

公開鍵暗号 - Wikipedia:

 今回は自分の覚書きの意味も込めて。公開鍵暗号方式について簡単にまとめてみようと思います。「公開鍵暗号方式」と言ってもピンとこない人もいると思いますが、コンピュータを使ったセキュア通信の基本となる技術で、最近はほとんどのWebサイトが対応するHTTPSの中核をなすTLS/SSLの技術でもあります。HTTPS対応のサイトは、こんな風に(↓)ブラウザ上に表示されるURLも「https://」とセキュアの意味の「s」が付きます。


 ところで暗号化といえば、鍵を使って暗号化・復号化を行なうのですが、大きく共通鍵暗号と公開鍵暗号という二種類の暗号化方式があります。単純なのが共通鍵暗号で、データを送信する側と受信する側で同じ鍵を使います(↓)。送信する側がその鍵を使って暗号化し、受信側も同じ鍵を使って復号化します。よくメールで暗号化ファイルを送信して、解凍パスワードは別メールで送るということをやりますが、まさにアレです。

 この方式の問題点は、共通鍵をどうやって相手に渡すかです。先ほど暗号化ファイルをメールで送って、別メールで解凍パスワードを送ると書きましたが、パスワードを送るメールを誰かに覗き見られてはアウトです。じゃあ、パスワードを送るメールも暗号化したらいいじゃないかと言うかもしれませんが、そのメールの暗号を解くパスワードはどうやって送ればいいのでしょう。いやそれは電話か手紙でとなるかもしれませんが、せっかくネットワークを使ってメッセージを送るのに、そのメッセージを読むためのパスワードは電話か手紙というのはいかにも原始的です。なんとかネットワーク上のやり取りだけで、安全にパスワードを渡したいものです。

 そこで使われるのが「公開鍵暗号方式」です。共通鍵暗号方式の問題点は、暗号化・復号化のための鍵がバレてしまうとダメということでした。そこで、暗号化のための鍵と復号化のための鍵が違う鍵だったらいいじゃないかというアイデアなのです。もちろん数学的にはちょっと難しいのですが、公開鍵と秘密鍵という2種類の鍵を使って、公開鍵で暗号化したデータは秘密鍵でしか復号できず、秘密鍵で暗号化したデータは公開鍵でしか復号化できないという、数学的なアルゴリズムが考え出されたのです。

 この図のような、AliceがBobに秘密のメッセージを送ることを考えてみましょう。ちなみにこの分野の解説をされる場合の登場人物は、大抵はAliceとBobというのは有名な話です。メッセージを受信したいBobは2つ1組の鍵を作って、1つは秘密鍵として誰にも見せないように大切に保管します。一方でもう一方は公開鍵として、広く公開します。Aliceは、Bob宛てのメッセージをBobの公開鍵を使って暗号化した上で、Bobに送信するのです。ここで登場する盗聴者Eveですが、Eveが手に入れられるのはBobが公開している公開鍵ですので、このメッセージを復号化することはできません。メッセージを復号化できるのは、メッセージの正しい受審者であるBobだけなのです。Bobが持つ秘密鍵だけが、Aliceのメッセージを復号化できるわけです。

 これでメデタシメデタシと思うかもしれませんが、頭のいいEveはもう一工夫します。それはEveが自分でも秘密鍵と公開鍵を作って、そのうち公開鍵を「Bobの公開鍵はこれで!」と公開します。そんなこととは知らないAliceは、まんまとEveが作ったウソの公開鍵でBob宛のメッセージを暗号化してしまいます。AliceがBobに送った暗号化メッセージを盗聴したEveは、自分の持つ秘密鍵でそのメッセージを解読することができてしまいます。

 こんな盗聴を防ぐために、公開鍵には「署名」という行為がなされます。この公開鍵は確かにBobの鍵だということを、誰かが保証するのです。この図のケースではTrentがTTP(Trusted Third Party)の役割を果たしますが、普通は認証局とかCA(Certification Authority)という組織がその役割を果たします。AliceはBobあてのメッセージを暗号化する前に、暗号化に使用する公開鍵の署名を確認します。この図の場合ですと、信頼できるTrentの署名がついている鍵なので、Bobの公開鍵として正しい鍵だろうと判断するわけです。

 もちろん、実際には全部の通信をこんな方法を取っていたらまどろっこしいので、普段の暗号化通信は単純な共通鍵方式で行ない、その共通鍵の受け渡しだけに公開鍵暗号か方式を使うというハイブリッド方式が取れらます。なんだか小難しい暗号化のお話ですが、こうやって理解すれば難しくないですよね。

2018年3月13日火曜日

天才の活かし方

「天才を殺す凡人」から考える 大企業でイノベーションが起きないメカニズム (1/3) - ITmedia エンタープライズ:

 今回は、ITmediaエンタープライズに掲載された北野唯我氏の天才論にナルホドと思ったので、当ブログにも取り上げさせていただきたいと思います。これまで何度か天才について取り上げてみましたが、北野氏の言われる企業の力学と天才との関係性はなかなか秀逸です。

 よく、日本企業は天才を活かしきれないと言われます。特に最近は、世界を変えるような画期的なサービスやスタートアップはシリコンバレーを中心としていて、日本から生まれていないことがその証拠だと。

