2017年10月29日日曜日

目隠しされた16歳の少女は〜想像すると「怖い絵」5選〜

目隠しをされた16歳の少女は――想像すると「怖い絵」5選 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット):

 今回のテーマはこの山ちゃんウェブログでは初、「絵画」を取り上げてみようと思います。自分自身が芸術方面はからきしなので、絵や音楽といった感性的なテーマは敷居が高かったのですが、今回は「怖い絵」をテーマにした元記事が面白かったので、ここにご紹介したいと思います。その元記事とは、週刊朝日2017年9月22日号、作家・独文学者の中野京子へのインタビュー記事として書かれたものです。

(1)レディ・ジェーン・グレイの処刑(ポール・ドラローシュ 1833年)
 鮮烈な印象のこの1枚。純白のドレスに身を包み目隠しをされた少女が、自分の首を切り落とすための断頭台を手探りで探している姿が描かれています。ドレスの襟元が大きく開けられているのは、斬首しやすいように。この後、断頭台を探し当てた彼女がゆっくりと首を台にのせ、最期の祈りの言葉を唱え、そして処刑執行人が勢いよく斧を振り下ろす...そういった光景も想像できてしまう、なんとも恐ろしい絵です。
 描かれている少女は、「九日間の女王」と呼ばれたジェーン・グレイ。権力闘争と宗教対立という時代の荒波に翻弄され、イングランド史上初の女王に祭り上げられたものの、在位わずか9日間でメアリー1世により廃位され、その7か月後に大逆罪で斬首刑に処されました。メアリー1世と言えば、「ブラッディ・マリー」という異名が有名で、プロテスタントに対する過酷な迫害から「血まみれの」という形容がなされます。最近だと「ブラッディ・マリー」と言えばウォッカとトマト・ジュースのカクテルの方が有名かもしれませんが、その名の元になったメアリー1世が最初に処刑したのが、自分より先に「初の女王」を名乗ったレディ・ジェーン・グレイだったというわけです。


(2)殺人(ポール・セザンヌ 1867年頃)
 「近代絵画の父」と称されるポール・セザンヌの狂気の絵画「殺人」。暗雲立ち込める中、2人の男女が髪の長い女性を殺そうとしている場面が描かれています。この絵にまつわるストーリーはあまり知られていないようで、この殺人が金目当てなのか、怨恨や男女の諍いなのかも、Web上で探す限りはよくわかりませんでした。ただ、この絵の持つ生々しい狂気の力はひしひしと感じる気がします。


(3)クレオパトラの死(ゲルマン・フォン・ボーン 1841年)
 「絶世の美女」として知られた、エジプト女王クレオパトラ7世。フランスの哲学者ブレーズ・パスカルが、クレオパトラが美貌と色香でカエサルやアントニウスを翻弄したとして、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史が変わっていた」と評したこともよく知られています。
 彼女は、弟から王位を追われた後、ローマのシーザー(カエサル)を籠絡して愛人となり、王位を奪還。シーザーが暗殺されると、今度は次の権力者アントニウスと結婚しましたが、彼の失脚とともに命運尽きて自殺。その自殺のシーンを描いたこの絵は、よく見るとベッドの上にアスプコブラ(別名エジプトコブラ)が這っている様子が分かります。彼女は、このコブラの神経性の毒を使って自殺したと言われており、生きたまま敵の手に落ち見苦しい姿を晒すことを恐れ、美しいままの死を選んだのです。


(4)ワイルド『サロメ』より「踊り手の褒美」(オーブリー・ビアズリー 1894年)
 新約聖書に登場するサロメが持つのは、自分が愛した男、ヨカナーン(ヨハネ)の生首。義父ヘロデ・アンティパス王の前で見事な踊りを披露した褒美にと所望したのが、自分の愛を拒んだ男の命。
 その唇に口づけをしたいからと手に入れた生首からしたたる血、前髪をつかむサロメの顔…。倒錯した狂おしい恋情をは、耽美と言うべきか狂気と言うべきか。


(5)スザンナと長老たち(フランソワ=グザヴィエ・ファーブル 1791年)
 人払いをして庭で水浴する美しいスザンナ(ヘブライ語ではショシャーナ)を2人の好色な長老たちが密かに見つめていました。彼女が家へ戻ろうとした時、長老たちは彼女の前に立ちはだかり、「我々と関係しなければ、お前が庭で青年と密会していたと告発する」と言って脅迫した。そんなシーン。
 旧約聖書外典に載っている「スザンナの水浴」。ファーブルの本作は、貞操の危機に陥ったスザンナの恐怖と絶望感がリアルに伝わってきます。


 芸術方面に疎い自分には絵画の技法やセンスはよく分かりませんが、描かれている人物の歴史的な背景とか、ぶっ飛んだ狂気とか、そんな解説があるとなかなか面白く鑑賞することができました。元記事は、現在開催中の「怖い絵」展に合わせて書かれたものだと思います。怖い絵展は兵庫県立美術館と上野の森美術館で開催されていますが、兵庫県立美術館は開催期間が終わってしまっており、現在は上野の森美術館で12月17日まで開催予定とのこと。東京方面にいらっしゃる方は、是非足を運んでみはいかがでしょうか。

2017年10月27日金曜日

「栗まんじゅう問題」のさわりだけ考えてみる

ドラえもん、5分毎に倍になる栗まんじゅうを宇宙の彼方に捨てる | 不思議.net:

 皆さんは「栗まんじゅう問題」というのをご存知でしょうか。なんだか難解な物理法則かあるいは生活・栄養学的なものかと思った方、残念でした。実は、国民的アニメ・漫画「ドラえもん」に出てくる秘密道具「バイバイン」で増殖し続ける栗まんじゅうがその後どうるかを考察するという、バカバカしくも大真面目な議論のことです。

 ひみつ道具「バイバイン」のストーリーについては、こちらを見て頂きましょう(↓)。バイバインとは、1滴たらすと5分ごとにその物体を「倍」に分裂させるという薬品(質量保存の法則とかいろんな矛盾点はさておき)。のび太くんは、たった1つしかない栗まんじゅうではお腹が満たされないからとこの薬品をたらします。ドラえもんは、この薬品で増えた栗まんじゅうは必ず残さずに食べるよう言い残して出かけますが、これはいつも1つ残しておけばいつまでも栗まんじゅうを食べ続けられる「永久機関」だということに気づいたのび太くんは、5分ごとに2個に増えた栗まんじゅうのうち1つを食べるということを繰り返します。しかし、やがてお腹いっぱいになって食べきれなくなり、ジャイアンやスネ夫くん・しずかちゃんにも手伝ってもらいますが、とうとう2個・4個・8個・16個...と次々分裂するスピードに追いつかなくなります。あふれかえった栗まんじゅうを見たドラえもんは、仕方なく小型ロケットで宇宙の彼方へ送ってしまう...というストーリーです。


 このお話の元は、ロシアのベリヤーエフが書いた小説「永久パン」だと言われています。アンサイクロペディアに、この問題に対して大真面目に議論が展開されているので、科学に興味がある方、詳しく知りたい方は是非そちらを参考にして頂くこととして、ここではその "さわり" として、ドラえもんが栗まんじゅうを宇宙の彼方へ送っていなかったらどうなっていたかを実感するために、増殖のスピードを計算する部分だけアンサイクロペディアの論理を示してみましょう。

 栗まんじゅうが分裂を初めてからt秒後、栗まんじゅうの「塊」はほぼ球体状と考え、その体積V(t)、半径r(t)とすると、球の体積の公式により

時刻t=0の時の栗まんじゅう塊の膨張初速度をV0とすれば
ここでTは栗まんじゅうが分裂する周期である300秒です。これら2つの式により
と、時間t秒が経過した時の半径を求めることができます。時刻t=0の時の栗まんじゅう塊の半径をr0とすれば、
で、栗まんじゅうの塊が大きくなるスピードは、これを時間で微分した
すなわち、上記のr(t)の式をこれに代入すれば、
となり、栗まんじゅうの塊が半径方向に大きくなるスピードは塊の半径が大きくなればなるほど増すことになります。栗まんじゅう塊の初期半径(つまりまんじゅう1個の半径)r0=2.88cmとすれば、その膨張速度dr/dtは分裂開始4時間45分で新幹線「のぞみ号」の時速270kmを越え、11時間後には光速に到達することになります。ただし、これは相対性理論を無視した論理になっていますので、実際には光速に到達したりそれを超えることはありませんが、その膨張速度があっという間に驚異的なスピードになることくらいは分かるわけです。のび太くんが増えた栗まんじゅうを食べきれなかったことを知ったドラえもんの驚愕ぶりも、バイバインの驚異的な増殖力からすれば当然ですね。

 さて、バカバカしいことを大真面目に数式まで使って確認してみたわけですが、実際には、ドラえもんは栗まんじゅう塊を風呂敷で包んで宇宙空間に放り出しましたので、この前提のように互いに万有引力で引き合って塊として成長することはなさそうです。その証拠(?)に、ドラえもんの映画「のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜」(リメイク版)には、宇宙船内の満月博士の後方に宇宙空間を漂っている栗まんじゅうが描かれていますが、バラバラに空間を漂っているだけにすぎません(↓)。ちなみに、この映画に描かれる魔王デマオンは栗まんじゅうが好物というウラの設定があるそうで、自分が子供の頃のオリジナル版「のび太の魔界大冒険」にはそんな設定はなかったはずなので、ネット上で話題になった栗まんじゅう問題を制作側がうまく取り入れたのかもしれませんね。

2017年10月25日水曜日

あなたは何歳まで生きたいですか?

