2017年11月28日火曜日

「バックアップが壊れているか復元対象のiPhoneと互換性がない」の原因

iTunesのバックアップが壊れている?互換性がない?復元できない時の対処法 | ルート40:

 今回は自分のための覚書きという意味も含めて、iPhone関連の話題。実は自分はスマホはiPhoneなのですが、長い間使ってきたiPhone 6 Plusから、つい最近iPhone Xに機種変更しました。iPhoneからiPhoneへの乗り換えは比較的スムーズ...かと思いきや、少しハマったことがあったので、それを残しておきたいと思います。

 そのハマったことというのは、バックアップからの復元なんです。iPhoneの買い替えの場合、パソコンを持っている人は、iTunesを使って古いiPhoneのバックアップを取り、そのバックアップを新しいiPhoneに復元するということをやると思います。ちなみにその時、GoogleやAmazonなどのアカウント情報も引き継ぎしたい場合は、バックアップを暗号化するようにすれば(↓)アカウント情報も健康情報も引き継ぎできるというので、[このコンピュータ]・[iPhoneのバックアップを暗号化] を選択して [今すぐバックアップ] ボタンをクリックして、古いiPhoneのバックアップを取りました。

 そして、新しいiPhoneにつなぎかえて、先ほどのバックアップから復元しようとしました(↓)。

 すると、なんとエラーが出てしまいました(↓)。「バックアップが壊れているか、復元対象のiPhoneと互換性がない」というエラーなのです。あれ、おかしいなと思って、もう一度古いiPhoneにつなぎかえてバックアップを取り直したり、暗号化しないでバックアップしたりしてみましたが、やはり同じエラーが出ます。

 バックアップファイルが壊れることはないとは言いませんが、3回連続でファイルが壊れるのも考えづらい。となると、互換性がないということになるけど...と考えたところで、はたと思い当たりました。

 実は最近、古いiPhoneのiOSバージョンアップをしたのでした。そのため、古いiPhoneの方がiOSのバージョンが新しく、新しいiPhoneの方がiOSが古いという逆転現象が起きていたのです。気の利いたシステムはだいたい後方互換性があるように作られているので、古いバージョンのバックアップを新しいバージョンに復元することはできますが、さすがに新しいバージョンのバックアップを古いバージョンには復元できないということなのでしょう。

 そこに気づいたので、新しいiPhoneをiTunesに繋いでiOSを最新バージョンにバージョンアップをした上で、もう一度復元の操作をしてみると...うまく行きました。気づいてみれば当たり前なのですが、システムやプログラムを作った経験がない人だと、意外とこんなことに気づかないかもしれませんよね。

2017年11月27日月曜日

子どもに手書きを教える必要があるか

Do we need to teach children joined-up handwriting? - BBC News:

 今回はBBC Newsに掲載されたDavid Molloy氏の記事を元に、フリック入力やキーボード入力が全盛の今の時代にあえて手書きを覚える必要があるのかという話題です。自分の感覚だと、そりゃ必要でしょと思ってしまいますが、日本のように表音文字のひらがな・カタカナに加えて表意文字の漢字がある言語と違って、アルファベットだけしかない言語の場合は事情が違うんだろうなというのがよく分かります。「手書き」とは言ってますが、どちらかというと「筆記体(↓)」のことを言っていて、ブロックを書ける必要はあっても長い文章をスラスラと書くための筆記体はもう教えなくていいんじゃないかという風潮があるようなのです。

 実際、アメリカのインディアナ州のように、完全に筆記体離れをする州や、フィンランドのように手書き文字の練習を段階的に終了している国や地域があります。筆記体の練習をさせるくらいなら、むしろ「タイピング」や「コーディング」といった技術を習得させるという方針も増えてきているようです。

 しかし一方で、手書きには大きな学習上の効果があるとする論文も発表されています。Aix-Marseille大学の研究者が2005年に発表した論文によると、3~5歳の時期における手書きとタイピングの違いは凄まじく、書いたものの内容をよく覚えるという点で手書きが圧倒的に優れていたそうです。また、2012年Indiana大学とColumbia大学の調査結果でも手書きした子どもは読書などで使用する脳の領域が活動的になったものの、タイピングを行なった子どもたちの脳は活動状態を示さなかったそうです。研究者たちは、「書く」という動作が「何かを読む」という行為を学ぶ助けになる可能性があると考えているようです。研究論文の著者のひとりKarin H.James博士は、「体を動かして何かを行なうことは、認知発達において大切なこと」と語っています。

 2014年のUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)研究でも、キーボードとペンの違いが指摘されています。この研究では、被験者の学生を紙とペンで講義をメモするグループとノートPCでメモするグループに分け、学生たちが講義の内容をどのくらい覚えているかをテストしたところ、紙とペンでメモする学生の方が深いレベルで情報を処理する傾向があったそうです。この研究に携わったJames博士は「誰かが話をしている時に手書きでメモする行為は、相手の言葉を自分なりの言葉にしようとしている」と語っています。

 この言葉は、とても示唆に富んでいると思います。手書きでノートを取るという行為は、相手の説明をそのまま文字通りに記録するのではなく、一度自分で咀嚼してから自分の言葉に直して記録しているということなのです。そして、人は誰かに言われた表面的な言葉よりも、自分の言葉で自分に語りかけた方が強く記憶に刻み込まれるということなのでしょう。一方で、タイピングで作られた講義ノートは、速く完成するものの講義の内容をそのまま記録したものになる傾向があるそうです。つまり、講義を聞きながら手書きで書きつけているのは「ノート」、タイプしてPCにインプットしているのは「議事録」ということなのかもしれません。(一方的に手書きが良いかのように書いていますが、相手の言葉をより正確に残す「議事録」が目的であれば、タイプの方が速くて正確。ようは、目的次第ということなのでしょう)

 もちろんアルファベットだけで書ける言語とひらがな・カタカナ・漢字がある日本語を十把一絡げに比較するわけにはいきません。しかし、自分の長男は今年2年生で、毎日漢字の書き取りを頑張っていますが、やはり漢字は読めるだけではまだあやふやで書けるようになって初めて身につく気がします。自分は、大人になってからタイピングで入力する機会が増え自動変換に慣れてしまったので、いざ漢字を書こうと思った時にとっさに書けなくなってしまうという経験がありますが、みなさんいかがですか。もう手書きしないなら書けなくなってもいいという意見もあるかもしれませんが、何だかそうは割り切れない気がします。

 ソフトウェア設計とかプログラミングの仕事をするときも、自分の場合はタイピングは最後の設計書を書いたりプログラムを書いたりするアウトプットの時のみで、仕様を考えたり実現手段を考えたりする過程は、ホワイトボードやノートを使います。何らかの新しい技術を勉強しようというときも、ノートを使って頭にインプットしていきます。そう、自分の経験と感覚から言えば、「アウトプットはタイピングが適していて、インプットは手書きが優れている」という気がします。確かにフリック入力やキーボード入力全盛の時代ではありますが、まだまだ子供の頃にたくさん手書きした経験というのは必要じゃないかなと思うのです。

2017年11月25日土曜日

大企業で働くべき7つの理由

7 Reasons Why You Need To Work For A Big Company:

 今回は大企業で働くことにもメリットがあるというお話。日本はよく大企業志向が強いと言われていて、スタートアップやベンチャー企業にはあまり人材が集まらないと言われています。一方、ベンチャーで働くことに抵抗がなく、自ら起業する人も多いとされるアメリカでも、大企業で働くメリットを見直す意見もあるようです。今回の元記事は、IDR Solutions社のCEOであるMark Stephens氏が、以前に働いていた大企業でのキャリアを元に大企業で働くメリットを7つ挙げられています。

(1)驚くほど学べる
 すでに成長してしまった大企業は退屈に思えるかもしれませんが、大きくなった会社にはそれなりに理由があります。いいアイデアもイマイチなアイデアも玉石混淆で溢れていますが、反面教師も含めて自らの成長のためのリソースがそれだけ豊富にあるということです。

(2)優秀な人と一緒に働ける
 (1)とも共通しますが、人材豊富ということはそれだけ優秀な人も多く、彼らの手腕を間近に見ることができるのです。将来自分で起業する人も、優秀な人というのがどういうレベルなのかを知っておくことはとてもメリットになります。

(3)トップクラスの人脈が築ける
 やはり大企業の看板の効果は凄まじく、社内にも社外にも人脈を築くことができます。将来的に起業する場合も、その人材はメリットになるでしょう。

(4)大企業ならではの特典が充実
 大企業の場合、スキルアップのための研修制度が整っていたりMBAを取るための資金をサポートしてもらえたりといった、中小企業にはない特典があります。他にも社宅や福利厚生が充実していたり、給料が同じでも大企業にいるだけで得られる特典があります。