 北野氏によれば、日本企業で天才を活かしきれない主な理由として「天才が凡人に殺されてしまう」ことが挙げられています。そしてその原因のほとんどは「コミュニケーションの断絶」です。天才と秀才・凡人の関係性が描かれたこの図(↓)を見てみてください。秀才が天才を妬むのに対して、天才は秀才のことを気にかけません。興味がないからです。その一方で意外なことですが、天才は凡人に「理解してほしい」という思いがあるのだそうです。たとえ天才といえども孤独ではいられません。そんな時繋がりを求めるのは、実は秀才ではなく凡人なのです。それに対し、凡人は成果を出す前の天才を見抜くことができません。よくバカと天才は紙一重と言われますが、凡人には実績のない天才をむしろ冷たくあしらってしまいがちです。

 こうして天才・秀才・凡人の関係性に着目した時、これは日本の大企業でイノベーションが起きないメカニズムと全く同じではないかと思うわけです。どんなビジネスも、それを作り出し、拡大し、マネタイズする(儲ける)というプロセスが必要です。この各プロセスが、見事なまでに天才・秀才・凡人の特質と合致しています。つまり全く新しいものを創造するのはやはり「創造性」が豊かな天才の役割に担うところが大きく、事業として拡大させるのは「再現性(≓ロジック)」に秀でた秀才の役割です。天才が種を蒔き、秀才が育てたビジネスを、最後に刈り取るのが凡人です。凡人の「共感性」が多くの顧客を呼び寄せ、お金に変えていく。多くのビジネスはこんなループと役割分担で成り立っているわけです。

 そう思った時、秀才が担う「育てる」部分と凡人が担う「刈取る」部分に関してはKPI(定量的な評価軸)がある程度はっきりしています。ところが天才が担う「種蒔き」については、一体どう評価すればいいのでしょうか。天才の天才たる所以であるところの「創造力」は残念ながら直接計測することはできません。既存の枠組みで測ることができる創造性などたかが知れています。むしろ既存の枠組みをはみ出すからこその創造性であって、そのためにそれを計測することができないというわけです。

 こで北野氏は、創造性に対する面白いKPI(評価軸)を提案されています。このKPIこそ自分がナルホドと思ったことなのですが、みなさん想像がつくでしょうか。...実は、北野氏の提案される天才の測り方は「反発量」なのです。もちろんこれも抽象的といえば抽象的なのですが、例えばAirbnbやUberは、サービスがリリースされたときに社会から「強烈な反発」を食らいました。Amazonの破壊的なビジネススタイルは、各方面で既存のビジネスで飯を食う人たちから反発されています。凡人でも、これまでの慣習や既得権益などが変わってしまう可能性、ビジネスのルールをガラッと変えてしまう可能性に「恐れ」を抱いて反発をするのです。つまり、凡人の恐怖感や反発する感情を観測すれば、天才の「創造性」を間接的に観測することができるというわけなのです。

 しかし普通の企業にとって、この「反発」を観測して天才を天才と認め、彼らを生かすことができるかというと、残念ながらそうはいきません。企業はほとんどが「凡人」で構成されていて、大企業になればなるほどこれまでの慣習や既得権益を守ろうとする凡人のパワーは強力だからです。これこそが、破壊的イノベーションが大企業で起きないメカニズムなのです。

 では天才は企業の中で成功していけないのでしょうか。そして企業は天才を活かすことはできないのでしょうか。実は、天才はある種類の人たちと組むことで、この殻を破ることができます。天才が組むべきその相手は...「共感の神」と呼ばれる凡人です。凡人は凡人なのですが、共感性がとても高い「スーパー凡人」です。あまりにも共感性が高い「共感の神」は、逆に誰が天才かを見極めることができるのです。北野氏がうまいことを言っています。共感の神やスーパー凡人は、まるで“太宰治の心中に巻き込まれた女”のようだと。そして、そんな共感の神は、ある意味人間関係の天才とも言えるので、天才をサポートすることができます。天才の中には、理解されないがゆえに死を選ぶ人もいます。しかし「共感の神」によって理解され支えられれば、世の中に居続けることができ、彼らの天才性を十分発揮してもらうことも可能なのです。

 天才は共感の神によって支えられることで、「創造性」を発揮することができます。天才が生み出したものは、秀才によって「再現性」が与えられ、凡人を通じて人々に「共感」されていく。これこそ、人間力学的な「世界が進化するメカニズム」と言えるでしょう。

2018年3月10日土曜日

週休二日は毎週土日が休みというわけじゃない!?

News Up 休みは2日 完全かそうでないか、それが問題だ。 | NHKニュース:

 そろそろ就職活動を初めている学生さんもいる頃でしょうが、今回はNHKニュースを元に、意外に知らない求人用語の真実について。

 皆さんは「週休二日」の定義を知っていますか。実は自分も少し前までは知らなくて、毎週土日が休みというのが週休二日だと思っていました。実は違うんですよね。週休二日の正確な定義は「月に1回以上週2日の休みの週がある」ということです。つまり、こんな風に(↓)基本的に週の休みは日曜日だけでも、それ以外に平日に1日休めるというのが「週休二日」。


 じゃあ自分が思い込んでいた毎週土日が休みというのは何というかというと、...「完全週休二日」と言います。なんだか言葉の詐欺のようですが、毎週二日は必ず休みということで「完全」週休二日というわけです。単に週休二日といった場合は、「不完全」週休二日ということなのでしょうか。求人情報に「週休二日」と書いてあってこっち(↓)を思い浮かべていると、いざ就職した後で泣きを見るということになってしまいます。