老化をコントロール可能な未来が来たとして私たちは寿命を延ばすべきなのか? - GIGAZINE:

 今回はGigazineの記事とYouTubeの科学チャンネルKurzgesagtの動画(↓)を元に、神の領域とも思われる「老化」のコントロールが現実的になってきた現代、我々は寿命を伸ばしたいのかどうかと言う話題です。寿命を伸ばすとか老化を遅らせると言うとなんだか絵空事のように感じますが、実はマウスではすでに「若返り」の実験は成功しており、遺伝子治療によって肉体的に歳をとらないようにしたり寿命を伸ばしたりできる世界は、すぐそこまでやってきています。


 「あなたは何歳まで生きたいですか?」と聞かれたら、何と答えるでしょうか? 厚生労働省の発表による2016年の数字では、日本人の平均寿命は男性80.98歳、女性87.14歳です。平均より長生きしたいとして、100歳くらい?120歳くらい? いや、いっそのこと300歳くらいまで生きたいでしょうか。

 人間の平均寿命はどんどん長くなっていますが、それによって難しい問題がおきていることも事実です。その問題とは、長くなった人生の時間の多く闘病や介護が必要な状態で生きなければならなくなったということです。いくら寿命が延びたって、いわゆる「健康寿命」が長くなけりゃ意味がないじゃないかというわけです。しかし、今回の話題は老化をコントロールするということなので、老化と病気との因果関係はよく知られていますので、間接的かもしれませんが健康寿命を伸ばすことができるという前提になります。

 実際のところ、「老化」は生物学的なものではなく、物理学的なものです。例えば、自動車を長年使用していると、金属がさびついたりフィルターがボロボロになったりタイヤのゴムも劣化してヒビが入ります。私たちの身体も、自動車よりずっと多い数兆個もの細胞でできてはいますが、原理としては同じように捉えられ、小さな物理的プロセスによって劣化していくわけです。劣化の原因は、活性酸素・太陽放射線・代謝などさまざまですが、我々の身体にはその劣化から回復する機能が備わっています。しかし、年齢を重ねるにつれて、だんだんその回復力は弱まっていきます。ダメージから回復できない筋肉や骨は弱くなり、肌のシミも取れなくなります。身体の劣化はどんどん進み、やがて重要なパーツが回復できないほどの病におかされ、死を迎えるというわけです。

 「劣化からの回復力の衰え」こそが物理学的な「老化」というわけで、近い将来「老化」そのものを遅らせたり止めたりできるようになるだろうと言われています。老化のメカニズムが解読され、老化をコントロールする方法も見つかるでしょう。少し前まで老化は神の領域でしたが、様々な神の領域が少しずつ人間の手に渡ってきたように、老化さえも人間の手の内になろうとしているのです。ただ、科学技術としてそれが可能になったとしても、もっと社会的なあるいは倫理的な面でそれがいいことかどうかというのは議論が必要です。クローン技術がこれほど発展した現代でも、人間のクローンを作るということは社会的に倫理的に、そして法的に許されてはいません。

 ただ、そんな堅苦しいことを考えなくてもいいじゃないかとも言えないでしょうか。私たちは病気になったら病院で手当てを受け、「回復力の衰え」を医療によって補ってもらっています。これはある種の「老化のコントロール」「死を先伸ばす行為」だとも捉えられます。現代医療の延長線上にあるものが「老化のコントロール」であって、我々はすでに神の領域に一歩入ってしまっているとも言えるのです。クローン人間を作ることは受け入れられない人も、医療による病気治療は否定しないでしょう。

 老化のコントロールが特別なことではなく現代医療の延長線上だとした上で、もう一度最初の問いに戻りましょう。果たして「(健康に)何歳まで生きたいでしょうか?」。

 この問いに対して、300歳まで生きたいとか永遠の命が欲しいと思う人もいるかもしれませんが、自分はおそらく120歳くらいまで生きたいと答えると思います。健康で長生きしたいという欲はもちろんありますが、なぜか突飛なくらい長生きしたいとか永遠の命をというよりも、自分が生きるであろう年齢よりも少し長めに生きたいと答えると思います。この不思議な感覚を、Kurzgesagtの動画では面白い例えをしています。それは、子供の頃の夏の夕暮れに似ていると。外遊びが面白くて、お母さんに呼ばれても、もう少し遊んでいたかった。それは永遠に遊んでいたかったわけではなく、お腹が空いても眠くなっても、飽きるまであとほんの少し遊びたかっただけ。確かに、人生も夏の夕暮れと同じかもしれませんね。

2017年10月24日火曜日

掃除や料理より、子供と遊んでおけば…という母の後悔に涙

「家事なんてしなきゃよかった」掃除や料理より、子供と遊んでおけば…という母の後悔に涙|@Heaaart - アットハート:

 今回は、2016年2月22日の毎日新聞に掲載された漫画「毎日かあさん」の神回をご紹介したいと思います。「毎日かあさん」は西原理恵子氏による漫画で、実は今年6月に最終回を迎えたのですが、子育てをテーマにした「あるある」ネタは「泣ける」「わかる」など子どもを持つ親たちの共感を得ました。今回ご紹介するのは、そんな中でも特にネット上でも反響の大きかった回で、実は自分はリアルタイムでは知らなかったのですが、当時、@tanikonsさんがTwitterにを投稿したことで火がついたようです。そのネタがこちら(↓)。


 小さい子どもがいると、家が片付かなかったり仕事が片付かなかったり、なかなか自分の時間を取ることができませんよね。自分も小学2年生の長男と年少組の長女の2人の親なのですが、子どもたちはすぐ「パパー、パパー」と来るので、落ち着いて片付けすることもままなりません。特にお兄ちゃんが「パパー」と話しかけると、妹の方も負けじと「パパー、あのね、あのね」と話しかけてくるので、二人を同時に相手しなければならなくなります。そんな時、ついつい「あとでねー」「パパこれやってるから、ちょと待ってねー」なんて言ってしまいます。

 しかしよく考えてみると、子どもに手がかかるのはせいぜい小学生くらいまで、中学生以上になると親を鬱陶しく思う子も多くなりますから、ほんの短い時間なんですよね。子どもが「パパー」「ママー」と言ってまとわり付いて来ることを、今は鬱陶しく思う時もありますが、将来子どもたちが手がかからなくなったり独り立ちしたりしたら、懐かしく思うんでしょうね。あの時もっと子どもたちと一緒に遊んだり、一緒に笑ったりすればよかったなんて、そんな後悔をしてしまうのでしょう。

 家が片付かなかったって、死にやしません。手作り料理のために子どもたちと過ごす時間を削るなら、本末転倒です。外食でもスーパーのお惣菜でも、家族みんなで食べれば美味しいものです。家に持ち帰った仕事も、ちょっと脇に置いておきましょう。家に持ち帰った時点で、家で片付けられるとは思ってなかったはず。子どもたちとの今だけの時間をもっと大切にしたい、そんな風に思わせてくれるあったかい漫画ですね。

2017年10月22日日曜日

相手を説得するときにやってはいけない8つのこと

The 8 worst things you can do to try and convince somebody:

 今回はUXデザイナーのPaul Boag氏の記事を元に、デザイナーが顧客を納得させようとするときのアンチパターンを紹介したいと思います。実は、Boag氏が言われるアンチパターンは、自分たちソフトウェア開発者の場合もほとんどそのまま当てはまることに驚きました。

 自分の場合、電機メーカーに属する開発者ですが、SIの立場で顧客との打合せに出る場合もありますし、開発者の立場で自社内の事業部門の人との打合せに出ることもあります。どちらの場合も、お金の権限を持っているスポンサーは相手側ですから、自分が思う「こんな素晴らしいソリューション」を相手も「いいね、それ!」と言って賛同してもらう必要があるわけです。そうしないと、受注がもらえないとか、開発予算を取ってもらえないということになってしまうので、ある意味開発者も自分の考えを売り込む営業が必要なのです。というわけで、Boag氏の言われるアンチパターン8カ条はこんな感じです。

(1)相手を驚かせる
 誕生日のサプライズプレゼントなら喜んでもらえるでしょうが、人は仕事上で驚かされることは嫌いなものです。クライアントは、途中のプロセスを見せてもらえずに突然最終形が出てきて「どうですコレ、素晴らしいでしょう!」とやられても、戸惑うばかりなのです。そして、そんな戸惑いがマイナスのバイアスとなって、たとえいいものでも「こんなものダメだ!やり直し!」という理不尽に繋がってしまうのです。
 ところが、デザイナーも開発者も根は芸術家というかアーティストなので、苦労して悩んでいる姿をクライアントに見せたくない性質があります。昔、音楽プロデューサーの小室哲哉氏が、作曲を依頼されたときに、裏では徹夜作業で苦悩したにも関わらず、いかにもあっさりと作ったかのように、納期をずっと前倒してクライアントを驚かすのが好きだと言われていましたが、まさにソレです。芸術家やアーティスト系の職種の人って、コレやってしまいがちなんです。

(2)相手を排除する
 デザイナーも開発者もその道のプロですが、クライアントは素人です。しかし、クライアントもデザイナーや開発者と一緒に仕事している(つもりでいる)わけですから、出されたものを丸ごと受け入れることには抵抗があり、彼らなりの意見や提案をしてきます。つまり、デザイナーや開発者が途中プロセスをクライアントに見せてそこまでの成果の承認を取ろうとしても、クライアントはこのデザインはインパクトがないとか、この画面はなんだか使いづらそうとか、素人的な意見や提案を出してくるのです。
 それはいい意味でプロの盲点を突く意見や提案の場合もありますが、多くはプロから見ると取るに足らないものなので、ついついクライアントの意見をおざなりにしてしまいがちです。そうすると、クライアントは排除されていると感じ、必ず怒って不満を募らせます。結果的に、デザイナーや開発者が主導権を取るのを阻止しようとする強力な抵抗勢力となってしまいます。

(3)相手のアイデアを拒否する
 相手の出したアイデアが自分の視点からはナンセンスだと思える場合、却下するのが当然と思うかもしれませんが、無下に却下するのは考えものです。自分のアイデアがいつも却下されていると感じた人は必ず不満を募らせ、あなたが何かを達成しようとするとき強力に抵抗してくる可能性があります。たとえレベルの低いナンセンスな意見であっても、それなりに考慮に入れる "フリ" をすることはとても重要なのです。