(5)政治も上手になる
 どの企業にも、社内政治ともいうべき派閥争いや権力闘争などがあります。その点、大企業で身につけた人付き合いや社内政治術があれば、どんな企業に行っても大丈夫です。

(6)努力は報われる
 スタートアップやベンチャーなどの場合、全くの荒野を耕していく状況に似ていて、時間をかけて一生懸命やった仕事が報われない場合がありますが、大企業の場合はある程度道筋が整っている上に自分の仕事を乗せることができます。それはつまり、努力にだいたい比例した形で成果が得られるということで、キャリアに疑問を持たずに済みます。

(7)ビジネスの基礎が身につく
 大企業とは言っても、それを構成するのは小さなビジネスの積み重なりです。スタートアップやベンチャーのビジネスを、たとえ失敗しても会社が傾く心配をしないで済む安全な庇護の素で行うことができると考えれば、将来的に企業したりベンチャービジネスに身を投じる時のよい予行演習になります。

 自分もどちらかといえば大企業に属する部類の会社にいますが、確かに大企業は若い時に勉強させてもらえる余裕があると感じます。例えば、プロ野球のドラフト会議で即戦力を見込まれて指名される選手と将来を見込んで指名される選手がいますが、ベンチャーやスタートアップ企業の場合は即戦力しか指名する余裕がありません。入団一年目で10勝を上げるような活躍が期待され、計り知れないプレッシャーがかかります。それに対し、大企業というのは将来性のある選手を指名して育てる余裕があります。育てる技術も持っていますし、施設や環境面も整っています。育成に定評のあるコーチ陣が揃っていて、照明付きのグラウンドもピッチングマシン、疲労回復用のマッサージや温泉施設も整っているのです。

 そういう意味で、入団1年目から10勝できるとか3割打てる自信があるのなら、スタートアップやベンチャー企業はとても魅力です。あなたの手腕が存分に発揮され、その成果も分かりやすく現れます。一方で、即戦力で活躍というにはちょっと自信がない人こそ大企業向きです。最初から会社に貢献できなくても、しっかりスキルを磨いて数年後に貢献できる人材に育てばいいのです。

2017年11月24日金曜日

いいプログラマーの条件は「怠けるために努力できる」こと

Why Good Programmers Are Lazy and Dumb:

 今回は久しぶりにプログラマーの生態に関する記事なのですが、元記事はPhilipp Lenssen氏によるブログ記事です。実は、この山ちゃんウェブログでは、以前にもプログラマーの三大美徳は「不精・短気・傲慢」という記事を書いたことがあるのですが、こういう自虐的でナナメな態度というのは、プログラマー特有の表現な気がします。自分も年を取ったとはいえ、一応まだプログラマーの端くれでもありますから、今回のLenssen氏の元記事もあくまでも「ネタ」というか、本当の怠け者・本物の馬鹿ということではないと信じたいところです。

 さて本題に戻って、一般的には仕事で優秀な人というのは、真面目によく働き頭の回転も早そうですが、プログラマーに限ってはそうではなく、むしろ優秀なプログラマーほど怠惰で愚かでなければならないというのがLenssen氏の主張です。自分としては「愚か」の方は賛成できかねるのですが、「怠け者」という方は、実は自分が思う "いい" プログラマーの条件とも合致します。もちろん、ここで言う「怠け者」も本当の意味の怠け者というか仕事をサボったりするという意味ではなく、「怠けるためにだったら全力で努力できる」、そんな資質を持っている人がプログラマーに向いていると思うのです。「怠けるために努力する」というのは極めて矛盾を抱えた表現ですが、つまりは「将来の自分が楽になるための努力を今できる」という意味なのです。

 たとえば、プログラマーの格言で「バグ(不具合)を出さない最大のコツはプログラムを書かないこと」という言い方がされます。また禅問答のような表現が出てきましたが、プログラマーなのに「プログラムを書かない」という矛盾は、誰かが書いたプログラムとか昔自分が書いたプログラムを使いまわして(再利用して)、新しいプログラムをできるだけ作らないという意味です。たくさん文章を書くと誤字脱字や論理的な矛盾が入り込んでしまうように、たくさんプログラムを書くと「バグ」と呼ばれる間違いが紛れ込んでしまいます。このバグを見つけて修正する(デバッグと言います)のは極めて大変で、そのプログラムを色んな条件で動かしてテストしたり優秀な同僚にチェック(「レビュー」と言います)してもらったりするのですが、なかなかバグを根絶することはできません。十分テストしてもう大丈夫と思ったプログラムがユーザー環境で動かした途端バグが見つかるという経験は、プログラマーなら誰しも経験しています。出来上がったプログラムを使われれば使われる程バグが見つかり、その度に修正(「バグフィックス」と言います)していくのですが、一度世に出したプログラムの面倒を見る仕事というのは、プログラマーにとって極めて大変で後ろ向きな仕事なのです。しかし、地道なバグフィックスを重ねていくと、やがては新しいバグが見つからなくなる時がきます。このことをプログラムが「枯れる」という言い方をします。「枯れる」というと何だがネガティブな表現のような気がしますが、そうではなく、もうバグはない(だろう)と言える状態のことで、プログラマーが後ろ向きの仕事から解放されるメデタい瞬間です。

 つまり、「枯れたプログラム」にはもうバグがないので、枯れたプログラムばかりを集めて作られたプログラムは、極めてバグが出にくい(=品質の高い)プログラムになるのです。これが「バグ(不具合)を出さない最大のコツはプログラムを書かないこと」の真意で、枯れたプログラムをできるだけ再利用することで高品質なプログラムになるということなのです。そして、高品質なプログラムはユーザーにリリースした後もバグがほとんど出ないので、世に出したプログラムの面倒をいつまでも見る必要がなくなり、プログラマーとしては極めて「楽ができる」ということです。この「楽」をするために、日頃から誰かが苦労して枯らしたプログラムを集めたり、自分が枯らしたプログラムを再利用しやすい(使いまわしやすい)形に保守しておく、もっと言えば新しいプログラムを書くときには別のプロジェクトに再利用しやすいような作り方を最初からしておく。そういう「将来の自分が再利用するための枯れたプログラムをたくさん持っていること」、そのための努力を惜しみなくできること、これが優れたプログラマーの条件だと思うのです。


2017年11月23日木曜日

Twitterの「#クソ物件オブザイヤー2017」が酷すぎ

嘘だろ。Twitterの「#クソ物件オブザイヤー2017」が酷すぎる - まぐまぐニュース!:

 今回は軽めのネタですが、まぐまぐニュースのこのネタ。普通ではありえない酷い賃貸物件ばかりをツイートして競い合うハッシュタグ「#クソ物件オブザイヤー2017」に投稿された物件がどれもヤバいという話題です。

 まずは誤字脱字系。最初、この攻撃的で自虐的な表現は一体何を書きたかったんだろうと考えてしまいましたが、「広々」だったんですね。でも「2」は何だろ。ワープロ全盛ならではの誤字。自分も、このブログの中でワープロ打ち間違いは何度もやってしまっていますので、人のことを言えませんが。
次は罪のない間違い。この家がどん兵衛かっていうくらい出来立てホヤホヤ...なんてことはもちろんありません。
  誤字脱字系の最後はこちら。いわゆる事故物件なのでしょうが、これそのものには問題なさそう...と覆っていると、最後の備考が衝撃的。「前」と「全」の大きな違い。これもワープロならではですね。

 誤字脱字は部屋そのものに罪はないわけですが、次はいわゆる間取りが酷い物件。最初のこれは、何とも細長い。でも一番奥はトイレですよね、コレ。ある意味奥行きのある大きめのトイレといった感じでしょうか。
  次もトイレネタ。どの部屋からもトイレにアクセスできて便利...ってなるかなあ。他の部屋に行くときは必ずトイレを通って行くということですからね。
  酷い間取りの最後は、何だか意味がわかりません。なぜ、エレベーターを取り囲むような作りにしたのでしょう。洋室もLDKもひたすら狭く感じる気がするんですが。さしずめ、閉塞感いっぱいのデザイナーズマンションといったところでしょうか。

 最後の一つは、シャレなのか何なのか。十三は大阪にある「じゅうそう」と読む待ちなのですが、決してゴルゴサーティーンではありません、ゴルゴじゅうそうです。自宅を説明するのが恥ずかしくなる物件ですね。

2017年11月22日水曜日

幸せを感じやすい脳をつくるトレーニング

How to Build a Happier Brain - The Atlantic:

 今回はThe Atlanticに掲載されているJulie Beck氏の記事を元に、「幸せを感じやすい脳」について考えてみます。元記事では、Rick Hanson博士による著書「Hardwiring Happiness: The New Brain Science of Contentment, Calm, and Confidence」が紹介されていて、この本の中でHanson博士が展開する「幸せを感じやすい脳をつくるトレーニング」が秀逸です。そう、「トレーニング」なのです。先天的なものではなく、後天的なトレーニングで幸せを感じやすい脳を作ることができるというのです。

 直感的にも、同じ経験から幸せを感じるか不幸を感じるかは人によって違う気がします。どのくらいの幸せを感じるか、どのくらいの不幸を感じるかも、人によって違うことでしょう。少し前に「どうせ」と考えるよりも「どうせなら」と前向きに関わることでポジティブな循環が生まれるという記事を書きましたが、まさに「どうせなら」大きな幸せを数多く感じる人生を送りたいものです。そして、それは「トレーニング」によって可能だとHanson博士は主張されているのです。

 不幸よりも幸せを感じたい、どうせなら大きな幸せを感じたい。実はその時、私たちの前に立ちはだかる大きな壁があります。それは、心理学的に「ネガティブバイアス(Negativity bias)」と呼ばれるもので、私たちは幸せよりも不幸を、成功よりも失敗のことを強烈に記憶に刻み込みます。人がこの特徴を身につけたのは、進化の過程における生存競争を生き抜くためだと言われています。大昔、人は捕食者の脅威や自然災害に晒されてきました。そういった生命を脅かす存在から身を守るため、人は良い情報よりも悪い情報を記憶に刻み込んで「臆病」になったのだと。しかし現代社会では、このネガティブバイアスは厄介な名残りですよね。科学技術の目覚ましい進歩によって、生活は相当豊かになっているにも関わらず、相変わらずストレスや不安、孤独感を抱えるようになってしまっているのですから。

 Hanson博士が唱える「幸せを感じやすい脳をつくるトレーニング」は、このネガティブバイアスを跳ね返すための「Taking in the good」なのです。日本語にすれば「幸せを噛みしめる」とでもなりましょうか、ある経験を幸せだと感じたとき、意識的に「自分は幸せだ」と言い聞かせるのです。日常生活の中で出会うさまざまな良いことやポジティブな体験をしっかりと意識することで、脳に染みこませるという方法です。時間は10秒〜30秒と短くても構いません。

 脳科学の世界では、何度も繰り返し行われた思考パターンはニューロン(神経細胞)の繋がりが強化され(ニューロンの繋がりの構造を「シナプス」と言います)、少ししか行なわれない思考パターンはつながりが薄れていくと言われています。何度も同じ思考パターンを繰り返すことで、既存のシナプスが刺激されたり新しいシナプスが作られたりするのです。しかし、人は自然にしていると、ネガティブバイアスによって不幸が反芻され、脳に染み込んで行ってしまいます。それに抗うためには、意図的に幸せを反芻して噛みしめることで幸せを感じるシナプスを強化し、ちょっとしたことでも幸せを感じやすい脳をつくることができる、というのが博士の主張なのです。

 「幸せを噛みしめる」ということは「ポジティブシンキング」とは異なります。ポジティブシンキングは、事象をどう捉えるかということであって、時にはネガティブな情報から目を背けることを意味します。そうではなく、人が生きていく上でポジティブなこともネガティブなことも起こりますが、ポジティブなことをしっかり噛みしめて(反芻して)しっかり脳に刻みつけましょうということです。そうすることで、幸せを感じる脳の回路が強化されるということなのです。

 Hanson博士は、日々の生活の中で特に「良さを噛みしめる」べき要素として、「安心感」「満足感」「絆」の3つを挙げられています。安心感を噛みしめることで、たとえ目前の仕事や生活が困難であってもまっすぐに向き合えるようになります。満足感を噛みしめると、喪失・妨害・失望というようなネガティブな事象が起きても、絶望のどん底に落ちることはありません。絆を噛みしめると、誰かに拒絶されたり否定されたとしても、自分を見失うことはありません。

 幸せを感じやすい脳というのは、言い方を変えると不幸に対する耐性が高くなるということかもしれません。ちょっとやそっとじゃ絶望しない強い心。それは幸せを感じやすい脳を作ることで手に入れることができ、幸せを感じやすい脳はトレーニングによって獲得することができるということなのです。「どうせなら」幸せを感じやすい脳を作って、不幸耐性を強化し、幸せな人生を送ることができればいいなと思いますよね。

2017年11月21日火曜日

涙腺崩壊のAmazonプライムCM

(253) Amazonプライム新CM公開中 - YouTube:

 今回は8月6日から流れていたテレビCMの話題なので、今さらかよというツッコミが聞こえて来そうですが、AmazonプライムのCMの話題を(↓)。実は感動もののCMが多いAmazonプライム、赤ちゃんと先住犬であるゴールデン・レトリバーとの交流を描いたCMやポニーと調教師による物語のCMなど、これまでも涙腺崩壊という意見はよく聞かれました。


 そして、自分的にはタイミングを逃してしまっていた今回のCMなのですが、おばあちゃんと孫編とでも言いましょうか、おばあちゃんを想う孫が粋なプレゼントをAmazonプライムで買うというストーリーです。

 バイクに腰掛ける男性は、戸塚純貴氏という俳優さんです。自分としては、長男が幼かった頃一緒に見ていた仮面ライダーウィザードに、主人公の魔法使いに憧れる奈良瞬平役で出演されていた時の印象が強いのですが、あの頃のどこか頼りない印象の青年(失礼!役柄的なものですよね)が大人になったなあと変に感動したり。

 それはさておき、男性に「近くまで行くのなら、おばあちゃんのところに寄ってあげて。」というメールが届き、一路おばあちゃんのところへバイクを走らせます。突然の訪問なのでしょうが、笑顔で孫を迎えるおばあちゃん。男性は、きっと子供の頃にこの家に何度も遊びに来たのでしょう。思い出に浸る男性があたりを見回すと、今は亡きおじいちゃんの遺影、台所に1人分の茶碗しかないことで、おばあちゃんの現在の寂しさが見て取れます。ふと棚の上に目をやると、おばあちゃんの若かりし頃の写真が目に入ります。バイクの前で、若い頃のおじいちゃんと並んで、いかにも幸せそうな笑顔が溢れています。なんとも言えない感傷に居ても立っても居られなくなった男性は、スマホを取り出しおばあちゃんへのプレゼントを注文します。男性が注文したプレゼントとは? 実はそれはあくまでも本当のプレゼントのためのプロローグ。男性がおばあちゃんにしたかった本当のプレゼントとは? ハンカチを忘れずに動画をご覧になって、答えをご確認ください。

 実は自分にも、おばあちゃんがいます。このCMのおばあちゃんよりもずっと年上、脳梗塞を患ってから何年も寝たきりの状態が続いていて、目を開けて少し手を動かせるものの言葉をしゃべることもできません。おじいちゃんが既に亡くなっているのはこのCMと同じ状況ですが、おばあちゃん孝行をもっとしたかったなぁとなんとも言えない後悔が自分の胸を包みます。

 自分たち家族が住む街からおばあちゃんのホームまで電車を乗り継いで5時間という距離もあって、お盆と正月・ゴールデンウィークなどにしか顔を見せにも行けていない現状です。それでもこの前、たまたま出張で近くに行った時に顔を出すと、普段はすぐに眠ってしまうところをじっと目を見開いて自分の顔を見てくれていました。言葉は一方的に自分が喋りかけるだけですが、じっと見開いた目から、自分のことを分かってくれていているんだなあと感じることができました。

 自分が子供の頃はまだ共働きが珍しかったのですが、両親は共にフルタイムの仕事をしていました。おばあちゃんは月曜の早朝に電車に1時間揺られて自分の家にやって来て、金曜の夜に家に帰っていくという生活をしてくれていました。金曜の夜は自分が泣くので隠れて帰ったというエピソードは、大人になってから何度も聞かされました。自分にとっての育ての親は、おばあちゃんだったんです。保育園に送り迎えしてくれたのもおばあちゃんですし、授業参観に来てくれたのもおばあちゃんでした。友達のお母さんたちに混じって、授業参観に来てくれるおばあちゃん。自分のところだけお母さんじゃなくおばあちゃんなのが、当時はなんだか恥ずかしい気がしていましたが、今思うと、幼い頃の自分にいつも寄り添ってくれていたのは父や母以上におばあちゃんだったことに、いくら感謝しても感謝しきれません。

 自分たちも夫婦共働きをしていて(今は珍しくもなくなりましたが)、二人の子供たちはオクさんのお義母さんにかなりお世話になっています。毎日のように保育園や児童クラブに向けに行っては夕食を食べさせてくれ、オクさんが仕事から帰ってから迎えに行くまで、ずっとお義母さんの家で過ごさせて頂いています。時は巡るというか、自分がおばあちゃんから注いでもらった愛情を、今は自分の子供たちが受けているんだなあと思うと、なんだかそれも切なかったり。実の母の方も、妹の子供の世話を全面的にサポートしているので、おばあちゃんが孫の面倒を見てくれるループは、次の世代にバトンタッチされています。