 こんな言葉の詐欺のようなことがまかり通っているのはなぜなんでしょうか。特定社会保険労務士の飯野正明氏はこんな風に説明されています。労働基準法の定めでは、労働者の休日については「毎週少なくとも1回の休日」、あるいは「4週間で4日以上の休日」を与えなければなりません。また、合わせて「1週間に40時間を超えて労働させてはならない」とも定められています。この二つを同時に満たすよう、例えば完全週休二日制の会社の場合、1日の所定労働時間を8時間として、8時間×5日の労働として2日は休日としています。週休二日制や週休一日制の会社の場合、1日あたりの労働時間を短くして6.5時間×6日のような勤務体系になるというわけです。

 週休二日と完全週休二日のように似て非なる言葉に、法定休日と法定外休日という言葉があります。法定休日は、上記の週休二日の話でも出てきた、会社が定めた休日のことで、法定外休日はそれ以外に会社側が定めた休日です。大きな違いは、会社は法定休日に仕事をした労働者には「割増賃金」を支払わなければなりません。一方で法定外休日の場合は法律上は割増賃金を支払う義務はありません。ただ、労働時間が週40時間を超えた場合、時間外労働の割増賃金が支払われなければならず、これが残業代の正体というわけです。

 あと、誤解の元になるものとして「賞与(いわゆるボーナス)」があります。求人情報に「賞与は年二回」なんて言葉があるかもしれませんが、実は年に二回きっちり賞与がもらえるとは限らないのです。むしろ、賞与(ボーナス)は年に二回しか出しませんよということなのです。なぜこんなことになっているかというと、実は賞与というのは法律的な根拠がありません。大抵は就業規則の給与規定で「会社の業績によっては支払わないことがある」と定めてあって、企業に勤めている人なら経験的に知っていますが、賞与は出たり出なかったりするものなのです。

 こうしてみると、求人関係の用語には直感的な理解に反するものもたくさんありますよね。自分も、こういった用語は企業に長く勤めて経験的に理解しただけで、就職活動をしている学生時代は全く知りませんでした。企業側の採用担当者に是非お願いしたいのは、学生がこういった採用関係の用語に対して理解が深くないことをいいことに半分騙すような形で採用するのではなく、長く勤めてもらうためにも学生側に誤解がないようにして採用を決めてほしいものです。

2018年3月8日木曜日

子どもを持つことは「ぜいたく」なのか?

今の日本で子を持つことは「ぜいたく」なのか? | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト:

 少し前に「『普通の人』のハードル、上がりすぎてませんか?」という記事を書きましたが、今回はその続きとも言える「子ども持つって『ぜいたく』なことなんですか」という話題です。元記事は社会教育学者の舞田敏彦氏によるものです。

 例えば、藤田孝典氏の著書『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』(講談社現代新書)には、「結婚・出産なんてぜいたくだ」なんてフレーズが踊ります。もちろん読者の気をひくためのキャッチコピー的な側面はありますが、現実を言い当てている面もあると思います。自分たちが子供の頃に描いていた普通の40代男性像は、普通の会社に就職していて結婚していて子供がいて、ローンはあるかもしれないけど持ち家があって。そんな大人を想像していましたが、いざ自分がその立場になってみると、これがハードルが高い。正社員になること、結婚すること、子どもを産んで育てること、家を建てること、......。自分たちより下の世代には、この「普通の人」ハードルはさらに上がっているかもしれません。

 特に今回のテーマ「子どもを持つ」ことに関しては、経済協力開発機構(OECD)の成人学力調査「PIAAC 2012」を元に舞田氏ご自身が作成されたこの表(↓)が物語るように、年収が高い人は子どもを持てるが年収が低い人は持てないという「格差」が諸外国に比べても比較的大きいことがわかります。
つまり、日本は、経済力と結婚・出産の関連が最も強い社会であると言えるでしょう。特に日本は、低所得の中年男性が子がいる比率がズバ抜けて低く、(1)低収入によって結婚できないこと、(2)たとえ結婚できたとしても子育てにお金がかかるため出産に踏み切れないこと、の大きく2つの要因があると考えられます。

 (1)の問題については、「愛さえあればお金なんて」とは言えども、現実の生活を考えると女性が男性に経済力を求めるのもやむを得ないところがあります。既婚者と未婚者の年収を見てみる(↓)と、男性は既婚者の方が収入が多いのに対して女性は未婚者の方が高収入であることがわかります。結婚というイベントがキャリアに及ぼす影響は、男女で反対の方向なのです。夫婦共働きがだいぶ根付いてきたとは言え、女性は結婚して子育てをするとなると、退職か休職あるいは時短勤務を強いられるケースも多いと想像されますので、そこで減った収入を配偶者に求めることになるわけです。
そして(2)の問題。諸外国に比べても日本の教育費は非常に高く、公立学校に火曜う前提だとしても、子ども一人を大学まで出そうと思うと1千万円以上の費用はかかります。非正規社員や将来の安定性の低い仕事にしかつけない人にとっては、子どもが大学卒業するまでの期間コンスタントに費用を捻出し続けられる自信が持てないケースも多いでしょう。

 一方で、日本には「貧乏人の子だくさん」という言葉がありました。戦後すぐくらいまでの日本社会は、自営業や家族従業が多く、子は労働力と位置付けられ、今とは違って高校・大学への進学率も低かったので、教育費もかからなかった時代でした。その頃の日本と現代の日本、社会全体としての裕福度を考えると明らかに現代の方が優っているでしょう。日本社会が目指してきた社会全体としての裕福度の上昇、それが逆に格差を大きくして、経済的な理由で子どもを持てない人を生み出している...なんだか切ないですよね。

