2017年7月31日月曜日

残業が多い人は、ビジネスメール作成に時間がかかっている

残業が多い人は、ビジネスメール作成に時間がかかっている - ITmedia ビジネスオンライン:

 今回は、日本ビジネスメール協会が発表した「ビジネスメール実態調査2017」についてのIT mediaの記事を元に、ビジネスメール作成にかかる時間がいかに仕事の効率に影響しているかという話題を取り上げようと思います。

 仕事で1日あたりどれくらいのメールを送受信しているか、平均を取ったのが下の図です(↓)。送信メールは1日あたり12.6通、受信は平均39.3通で、この数字は役職や仕事上の役割で大きく異なります。送受信とも、一般社員から管理職になるにつれて増加し経営者・役員まで行くと逆に減るというカーブを描いていて、送信メールのピークは課長クラス、受信メールのピークは部長クラスとなっています。このカーブは自分の持つ感覚ともよく一致していて、自分の会社では実質的にプレイイングマネジャーである課長クラスがどんどん情報を発信しますが、あとで俺は聞いていないクレームを付けられないよう部長クラスにもCCでコピーを送信することが多い。結果的に、仕事やプロジェクトを引っ張る課長クラスにメール送信数のピークがあり、部長職に受信のピークがあるというように理解できます。


 では次に、メール1通を作成するのにかかる時間はどれくらいでしょう(↓)。平均時間は1通あたり6分ですが、25%もの人が1通につき10分以上かかっているとのこと。「残業時間が多いと感じることがある」と答えた人はメールの送受信とも多い傾向があり、メール作成時間も全体平均より長めの7分かかっています。自分が気になったのは、メール作成にかける時間は役職や仕事上の役割とさほどの関連性がないように見えることです。なんとなく、一般社員や係長クラスが上位職の課長や部長にメールを送るときは言葉遣いや添付ファイル漏れがないかなど注意項目が多いので時間がかかり、役員や部長クラスなど上位職の人が下位の職の人へメールを打つ場合は、あまり気を使わずに一言くらいなので、時間がかからないのかと思っていました。実際のところは、役職が上がっても1通のメールにかかる時間は6分前後で、メールは相手が忙しい人であっても一定の時間を奪ってしまっている可能性があるということでしょう。


 これらの調査元である日本ビジネスメール協会は、「メール作成の過程は可視化されにくく、費やしている時間も把握しにくい。生産性を落としている原因が、メールにある可能性を考慮し、使い方や作成時間を見直す必要がある」と指摘しています。自分の会社でも、部内・課内の連絡もメールですしちょっと歩けば相手がいるのに、やりとりの痕跡を残したり上位職の人を巻き込むためにわざとメールで送信する場合も多いのが実態です。ちなみに、Gmailを提供するグーグルの社員はメールをほとんど使わないという皮肉な話もあるくらい、メールがあることによって失われる仕事の効率は少なくないのが現実です。

 相手の時間を奪う同期通信の電話と違い、メールは読む時間を相手に強制しない非同期通信の便利さを売りにビジネスの現場に入ってきましたが、受信するメールが多すぎると読むのを諦めてしまったり、メールに莫大な時間が取られ本来の仕事の差し支える本末転倒も起きつつあります。メールを書こうというときは、先に「そのメール、本当に必要ですか」と自問自答した方がいいかもしれません。

動的平衡という発想

(天声人語)動的平衡という発想:朝日新聞デジタル:

 今回はこの山ちゃんウェブログでは初めて、朝日新聞デジタルの「天声人語」を元ネタにしようかと思います。元記事では、生物学者の福岡伸一氏が打ち出した「動的平衡」という考え方を政党という組織に当てはめて考えようとしています。ここでは、ちょっと元記事の展開から自由になって、システムアーキテクチャの話や組織論への展開を試みてみます。

  本来は「動的平衡」というのは物理や化学の世界で言われる言葉で、互いに逆向きのプロセスが同じ速度で進行することで、系全体としては時間変化せず平衡に達している状態のことを言います。例えば、密閉した容器に水と空気を入れ、水蒸気が飽和蒸気圧に達すると水が蒸発して水蒸気になる速度と水蒸気が凝縮して水に戻る速度が等しくなって「動的平衡」に達するというわけです。