 おばあちゃんと孫という関係性、母と子というのともちょっと違う、ある意味大きな無償の愛で丸ごと包んでくれる愛かもしれません。そんな自分の過去と現在にもリンクして、思わず涙がこぼれる、そんな切ないCMです。

2017年11月19日日曜日

全自動農業という希望

農夫のいない農場 | VICE JAPAN:

 今回はClaire Downs氏の記事を元に、イマドキの農業はこんな風になっているんだという話題を。元記事で紹介されているのが、土地を耕すところから、農作物が育てて収穫するまでを管理する、世界初の完全オートメーション農業「ハンズフリー・ヘクタール(Hands Free Hectare)」です。完全オートメーションと言うだけあって、トラクターやコンバインといった農業機械だけでなく、カメラやレーザー・GPSにドローンといったハイテクが駆使されています。

 ハンズフリー・ヘクタールは、2016年10月、政府の資金提供20万ポンド(約3000万円)を受けたハーパー・アダムス大学のチームによって行われているプロジェクトで、英国シュロップシャーの農園では今年の秋見事に収穫の時を迎えたのだそうです。収穫されたのは大麦4.9トン。プロジェクトリーダーのKit Franklin氏によれば「ヘクタール単価が史上最高額の大麦畑」だそうですが、もちろん最終的には規模の原理による低コスト化を目指します。



 実は今、全自動農業を進める企業や団体は多いのだそうで、今年9月には、トラクター・メーカーであるJohn Deereが自動雑草除去マシン実用化のために、AI企業のBlue River Technologyを買収したり、京都のロボット・レタス工場 スプレッドは、日量3万株のレタスを生産しています。スタートアップ企業のDescartes Labsは、衛星画像の分析データを利用して、作物生産高の予測を行なっています。

 日本もそうですが、先進諸国では農業や漁業・林業などの一次産業は、高齢化による人手不足が深刻です。そんなピンチの救世主は、やはりロボットやIoT・AIなどの先端テクノロジーでしょう。Franklin氏は「(テクノロジーは)人の仕事を奪うのではない。人の仕事を変えるのだ」と述べておられます。農業分野における人間の仕事は、これまでの自ら手を動かし体を動かすことから、トラクターマネジャーとか農業アナリストとしてロボットを管理したり作物の成長を管理する、そんな仕事に変わってくのかもしれません。

 やはり、一次産業・二次産業というのは、基本的に身体を動かす仕事です。いわゆる肉体的な「労働(Labour)」については、テクノロジーによる置き換えが歓迎される傾向にあります。人間にはそのLabourを管理する仕事(Work)が残されており、肉体的に負担の大きいLabourはテクノロジーが担い、代わって人間は負担の少ないWorkへ移行するというのは、歴史的に人間がテクノロジーを開発してきた大きな動機です。一方で人間はまだ、Workの次に移行すべき仕事をはっきり見出せていませんので、テクノロジーがWorkをも取って代わろうとすると、人間側から大きな反発が生まれてしまうのです。

 人々の歓迎を受けて発展することができるテクノロジー、それが農業はじめとする一次産業や工場作業のような二次産業のアプリケーションで、そこでは人間は安心してテクノロジーの発展を受け入れられます。工場作業の中にはほとんど完全オートメーションという分野もありますが、農業・漁業・林業も完全オートメーションという時代が、すぐそこまで来ているのかもしれませんね。

2017年11月17日金曜日

愛犬のために1ついかが? 吠えて開けるドア

Pi-Rex – Bark Activated Door Opening System with Raspberry Pi:

 皆さんは、Rasberry Pi(ラズベリーパイ)という小型コンピュータをご存知でしょうか。こんな感じ(↓)のマザーボードむき出しのコンピュータで、4千円台から手に入ります(ケースをつけても8千円台くらい)ので、個人でもIoT(Internet of Things)を楽しむことができます。

 自分もちょっと触ってみたことがあるのですが、Debian系LinuxのRaspbianというOSをインストールして、普通のパソコン用のキーボードやディスプレイをつないで使うことができました。I/O端子も備わっているので、単純なところだとコンピュータ制御で出力信号を出してLEDランプを付けたり、センサーからの入力信号を取り込んだりすることができるのです。制御プログラムもPythonで書けますので、個人で手を出すIoTデバイスにうってつけなばかりか、企業の試作品にも十分に使えるレベルなのです。

 世の中には、そんなRasberry Piを使って面白いIoTシステムを作っている人たちがいます。今回ご紹介するのは、Daveh氏が作られた、犬が吠える声でドアを開けることができるようにしたシステムです。猫を飼っている人の中には、愛猫が自由に部屋に出入りすることができるよう専用の小さいドアを取り付ける人もいますが、大抵はヒンジのバネで押して開けるだけの単純な仕組みです。ところが元記事で紹介されているドアシステムは、犬が吠える声で自動的に開くドアという面白いシステムです(↓)。


 仕組みとしては、吠える声を検出するためのオーディオセンサーをRasberry Piの入力に、モータードライバーを出力にします。プログラム的には簡単で、一定以上のノイズを検出した時にモーターを駆動してロックを外します。ドアは天井を介して重りで引っ張るようにしておき、ドアはロックが外れさえすればそのまま引っ張られて開くことになります。犬の鳴き声を検出してモーターでロックを外し、重りでドアが引っ張られて開くというのが一連の仕組みというわけです。


 制御用のプログラムも公開されています(↓)。これを見ると、単純にオーディオセンサーからのパルス信号をRasberry Piに取り込み、一定の時間内にしきい値以上のパルス入力があった場合にロック解除を駆動するという単純なコードになっています。

import sys
import wiringpi2
from time import sleep
gpio = wiringpi2.GPIO(wiringpi2.GPIO.WPI_MODE_GPIO)
enable_1 = 27
enable_2 = 17
enable_3 = 18

gpio.pinMode(enable_1,gpio.INPUT)
gpio.pinMode(enable_2,gpio.OUTPUT)
gpio.pinMode(enable_3,gpio.OUTPUT)
gpio.pullUpDnControl(enable_1,1)
gpio.pinMode(enable_2,1)
gpio.pinMode(enable_3,1)

gpio.digitalWrite(enable_2,gpio.HIGH)
gpio.digitalWrite(enable_3,gpio.LOW)
sleep (0.1)
gpio.digitalWrite(enable_2,gpio.HIGH)
gpio.digitalWrite(enable_3,gpio.HIGH)

samples = [0 for i in xrange(50)]

j=0
ons = 0;

while (1):
        sample = gpio.digitalRead(enable_1)
        samples[j] = sample
        ons = 0;
        for i in xrange(50):
                if (samples[i] >0):
                        ons = ons +1;
        j = j + 1
        if (j>49):
                j=0
                print ons
        if ons >25:
                print ons
                gpio.digitalWrite(enable_2,gpio.LOW)
                gpio.digitalWrite(enable_3,gpio.HIGH)
                sleep (0.1)
                gpio.digitalWrite(enable_2,gpio.HIGH)
                gpio.digitalWrite(enable_3,gpio.HIGH)
                sleep (2)
                gpio.digitalWrite(enable_2,gpio.HIGH)
                gpio.digitalWrite(enable_3,gpio.LOW)
                sleep (0.1)
                gpio.digitalWrite(enable_2,gpio.HIGH)
                gpio.digitalWrite(enable_3,gpio.HIGH)
                for i in xrange(50):
                        samples[i] = 0;
                sleep (0.01)
 
 ハイテクで万能に思えるこのドアシステムですが、唯一にして最大(!)の弱点は、犬がドアを開けるときは吠えるだけでいいのですが、一度開けたドアは誰かが閉めてあげないといけないことです。閉める方は犬が自分でドアを押せば良さそうに思えますが、ドアは開く方向に常に重りで引っ張られていますので、"開けるは易いが示すは難し" かもしれませんね。それって製品だったら破綻してるんじゃ...なんて野暮なことは言わないように(笑)。IoTの発展のために、個人レベルのDIY(Do It Yourself)が盛り上がることがとても重要なのですから!