(4)相手の意図を無視する
 皮肉なことに私たちは、最終ユーザーの気持ちを理解することには大きな労力を割く一方で、同僚や上司・クライアントを理解することにあまり力を入れません。スポンサーであるクライアントにはまだ注意を払うでしょうが、同僚や上司に関しては自分の味方だと思ってしまいがちです。ところが彼らの意図を無視し続けると、不満が溜まって敵側に寝返ってしまう場合があります。クライアント・同僚・上司などあらゆるステークホルダーが、どのくらいの不満を貯めているかを推し量り、爆発前に適宜彼らの意見を聞く姿勢を位せることはとても重要です。

(5)相手に実物を見せずに伝える
 人は合理的な決断をしているように装っていますが、実際のところほとんど感情で動いていると言って過言ではありません。そして、感情を動かすための最もいい方法の1つは、実物を見せることです。
 デザイナーの場合は途中のラフスケッチでそれに代えることができますが、開発者の場合は実物を準備できず仕様書などで確認しようとします。しかし、クライアントに対して文章で書かれた仕様書だけで承認を得て実物確認をさせないと、クライアントは最終形をイメージできないまま承認を与えた形になり、最終形に対し(1)と同様こんなはずじゃなかったという感情を抱きます。
 開発者はクライアントが承認した仕様書通りだと言い張り、クライアントはこんな最終形だと分かっていたら承認しなかったと言い張るでしょう。冷静に考えれば開発者の言い分の方が正しいのですが、不毛な争いを生む結果は互いに不幸なだけですので、できるだけモックアップやプロトタイプで実物をイメージしてもらう努力を怠ってはならないのです。

(6)相手の自由なフィードバックを求める
 正直なところ、クライアントや同僚・上司が自由にフィードバックをしだすと、上手くいかなくなることが多いです。というのも、彼らはデザイナーや開発者が本当に欲しいフィードバックとは全然違う、個人的で感情的な話題で腹を立てがちだからです。
 ですから、「どう思いますか?」というような漠然とした質問でフィードバックを求めてはいけないのです。自分の経験上、設計レビューなどでソフトウェアのアーキテクチャを説明して「どう思うか」といった曖昧な質問でフィードバックを求めたとき、技術的な意見を出せない人たちは「そもそもこんなの売れるんだっけ」とか、全然的外れな意見をさも得意げに出してきて辟易したことがあります。そうではなく、意見をもらうときはフィードバックの幅を狭めて「これはユーザーのニーズを満たすか」といった聞き方が重要なのです。

(7)相手に反論する
 誰かを説得しようとしているとき、いつの間にか議論になってしまうのは最も避けなければなりません。その会議に他の出席者もいて、一対一でない場合は特に気をつけなければならないのです。この手の対立は、最初は対象がはっきりしていても、徐々にその対象から離れ感情のぶつかり合いというかエゴとエゴのぶつかり合いになってしまいます。
 特に説得しようとする側よりも相手側が権限を持っている場合、いくら説得力があって論理的に正しい主張をしても、相手側は自分たちの権限に盾突いていると捉えてしまい、感情的に拒否反応を示すことになるのです。権限がある人は、相手の説得に100%丸め込まれたところを他の出席者の前で示すのは、感情的に嫌悪感があります。どんなに理不尽で感情的なことをしてでも、生意気な相手に一矢報いようとしてくることがあるのです。
 したがって、権限を持つ相手を説得しようとして反論が出た場合に、さらにそれにかぶせる反論を出してはならないのです。一旦相手の意見を受け止め、考える時間が必要だと言って相手を立てる心遣いが必要なのです。そして他の出席者がいない、相手が受け入れやすい状況で個別に再度説得をするのです。そうすると、あのときは他の出席者の手前簡単に受け入れることはできなかったがアイデアそのものは素晴らしなどと、態度を軟化してくれるケースも多いでしょう。

(8)一度に大きな要求をする
 私たちは同僚やクライアントに、仕事のやり方を変えたり仕事を依頼したりといった、相手にとって不快なことを要求しなければならないケースも多々あります。しかし、人間は負担が大きすぎると感じると、見て見ぬふりをして問題が存在しないかのように振る舞うことがあります。キャパシティに対して問題が大きすぎるとき、少しずつ解決しようとはせず、もう考えることすら拒絶してしまうのです。
 そこで、同僚やクライアントに大きな決断を下したり、重要な変更を一度に行うように求めることは避けなければならないのです。相手のキャパシティを見ながら、変更や決定をいくつかに分けて、より小さくより管理しやすい形にして時間をかけて提示するのです。

 Boag氏のアンチパターン8か条、デザイナーに向けて書かれたものですが、自分たちソフトウェア開発者にもそのまま当てはまることがよく分かります。全ての項目に共通しているのは、人間は決して理性的な判断を下すのではなく、感情的な生き物だということを忘れないようにせよということです。いかに説得力があって論理的に正しい結論を提案していても、感情的に嫌悪感を抱いている相手には決して納得してもらえません。どんな小さな揚げ足を取ってでもひっくり返そうとしてくるはずです。

 デザイナーやソフトウェア開発者のような専門職でアーティスト系の頭脳を持つ人たちは、人間の「感情」に対する注意が弱い傾向があり、結果的にクライアントや同僚・上司とうまくやるのが難しい人が多い気がします。人は論理や理性では動きません。人が動くのは感情によってだけ。だからこそ、クライアントや同僚・上司を説得しようとする場合、相手の「感情」にさえ注意し、相手が今どう考えているか好感を持ったか嫌悪感を持ったかをカウントしてコントロールすることさえできれば、承認をもらいたい成果物や提案の論理的正しさなどは二の次なのです。

2017年10月19日木曜日

「人の話は最後まで聞け」は世界の非常識だった

「人の話は最後まで聞け」というマナーは、世界の非常識だった (ムーギー・キム) | 現代ビジネス | 講談社(1/3):

 今回は、「みんな仲良く」という気質がある割に人間関係に距離を取りたがる日本人が苦手なダイレクトコミュニケーションについて、ムーギー・キム氏の記事を元に次回の念も込めて考えてみたいと思います。日本の会議やミーティングの場では、意見を述べない人や発言すらしない人もいたりしますが、そういう態度はダイレクトコミュニケーションが前提のグローバルな場では通用しません。キム氏が提案する、日本人がグローバルな場でもコミュニケーションできるようになるための方法が「なるほど」と思うものだったので、ここでご紹介したいと思います。

(1)ポジションをとって断言せよ(否定されても、正解がなくても、言い切れ)
 まず一つ目は、ポジションを取ることです。ポジションというのは、簡単にいうとYESかNOか(あるいはAgreeなのかDisagreeなのか)ということで、自分がどちらの立場に立つかです。日本人がやりがちな賛成でも反対でもないという態度をとるのが最悪で、日本的「日和見」「玉虫色」というヤツは世界的には最も嫌われます。
 欧米ではディベートの教育を受けているので、YesかNoかどちらかの立場に立って議論を戦わせるという文化に慣れています。トレーニング段階では、本心ではYesと思っていてもNoの立場で議論するという練習もします。日本人は正直者なので、本心でYesでもNoでもないと思っている時に、極端なYesやNoの立場を取りづらいのです。しかし、国際的なビジネスの場では、日和見で信頼を失うことが最も最悪です。6対4でややYes寄りかなと思った時は間違いなくYesだと断言し、本当に5対5という場合でもYes・Noのどちらの立場に立った方が議論しやすいかを考えて態度を決めてください。そして一度態度を決めたら、最初から10対0でこれしかないと思っていたくらいの勢いで、相手をマウントするのです。

(2)意見の否定は、人格の否定ではない
 日本人は、意見の否定と人格の否定を混同してしまうことが多いようです。自分もソフトウェア開発という世界にいるので、ドキュメントレビューやソースコードレビューという場に立ち会ったことがありますが、ついつい「お前の作るドキュメントはいつも...」とか「何年この仕事をやってるんだ」とか、成果物をブラッシュアップしようという場というよりは個人攻撃の場になってしまっているケースが多々あります。世界ではその辺がドライなので、たとえ(1)によって取り敢えずYesかNoの立場に立って出した意見をコテンパンにやられたとしても、それはあなたの人格が否定されたわけではないのです。それが証拠に、相手はそれまでの白熱した議論をコロッと忘れて食事に誘ってきたりしますから。

(3)自分が常識と思っている発話のルールを疑え
 私たちには「人の話は最後まで聞け」とか「無意味に大声で話してはいけない」など、会話の際の常識として教えられてきたことがあります。しかし、そういった "常識" は世界の常識ではありません。極端な言い方をすると、国際的な場における議論はある種の「ケンカ」です。悠長に自分に発言の機会が与えられるのを待っていては、いつまでたっても発言の機会など訪れないケースもたくさんあります。相手の話の切れ目やちょっとした隙間を見つけたら、すかさず大きな声で割って入って下さい。ダイレクトコミュニケーションの場では「話したもの勝ち」と思って下さい。黙っていることで相手が何かを察してくれたり、空気を読んでくれたりすることはありません。発言したことが全てなので、いかに多く話すかが重要です。

 実は自分も極めて日本人的でどちらかというのシャイな性格なので、ダイレクトコミュニケーションは特に苦手な分野です。先日もある国際会議に出席したのですが、会話に割って入るなんてことはとてもじゃないけどできず、苦い思い出になってしまいました。話されている英語についていくのも精一杯ということもあったのですが、熱い議論を戦わせる場というより静かに1人1人が発表したり意見を述べたりする雰囲気であったにも関わらずです。その国際会議の前にキム氏のこの元記事に出会って、内容を肝に命じていられればよかったのにと後悔しきりです。

2017年10月17日火曜日

ハンドスピナーは無重力状態でどう回る?