 福岡氏の言われる「生物学分野での動的平衡」というのは、生物の体内で絶え間なく続いている分解と合成のことを言っています。生命は、いつも自らの解体と再構築を繰り返しているということです。例えば細胞の破壊と再生によって、同じ人でも1年も経てばすべての細胞はそっくり入れ替わって、1年前と同じ細胞は1つもないにも関わらずその人は相変わらず同一人物として存在しています。顔つき体つきも成長や衰えなどが多少あるものの、同じ人として認識可能なレベルにあるはずです。絶え間ない解体と再構築がないと、すべての細胞が一斉に寿命を迎えてしまい人として長く生きることもできないでしょう。言い換えれば、大きく変わらないために小さく変わり続けるということでもあるでしょう。

 自分は、元記事における「生物学分野における動的平衡」の話から、まずシステムアーキテクチャ論の「自律分散制御」を思い出しました(↓)。今となっては真新しい概念でもないのですが、当時は画期的な考え方でした。というのも、メインフレーム全盛の当時は中央集権型のシステム構成が当たり前、ほとんどの機能はホストコンピューターが提供していました。そこへ登場した「自律分散制御」は、元記事における「生物学分野における動的平衡」のように、生体からヒントを得た概念だと言われています。


 これは発想の大きな転換で、「全体システムを分割したのがサブシステムではなくサブシステムの集合が全体システム」という考え方です。全体を管理するホストがない、というかある意味では全体を管理し切れないと諦めた姿と言えるかもしれません。しかしその効果は絶大で、部分的な故障は一部のサブシステムには影響するものの全体には影響せず、全体に影響することなく一部の構成要素を交換したりメンテナンスしたりすることができるのです。これらはオンライン拡張性・フォールトトレランス性・オンライン保守性などと言われますが、これらの機能をもともと備えているのが生体じゃないかというわけです。今となっては自律分散という考え方は当たり前の概念で、一定以上のサイズのネットワークシステムを構成するとき必ず必要となる考え方です。その最たるものは、世界最大のネットワークシステムである「インターネット」でしょう。

 ではこの「自律分散」を組織論に展開しようとすると、どうでしょうか。次の図(↓)を見てみてください。(a)のような組織構成がいわゆるメインフレームの集中管理型と同じですが、こういう組織はトップが全員と直接的につながっており一定以下の規模の組織ではトップの意思が末端に直接伝わり機動的ですが、組織が大きくなればトップにかかる負担が大きすぎます。そこでほとんどの組織では、下の方の図(↓)のように集中型組織を階層的にしたヒエラルキー型を取ります。(b)が自律分散で言うところの "Decentralized" ですが、京セラのアメーバー経営のような小集団が自律的に動くことができるフットワークの軽い組織を作ることができると思います。(c)は分散は分散でも "Distributed" と呼ばれる形態で、個々人が完全に自律しているので、組織として共通の目的に向かうのは難しそうです。



 今回は元記事の「生物学分野における動的平衡」の話から、システム的なアーキテクチャ論の「自律分散制御」、そしてそれを組織論に展開した時にはアメーバー経営のような組織になるのではないかと展開してきました。システムアーキテクチャも集中型がいいとか分散型がいいとか、対象によって異なりますし時代における流行も行ったり来たりしています。組織論は長らく集中型を階層的にしたヒエラルキー型が幅を利かせてきましたので、ここらで自律分散型=アメーバー型が広がってきても良さそうな気がします。

2017年7月29日土曜日

長時間労働:夫に「早く帰って」4割 収入減ったら…

長時間労働:夫に「早く帰って」4割 収入減ったら… - 毎日新聞:

 今回は毎日新聞の記事から、夫たちは聞かないほうがよかった妻たちの厳しい本音の話です。最近とみに「働き方改革」の話を耳にしますし、昨日もプレミアムフライデーでしたので、早めに帰って家族とのんびり過ごしたり久しぶりの外食を楽しんだ方も多かったかもしれません。残念ながら自分の会社ではプレミアムフライデーの掛け声は最初だけで、始まって半年ともなる昨日は全くそれに触れられないほどでしたが...