2018年3月7日水曜日

儚くも美しき黒板アートの世界

学校にパソコンがないので黒板にWordを描く ガーナの先生に注目集まる - ねとらぼ:

 今回はちょっと前に話題になった、パソコンのないガーナの学校でMicrosoft Wordを教える先生が素晴らしいという記事から、美しい「黒板アート」の世界をご紹介してみようと思います。

 ことの発端は、ガーナのクマシの学校で教鞭をとるOwura Kwadwo Hottish氏による先月の投稿です。Hottish氏は「ガーナの学校のICT教育はおかしい。黒板で教える。生徒が大好きだから、理解させられることをやらなければ」というコメントともに、こんな写真(↓)を投稿しました。黒板上に再現されたWordは、さまざまな色のチョークを使ってメニューやボタンなどが再現され、「タイトルバー」「メニューバー」などの説明がつけられています。コンピュータの一番の上達法は触って覚えることですので、教育という点からいうと効率が悪いのでしょうが、それだけ環境の悪い中でも奮闘する先生の姿が話題になりました。

 このWordの再現クオリティが高いなあと思って思い出したのは、黒板アートという世界です。黒板メーカーの日学が、黒板アート甲子園というのをやっていて、今回は昨年2017年の優秀賞と最優秀賞の作品をご紹介してみようと思います。

 まず優秀賞の1つ目は、埼玉県立坂戸高等学校(坂戸高校美術部)によるこの作品。作品名は「黄昏の旧友」。高校生活の屋上でのワンシーンですが、長い影が示す夕暮れが、黒板といういずれ消されてしまうキャンバスの儚さと相まって、なんとも切なくなってくる作品です。おそらく高校3年生なのかな、残り少ない高校生活を名残惜しんでいるのかな、なんて考えさせられます。

 優秀賞2つ目は、九州産業大学付属九州産業高等学校(美術部と弓道部)の作品。作品名は「期待と不安」。こちらは打って変わって、新入生の溌剌としたフレッシュな姿が描かれています。下からのアングルで特徴的なことと、町並みなどもとても細かく精密に描かれていて、甘酸っぱい青春時代を思い出させてくれます。

 優秀賞3つ目は、埼玉県立大宮光陵高等学校(ジューC)による作品。作品名は「鯨波」。「鯨波」は大波を指しますが、他に鬨の声という意味もあって、この「とき」という音が高校生たちの「今このとき」と掛けられているようにも捉えられます。色彩豊かな夕方の光、クジラの腹と背の輪郭線の丸みと背景にある地球の輪郭の丸みの構図が躍動感を生み出しています。黒板アートの儚さが人生に、その中で今このときをダイナミックに生きる姿が高校生たちの姿に重なります。

 そしてお待ちかねの最優秀賞。静岡県立富士宮東高等学校(ちゃん’S)の作品は、「VR黒板」という作品。テクノロジーの発展が目覚ましい「VR(仮想現実)」の世界を、アナログな黒板の上で再現しているという点で、Hottish氏の黒板上に再現されたWord画面と共通点がある気もしますが、黒板を画面に見立てるところまでは同じですが、画面の中にいたはずの動物たちがそこから飛び出してくるという設定が面白い作品です。特にキリンの立体感と毛並み、優しい目の描写など、これぞ最優秀作品という感じがします。

 美しき黒板アートの世界はいかがでしたか。スマホの小さい画面のデジタルの世界でばかり生きていると思われがちなイマドキの高校生ですが、大きな黒板の上にアナログなチョーク独特の温かみで描かれた作品は、彼らの中に古き良き日本の姿を垣間見た気もします。そして、いずれは消されてしまう「儚さ」も黒板アートの魅力で、人生の中で輝きを放つ青春時代の儚さを表している気もしますね。

2018年3月5日月曜日

嘘も百回繰り返せば本当になるのか

BBC - Future - How liars create the ‘illusion of truth’:

 今回はTom Stafford氏の記事を元に「嘘も百回繰り返せば本当になる」のだろうか、という話題です。元々この言葉は、ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス氏の言葉として伝えられていますが、本当のところはよく分かりません。宣伝の天才と言われたゲッペルス氏の言葉と言われるといかにも説得力がありますが、このフレーズ自体が「嘘も百回言えば...」になってしまっているとの意見もあるようです。

 言葉の出自はともかく、プロパガンダの手法として、同じ内容を何度も繰り返して語りかけるという手法があります。最初のうちはそんなことないでしょと思っていても、何度も繰り返し聞かされているうちに、ある種の親しみを感じ始め(「単純接触効果」)、やがてその内容を信じ込んでしまう(「真理の錯誤効果 (Illusory truth effect)」)ということです。最近流行りのフェイク・ニュースもこの部類と言えるかもしれませんし、昔からある何度も商品名を繰り返すCMもこの部類かもしれません。

 しかし実際には、人間の脳はそれほど単純でもありません。テネシー州のヴァンダービルト大学のLisa Fazio助教授らの研究チームは、すでに知っていた知識が後から与えられた新しい情報によってどのように影響を受けるのかについて調査しています。調査の方法は、「正」と「誤」の一対の質問を用意して、その質問がどの程度知れ渡っているかを基準に2つのグループに分けて実験に使用しました。例えば、実際には正しい「太平洋は地球で最も大きな海洋である」という質問は「よく知られている」グループに、そして実際には間違っている「大西洋は地球で最も大きな海洋である」という質問は「怪しい(もしかしたら正しいかも)」グループに分けて被験者に出題します。