ハンドスピナーは無重力状態でどう回る? NASAが公開【動画】 - Sputnik 日本:

 ちょっと前から、なぜだか小学生男子の間で流行っている「ハンドスピナー」。我が家の長男はファストフード店の "おまけ" でもらったハンドスピナーで満足していますが、自分としてはこれがなぜ流行っているのかよく分かりません。今回はそんなハンドスピナーを無重力状態で回すとどうなるかを、実際の国際宇宙ステーション(ISS)で現役の宇宙飛行士であるジョセフ・アカバ氏、ランドルフ・ブレスニーク氏、マーク・ヴァンデ・ヘイ氏、パオロ・ネスポリ氏が撮影した動画をご紹介しようと思います(↓)。


 なんの支えもなくクルクルと回っているハンドスピナー。宇宙飛行士がその回転の中心を持った途端、今度は宇宙飛行士側もクルクルと回転。いわゆる「角運動量保存の法則」で、空中で回転しているハンドスピナーを持つとそのハンドスピナーの角運動量の一部が宇宙飛行士の身体を回転させるというわけですね。

 このハンドスピナー、実は、フロリダ州のCatherine Hettinger氏が考案したおもちゃで、元々は重症筋無力症を患うHettinger氏が娘と遊べるおもちゃとして考案したんだそうです。特許更新料の支払いができず2005年に特許切れになっているそうですが、世に出たのは意外にも古いんですね。アメリカで流行し始めたのは2016年と最近になってから。ほどなく日本でも小学生を中心に流行していますが、やっぱりなぜ流行っているのかよく分かりません。この動画のように無重力空間で回転させたりすれば、物理法則を簡単に確認できて面白いかもしれませんが。

2017年10月16日月曜日

人工知能時代に生き残るのは、意外にも「こんな人たち」だった

人工知能時代に生き残るのは、意外にも「こんな人たち」だった(鈴木 貴博) | 現代ビジネス | 講談社(1/3):

 前回に引き続いて人工知能(AI)ネタですが、今回はAI全盛となるこれからの時代に人間に残される仕事はこういう仕事だとう話題を、経営戦略コンサルタントの鈴木貴博氏の記事を元に考えてみようと思います。実はこの山ちゃんウェブログでは、これまでもこの手の話題は興味を持って記事にしてきたのですが、鈴木氏の考える生き残れる人とはどんな人なのでしょうか。

 一般論的に「機械やコンピューターでもできる仕事しかできない人は淘汰される」なんて言い方をする人がいますが、自分はこの表現に違和感を感じています。違和感の元は『でも』という言い方で、この言葉が案に含んでいるのは、機械やコンピューターは同じことを何度も繰り返したり通り一遍のことをするなら人より正確かつ疲れ知らずに労働できるが、頭を使わないといけないような仕事やクリエイティブな仕事・複雑な仕事は人間にしかできない。そういう人間にしかできない仕事ができる人こそが、AI時代にも生き残っていける人材で、頭を使わず同じことを繰り返すだけとか単純な仕事しかできない人材は淘汰されるだろうと。そんな風に聞こえるのです。しかし自分の直感は、そうじゃないだろうと。むしろ逆じゃないかと思うんです。鈴木氏の元記事では、そのあたりの違和感を、以下の予想でうまく説明してくれています。

(1)10年後、上司が没落貴族になる未来がやってくる
 経営コンサルタントの世界では、チーム内にボス的なコンサルタントとその手先となる使いっ走りのコンサルタントがいます。使いっ走りは手分けして現場を走り回って一次情報を集めますが、ボスは集まった情報を分析して過去の経験などにも照らし合わせ、顧客に示すべき戦略を導き出します。当然、ボスの方が頭を使う仕事・クリエイティブな仕事をしているので、単純な仕事をする使いっ走りは安月給で、ボスは働きに見合った高い給料を得ています。AI時代に生き残れるのは、ボスと使いっ走りのどちらでしょうか。実は答えは、使いっ走り。ボスの仕事の本質は集まった情報を「分析」して「判断」することにありますが、「分析」「判断」というのがAIが最も得意とする仕事です。人間のボスが経験できるよりもはるかに多くの事例を機械学習し、使いっ走りが集めてきた膨大な一次情報を分析して最適解を導き出すなんてことは、AIにとっては朝飯前です。それに対して、使いっ走りはなかなかコンピューターには難しい仕事です。コンサルタントにとってネット上にあるような情報は賞味期限の切れたも同然で、本当に重要な一次情報は現場の声や雰囲気といった部分で、今のところそれらを集めるのは生身の人間にしかできなさそうです。つまり、頭のいい人が机の上で行なっていたような頭脳系の仕事はAIに奪われ、現場を駆けずり回る仕事こそ人間に残されるのです。

(2)七年後、サラリーマンが若手芸人化する未来がやってくる
 サラリーマンの世界は、ある意味ぬるま湯な部分があって、能力が高くて努力を重ねる人はそれなりに生き残っていけます。しかし、例えばタレントや芸人の世界はどうでしょうか。才能があって面白いネタをする芸人でも、多くは陽の目を見れなかったり一発屋で終わってしまいます。才能も努力はもちろん運もあった上で、他の人と違う何かを持っていたほんの一握りの人たちだけが生き残っていける厳しい世界です。芸能の世界は、いい仕事のポジションの競争倍率がめちゃめちゃ高い世界なのです。AI全盛時代は、これと同じことが普通の会社でも起きるんです。30人で回していた仕事が25人で回せるようになると、会社はパフォーマンスの低い社員をリストラしますが、AI全盛時代はもっと極端に5人とかで回せるようになってしまうのです。そうすると、最終的には上司のお気に入りというか、仲間とも言うべき人間関係の人たちが残っていく現象が起きます。ボスに媚びへつらって可愛いヤツだと思ってもらわないと、あっという間にクビになってしまうのです。それは、若手芸人が売れている先輩芸人の腰巾着をする姿にダブって見えないでしょうか。

(3)15年後、若くて体力のある人だけが生き残る未来がやってくる
 実は、AIとロボットにも苦手な仕事というのがあります。100年先にはAIとロボットはその苦手を克服しているでしょうが、向こう15年くらいではまだ人間の方が優れている技能。それは指先の器用さです。コンビニの棚に商品を補充したり、ハンバーガーショップで注文を捌いたりする仕事、あるいは工場での細かい取り付け作業など。AIよりも人間が優れているのは、意外なことにいわゆる「現場」の仕事なのです。オフィスの仕事はコンピュータやAIに奪われてしまって余剰となった労働者は、数少ない現場仕事に殺到することになります。現場仕事の場合、経験が多くても年をとって体力がない人よりも、若くて働ける人材の方が高い給料をもらう、そんな予想もできてしまいます。

 鈴木氏の掲げる、向こう5年から15年くらいのサラリーマン社会に起きるだろう現象に関する3つの予想。自分もこの山ちゃんウェブログの中で、頭のいい人がその頭の良さで高給を取ってきた仕事は軒並みAIに奪われ、人間に残される仕事はAIやコンピュータのおこぼれに預かる仕事か、頭の良さとは関係ない指標で測られる仕事のいずれかではないかと予想してきました。鈴木氏の予想(1)と(3)などは、まさに自分と同じ方向を予想しているようです。そしてそれまでの過渡期、オフィスでの人間の仕事がどんどん減っていく過程では(2)のように少ない仕事を奪い合う事態が起きるのかもしれませんね。

2017年10月14日土曜日

AIはヒトより優しくなれるか?

AIはヒトより優しくなれる──国内初開催の「AI・人工知能EXPO」で奏でられた“聖者の足音”|WIRED.jp:

 今回は久しぶりのAI(人工知能)ネタ。元記事は、この6月に日本初の人工知能展示会「AI・人工知能EXPO」のレポート記事で、SHIN ASAW a.k.a. ASSAwSSIN氏によるものです。Google傘下のDeepMind社によって生み出されたAlphaGoが、囲碁のチャンピオンを破ったのが昨年3月。2006年くらいから第三次AIブームと言われていましたが、実質的にはこの出来事から一気にAIへの注目が高まったと言っても過言ではないでしょう。

 そんなAI熱の中で開かれた「AI・人工知能EXPO」では、意外なことに「優しさ」がキーワードになる技術も目立ったようです。AIと言うと「人類の知の総和を超えるシンギュラリティが2045年に迫っている」とか「人間の仕事を奪ってしまう」など、人間対AIという構図がクローズアップされることが多い中、「優しさ」と言うキーワードは社会的なAIへの恐怖感を払拭したいと言う意味もあったのかもしれません。

 最初に紹介されているのが、アジラの行動認識AI。人の姿を監視カメラで撮影し、その人がどういう状況にあるのかを判断します。例えば、病院のベッドから体を起こした入院患者が、単にトイレに行こうとして起き上がったのか、病状の急変で苦しみ出したのか、起き上がって転倒しそうなのかといったことを判別し、危険なケースにはアラートを出します。

 FRONTEOのAIエンジン「KIBIT」は、膨大なテキストデータからある種の兆候を発見します。例えば企業において、社員が何らかの不正を企てている電子メールを見つけ出したり、自殺につながるほど精神的に追い詰められている社員を見つけ出したりします。メールなどの文面から人間の「機微」を汲み取るのが、「KIBIT」という名前の元なのだとか。

 NTTレゾナントのAI「オシエル」は、ポータルサイト「goo」の恋愛相談コーナーで活躍しています。数千にも及ぶ恋愛相談に回答を行ない、中には相手がAIだと気づいてない相談者もあるくらいだそうです。「オシエル」が扱うのは「non-factoid型質問」と呼ばれる種類のもので、模範解答がない種類の質問ですので、現在のAI研究の最先端のものです。例えば、彼氏の浮気が疑わしくどうしたらいいでしょうという質問にしても、別れる決断をする背中を押して欲しい場合もあれば、単に彼氏がモテることをノロけているという場合もあるというわけです。そこの違いを嗅ぎ分けて的確な回答をするのは、人間には容易いことでもコンピュータにとっては難しい領域です。

 元記事の著者は、人が「AIの反乱」を恐る理由は、ヒトのコンディションが一定でないことをAIに投影していることが原因ではないかと言われています。「オシエル」がいい例で、相談を受けるのが人間だった場合、虫の居所が悪かったり体調が優れない場合だってあります。そんな時、相談者に対して辛辣な言葉で揶揄するようなケースもあるかもしれません。しかし(現在の)AIには、機嫌の良し悪しや調子の良い悪いはないので、常にその時のベストの回答を行なうことになり、人間よりも「優しい」とも言えるかもしれないのです。人がAIを恐るのは、ヒトの不確実性とでも言いましょうか、アウトプットが調子の良し悪しや機嫌の良し悪しに大きく左右される特性までをもAIが身につけてしまったら、と考えてしまっているからなのです。これまで、AIの開発はヒトの脳を真似て行なわれヒトに近ければ近いほど "いい" AIだと考えられてきました。しかし、とても皮肉なことに、「AIにヒトのすべてを模倣させない」ことによって、むしろ「ヒトより優しいAI」を作り出すことができるというわけです。

2017年10月12日木曜日

頭のいい人はセックスしないのか?