2017年11月15日水曜日

天才は孤独だが、本当は友人が必要

IQが低い=友達が多い  | VICE JAPAN:

 今回はDiana Tourjée氏の記事を元に、天才とは孤独なものだと言うお話です。それは孤独を余儀なくされるといった種のものではなく、むしろ自ら孤独を好むというお話です。

 英国の進化心理学者Satoshi Kanazawa氏とNorman Li氏が2016年に発表した研究結果によれば、多くの人々の幸福は、人口密度の減少と反比例して増加し、極めて知能が高い人は、友人と一緒にいないときのほうがむしろ幸福だというのです。確かに、いわゆる頭のいい人というのは、「孤高の天才」とか「近寄りがたい雰囲気」といった言葉が似合うように、友人たちとつるんでいるよりも一人で思考を巡らせている姿が似合うように思います。お二方の研究によれば、「より高度な知能をもつ人間は、友人との社会的交流が頻繁になるほど、生活満足度が低くなる」そうなのです。もちろん、IQが高い人の中にも社交的で友人が多い人もいるでしょうし、IQが低い人の中にもコミュ障のような人もいるでしょう。しかし、大きな傾向として概ねIQが高い人は孤独を好むという傾向があるのです。

 では、天才が友人と一緒の時間をあまり求めないのは、どうしてでしょう。元記事の中でTourjée氏は、周囲に足を引っ張られることがあるからだと述べておられます。いわゆる天才と呼ばれるような人々は、全体の中のほんの一握りです。例えば、高知能の人ばかりが集まるMENSAに入会するのは世界の中でほんの2%しかいなく、天才が自分と同じように情報を処理できる友人を探すのは極めて困難なのです。つまり天才の友人は多くは凡人で、凡人と一緒に何かをして足を引っ張られるくらいなら、自分一人で作業する方がずっとマシだと思っているのです。

 しかし、米国コーネル大学で人間発達学の教鞭を執るDr. Robert Sternbergによれば、知能の高い人々こそ友人が必要なのです。天才たちの行動は、彼らが天才であるがゆえに他の人がついて来られない可能性があります。天才は凡人に説明するのが下手で、結果的に多くの人を巻き込んで何かを成し遂げるということができない場合が多いのです。つまり、アカデミックな分野における知能の高さは、社会的な成功のための要因のあくまでも1要素であって、他に必要とされる社会的・感情的・常識的な能力などと全く関係がないのです。

 皮肉なことですが、他人とのかかわりを極力避けたい天才こそ、成功するためには他人との交流が必要なのです。天才がその天才ぶりを社会的な成功として結実するのが難しいのは、彼らが凡人たちとつるむのが難しいからかもしれません。

2017年11月14日火曜日

ノマドワーカーにぴったりの「TRENE(トレネ)」

一人での外出をもっと快適に!荷物を見守る小さなパートナー「TRENE(トレネ)」 | クラウドファンディング - Makuake(マクアケ):

 今回はネットで見つけた「これ欲しい!」という商品のご紹介。その名も「TRENE(トレネ)」(↓)。


外出時にスマホを持っていく人は多いと思いますが、自分の場合はスマホとノートパソコンの両方を持って行きます。例えばカフェなんかでパソコンを開いて作業をしている時に、電話が掛かってきてしまってパソコンを置いたままお店の廊下へ。あるいは、新幹線でパソコンを開いて作業していた時にそのままトイレへ、なんていうちょっと大切な荷物から離れるそんな時。置きっ放しの荷物が盗まれないよう見守ってくれるのです。

 ありそうでなかったこの商品、キングジムの渡部純平氏によって開発されたもので、クラウドファンディングサイトMakuakeでプロジェクト開始当日に目標金額を達成してしまったのだそうです。

 TRENEは、加速度センサとブザーとLEDのシンプルな構成で、使い方もとても簡単。事前にTRENEを自分のスマホとBluetoothで連携させておき、ちょっと席を離れるという時にパソコンや鞄など大切なものの上に置いておくのです。持ち主がスマホを持って席を離れると、TRENEは警戒モードに移行、TRENEが置かれた荷物が何者かによって動かされると、加速度センサーが感知してアラーム音とLEDの光で周りの人に知らせてくれるのです。スマホを持った持ち主が席に戻ってくると、警戒モードは解除され、TRENEと荷物を動かしても警報音や光が出ることはありません。LEDで、通常時は緑、警戒モード時はオレンジ、そして警報時は赤と言うように現在のモードが分かりますので、席を離れる時はちらっと後方を見やってオレンジになっていることを確認すれば良いと言うわけですね。

 事前にスマホのアプリで、警戒モードに移行する距離(最大10m)やセンサーの感度(3段階)、アラーム音の大きさ(3段階)などを設定しておくことができます(↓)。TRENE本体は2時間の充電で20時間の連続駆動ができるので、丸一日分は十分持ちそうです。


 販売予定価格は6,800円(税抜)。Makuakeでは、正式な発売日は2018年2月下旬頃の予定だそうです。席をはずす時にちょっとオシャレに荷物を見守ってくれるTRENE。例えばノマドワーカーの人が、コワーキングスペースを利用する時とかカフェで仕事をする時なんかに重宝しそうですね。自分はノマドワーカーではありませんが、外出時にノートパソコンを開くことも結構あるので、かなーり惹かれてしまいます!

2017年11月12日日曜日

チームで成果を出すコツは「デキる人を活かし切る」こと

「ウチは仕事の出来る人ほど、残業する」と語った経営者がいた。 | Books&Apps:

 今回は、働き方改革が叫ばれている2017年にはちょっと風当たりが強いかもしれない、安達裕哉氏の記事を元に、組織としての生産性を上げる方法について考えてみようと思います。念のため言っておくと、安達氏の元記事は2014年に書かれたもので、電通の女性新入社員の過労死から社会問題にまで発展した「働き方改革」が叫ばれる前に書かれた記事です。

 元記事で言われているのは、残業時間と仕事ができるかどうかには何らかの関係性があります。ただその関係性をどう判断するかは全く正反対の2つの考え方があって、1つ目は、残業をたくさんする人は定時内に仕事を終えられない無能な人だとする考え方です。それと正反対な2つ目は、残業をたくさんする人はそれだけ仕事熱心な人だという考え方です。直感的には、どちらかと言うとブルーカラーや単純作業の場合に、前者の考え方が当てはまりやすいような気がします。作業ベースの場合なら、だらだらと仕事をする人はテキパキとこなす人より時間ばかりかかる。それに対して、ホワイトカラーや頭脳系の仕事あるいはアーティスト系は後者の例も多いかもしれません。自分が関わっているソフトウェア開発も、ノッている時に定時だから続きはまた明日とやってしまうと、勢いが失われたりして仕事のデキが悪くなる場合があります。

 しかし、安達氏が出会った経営者の方の考え方はこのどちらとも違って、生産性の高い人物にしか残業をやらせないと言う考え方だと言うのです。仕事がデキない人にはとっとと定時に帰ってもらって、仕事がデキる人には残業してもらう。残業は許可制で、残業できることは仕事ができる人だと認められていると言う意味で、社内におけるステータスだと。

 この経営者の言葉を読ませて頂いて、自分はある人から聞いた、チームで成果を出すためのマネジメントの話を思い出しました。そのある人というのは、実は自分の父親なのです。父は、今では自分で事業をやっていますが、若い時は外資系の銀行に勤めていました。まだ高校生か大学生くらいだった自分に父が語ってくれたのは、急いで片付ける必要がある重要な仕事が発生した時、その仕事を暇な人と忙しい人のどちらに振るべきかという話でした。もちろんわざわざこんな質問をしてくるんですから、暇な人ではなく忙しい人に振るべきだという答えなのですが、暇な人というのは基本的には仕事のデキない人で、暇にしているということは新たな仕事が振られても頭の切り替えにまず時間がかかる。それに対して忙しい人というのは、仕事がデキる人で、かつ現在忙しくしていると言うことはノッテいる状態。暇な人に仕事を振っても、エンジンがかかるのが遅いばかりかアウトプットのレベルも低い。それに対して忙しい人は、エンジン全開状態なので新たな仕事も右から左にやっつけることができ、かつ出来栄えも素晴らしい。「急ぎ」で「重要」という仕事をどちらに振るべきかは、自ずとわかるはずだと言うのです。

 当時の父の仕事と自分の仕事は分野も中身も違いますが、自分も仕事を人に振る時は、その仕事が重要なものであればデキる人に振るようにしています。以前に少し大きめの開発をやっていた時、自分のチームはプログラマー6人で進めていたのですが、重要な機能は自分が密かに「飛車・角」と呼んでいたエース2人に実装させ、他の人にはテストコードを書いてもらうというやり方を取りました。もちろんテストコードを書く4人には、自分がいかにテストを重視しているかを説明して納得させた上で、エースの2人にはプロジェクト成功のカギにあなた方2人を活かし切ることだと考えていると言いました。あえて言うなら、キモとなる仕事は全てエースに振り、その周囲にある雑用的な仕事を4人に振ることで、エースの力を限界まで引き出すというやり方。結果は、他のチームが軒並み不具合を連発するのに対して、自分のチームは良い成果を出すことができました。