 調査の結果、「怪しい(もしかしたら正しいかも)」グループの質問ほど真理の錯誤効果が強く現れたのです。自分自身の知識が曖昧だったりあまりよく知らないことに関しては、嘘を繰り返し聞かされると信じてしまう可能性が高く、逆に元々知識があることに対しては、嘘を繰り返し聞かされたとしても影響を受けないということなのです。

 つまり、繰り返し回数だけで人々の思考が左右されるというほど単純ではなく、その意味では、マインド・コントロールによって人に正しくないことを信じ込ませるのは難しいということです。しかし、裏を返せば正しいか正しくないか判断が曖昧な事柄に関しては、繰り返しインプットされた情報を信じてしまう可能性が高いと言えます。昔から繰り返される宗教的なマインド・コントロールが、神や神秘的な力といった判断が曖昧な部分を突いているのは、心理学的には的を射ていると言えるのかもしれませんね。フェイク・ニュース全盛の時代、自分の知識や判断が「真理を錯誤」していないかどうか、少し立ち止まって振り返るくらいの慎重さがあってもいいかもしれません。

2018年3月3日土曜日

悩みのタネが過去と未来にあることを逆手に取る

「悩みは未来と過去にしかない」と気付いたら楽になったという話 - まぐまぐニュース!:

 今回は小原一将氏の記事を元に、過去と未来のことを考えると悩みは尽きないので、現在のこの瞬間に目を向けると少しラクになるという話題です。

 確かに何かについて思い悩むのは、過去の自分の行動に関する後悔か、未来・将来に対する不安がほとんどな気がします。過去と未来で言えば、自分の感覚論では「過去:未来=2:8」くらい、どちらかと言えば未来に対する不安感で思い悩むというケースが多い気がします。これはおそらく正常な感覚で、過去の行動は今思い悩んだってもう変えられないので、悩みそのものが生産的ではありません。それよりも、過去の行動に対する反省を未来に向けて、次はこんな失敗しないようにしようと考える方が建設的なわけで、多くの人はそういう思考をするのではないでしょうか。もちろん、次も同じ失敗をしないかという不安に変わるだけかもしれませんが。

 そう思うと、失敗を積み重ねれば重ねるほど未来に対する教訓が多くなってきますので、だんだん「縛り」が強くなって不安が大きくなるでしょう。過去の悩みを未来の悩みに転換しただけで、悩みそのものの大きさは変わっていないと言えるでしょう。そんなことを思っていた時に、今回の小原氏の記事に出会いました。

 小原氏の読まれた本の中で心に引っかかったのは、アメリカのトップレベルのビジネスマンが取り入れている方法で、「今ここに注目する」ということです。過去を反省して未来に生かすことは重要ですが、過去の悩みを未来の不安に転換しても、悩みが軽減されるわけではありません。ずっと悩み続けていると心に負荷がかかり過ぎてしまうので、たまには心を解放してやる必要があります。その時に有効なのが「今ここ」に焦点を合わせること。

 とは言っても、気持ちと思考だけを「今ここ」に向けるというのも難しいものです。そんな時は、例えば空を見上げた時は今ここに考えを向けよう、など具体的な行動を決めてしまうといいと思います。タバコを一服の時は今ここに考えを向ける、でもいいですし、コーヒーを飲む時は今に焦点を合わせる、でもいいでしょう。心を解放しようというきっかけですから、リラックスするための行動をとる時がいいかもしれませんね。

2018年2月27日火曜日

人間の「オーラ」を映し出すカメラ

進化する監視カメラ、犯罪者の“オーラ”を検知:日経ビジネスオンライン:

 今回はなんだかスピリチュアルなタイトルですが、その方面を期待された方、ごめんなさい。実は、いつの間にか監視カメラってこんなすごいことになっていたんだというお話です。元記事は日経ビジネス・齊藤美保氏によるものですが、記事が書かれたは2年も前の話ですので、最近だともっとすごいことになっているのかもしれません。ロシア政府の研究機関から誕生したELSYS(エルシス)が開発した画像解析システム「DEFENDER-X」、なんとカメラの画像から犯罪を企む者がまとう独特の「オーラ」を検出するというのです。

 東京オリンピック・パラリンピックまで2年あまり。監視カメラや画像解析を使ったセキュリティというのは、いまホットな話題の一つです。テロの脅威にさらされる空港やランドマークは、これまでも全く無防備ということはありません。それなりに監視カメラが導入されていたり、入退室ゲートのようなものが設置されていたり、ガードマンが荷物検査していたり。

 しかし監視カメラの話で言えば、膨大な数のカメラを設置したとしても、いざ何かがあった時の証拠としての役には経ちますが、カメラの映像から未然に犯罪を防ぐというのは困難を極めます。それはそうですよね、多くの監視カメラが送ってくる映像を、防災センターや監視センターのようなところの画面に表示していたとしても、それを見るのが結局人間なんだとしたら。常に多数のカメラの映像を見ていて、犯罪の芽を察知しろというのは相当難しい仕事です。日常の何気ない風景、普通に人が行き交うだけの映像をずっと見ていることさえ、人間にとっては拷問に近いと思います。そこで、今回のDEFENDER-Xのような、映像から特定の条件に合致したケースにアラートを発するシステムが重宝されるのです。例えば、マスクにサングラス、全身黒づくめでキョロキョロと辺りを見回している人なんて分かりやすい犯罪者は少ないでしょうが、仮にそんな怪しい人がいればシステムがアラートを発し、人はその時だけ映像を確認すればよいのです。