Gene Expression: Intercourse and Intelligence:

 今回はちょっと刺激的なタイトルですが、Gene ExpressionでJason Malloy氏によって投稿された記事を元に「性交と知性」についての関連を考えてみます。

 まずは元記事に示されている、このグラフをご覧ください。アメリカの高校生を対象に調査された結果で、横軸にIQ、縦軸にセックスの経験がある生徒の割合(相対的な値)を取ったグラフです。これを見ると、男女ともにIQが低すぎる場合と高すぎる場合に経験率が下がり、IQ=90くらいに経験率のピークがあるように見えます。つまり、今回の記事のタイトルは本当はちょっと正確ではなく、IQが高すぎる人も低すぎる人もあまりセックスしないという傾向だというのがより正確な表現ということになります。


 そして次のグラフもご覧ください。こちらの調査対象はMIT(マサチューセッツ工科大学)の学生を対象に、専攻科目ごとのセックス未経験率を表したグラフです。元記事が純粋に学術目的だから良さそうなものの、そうでなければなかなか取れないデータですよね。この貴重なグラフによれば、生物科学や数学といった比較的頭のいい人が専攻しそいうな理系科目を専攻している生徒は、83%という極めて高い未経験率になっています。逆にスタジオアートを専攻する生徒は、未経験率0%という驚異の結果が出ています!


 アメリカ全体の平均を取ると、19歳までに初体験を済ませる割合は、男性で75%、女性で87%にも登るので、Malloy氏の元記事で伝えられるMITの学生の未経験率グラフの数値とはかなりの乖離が見られます。つまり、MITに通うような頭がいいエリート層では、世間一般に比べてセックス未経験の学生がずっと多いということが言えそうです。

 IQが高いエリート層のセックス経験率が低い理由として、Malloy氏はいくつかの仮説を挙げておられます。まず最初の説。彼らは勉強や研究に多くのリソースを費やすので、パートナーを獲得する余裕がないという説です。第二の説は、頭のいい人はリスク回避的で、若すぎる妊娠や病気に対する懸念から性的行為を遅らせる傾向があるという説です。第三の説は、頭のいい人は宗教的で倫理的に保守的だという説。そして第四の説は、頭のいい人の中にはオタクの人も多く、パートナーとしての魅力に欠けるという説。さらに第五の説として、頭のいい人は性的欲求が少ないというものです。

 どの説ももっともらしいですが、この傾向は何も高校生・大学生の時期だけでなく、その後の成人期(18歳から39歳)でも同様の傾向が見られるのだそうです。そして結婚しているカップルの場合でも、知性とセックスレスには相関関係があったのだとか。そうすると、そもそもIQが高い頭のいい人は先の仮説のうちパートナーを見つける余裕がないとか保守的とかいう説に信ぴょう性が出そうですが、そうではないデータもあるそうです。それは、IQが120を超えるような頭のいい男性は売春婦を訪れる可能性が高いというデータもあるのだそうです。これはむしろ、頭のいい男性はセックスパートナーを見つけるのが難しい、もっとはっきり言ってしまうと先の最後の仮説のように、女性にとって魅力的ではないということを示唆しています。

 Malloy氏の元記事では、頭のいい人はそれぞれ男性・女性としての魅力に乏しく、したがってセックスの経験も遅かったりそもそも少なかったりするという結論になりそうです。しかし一方で最初のグラフをもう一度よーく見てください。例えば、日本人のIQの平均は105、アメリカは98というデータもあります。高校生のセックス経験率のピークが90くらいというのは、平均的よりもちょっと知能が低い人が早くセックスを経験している(そしておそらくその後の人生でも多く経験する)ということが言えそうです。これは、私たちの直感とも合っている気がしませんか。知能の高すぎる人は男性も女性も性的魅力が乏しく、また本文の中でほとんど触れませんでしたが、知的障害かそれとの境界線級に分類されるIQが80未満は、知能の高すぎる人とは別の意味で性的魅力に欠けてしまう。普通よりもちょっとおバカなくらい(失礼!)の人が、男性も女性も性的魅力に溢れる人が多いということかもしれません。

2017年10月11日水曜日

上司からのフォローにビクビクしなくなる習慣

週に1回15分の習慣で仕事への不安を消し上司からの信頼度を上げた方法とは? - GIGAZINE:

 今回は、自分が勤める会社では割と実践されているある習慣がGigazineで取り上げられていたので、ここで紹介したいと思います。Gigazineの元記事もQuartzの記事をログしたものですが、残念ながらQuartzの記事はすでに削除されていて、そこまでたどることはできませんでした。

 実は自分の会社ではずいぶん昔からある習慣が行なわれており、今ごろQuartzやGigazineで紹介されていることに驚いたのです。古き良き日本企業で行なわれている習慣が、逆に先進企業では新しい手法に感じられたのかもしれませんが。実はそのある習慣というのが...「週報」なんです。その1週間にやった仕事や仕事の中での懸案事項、上司への確認が必要な項目について毎週末報告書を作るという習慣です。自分の会社と同じような古き良き日本企業の中には、同じようなことをやっている会社が多いのではないでしょうか。

 元記事では、やたらと電話での報告を求めてくる上司に対して精神的な苦痛を感じていたKhe Hy氏が、週に1回のメールを上司にコンスタントに送るだけで、自分のストレスを減らしつつ上司から信頼も得られたという話を紹介しています。メールの内容は、
(1)その週に完了させた仕事について
(2)期限を変更する可能性がある仕事や直面している障害について
(3)何らかの理由で待機状態にある仕事について
の3つを短い文面で書くのです。まさに、このメールこそ、ウチのような古き良き日本企業でいまだに行なわれている「週報」そのものではありませんか。週報のコツは、あらかじめ「テンプレート」を作り毎週の週報はそれを埋める形にすることです。そうすることにより、部下は上司への報告に必要以上に時間をかける必要がなくなります。実は上司にとっても、毎回違ったフォームで報告されるより、毎週同じフォームで来る方が安心できます。そして、できればメールを送る時間も毎週同じくらいにすることで、より上司に安心感を与えることができるでしょう。

 そして、この手の報告が「日報」でもなく「月報」でもない、「週報」だというのが絶妙なスパンなのです。1日に1回の報告は部下にとって負担なだけでなく、何人もの報告に目を通す上司にとっても負担になりますし、何より仕事の粒度が小さすぎて上司目線のフィードバックをしづらいものです。一方で月に1回では仕事の粒度が大きくて、部下のやってきた仕事の方向性が上司の思惑と外れていた時の修正が困難です。週に1回。これこそが最適化されたスパンなのです。

 「週報」によって上司からの電話攻撃を避けられたHy氏は、それ以降10年以上にわたって毎週1度のメールを送り続けることで、胃がきりきりするストレスから解放されただけでなく、むしろ上司からの信頼を獲得できたそうです。もし、あなたの会社で「週報」の習慣がないなら、ぜひ実践してみてはいかがでしょうか。その効果に驚くと思いますよ。

2017年10月10日火曜日

「ドラゴンボール」のかめはめ波。科学的には普通の人にもできる?

『ドラゴンボール』のかめはめ波。自分にもできそうな気がするけど、本当にできる? | 空想科学読本WEB:

 今回はアニメや漫画の世界を科学的見地から大真面目に考えてみる「空想科学読本WEB」の記事から、ドラゴンボールのかめはめ波に焦点を当てた内容をご紹介したいと思います。ここ何回か数学に焦点を当てた記事を書いたりしましたが、その中で出会った記事です。

 かめはめ波と言えば、ご存知超人気アニメ「ドラゴンボール」で、主人公の孫悟空が「かーめーはーめー」と言いながら両手を向かい合わせてその中に「気」のパワーを集中させ(↓)、「波ー!」の叫び声とともに一気に前方へそのパワーを放出するという必殺技です。ドラゴンボール世代の男の子なら、必ずと言っていいほど真似したことがあるんじゃないでしょうか。ドラゴンボールに登場する必殺技の多くは、「気」のエネルギーを爆発させたものだとされていますが、一体「気」とは何なのでしょうか。Wikipediaを見てみると、英語でいう「オーラ(Aura)」と同様に生命力や聖なるものとして捉えられた気息、つまり息の概念がかかわっていると説明されていますが、「気」が「息」だとするとエネルギーとして捉えられないので、ここでは「体内のエネルギー」の総称のことという程度に捉えることにしましょう。つまり「かめはめ波」を、体内のエネルギーを両手の間に凝集して、それを一気に解放する技だというように定義するのです。そして、そのかめはめ波を私たちが撃つことは科学的に可能なのか、というのが今回の命題です。