 もちろん現実問題として早く帰れない人もたくさんいるでしょうし、残業を減らすのが非現実的な職場もあることでしょう。しかし国全体としては、政府が主導をとって長時間労働を減らす「働き方改革」を進めているところです。

 一方で毎日新聞が報じているところによれば、働き方改革によって夫が早く帰宅することを望む主婦の割合は、40%ほどにとどまることが民間の調査で分かったそうです。妻の本音としては、夫に家族と一緒にのんびり過ごして欲しいと思う一方で、残業手当が減って収入が減ってしまうことを心配する本音が見え隠れします。

 この調査は主婦向け人材サービス会社「ビースタイル」が登録者を対象に実施したもので、いわゆる専業主婦かの世帯の女性801人の回答を分析したアンケート調査です。夫の帰宅時間が早くなることを「希望する」と「どちらとも言えない」がいずれも40.1%。「希望しない」は19.1%でした。年代別では、20, 30代は「希望する」が52.1%と高いのですが、40代は38.3%、50代以上は34.7%と、世代が上がるにつれてその割合は減ってきます。子供がまだ小さくて育児に手がかかる世代は、夫が早く帰って育児や家事の手伝いをして欲しい、子供が大きくなってお金がかかるようになる世代は多く残業をしてたくさんの収入が欲しい。そんなところが本音と言えそうです。

 夫の帰宅時間が早くなることを「希望する」と答えた人の中には、「十分な睡眠を取ってほしい」「家族の時間を多く持ちたい」のような、夫の健康を気遣う意見や子育てを意識した意見が多かった一方で、「希望しない」「どちらとも言えない」は「収入が減る」や「(夫の食事づくりなど)家事負担が増える」という意見が多かったそうです。夫の立場としては、このアンケートに「希望する」と答えてくれた妻のためなら一生懸命働いて早く帰ろうと意欲が高まるでしょうが、「希望しない」それも夫の食事づくりなどの家事が増えるからなんて答えられた日には、100年の恋も冷めてしまいそうな気がしますね。

 そう言えば、昔「亭主元気で留守がいい」なんて言葉がありました(↓)。このCMが流行ったのは1986年。ちょうどバブル経済の始まる頃で、その2, 3年後バブル真っ只中で流行った「24時間戦えますか」(↓)と合わせて、モーレツビジネスマンの夫と家庭で専業主婦の妻というのが平均的な(あるいは日本が目指した)家庭像だったように思います。



 この時代は、たくさん残業すれば出世してますます昇給するというニンジンをぶら下げられていたので、このCMのようにたとえ妻に見放されても会社生活の充実を目指して頑張れました。しかし残念ながら、今の時代はいくら残業しても給料が増えない職場も多いことと思います。そういうケースは、会社生活はほどほどに家庭での生活(特に妻との関係)が精神的なよりどころになることも多いと思います。妻たちには、働き方改革で早く帰るようになった夫たちを優しく迎えてあげて欲しいなあと思う次第です。

2017年7月27日木曜日

先端テクノロジー、「クール」と「不気味」との分かれ目はどこ?

先端テクノロジー、「クール」と「不気味」との分かれ目はどこ? | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン):

 以前、人間にそっくりなロボットやCGは、むしろ人間との「違い」に目が行ってしまいマイナス感情が生じてしまう「不気味の谷」という話題を取り上げたことがありました。今回はロボットやCGだけでなく、最先端すぎるテクノロジーや行きすぎたパーソナライズサービスに対しても同じような「不気味の谷」があるという話題をBryan Pearson氏の記事(木内涼子氏による編集)を元に考えてみたいと思います。

 元記事では、小売業者が消費者向けに提供するサービスの中から、最先端技術によるサービス(特にパーソナライズサービス)について「クール」と感じるか「不気味」と感じるかのアンケート結果が示されています(↓)。

(1)音声認識: 言葉を発することによって、商品を探したり注文したりすることができる── クール 46%/不気味 22%
(2)指紋認証: 購入した商品の支払いから配送の申し込みまでができる── クール 46%/不気味 34%
(3)顔認識: 来店客の顔から忠実な顧客であることを認識し、店内にいる従業員にその人の好みの商品を知らせる── クール 18%/不気味 69%
(4)人工知能: 顧客の買い物習慣を把握しており、人工知能(AI)やデータを使ってその客の代わりに商品を選び、注文してくれる── クール 15%/不気味 69%
(5)AI顧客サービス: 人間のスタッフではなく、AIを利用したコンピュータープログラム(チャットボット)などが顧客サービスに対応する── クール 23%/不気味 50%