 つまりこの手の映像解析システムの重要な点は、正確に犯罪者を指摘できることではなく、多少怪しいという場合も含めて、多めにアラートを鳴らして人間の監視業務を軽減することと言っていいと思います。もちろん、精度があるに越したことはありません。2014年のソチ五輪で、131セット(1セットにつきカメラ2台と1つの解析ソフト)のDEFENDER-Xが設置され、大会期間中の270万人の中から1日あたり5~15人に対して「不審者」としてアラートを発し、そのうち9割は薬物・酒などの禁止物の持ち込みやチケットなしで不正入場しようとする客だったのだそうです。見逃し率はわかりませんが、指摘したうち9割が当たっているというのは、この手の技術では相当に精度が高いと言えると思います。膨大な映像の中から特定の人を探すようなケースでも9割程度、ましてや人の「犯罪オーラ」を探そうというのですから、ずっと精度が下がりそうなところを9割というのは素晴らしいと思います。

 高い精度で「犯罪オーラ」を検出するキモは、表情の振動を検出する「VibraImage」と呼ばれる画像処理技術です。毎秒30枚程度の画像から、1枚1枚の顔の皮膚や眼球、口元、まぶたなどのパーツがどれだけ動いたのかを検出し、その振れ幅や周期を元にその人の顔を「攻撃的」「緊張」などの50パターンに分類するのです(↓)。人が判断しやすいように、映像の中の人の顔の周りに色付きの線で精神状態が示されます。DEFENDER-Xではこの線を「オーラ」と名付けており、緑で表される場合は普通の落ち着いた精神状態ですが、赤いオーラをまとった人は攻撃性が高まった精神状態を意味します。


 表示されるオーラの大きさや濃さなどで、犯罪行為に発展する危険度を表し、あらかじめ設定した閾値以上の人物を見つけるとアラートを発し、警備員などが声をかけたりボディーチェックをしたりして、犯罪を未然に防止するというわけです。

 そして、アラートの精度を上げたり将来的な技術も含めて様々な画像処理を行おうと思えば、監視カメラそのものの画像が鮮明であることも重要です。矢野経済研究所による調査(↓)によれば、監視カメラの市場は右肩上がりで、単体製品よりも、DEFENDER-Xのようにソフトと監視カメラを組み合わせた画像処理システムが主流になりつつあるようです。


 この元記事が書かれた時から2年ほどが経ち、人工知能(AI)の発展が鮮明になりました。画像処理の世界はAとの相性が極めて高いので、AIを使った不審者の検出とか怪しい人物を見つけたら多くのカメラ映像からその足取りを追いかけるとか、そんな発展の方向性も十分に見込めそうですね。何れにしても、東京オリンピック・パラリンピックまであと2年。サーバーセキュリティだけでない、フィジカルセキュリティの世界も急ピッチで整備されているんでしょうね。

2018年2月23日金曜日

フェイクがフェイクじゃなくなる日

Even Bill Gates Is Worried That Silicon Valley Will Unleash the Apocalypse | Vanity Fair:

 今回はMaya Kosoff氏の記事を元に、「実際には起こらなかったものをまるで現実に起きたことのように見せる技術」の脅威について考えてみたいと思います。米・トランプ大統領が就任して以来一躍流行語になった「フェイクニュース」に代表されるように、昨年末には「フェイクポルノ」という言葉も世間をにぎわせました。トランプ大統領のフェイクニュースは、都合の悪い真実をフェイクニュースと言っている節もなきしもあらずですが、「フェイク(虚偽)」と「ファクト(事実)」の区別がどんどん曖昧になっているとは言えそうです。

 昨年12月に突然話題をかっさらった「フェイクポルノ」もそうです。映画「ワンダーウーマン」に主演した女優のガル・ガドットさんのこの動画(↓)が有名ですが、昔の合成動画のような不自は感じられず、まるで本当にご本人が出演したかに見えると思います。


 このムービーは、deepfakes氏というユーザが海外掲示板・redditに投稿したものですが、オープンソースの機械学習ツールを使用したとのことで、それほど特別なスキルがなくてもこう言ったフェイクを作り出すことができるのです。deepfakes氏自身も最先端のAI研究者と言ったわけではなく、単にAIに興味があるプログラマーだと言います。他にも、2016年にAdobeが発表した「Photoshop for audio」は、映像の中の人が全く喋っていない言葉を喋ったかのように加工することができるなど、事実を捻じ曲げハッキングを行なうツールは凄まじい進化を遂げているのです。つまり、起こっていないことを実際に起こったかのように見せるテクノロジーは、誰もが容易に使用できるレベルになりつつあり、テクノロジーの進歩は乱用の可能性を大きくしています。

 だって考えてみてください。例えば、犯罪を証言するVTRがフェイクだったとしたら、監視カメラの映像がフェイクだったとしたら。他にも、犯罪の自白音声がフェイクだとしたら、パスポートや免許証の写真がフェイクだとしたら。とにかく我々がこれは大丈夫だと思っている「確かなもの」がガタガタと崩れるということになると思うんです。誰もが容易に「事実を作り変える」ことができる世界。そんな怖い世界がすぐ近くまで来ているということなんです。

2018年2月22日木曜日

「普通の人」のハードル、上がりすぎてませんか?