 まず「気」すなわち「体内のエネルギー」というのは、どれほどあるのでしょうか。例えば、体重50㎏で体脂肪率20%の人の体には、10㎏の体脂肪があることになります。脂肪は1gあたり9kcalのエネルギーが含まれるので、
   9×10×1,000=9万kcal
ものエネルギーを体内に持っていることになります。これはダイナマイト450本分くらいに相当します。さすがにスーパーサイヤ人とか超かめはめ波の領域は難しくても、少年期の悟空が放つかめはめ波くらいのエネルギーなら十分に持っている計算になります。(元記事では、天下一武道会で悟空がピッコロ大魔王に放ったかめはめ波が、武舞台に直径10m・深さ10mほどのクレーターを作ったことから、そのエネルギー量を2万6千kcalと見積もっています)

 ところで、人間は一日におよそ2千kcalほどを食べものから摂取しますが、そのうち半分は生命の維持に使用されますが、残り千kcalは熱となって身体から放出されます。手のひらの面積は両手を合わせて身体の表面積の1/50程度なので、両手の手のひらから毎日20kcalの熱エネルギーが放出されています。だったら、この熱エネルギーを逃さないように手のひらの間に貯めたらどうでしょう。目標は2万6千kcalなので、かめはめ波の威力のエネルギーを貯めるためには
   2万6千kcal÷20kcal/日=1,300日=3年7ヶ月
の時間がかかることになります。確かに3年7ヶ月は長いですが、悟空ほどの拳法の達人でなくても、時間さえかければかめはめ波を撃てることになりそうです。

 ただ、残念ながら時間をかけて熱エネルギーを貯める作戦には大きな欠陥があります。それは、熱エネルギーは自然なままでは温度の低い方から高い方へは移動しないということなのです。せっかく手のひらから放出される熱で、両手の中の空気の温度を上げても、体温よりも高くは上がらないのです。この問題の解決策としては、実は「ヒートポンプ」というのがあります。例えば、真夏のエアコンを考えて見てください。外はカンカン照りで35度、しかしガンガンに冷房を効かせた室内は25度。普通なら、外と室内の温度は同じになっておしまいですが、ヒートポンプという素晴らしい技術のおかげで温度の低い室内から温度の高い外へ向かって熱を運ぶことができるのです。

 高性能ヒートポンプ付き手袋が開発されれば、温度の低い手のひらから温度の高い手の中の空気へ熱を移動させてさらにエネルギーを貯められそうですが、ここでもう一つの問題が立ちはだかります。それは、熱を持った空気は、膨張して温度を下げようとすることです(温度が下がるとせっかく貯めたエネルギーが霧散してしまいます)。そのため、絵(↑)の中の悟空のように、両手でその膨張をさせないようしっかりと押さえ込む必要があるのです。2万6千kcalが両手の中に溜まった状態では、その温度は2億4千万度と超高温で、空気が膨張しようとする力はおよそ6万7千万トンです。これを腕力と気合いと根性で押さえ込みます。ただ、さすがに生身の人間には不可能なので、そこは最近発展がめざましいロボット技術に期待しましょう。介護などで腕力が必要な場合も、人間をサポートする形でその腕力を提供するロボットが開発されていますので、将来的にかめはめ波をサポートするためのロボットが開発されることを期待します。

 さあ、これで大きな問題2つを解決できました。まあ、ヒートポンプ付き手袋は現実味がありますが、2億4千万度と6万7千万トンに耐えられるロボットはちょっとやそっとじゃ無理ではありますが、遠い将来そういうのが開発されたとしましょう。悟空でなくても、時間をかけてテクノロジーの力を借りれば、自分のエネルギーだけでかめはめ波を撃てることになりそうです。しかーし、しかし。最後にして最大の難関が待ち受けています。それは、高性能ヒートポンプと特殊ロボットを身につけ「かーめーはーめー」と3年7ヶ月の間エネルギーを貯め続けるところまではいいのですが、最後の「破ー!」で6万7千万トンの力が一気に解放されます。その力の向きは360度、つまり手元でダイナマイト130本の大爆発が起きてしまい、敵どころか爆心に近いあなた自身が先にやられてしまうことになるのです。

 惜しい、なんとも惜しいですね。あとちょっとで、かめはめ波が撃てるところだったのに。ここは、2億4千万度と6万7千万トンに耐えられるロボットがそもそも非現実的なので、手元の大爆発からあなたを守ってくれる頑強なシールドが開発されるのも待つことにしましょうか。

2017年10月9日月曜日

「ヤンテの掟」でハードルを下げて幸福感を得る

To Be Average Is to Be Happy: A Lesson from the Danes:

 今回の元記事はLindsay Dupuis氏によるもので、デンマークに学ぶ「些細なことでも幸せを感じる方法」。2017年の世界幸福度報告(World Happiness Report)では、スカンジナビア半島の国々が上位を独占し、ノルウェーが首位、デンマークが2位、スウェーデンが10位に入っています。Dupuis氏の記事は、2位にランクインしたデンマークで幸福度が高いのは、「ヤンテの掟(Jante Law)」が関係しているのではないかというのです。

 ヤンテの掟(ジャンテの盾とも言うそうです)というのは次の(1)〜(10)の10ケ条で、作家のアクセル・サンデムーセ氏が1933年に書いた小説「A Fugitive Crosses His Tracks」の中で架空の村「ヤンテ」の法律として描かれたものです。
(1)自分を一角の人物だと思ってはならない
(2)自分のことを、私たちよりも優れていると思い上がるな
(3)自分のことを、私たちよりも頭がよいと思ってはならない
(4)自分のことを、私たちと同じくらい価値があると想像し、自惚れに浸ってはならない
(5)自分のことを、私たちよりも多くを知っていると思ってはならない
(6)自分のことを、私たちよりも重要であると思ってはならない
(7)自分のことを、大物だと思ってはならない
(8)私たちの事を笑ってはならない
(9)私たちの誰かが自分のことを気にかけていると思ってはならない
(10)私たちに何かしら教えることができると思ってはならない

 この10ケ条を読んで、皆さんはどう感じられますか。自分は最初、たとえ成功しても思い上がってはならないと自分で自分を戒める内容だと思ったのです。謙虚さを美徳とする日本人にとって、たとえ成功しても「いやいや自分なんかまだまだです」「これからも皆様のご指導ご鞭撻をお願いします」という態度、あるいは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の精神が重要ですよというような。しかし、そう思ってこれらの主語に「私」を補うと、ほかに「私たち」も出てきて文章がヘンです。実は、このヤンテの掟が言わんとしているのは自分で自分を戒めるのではなく、成功できない人たちが成功した人に対し「お前たち、思い上がるなよ」と戒めている内容なのです。補うべき主語は「私」ではなく「お前」。「『私は』自分を大物だと思ってはならない」ではなく、「『お前は』自分を大物だと思ってはならない」という「出る杭は打たれる」を示したルールなのです。

 さて「ヤンテの掟」の正しい解釈がわかった上で、Dupuis氏の元記事を読んでみると、出る杭は打たれる社会で「お前なんか大したことがない」「お前は平均以下だ」と言われ続けると、人は「せめて平均に到達したい」と考えるようになる。そして、ごく平均的な生活を手にしただけでも十分に満足できる、ということになります。

 満足を感じるか不満を感じるか(幸せを感じるか不幸を感じるか)というのは、期待値と現実との「相対的な関係」によるのです。つまり、現実が期待値を上回ると人は満足感や幸福感を感じ、現実が期待値を下回ると不満や不幸を感じるわけです。もちろん全ての幸福論をこの相対論だけで説明できるほど幸福は単純ではありませんが、Dupuis氏の言われる相対論で説明できる部分もかなりあると思います。そうすると、デンマークの文化に根付いているヤンテの掟は、期待値を下げる(ハードルを下げる)効果があり、現実が期待値を上回る可能性が高くなる。すなわち幸福を感じやすくなるということになります。

 私たちは(日本人はと言ってもいいかもしれませんが)、「高い目標を持つべき」とか「理想は高く」などと教えられて育ちます。その高い目標に向かって努力することで、才能や能力を伸ばそうという考え方です。目標や理想が低いと、あまり努力しなくても達成できるので、せっかく潜在的な才能を秘めていても能力を伸ばしきれない。したがって「目標は高く」設定し、それに向かってあらん限りに努力をする。しかし、この考え方ではデンマークのように現実が期待値(=目標値)を上回る可能性はほとんどありません。そりゃそうですよね。私たちはちょっとやそっとじゃ実現できない高い目標を設定させられるわけですから、いくら努力してその目標に近づいても上回ることはほとんど不可能です。そう、日本人的な「高い目標を設定して努力する」考え方は、「成長」を基準に考えると才能を限界まで伸ばそうという素晴らしい考え方ではありますが、評価方法が「目標に対して現実がどれだけ不足しているか」という「引き算」になってしまうので、満足感・幸福の実感という面では弊害があるのです。期待値と現実との相対関係で幸福感が決まる「相対論」にもとづくと、私たちは満足感や幸福感を感じづらい、いやむしろ不満や不幸を感じやすいということになります。

 高度成長期、ハードルを上げてそれに向かって努力するという考え方で急成長を遂げてきた日本ですが、この考え方は人々の「幸福感」を著しく下げてしまいました。その結果、幸福度ランキングでは日本は51位。全155ヶ国の中では上位と言えなくもありませんが、アメリカ(14位)・ドイツ(16位)・イギリス(19位)・シンガポール(26位)・フランス(31位)・タイ(32位)・台湾(33位)など、先進国・アジア諸国に比べてもやや低い気もします。日本は、国を挙げて国力を上げる高度成長期が終わってから随分と時間も経っていますし、当時のように努力すればするほど目に見えた成長ができた時代も終わっています。そろそろ価値観の変換というか、ハードルを下げて、満足感や幸福感を感じる考え方に移行して行ってもいいのかもしれません。

2017年10月7日土曜日

こんな数学の教科書が欲しかった、男子中学生が数学に夢中になってしまいそうな例題

こんな数学の教科書が欲しかった、男子中学生が数学に夢中になってしまいそうな例題 - GIGAZINE:

 前回は、生まれつき数学の能力がないというのは実は幻想で、本当のところはそう思い込んで勉強しない「負のループ」に陥っているがためだという話題でしたが、今回は2回連続で数学の話題。今年のはじめ頃「うんこ漢字ドリル」なるものが流行りましたが、今回ご紹介するのはその「数学版」とも言える、教科書がこんな問題ばかりなら一生懸命勉強できるかもという問題をご紹介したいと思います。元記事はかなり古いですが、Gigazineの記事です。

 その問題がこちら(↓)。Gigazineの記事のソースを辿ろうとしてみたのですが、残念ながらすでにリンク切れを起こしていました。ハングル文字で書かれていますので、ソースは韓国の教科書のようなものかもしれません。ただ、ハングルを読めなくても図を見るだけで問題の意図を汲み取ることはできます。舞台は電車の中。男性の向かいに、ミニスカートの美女が座りました。男性なら分かると思いますが、その視線は女性のミニスカートに吸い寄せられ、...思わず前かがみになってしまい... いったいこの男性はどれほど身をかがめれば、見えそうで見えないその先を視界に入れることができるでしょうか。


 条件は以下の通りです。女性の両ひざが接する位置からスカートの縁からまでの高さは4センチ、女性の足の付け根からスカートの縁までは12センチとします。かなり短いスカートですね。スカートの縁から男性の目の位置までは水平方向に160センチ、垂直方向に70センチ離れているとします。残念ながら、このままでは見えそうで見えません。一体どれほど猫背になればいいのでしょう。

 男性が少しずつ猫背になって身をかがめ、チラリと見え始めるそのときの男性の目の高さをhとおきます。そうすると、図(↓)のように
   AB:AC=4:12=h:160
   12h=4×160
   したがって、h=53.33...
と比の問題として解くことができます。元記事の計算はここまでなのですが、もう少し先を考えてみましょう。


 計算の結果、目の位置がスカートの縁から53.3センチの高さになるまで身体をかがめると、「見える」ということになります。日本人の平均の座高は身長の53.5%と言われていますので、例えば身長170cmの人の座高は
   170×0.535=90.95
男性の座高は、今計算したhに対して、椅子の座面から女性のスカートの縁までの高さと男性の目から頭のてっぺんまでの長さが加わったものですが、女性の太もも周りの理想的な値は身長×0.3と言われていますので、この女性がスタイル抜群だとして、座面からスカートの縁まではおよそ
   160×0.3÷円周率(3.14)=15.29
男性の目の高さから頭のてっぺんまではあまり統計的な数字がありませんが、やはり15cm程度と考えれば、男性が身をかがめない時の高さh' 
   h'=90.95ー15.29ー15=60.72
したがって、男性が身をかがめて目の位置を下げなければならない距離は
   h'h=60.72ー53.33=7.39

 あれ? 元記事ではかなり猫背(もしくは浅く座って状態を反らす)にならないといけないので難しいと書いていましたが、7.4cmくらいなら、それほど不自然にならずに身をかがめられそうに思えます。もちろん、現実に実行したらダメですよ。覗き込むような行為はもちろんNGですが、この問題は世の理不尽さを教えようとした問題ではなく、実は夢が広がる問題だったのかもしれません、なんて(笑)。

2017年10月5日木曜日

生まれつき数学は苦手だという幻想

The Myth of 'I'm Bad at Math' - The Atlantic:

 突然ですが、皆さんは数学は得意ですか? あるいは学生時代は数学は得意でしたか? この質問に自信を持ってイエスと答えられる人はほんの一握りかもしれません。もしかしたら、生まれつき数学の能力は持ち合わせていないとか、数学と聞いただけでジンマシンが出てしまう、なんて人もいるかもしれません。今回は、生まれつき数学は苦手というのは実は幻想で、あくまでも努力によって克服できるものなんだというMiles Kimball氏とNoah Smith氏の記事をご紹介したいと思います。

 元記事の著者であるMiles Kimball氏はミシガン大学の経済学教授、Noah Smith氏はニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の准教授なのですが、学生に数学を教えてきた経験から、数学に対する得意意識・苦手意識というのは次のパターンで作られることが多いと述べられています。まず、小学校に入って初めて算数の授業を受ける時点で、すでにあらかじめ算数を教えられた子どもと、全く算数は初めてという子がいて、予備知識にかなりの差があるのだそうです。低学年の頃は、予備知識のある子は満点を多く取りますが、予備知識のない子はなかなか満点は取ることができません。満点を取れない子どもは、満点を取れる子どもが予備知識があったことを知らないまま自分は算数に向いていないと思い込み、一方で満点を取れる子どもは成功体験から自分は算数が得意だと思い込む、というわけです。

 パデュー大学の心理学者Patricia Louise Linehan氏の研究では、上昇志向があって結果的に能力を伸ばしていける学生は「能力は努力によって変化する」と考えている一方で、能力を伸ばせない学生は「能力は努力ではどうにもならない」と認識しているのだそうです。心理学者Lisa Blackwell氏らの研究でも、知性や能力は後天的な努力で変えていけると考えている学生の方が、知性や能力は先天的なもので変えられないと考える学生よりも、相対的に高い成績をおさめているのだそうです。

 Kimball教授とSmith准教授は、数学については特に、努力よりも生まれつきの素質が大きいという「『誤った』生まれつき論」がはびこっていると指摘しています。「自分は数学に向いていない」とか「自分はどうせバカだから勉強しても無駄」なんていう決めつけは、全く間違っているということなのです。この決めつけによって努力しないから数学をはじめとする勉強ができなくなるだけで、ある意味「負のループ」に陥っているだけなのです。数学や勉強に関しては、生まれつきの才能なんかより努力の方がずっと大きく、努力すれば、勉強すれば、必ず得意になるのです。そのことを知っている子どもは「正のループ」に入って、ますます数学が得意になっていくのです。

 実は、この元記事で言っている「数学は生まれつきの才能じゃない、努力だ」という考え方は、自分が中学生・高校生の頃身をもって実感したことでした。この山ちゃんウェブログは「理系脳」の視点が多かったり、プロフィールに電機メーカーのエンジニアだと書いているので、生まれつき数学は得意だったんでしょと思われることが多い自分ですが、実は、中学生の頃は数学は大の苦手で、100点満点の定期テストで20点台が常でした。むしろ、生まれつき数学は向いていないので、得意な英語を伸ばしていこうと思っていたくらいだったんです。しかしその後、高校に入ってから(ラッキーなことに中高一貫の学校に通っていたので、高校入試で苦手な数学のテストを受けずに済んだのです)、通っていた塾でいい先生に巡り会えたこと(後から考えるとそれは運命的な出会いと言っても過言ではありませんでした)と、和田秀樹氏の「数学は暗記だ」という本に出会ったことで、一気に数学好きに変わりました(少なくとも理系を選ぼうという程度に得意にはなったのです)。

 自分の勉強方法は、先生の授業を頭の中で再生しながら(場合によっては先生の口真似をしてブツブツ言いながら(笑))、ノートから答えを書き写したり、チャート式という参考書の問題と解答を覚えてしまうくらい何度も書き写すという方法でした。自分の方法が効率的だったかどうかはわかりませんが、少なくとも多くの時間を割いて数学を勉強したわけです。そして点数が取れるようになると、数学の点数は勉強量で決まるということがはっきりとわかるようになりました。そこからはもう、大学も理系、就職も理系と完全に「正のループ」だったのです。

 自分の場合は、幸いにも高校で運命的な出会いがあったことで、それまでの「負のループ」から一気に「正のループ」に転換することができました。しかし、大抵の人は小学校に上がるときにすでにその後どちらのループになるかが決まっていると思うと、なんだか怖い気がするのと、子供を持つ親として我が子はぜひ「正のループ」に乗せてやりたいと思ってしまいますね。

2017年10月4日水曜日

「重力波とは何か?」が3分でわかるムービー

「重力波とは何か?」が約3分でわかるムービー「Gravitational Waves Explained」 - GIGAZINE:

 ノーベルウィークの今週ですが、昨日発表された物理学賞には重力波の観測で知られる米国のRainer Weiss博士・Barry C. Barish博士・Kip S. Thone博士のお三方がスピード受賞を果たされました。受賞理由は「レーザー干渉計LIGOを用いた重力波観測への多大なる貢献」とのこと。ところでこの「重力波」って一体?ということで、今回は重力波をわかったつもりになれるムービーを紹介したいと思います。元記事は1年以上前のGigazineのものです。

 まずは何はともあれそのムービーを見てみましょう(↓)。「重力波」とは何かという前に、まずは「重力」って何でしょう。よく使われているのは、宇宙空間を一つの巨大なゴムシートに例えることです。星など質量のある天体が存在すると、ゴムシート上にその天体が乗っかっているイメージで、シートのその部分が凹みます。この凹みが「時空の歪み」を表していて、重力の元となるものです。実際は宇宙空間はもう1つ次元の大きい3次元(あるいは時間軸を加えた4次元)ですから、凹みを表す軸と合わせ4次元ないしは5次元の図を3次元に次元を落として表現したのがゴムシートの例えというわけです。


 このゴムシートは、それに乗せる天体の質量が大きければ大きいほど(つまり重いものほど)凹みが大きくなり(つまり重力が大きくなり)、それはそれだけ大きく時空を歪めるということを表します。例えば太陽のように質量の大きな天体があると、そこはゴムシートが大きく凹んでいるので、地球のような質量の小さい天体が近づいてくると、その凹みに向かって転がっていきます。大抵はまっすぐ凹みの中心に向かうわけではなく、凹みの周囲をくるくると回ることになります(ちょうどお風呂の栓を抜いた時、お湯がまっすぐ抜けていくよりくるくると回転しながら抜けていくイメージでしょうか)。これこそが、太陽を中心として惑星たちがその周りを回る「公転」というわけです。