 その時、頭脳系の仕事の場合にチームで成果を出すコツはやはり、「仕事の振り方に濃淡をつけること」だと痛感しました。単純作業ベースの仕事なら、平等に仕事を振らないとメンバーの不平不満の原因になりますが、クリエイティブ系の仕事は「デキる人を活かし切ること」。これだと思います。

2017年11月11日土曜日

「ネ申エクセル」と「Excel方眼紙」をめぐる議論

“ネ申エクセル”をめぐって徹底討論! 「Excel方眼紙公開討論会」開催:レポート|gihyo.jp … 技術評論社:

 皆さんは「ネ申エクセル」という言葉をご存知ですか。エクセルといえばMicrosoft社の表計算ソフトExcelのことだし、それが「神」というくらいだからExcelの素晴らしさを讃えたものかと思えば、さにあらず。よーくみると「神」ではなく「ネ申」。見た目はよく似ていますが、文字としてはカタカナの「ネ」と漢字の「申」をそれぞれ偏(へん)と旁(つくり)として使っていて、これを読むのが人であれば「神」と読めるもののコンピュータに読ませると「ネ」と「申」になってしまいます。このように、人が入力したデータを人が読んだり印刷したりする場合はまだしも、コンピュータで再利用できない(もしくは再利用が難しい)ケースが「ネ申エクセル」と揶揄されるのだそうです。

 「ネ申エクセル」をいとも簡単に作り出してしまうのが、「Excel方眼紙」と呼ばれる入力用シートです。最もひどい例がこんな(↓)やつで、何がひどいかと言うと、1セルに1文字しか入れない前提なので、もはやコンピュータどころか人がキーボードを使って入力するのさえ困難です。こういうタイプのExcel方眼紙を作る人は、これを入力する人のことさえ考えられないのかも知れません。

一方で、Excel方眼紙の何が悪いんだという立場の人もいます。元記事の討論イベントにも登壇されているプログラマの長岡慶一氏は、Excel方眼紙を不便と思ったことがないと述べられています。どちらかというとExcelシートからデータを抜き出して再利用しようというプログラマの方の言ですから、Excel方眼紙もいいものなのではないでしょうか。

 しかしよく考えると、Excel方眼紙の反対派の方と賛成派(というか容認派)の方が思い描いている「Excel 方眼紙」は実は微妙に異なっているのです。Excel方眼紙なんか百害あって一利なし言う方が思い描いているのは、方眼紙というよりも作文を書くときの原稿用紙をイメージしているような気がします。最もひどい例として先に出したこんな(↑)やつは、英語入力ならまだしもフレーズ単位で入力する日本語ワープロだと、書いたフレーズを1文字ずつに分解して1つ1つのセルに入れなければなりません。これはとても効率が悪く、下手したら手書きよりも時間がかかります。こんな1セル1文字のExcelから値を読み出してデータベースに入れるようなプログラムを作ろうとすれば、できないことはないけどとても大変ということになります。

 一方で長岡氏のようなExcel方眼紙容認派の方が思い描くのは、こんな感じ(↓)の方眼紙ではないでしょうか。どちらかというと複数のセルを1つに結合して大きめのセルを作り、そこに入力させようとするタイプです。実は、これならワープロ入力もそれほど大変じゃないですし(タブやエンターキーで次の入力用セルに移動できるようにする等の親切機能には多少の工夫が要りますが)、データの再利用性も高いです。1つのセルに1つのデータが理想とすれば、複数セルを結合したセル1つに1つのデータですから、それほど利便性が下がっていません。


 ちなみに、自分が最近出会ったExcel方眼紙は、1つのセルの中に「名前:   」となっていて、このコロンの後に名前を書いてくださいという意味なのですが、こういうのも使いづらいExcel方眼紙の一つです。入力するときはわざわざコロンの後までカーソルを移動する必要がありますし(間違って「名前:」を消してしまうこともある)、書く前にコロンの後の余計なスペースも消さないといけません。データを再利用するプログラム側からすれば、セルの値からコロンの右側だけを取り出さなければならないのです。

 つまり、「Excel方眼紙」そのものが悪いのではなく、入力する人やデータを再利用する人に対する思いやりが感じられるExcel方眼紙はむしろ歓迎してもいいくらいで、そういう思いやりを一切感じられない「ネ申エクセル」をも作り出せてしまうことがExcel方眼紙の罪なところということだと思うんです。VB(Visual Basic)の入力フォームだったら誰が作ってもだいたい一定のレベルのものができますが、Excelの場合は入力フォームの使いやすさ(使いづらさ)はピンキリになってしまいます。

 「ネ申エクセル」は帳票などの紙の仕事が中心という職場で生まれやすいと思うのですが、「ネ申エクセル」を作り出す人というのは、何もわざと入力者を困らせてやろうとか、この入力データを集計するプログラムを作る人を困らせてやろうと思っているわけではないと思うんです。「ネ申エクセル」の生みの親は、そもそもExcelのことをよく知らないという人です。知識がないために、紙ベースの申請書や原稿用紙をそのままExcelで作ろうとして、頭の中は印刷された結果がこれまでの紙と同じかどうかしか考えていないので、入力する人の手間や集計する人の苦労まで思いが届かないのです。

 あなたの周りで「ネ申エクセル」を次々と生み出す厄介な人がいる場合、その人を非難する前に、Excelのセミナーや講習会などで知識を獲得させてあげる必要があると思うんです。

2017年11月10日金曜日

「どうせ」と 「どうせなら」の小さくて大きな違い

『トム・ソーヤーの冒険』から学ぶ仕事の楽しみ方 「どうせなら」の発想で職業は生まれ変わる | JBpress(日本ビジネスプレス):

 今回は生産性至上主義のマイナス面を考えた前回と同じ篠原信氏の記事を元に、仕事というのは捉え方次第・取り組み方次第という話題。昔から言われていることではありますが、人から言われてする仕事は楽しくないが、自分から進んで取り組む仕事は楽しい、ということです。

 自分も経験がありますが、人からやれと言われて受け身でやる羽目になった仕事というのは、意欲がちっとも湧かず、できるだけ手を抜いてやろうとしがちです。結果的に、その仕事の成果は及第点ではあるものの、ギリギリ及第点といったレベル。嫌そうにやっている作業を見ても誰も助けてくれず、どんどん悪循環。それに対して、自分からやってみたいと取り組んでいる仕事は、どうやったらうまくやれるだろうかと工夫し、工夫することがさらに楽しさを生む好循環が生まれます。そうやって楽しく意欲的に取り組んだ仕事の成果は期待以上のものが生まれ、そうするとますますその仕事が楽しくなる。楽しそうに夢中に作業している姿を見た人も感化され、「なんだか楽しそうな仕事だな」とその仕事が輝き出します。

 目の前の仕事がイヤな仕事だったとしても、「『どうせ』やらなきゃならない」と後ろ向きに取り組むのではなく、「『どうせなら』楽しんでしまおう」と考え方を変えてみましょうということです。仕事を「楽しむ」ということはその仕事にのめり込むということでもありますから、自然とその仕事に「心がこもる」ようになります。心がこもった仕事は、周囲を感化して巻き込みます。面白そな仕事を自分もやってみたいと、周りに人が集まってくるのです。

 篠原氏は「トムソーヤの冒険」に出てくるお話で、この「どうせなら」の精神を表現されています。遊びに出かけようとするトムは、伯母さんに壁のペンキ塗りを言いつけられます。「え~っ。今遊びに行こうと思ったのに!」とペンキ塗りをイヤな仕事と思ったトムですが、ここで「どうせ」から「どうせなら」に考え方を変えて、楽しそうにペンキを塗り始めたのです。通りかかった友人は、最初は「なんだ、家の手伝いをさせられているのか」とからかいますが、トムのあまりにのめり込む様子にやがて「なあ、俺にもちょっとやらせてくれないか」と頼んできます。「え~っ、やだよ」ともったいつけるトムに対し、ついに友人は「このリンゴをあげるから!」。

 「どうせ」その仕事をやるなら、「どうせなら」の発想で楽しんでしまう。それはちょっとした心の持ちようだけに思えますが、あなたの周りに革命的な変化をもたらすかもしれません。「職業に貴賎なし」と言いますが、それでも陽の当たらない仕事や下に見られがちな仕事というのも現実にはあるでしょう。そういった仕事を「どうせ」やるんだったら、「どうせなら」のめり込んで色々な工夫を凝らし楽しんでしまおう。何を青臭いことをと思われるかもしれませんが、心の持ちよう一つで人生が変わるなら青臭さもいいじゃないかと思うのです。

2017年11月6日月曜日

生産性至上主義が負のスパイラルを生む

生産性至上主義が日本をここまで消耗させた さまざまな矛盾を抱えた人間のための「人間工学社会」を | JBpress(日本ビジネスプレス):