「普通の人」のハードル、上がりすぎてませんか?:

 今回は、少し前にはてな匿名ダイアリーに投稿されていた記事を元に、普通って何だろうというお話を。

 元記事で問いかけられているのが、あなたが思う普通の人ってどんな人だろうかという問いです。自分が思う普通の人...自分の場合は40代男性なので、まあ普通に仕事をしていて、普通に結婚していて、普通に2人くらい子供がいて、あとは都内は無理かも知れないけど通勤一時間くらいのところにマイホームがあって。まあ、アルマーニの制服で有名になったような小学校に通えるほどお金持ちじゃないけど、子供の夏休みや冬休みに国内旅行くらいには行ったりなんかして。ところが元記事で指摘されているのは、これってすごくハードル高くないかということなんです。

 例えば、普通の家庭を描いたアニメの代表格「サザエさん」。都内の持ち家に二世帯で住んでいて、波平さんとマスオさんはエリート社員というわけじゃないかも知れませんが、普通に正社員として仕事をして残業もあまりなさそうです。都内の一軒家ですが、フネさん・サザエさんが専業主婦でいられることから考えても、波平さんとマスオさんは相当の高給取りでしょう。本当かどうかわかりませんが、ネット上では波平さんは商社課長で年収は955万円、マスオさんは別の商社の営業職で600万円と言われています。ちなみに「サザエさん」はキャラクターの学歴の設定もすごくて、波平さんは京大、マスオさんは早稲田ですし、フネさんは日本女子大、ノリスケさんにいたっては最高峰とも言える東大法学部。主人公のサザエさん本人だけが架空のあわび女子学園なのが、かろうじてご愛嬌。

 もう一つ、アニメ「クレヨンしんちゃん」も、主人公・野原しんのすけはぶっ飛んだキャラですが、舞台は普通の家庭という設定です。しかし、父・野原ひろしの設定は、身長185センチの35歳、ローンは残っているものの埼玉県に一軒家を持ち、妻・みさえと子供2人(しんのすけ・ひまわり)の4人家族。万年係長なんて言われていますが、商社勤めのサラリーマンで年収は650万円。ちなみに国税庁の調査によれば、35歳〜39歳男性の平均年収は499万円だそうですので、かなりの高給取りと言っていいでしょう。少し古い平成22年の国勢調査ですが、35歳〜39歳男性の既婚率は53%なので、35歳で結婚して子供を2人もうけているというのもある意味勝ち組と言っていいかも知れません。

 つまり、「普通」が描かれたとされているアニメも、実際の社会と比べてみれば決して普通じゃない、むしろ理想に近いんじゃないかと思うんです。そして、自分たちは「サザエさん」や「クレヨンしんちゃん」の世界が「普通」だと刷り込まれて育ってきましたが、実はその世界は「理想形」ですので、現実の人生はそれとはほど遠く、その世界と現実の人生の差を感じて幸福感が目減りしてしまっているように感じます。PerfumeのDream Fighterという楽曲の歌詞に、こんなフレーズがあります。

ねぇ みんなが言う普通ってさ
なんだかんだって 実際は多分
真ん中じゃなく 理想に近い


まさにその通りだと思いませんか。

2018年2月19日月曜日

ジョハリの窓で解き明かす自分の知らない自分

『自分のことは、自分でも解らない事実』 ~私のマッサージ店での体験。そしてスタニスラフスキー・システム発端の理由について~ | METHOD NETWORK【メソード ネットワーク】:

 今回は、ブログサークルで親しくさせて頂いているトニーマサキ氏の、意外にも自分のことは自分では分からないという記事を読ませて頂いて思い出したことがあったので、そんな話題を。トニーマサキ氏は、マッサージ店で自分では背中と腰が凝っていると思っていたのに、マッサージ師に指摘されて初めて肩が凝っていたことに気づいたという日常の一コマから、ご自身の俳優という分野で言われる「演じている俳優自身が思っている表現と観客が受け取る演技のデキには大きな隔たりがある」という話を展開されています。つまり、俳優自身は素晴らしい演技ができたと思っていても、意外にも観客側の評価はイマイチだったり、逆に今日は演技が失敗だったなあと思っても観客には素晴らしく見えたりするということでしょう。

 俳優という少し特殊な職業と我々の日常生活を同じには言えませんが、それでも、自分で思う自分の評価と他人による自分の評価が大きく異なるのは、容易に想像がつきます。そして、自己評価がすごく高いのに他者評価がすごく低いなど、評価があまりにかけ離れているとコミュニケーション上の問題を生じかねません。

 そこで思い出したのは、「ジョハリの窓」と言われる対人関係とコミュニケーションのフレームワークです(↓)。それぞれの領域は
(1)開放:自分も他人も知っている自分
(2)盲点:他人は知っているが、自分は知らない自分
(3)秘密:自分は知っているが、他人は知らない自分
(4)未知:自分も他人も知らない自分
ということで、例えば自分で自分のことを小心者だと思っていたのに他人からは勇気があると思われているなら、それは「盲点」ということになります。


 そして、一般に開放の領域が広ければ広いほど、裏表がなく対人関係は良好、コミュニケーションが円滑になります。つまり、対人関係とコミュニケーションにおいては、自分に対する自己評価と他者評価が近いほど良いというわけです。
 
 「ジョハリの窓」は、数人の仲間とちょっとした心理ゲームのように試してみることができます。藤浦隆雅氏の記事に、その具体的なやり方が詳しく述べられていますので、試してみると面白いと思います。記事を参考に、紙と鉛筆だけで行なえる簡単な方法を以下に示しておきます。