 さて話を元に戻して「重力波」ですが、重力波は質量のある物体が動くことで、時空の歪みが波のように周囲に伝わっていく現象です。ゴムシート上を重い天体が高速で移動すると、シートはそれに追従するように歪んでいくというわけです。この伝播速度は何と光と同じ速さで、シートの歪みが伝播するイメージから重力波は「時空面のさざ波」と呼ばれています。質量が大きいとゴムシートが大きく凹むという言い方をしましたが、実は重力は、ほかの力と比べて非常に弱いものです。この宇宙に存在する力は、重力・電磁力・強い力・弱い力という4種類しかないのですが、その中でもダントツに弱いのが重力です。そのため、人間が検知できるほど大きな重力波が生みだされるためには、中性子星やブラックホールのような巨大な質量が極めて高速で運動するという状況が必要です。Rainer Weiss博士らが観測に成功した重力波も、2つのブラックホールが回転して生み出された「さざ波」だと考えられています。

 では「重力波の観測」が、なぜノーベル物理学賞になるほど功績なのでしょうか。重力波の「発見」ではありませんよ、あくまでも単なる「観測」がなぜスゴイのかということです。実は、重力波の観測に成功したということは、従来とは全く異なるレベルで宇宙を観測することができるようになったということなんです。これまでの宇宙観測はと言えば、「光」「電波」という2種類の観測しかなかったところに新たに「重力波」が加わったということです。言わば、これまで周囲の状況を把握するために目で見るか耳で聞くかしかなかったところを、手で触って感じることができるようになったと言えば、そのスゴさが分かりやすいかもしれませんね。

2017年10月3日火曜日

今の25歳は昔の18歳相当?

Extended Adolescence: When 25 Is the New 18 - Scientific American:

 今回のタイトルは「今の25歳は昔の18歳相当?」ということですが、現代人がなかなか大人になり切れないとか、実年齢よりも精神年齢が低い人が多いという話題とだいたい同じなのですが、趣向としては少し違っています。近年の若者はいわゆる「オトナの活動」を行なう傾向が少ないという内容で、元記事は、Scientific Americanに掲載されたBret Stetka氏の記事です。

 サンディエゴ州立大学とブリンマーカレッジの調査によれば、現代のティーンエイジャーは、これまでの世代に比べて酒やセックスのようないわゆる「オトナの活動」が少ない傾向にあるのだそうです。この調査はアメリカで1976年から2016年に渡って行なわれた全国調査の結果データを分析した研究で、多岐にわたる人種や経済環境・宗教の属性を持つティーンエイジャー(13歳から19歳の男女)800万人ものデータを分析しています。

 その研究の結果はなんと、昔に比べて現代のティーンエイジャーは、酒やセックスだけでなく車の運転や放課後のバイトあるいはデートの割合すらも減ったのだそうです。1991年には54%の高校生が「少なくとも一度は性行為の経験がある」と答えていたのに、2015年には41%まで減少しています。しかも、その減少傾向は人種や性別・居住地などの属性によらなかったのです。性体験という意味では日本も減少傾向が見て取れるというデータもあるので、アメリカだけでなく日本でも同じようにティーンエイジャーの「オトナの活動」は減少傾向があると言えるかもしれません。

 この結果に対して「イマドキの少年少女は昔より道徳的」と結論づけてしまいそうですが、どうもそれはちょっと違うようで、今回の研究を率いたJean Twenge氏によれば、若者たちが道徳的になったわけでも怠け者になったわけでもなく、ただ「オトナの活動」をする傾向が減ったということなのだそうです。そのため、2017年現在の18歳は、昔の15歳のように見えると。自分が10代の頃を思い返してみると、自分の場合は「オトナの活動」は少なめでしたが、それは道徳的だったというよりもそういう活動をする勇気もなかったしモテもしなかった(現代風に言えば「リア充」じゃなかった)というだけで、本心では「オトナの活動」に勤しむ同世代を羨ましく思ったものです。ティーンエイジャーくらいの子どもたちが背伸びして悪ぶったりオトナぶったりするのは、いつの時代も同じだと思っていたのですが、どうも現代はそうではないというわけなのです。

 ではなぜイマドキの子どもたちは「オトナの活動」が少ないのでしょう。研究者たちは、コンピューターやスマートフォンの普及と関係があるのではないかと見ているようです。つまり、昔と違って社会活動や性的な興味をリアル世界ではなく、バーチャル世界で代替してしまっているのではないかというのです。例えば自分たちの頃は、10代男子の有り余る性的興味はリアルな女の子に向けられていましたが、現代はオンラインポルノを見ることで済まされてしまっているのではないかというのです。

 しかし一方で、大家族や親の年収が少ない家庭の子どもたちの場合は、今でも「オトナの活動」に参加する傾向が高いことが分かっています。確かに昔から、お金持ちの不良というのは少なく、肉体労働系の低所得者層の家庭の子どもの方が閉塞感から抜け出したいと背伸びして早く大人になろうとする傾向があったように思います。実際、貧しく未来の予測が難しい環境に置かれた子どもは、資源が豊富で安定した環境に置かれた子どもよりも発育が速くなる傾向があることは、科学的にも証明されているのだそうです。そういう意味で、アメリカ社会では経済的な格差が広がりながらも、平均的な家庭の経済的余裕は増加しており、裕福な家庭が増えたために「オトナの活動」の傾向が減ってきたという分析もできるかもしれません。

 ところで「オトナの活動」が少ないということは、それだけ青春期が長い間続くという言い方もできます。発達心理学者のエリク・H・エリクソン氏は、人生におけるこのステージを「心理的モラトリアム(猶予期間)」と呼びました。児童心理学者の多くは、現代の子どもたちは過去に比べてこの猶予期間が最も長いと見ているようです。コロンビア大学の心理学者Mirjana Domakonda氏は、現代の25歳は昔で言うところの18歳ぐらいと思った方がしっくりくると述べておられます。現代は昔の世代に比べて平均寿命が長く、一生の中の時間的割合という意味では、猶予期間が長くなることでオトナとして過ごす時間と子どもとして過ごす時間の割合が一定のレベルに保たれてると見なすことができるかもしれません。もうイマドキの25歳はオトナとは言えないのです。まだ18歳くらい、オトナの一歩手前くらいに考えておくぐらいがちょうどいいかもしれません。

2017年10月2日月曜日

「結婚しない男」急増は「やせ我慢」が理由?

「結婚しない男」急増は「やせ我慢」が理由?(AERA dot.) - goo ニュース:

 今回は「結婚しない男」の話題を、週刊朝日2017年9月29日号の記事を伝えるgooニュースを元に。実のところ自分の場合は、28歳で結婚という、今となっては珍しい「早くも遅くもない」結婚だったので、元記事で言われている「結婚しない男」はある意味で未知の世界ではあります。しかし、自分の職場にも自分より年上でまだ一度も結婚していないという男性は3人ほど顔が思い浮かびますし、2015年の国勢調査によれば生涯未婚率(50歳まで一度も結婚したことがない人の割合)は、男性で23.37%、女性で14.06%のも上るそうです。

 博報堂シニアプロモーションディレクターで、独身研究家の肩書きも持つ荒川和久氏によれば、「結婚できない」ではなく「あえて結婚しない」層は確かにいます。きちんと仕事をして経済的に親に依存することもなく、自由で自立した独身男性です。気楽な環境や一人の時間を大切にする一方で、仕事面での承認欲求は普通にあって趣味でも達成感を求める。そんな男性像です。

 一方でこんな分析をする方もします。「おひとりさま」ブームを生んだマーケティング評論家の牛窪恵氏によれば、今は「男損時代」なんだそうです。結婚しても自分の自由になる小遣いは3万円台が関の山、もちろん時間的な自由は大幅に制約されるので、結婚というのものに見出せるメリットは子どもを持てることくらいです。そういう意味で「結婚」に強く惹かれないだけでなく、仕事が安定しない状態では無責任に結婚できないなどと、社会情勢や雇用情勢などの問題も後押ししているようです。

 ただ荒川氏も牛窪氏も、国の施策として、遅くても結婚できる時代にしないといけないとは言われています。30代・40代の頃は、自由に使えるお金や趣味の時間が減るのはイヤだと思っても、60代くらいになって定年を迎えると「自分の人生って何だったのか?」と感じやすくなります。一人で楽しめる趣味や娯楽もどちらかといえば若い人向けになっているので、孤独を楽しめなくなってしまかもしれません。仕事面で「上がり」になった時、承認要求が満たされなくなったり人との繋がりが失われたりして、強い孤独感に陥ってしまうのではないかというのです。

 孤独ということに関しては、荒川氏はこういう見解を示しています。孤独を楽しむというのは、自分の中の多様性を活性化するための手段であって、人と一切の関係性を遮断して心理的に孤立してしまうこととは別物。孤独というのは、自分の能動的な選択肢として選べる自由があるものだという解釈です。一方で牛窪氏は、ある意味やせ我慢だと指摘されています。かつての高倉健さんではないですが、「不器用なんで〜」「だから素直になれなくて独身」なんて、日本の恥や虚勢の文化こそ40代以上のオジサンたちの可愛いところだと。

 昔のように、20代も後半くらいになって収入が安定してきたら、結婚して子どもを産んで育ててという、自分のようなパターンはもはや化石なのかもしれません。既婚者の中には奥さんの尻に敷かれているなんて自虐的に語る人も多いですが、自分の場合、お金や時間が自由にならない不満より、休日を一緒に過ごせる家族がいて成長を楽しみにできる子どもがいる幸福感の方がずっと大きいと思っています。それでも飲みの席なんかで、独身の人に向かって結婚っていいものだとはあまり強調せず、独身の自由気ままさが羨ましいねなんて言っていますから、ある意味二枚舌なのかもしれません。既婚者の二枚舌を真に受けて独身を貫いているというわけではないのでしょうが、自分は牛窪氏の言われる「やせ我慢」というのが意外に真実をついているのではないかと思うのです。