 今回は篠原信氏の記事を元に、意外に的を射ているかもと思える「人間社会の天の邪鬼ぶり」について考えてみたいと思います。その天の邪鬼ぶりというのは、現代の日本も陥っている「生産性至上主義」が、逆に失業者の増加や、売り上げ低下、長時間労働、さらには収入減という負のスパイラルを生んでいるという考え方のことで、社会の仕組みのことを実にわかりやすく説明してくれています。

 現代社会は、多くの産業で「労働生産性」を上げようと必死です。農家は1人が耕す耕地面積を大きくしようとしますし、漁師も少ない人数で多くの魚を獲ろうとします。一次産業だけでなく、二次産業・三次産業でも工場の生産性向上は、インダストリー4.0はじめ様々なテクノロジーの対象ですし、サービス業も少ない人数でお店を切り盛りできるためえの工夫がいっぱいです。それでも、欧米企業に比べてまだまだ日本企業は生産性が低く、それが電通の問題のような長時間労働を引き起こしている...なんて議論もまことしやかに行なわれています。

 ごく単純には、「労働生産性」というのは「1人が稼ぐお金」のことで、例えばコンピュータやAIなどのツールで「1人こなす仕事の量」を増やせば、必然的に「1人が稼ぐお金」も増えるものだと考えられてきました。しかし、本当にそうでしょうか。ソロバンと鉛筆で仕事をしていた頃に比べ、コンピュータやIT技術を使いこなす現代の企業では1人がこなす仕事量は何倍にも増えています。しかし、稼ぐお金は本当に増えたでしょうか。もちろん、昭和30年代の初任給が1万円そこそこだったのに比べて、現代は20万円以上の初任給をもらえる企業もたくさんありますが、それは物価が上がっているから給料が上がっているだけで、相対的な裕福さは減退こそしないまでも、何倍もに増えた仕事量に見合うだけの裕福さを手に入れていないような気がします。

 この矛盾について、篠原氏は「欲望が飽和する」ことがその本質だと指摘されています。一次産業の例を考えるとわかりやすく、例えば日本で1年間に食べる食糧の量は限りがあります。限界以上に農産物を作ったとしても、食料が余ってしまい在庫が積み上がり、価格の下落を招きます。すると、せっかくトラクターを導入して機械化したり農薬や肥料で生産性を上げたとしても、農業全体の売り上げも減ってしまうのです。作れば作るだけ売れるわけではなく売れる量は一定なわけですから、生産性が上がってしまうと、農業という産業全体の生き残りを考えれば、農家の数を減らすしかありません。100人でちょうどいい量の米を生産していたのが、生産性が10倍になってしまうと、10人程度が農業に残って残り90人は別の産業へ移ってもらわないと、100人が共倒れ、その産業全体が成り立たなくなるのです。極端に言えば、生産性至上主義の社会はこれと同じことを全ての産業でやっているのと同じです。あぶれた90人は他の成長産業に移ればいいと思うかもしれませんが、なかなかそうは問屋が卸しません(農業一本でやってきたおじさんが、成長著しいデータサイエンティストに転身、なんて相当ハードルたかそうですよね)。成長産業もやはり1人当たりの売り上げを伸ばそうと追求しますので、またそこでもあぶれる労働力が出て、結果的には大量の失業者が生まれてしまうわけです。

 つまり、みんながみんな生産性を上げようと躍起になる社会は、
(1)1人当たりの労働時間と労働量が増えたが稼ぎは増えない。
(2)どの産業にも吸収されない失業者が増える。
(3)失業者や低賃金労働者が安い商品に飛び付く。
(4)売り上げの中心が低価格帯の商品となり、安売り競争が加速する。
(5)どの企業も安く商品を提供するようになり、デフレ経済になる。
という負のスパイラルに陥ってしまいます。これが篠原氏の言われる、「生産性至上主義」が負のスパイラルを生んでいるというロジックです。

 しかし、現実的に世界は「生産性至上主義」にひた走っています。この負のスパイラルはスピードを増しこそすれ、もはや引き返せないように思えます。ところが、我々は「生産性至上主義」の負のスパイラルを適度にバランスよく緩和できる方法を経験している、というのが篠原氏のご指摘です。それは「資本主義と、雇用を維持しようという社会主義的な行動のハイブリッド」だと言うのです。終戦直後のことですが、日本のすぐ近くには中国・北朝鮮・ソ連といった強力な共産主義国がひしめき、仕事に就けない帰還兵を失業者のままにしておくと、日本全体が共産主義化するのではないかという恐怖から、社会全体が雇用の安定に動いた時代がありました。無理矢理にでも仕事を作り出して、人々を安定した仕事に就かせたのです。

 人はお金持ちでなくても収入が安定すると、人は「プチ贅沢」をするようになります。つまりは失業者が少なくみんながプチ贅沢するようになると、需要が喚起されたり従来より高級な商品が売れるようになり、企業は売り上げ増加、個人は収入増につながっていく。つまり、上記の(1)〜(5)の反対の「正のスパイラル」に入ることになるのです。

 端的に言えば、「生産性至上主義」は、失業者が増え、売り上げが伸びず、労働時間が長くなるばかりで収入は減っていくデフレスパイラルに陥りやすい。逆に、「雇用安定至上主義」(このことを篠原氏は“資本主義と社会主義のハイブリッド”(社会民主主義)と定義されています)は、生活が安定し、消費が増え、仕事が増え、収入が増えるというインフレスパイラルになる。

 「生産性至上主義=悪」「雇用安定至上主義=善」のように書いてしまいましたが、もちろん雇用安定至上主義も行きすぎると悪になってしまいます。例えば、雇用を維持するプレッシャーが強い社会は、サボってもクビになりませんから、労働者が働かなくなって経済が停滞してしまう可能性があります。実際に、労働者が「働かずにカネをせしめる」ことによる経済的な停滞は、共産主義のソ連や、労働運動が強くなりすぎたイギリスの一時期に実際に起きました。

 つまりは、「生産性至上主義」と「雇用安定至上主義」のバランスが大切で、どちらかが強くなりすぎるとよくないということなのです。現代の日本社会は前者が少し強くなりすぎているので、もう少し雇用安定への舵を切る必要があるというわけです。「資本主義だが、雇用を維持しようとする」という微妙なさじ加減が、経済を活性化しながらも人々に幸福をもたらすことができる唯一の方法かもしれません。

2017年11月4日土曜日

クレイジーな黒髪強要教育にも背景があるはず

茶髪禁止には多分理由がある|世界のどこでも生きられる|May_Roma|cakes(ケイクス):

 大阪府羽曳野市の府立懐風館高校に通う3年生の女子生徒が、教師から髪を黒く染めるよう強要され、精神的苦痛を受けたとして約220万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こしたというニュースをご覧になった方も多いと思います。今回は、元国連専門機関職員で国際経験豊富な@May_Roma(めいろま)氏による記事を元に、この服装や髪型・身だしなみに異常に厳しい日本の教育現場を考えてみようと思います。

 報じられているところによれば、この女子生徒はアメリカ人の祖父を持つクォーターなので地毛が茶色く、校則の黒髪を守ろうと4日ごとに髪を染める努力はしたものの、頭皮はかぶれ髪はボロボロになってしまい、そうまでしても「まだまだ不十分」「アウトだ」と言われて修学旅行にも行かせてもらえなかったのだとか。案の定このニュースは「クレイジー・ジャパンの嘘のような本当の話」として全世界に配信されており、ジャパンに行くと「ちょんまげ」を強要されるらしいぜなんて言われていないか心配なところです。国内メディアの反応もだいたい同じですが、赤木智弘氏の記事などさらに辛辣です。テレビ画面に映る懐風館高校教頭は、髪型がちりちりの天パ気味で白髪混じり。茶色や金髪に染めるなと言うなら分かるが、地毛が茶色でも黒く染めろと生徒に強要するなら、まずは教頭が白髪を黒く染めストレートパーマを当てるべきだ、なんて批判をされています。

 最近企業では「ダイバーシティ」という言葉が流行っていて、簡単に言えば性別や人種の違いに限らず、年齢、性格、学歴、価値観などの多様性を受け入れて、広く人材を活用しましょうというキーワードです。この「多様性」を真っ向から否定するかのような今回の懐風館高校ですが、公立高校が地域と断絶して存在していたわけではないはずであり、地域からの要請というか期待のようなものがあって「黒髪強要」に至っているのではないかというのが@May_Roma氏の論調です。例えば、テレビ朝日のモーニングショーでコメンテーターの玉川徹氏(テレビ朝日解説委員)・中林美恵子氏(早稲田大学教授)のように、「論外」「多様性を無視した、完全にはき違えた教育」と切り捨てるのは簡単です。しかし、これは懐風館高校だけのクレイジーな教育だというわけではなく、他の学校や地域にも同じ「気運」というかそういう教育が生まれた背景があるはずです。