 まず、個人の性格とかキャラクターとして考えられそうな項目をいくつか書き出します。例えば、
1. 頭が良い、2. 発想力がある、3. 段取りが良い、4. 向上心がある、5. 行動力がある、6. 表情豊か、7. 話し上手、8. 聞き上手、9. 親切、10. リーダーの資質がある、11. 空気が読める、12. 情報通、13. 根性がある、14. 責任感が強い、15. プライドが高い、16. 自信家、17. 頑固、18. 真面目、19. 慎重
といった具合です。4人から8人くらいで行なうのですが、まず紙を1人あたり人数分配ります(つまり、人数×人数分の紙が必要です)。紙には1枚ずつ自分を含めた全員分の名前を書き、書かれた人の性格として相応しいものを上記の1〜19から選んで紙に書き込んでいきます(複数回答可)。上記の1〜19はあくまでも例ですので、もっと増やしても良いかもしれません。

 全員が全員分を書き終わったら、書かれた名前の人のところに紙を集めます。つまり、1枚は自分で自分のキャラクターをどう思っているか、あとは他人が自分をどう思っているかということになります。自分が挙げた番号と他の人のうち一定数以上指摘したキャラクターは、「開放」の領域に書き込みます。一定数の人が書いたのに自分が書いていない番号は、「盲点」の領域です。自分が書いて一定数以下の他人しか書いてない番号は「秘密」の領域に、自分も書いていなければ他人も一定数以下しか書いていない番号は「未知」の領域です。他人の分は一定数以上・以下という判定をしますので、「正」の字でカウントしていくと良いかもしれません。

 「開放」が多かった人は自己評価と他者評価の差が少ないのでコミュニケーションを取りやすく、「秘密」が多い人は自分を人にさらけ出さないので少し内向的かもしれません。そして「盲点」の項目は、自分で意識していないのに意外にも●●と思われているということですので、1つ1つが新たな気づきです。これでもって「開放」が多いから良いとか少ないからコミュ障だとかいうわけではなく、自分の特徴をよく掴み、「盲点」を発見することで、コミュニケーション上の戦略を練りやすいということです。

 そして、「自分では気づいていない自分=盲点」に気づいて、しっかり認識してしまえば、もうそれは「盲点」ではなく「開放」の領域に移動したことになるでしょう。今回ご紹介した「ジョハリの窓」はちょっとした心理ゲームかもしれませんが、こういったもので普段から「盲点」を減らしておくと、人間関係をスムーズにするのに役立つかもしれません。

2018年2月17日土曜日

懐かしくもモダンすぎるヤマトナデシコ

Japanese Women Fashion in the Westernized Era – Pretty Mogas in the 1920s ~ vintage everyday:

 今回は、この山ちゃんウェブログで不定期に取り上げている「懐かしの写真」シリーズです。いや、シリーズ化したおぼえはないのですが、自分がなんとなく惹かれる写真は古き良き日本ともいうべき、その時代に生きたわけでもないのになぜか懐かしさを感じるものが多い気がします。元記事は、Vintage Everydayによるものです。

 これまで江戸時代のサムライとゲイシャ100年前の日本の姿、あるいは昭和初期のビールポスターなど紹介してきましたが、今回は大正から昭和初期に流行した「モガ」に注目してみたいと思います。「モガ」ってなんぞやと思った方は多いと思いますが、リアルタイムで「モボ」「モガ」を体験した方は少ないでしょうから、若い方でなくても知らないケースは多いと思います。40代の自分ももちろんその時代を知っているわけではなく、祖父母世代のの青春時代くらいでしょう。それでも、どこか懐かしいのと合わせて、今でも通用するんじゃないのかと思えるようなそのファッションセンスは、数年前から海外でも話題になっているようです。

 そろそろ「モボ」「モガ」の種明かしを。「モボ」は「モダン・ボーイ」、「モガ」は「モダン・ガール」の略で、和装が主流だった明治時代から、西洋文化の影響を受け洋服が大衆の間で根付いた大正時代に登場したファッションこそ「モボ」「モガ」なのです。今回取り上げる「モガ」は、ひざ下の長めのスカートか「アッパッパ」に特徴があります。「アッパッパ」は「up a parts」のことで、サッカー生地など木綿製のワンピースです。モボ・モガといいアッパッパといい、いつの時代も英語を略してカタカナ語化する日本人のセンスって変わっていないなあと思いますよね。他にも、クロッシェ(釣鐘型の帽子)やショートカット(今で言うボブカット)、そして当時はまだ珍しい化粧(引眉・ルージュや頬紅)も特徴的です。

 さて、能書きはこれくらいにして当時の「モガ」の写真を見てみましょう。










「モボ」「モガ」の闊歩した大正から昭和初期。第一次世界大戦の戦勝国となった日本は好景気に沸き、機械化による産業の発展によって「職業婦人」と呼ばれる女性の社会進出が増加した時代でした。従来、洋装は上流階級の正装として高価で普通の人の手に届かない代物でしたが、好景気による購買力の増加で職業婦人はじめ若い人たちにも広がり、花開いたのが「モボ」「モガ」のファッションです。このあと昭和10年代に入ると、世界恐慌の影響と支那事変そして第二次世界大戦へ突入する暗黒の時代になりますので、「モボ」「モガ」は、時代のすき間に咲いたほんのひとときの花だったと言えるかもしれません。