 生徒の髪の色をそこまで必死に黒くしようとする背景の一つには、やはり就職の問題があるのではないかと@May_Roma氏は予測されています。懐風館高校の偏差値はだいたい45くらい。底辺校とは言わないものの、進学校というには程遠く、卒業後は地元で就職する生徒や専門学校へ進学という生徒も多いことでしょう。そして、特殊技能がない高卒や専門卒の人の場合は、接客などのサービス業とか工場のラインなど製造業に就くことが多いのです。なかには、市役所などで地方公務員として働く人もいるかもしれません。接客業や工場のライン工などの人には、自己主張が常識的な範囲内であること、時間を守れること、若いお客様も年配の客様も怒らせないことが重要です。よく言えば「常識人」であること、悪く言えばステレオタイプな人物像が要求されるのです。むしろ超進学校から天才科学者になったり起業をするような人は、鳥の巣のような髪型をしていても刺青をしていても大丈夫なのです。「底辺校」を卒業した人が常識人であることが求められ、「進学校」を卒業した人が奇抜なファッションや髪型などの自己主張が許されるのです。そのことが本能的に分かっているのか、高校に通う生徒はその「逆」を実践しようとします。将来的に常識人になることが求められる底辺校の生徒こそ高校時代は奇抜なファッションをし、逆に将来的に自己主張ができる進学校の生徒こそ高校時代は大人しいファッションをしているのです。

 つまるところ、進学校でもなく特殊技能を教えるわけでもない懐風館高校のような学校は、ステレオタイプの常識人を多く輩出することが求められ、奇抜なファッションやとんがった自己主張をする人を輩出することは求められていないのです。@May_Roma氏の知り合いにはいわゆる底辺校に通っていた人もいるそうで、底辺校では授業中に立ち歩く生徒がいたり、制服に真っ白なハイヒールで登校してきたりドレッドヘアの頭で机の上に足をどんどん乗せる生徒もいるそうです。髪の毛は茶髪どころじゃなく完全な金髪で、どこの国の人だよってレベル。底辺校では親の方も、子供の生活態度にも就職も学業にも興味なんてありませんし、そもそも親子面談もすっぽかしして酒を飲んで寝てる親も多いのだとか。そんな状態だから、底辺校はまずは制服とか時間厳守とか髪型から統率しないと秩序が保てないのです。成績上位校の場合は校則を厳しくする必要はありませんよ。生徒も親も世間の目というものが分かっていますし、自分の行ったことの結果というのを理解していますから。

 もちろん、地毛が茶色の子どもにまで黒く毛染めを強制することは行き過ぎです。確かに行き過ぎなのですが、厳しい校則は人権侵害だと主張している人は、中流階級以上の方が多いようです。食べるに困らず、お上品で、同級生は投資銀行とか医者とか商社とかテレビ局とか、そういうゲットーに住んでて、そういう人たちだらけの学校出身。子供はお受験。身内や知り合いには、深夜に弁当の中身を詰めたりイラン人に混じって産廃の仕分けするような人はいません。俺の高校は校則なんかなかったと階層自慢のマウンティング合戦する人は、非正規雇用で時給1500円の毎月契約更新じゃないですし。

 生徒の自主性を重んじるとか、創造を育む場のような理想的な学校を思い浮かべることも大切ですが、それができるのはある一定以上のレベルの学校だけだというのもまた事実です。定時に出勤できない、服装規定が理解できない人を訓練して、社会でやっていけるようにする、食べていけるようにするということも、やはり教育に期待されていることなのです。

2017年11月1日水曜日

小池百合子氏の「排除」発言が大炎上したワケ

小池百合子「排除」発言。普通のことを言っただけなのに炎上したワケ(赤坂 真理) | 現代ビジネス | 講談社(1/3):

 今回は珍しく政治ネタ。と言っても、ちょっとありきたりの先の衆院選の話題なのですが、小池百合子氏の希望の党が大失速したワケを解説されている赤坂真理氏の記事を元に考えてみようと思います。

 今回の解散総選挙は、安倍首相としては自分が持つ(厳密には内閣が持つ)解散権という武器をフル活用して、準備の整わない野党を尻目に圧勝となる筋書きだったのでしょう。ところがここに、予想外かつ興味深いことが立て続けに起こりました。もちろんみなさんご存知、一つは小池百合子氏の「希望の党」でもう一つは希望の党からあぶれたリベラル派の受け皿となった「立憲民主党」です。相手の準備が整わないうちの「速攻」だった安倍自民に対し、グダグダの民主党はさておき小池氏の希望の党は速かった。先の東京都議会選における、やはり小池氏率いる都民ファーストの会の圧勝を受けて立ち上げた希望の党は、東京での小池旋風で一気に国政を掌握するかに見えました。タイミングを見計らって仕掛けた安倍自民は、返り討ちに会うかに見えたのです。

 しかし小池旋風という風向きは、小池氏自身の一言で一気に潮目が変わります。その一言は「排除」というキーワード。この言葉を受けたマスコミの「手のひらクルー」ぶりも凄かったですが、あまり政治に詳しくない自分ですらその瞬間を感じ取ることができる、興味深い潮目の変化でした。

 「排除」という一言に至る経緯を少しおさらいしておくと、まず公示前にすでに解散寸前だった民進党が、勢いのある希望の党への合流を望み、前原・小池両トップ間の合意で民進党を丸ごと希望の党が飲み込むかに報じられました。しかし、反安倍とは言え安倍氏と同じタカ派路線の小池氏は、民進党のリベラル派(言葉と体が合っておらず変な言葉ですが、護憲派で憲法第九条を守るという考えを持つ人々という程度の意味合い)とは実のところ「水と油」。したがって、民進党が希望の党に合流するのはいいが、リベラル派は受け入れられない、日米保障や憲法観といった思想的な根幹が異なる人々と運命を共にすることはできない、という小池氏の「排除」発言はある意味当然のことでもあるのです。

 つまり、小池百合子氏は自民党というしがらみ組織が大嫌いなだけで、思想の根幹部分や政策の路線としては、基本的には安倍首相と同じなのです。だから、小池氏は旧民進党の「全員を受け入れる気はさらさらない」のであり、希望の党として受け入れる人を選抜すると言ったのです。テレビ報道された映像では、勢いのある大船に乗った小池氏が沈みゆく民進党という小舟から助ける人を選ぶ傲慢さか、あるいは都知事選・都議会選と小池劇場の主役に酔って調子に乗ってしまった発言に見えてしまいますが、実は言っていること自体は至極もっともなことなのです。

 そして出てきた運命の一言「(リベラル派は)排除いたします」。この一言だけが切り取られて槍玉に挙げられ、それまでの小池フォローの強い風は一気にアゲンストに変わりました。メディアもここぞとばかりに総攻撃に転じました。小池氏の発言は言葉のチョイスこそ悪かったものの、安倍首相の森友・加計問題や山本幸三・元地方創生担当相の「一番のがんは文化学芸員」失言、務台俊介・元内閣府政務官の「長靴業界は儲かった」失言などに比べてずっと真っ当で、揚げ足を取られるようなことでもない発言だったにも関わらずです。

 つまるところ、我々日本人は「弱いものいじめが大嫌い」という国民性なのかもしれません。立場が圧倒的に強い強者に嫌悪感を感じ、強者に虐げられる弱者に自らを投影して応援するという性質。小池氏が都知事選に出馬した時の小池氏は、自民党という巨大な悪の組織にいじめられて飛び出し、その巨悪に対してたった一人で立ち向かうヒロインでした。国民・都民の弱者を応援する気運は一気に高まり、都知事選では圧倒的勝利、議会の黒幕との対決も鎧袖一触。都民ファーストの会で戦った都議会戦も大勝利。それらは全て、小池百合子氏のパワーが強いことが支持されたのではなく弱さが支持されたものと思います。もう少し言えば、内面的な「意志の強さ」を持ちつつも外面的な権力やパワーは弱い、これが圧倒的な支持を受けたのです。権力・パワーを持つ自民党に虐げられ、しかし不屈の精神で立ち上がった内面の強さ。そこに惹かれたのでしょう。

 しかし、弱者だったはずの小池氏が、今回の選挙では強者になってしまったのです。沈みゆく民進党という小舟から助けを求める難民に対して、小池氏は希望の党という大船上から突き返したという構図になってしまったのです。小池氏の立場の強さ・外面的なパワーの強さによって虐げられた難民、枝野幸男氏が立ち上げた立憲民主党代表に国民の支持が集まったのも、日本人が「弱いものいじめが大嫌い」ということを理解していればもっともなことですね。