 他にも以下の技術については、世代によって「クール」と感じる割合に差が大きかったそうです(↓)。

(6) インタラクティブミラー/ VRゴーグル: 鏡の前で、今試着しているものに合わせる商品を映し出して示してくれる── ミレニアル世代 52%、全体 41%
(7)ロボット: 探している商品のある棚まで、店内を案内してくれる── ミレニアル世代 51%、全体 41%

 実は、元記事がこの結果から考察しているのは、テクノロジーの中でもパーソナライズ(個人の嗜好に合わせた商品提案など)に関する部分です。しかし自分は、このアンケート結果が示す「不気味の谷」は、パーソナライズに関するものだけでなくテクノロジーそのものに関するものとの2つが混在していると思います。例えば(1)(2)や(5)(6)(7)のような技術は、純粋にテクノロジーが最先端すぎてそのテクノロジーの利用に慣れていないという「未知なるものに対する恐れ」ではないかと思えるのです。一方で(3)(4)のようなものは、なぜ店側が自分に関するその情報を持っているのかと驚いたときの「不信感」ではないかと思います。

 このうち「未知なるものへの恐れ」から生じるテクノロジーそのものに対する「不気味の谷」は、その技術が一般化し、触れる機会が多くなるにつれて解消していくでしょう。例えば、初めて自動車をみた人は、馬と同じように走ることに最初は不気味さを感じたでしょうが、その技術が一般化していくにつれ不気味さは薄れていったことでしょう。もちろん、従来のテクノロジーの進歩は人がついて行けるほどのスピードだったので「不気味の谷」を感じづらかったのが、最近のテクノロジーの進歩は急激でちょっと目を話すとついて行けない程なので、とみに「不気味の谷」を感じる機会が増えたという事実があると思います。

 そしてPearson氏によれば、相手が個人情報を持っていることに対する「不信感」から生じる「不気味の谷」は、誰かに監視されていると感じる「ビッグ・ブラザー効果」です。常に誰かに見張られていると感じて背筋が寒くなるような感覚、プライベートも見張られていて気が休まらない感覚。この手の「不気味の谷」にも、我々は半強制的に慣らされてきた側面はあります。Googleのサービスがユーザーの情報を元にパーソナライズされていることはもはや常識ですし、Amazonや楽天などは我々が一度検索した商品を覚えていて、関連商品をしつこく勧めてきます。最初は、なぜ自分の欲しいものが分かるのかと気味悪く思ったものですが、やがてそういうサービスが世の中にあふれるに従って、慣れてきた側面はあります。

 パーソナライズサービスを提供する企業は、2つの手立てによってこの不気味の谷を取り除く努力が必要でしょう。1つ目は顧客に選択肢を示すことです。個人情報を提供してもらえればこんな便利なサービスを受けられますが、それを拒否してもいいですよというように。Pearson氏によれば、GoogleやAmazon・楽天などのサービスに慣らされた我々消費者の63%は「顧客体験が向上するなら、自分自身に関する情報を企業に提供する」と答えているそうです。そして、もう1つは企業が「隠し立てしない」ことです。どんな情報を収集しているのか、なぜそうするのか、それによって顧客はどのような利益を得るのか、について説明するのです。これらの手立てがないと、消費者は不気味さを解消することができず、やがてその企業のイメージにも影響してくる可能性があるでしょう。

2017年7月25日火曜日

着られるIoTシャツ「e-skin」のコンシューマー向けモデルが登場

着られるIoTシャツ「e-skin」のコンシューマー向けモデルが登場。目指すのは「ユニクロの棚に陳列されるような未来」|ギズモード・ジャパン:

 今回は面白い商品を見つけたので、ここで紹介したいと思います。その名も「e-skin」。ウェアラブル端末でもありウェアラブルIoTデバイスでもあるといった商品で、Tシャツに様々なセンサーがコントローラーが付いています。元記事は、ギズモード・ジャパンの武者良太氏による記事です。


 一見するとモーションキャプチャ用のセンサーシャツにも見えますが、このe-skinにはゲームのコントローラ、スポーツのフォーム検出センサー、熟練の職人の技を数値化するためのセンサーなどが備わっています。シャツの表面にライン状の歪みセンサーが付いているのがポイントで、単なる関節の動きだけではなく体をひねる動きも検出できるので、ゴルフのスイングチェック(↓)や野球のバッティングフォーム・投球フォームのチェックなどにも適していそうです。フォームの "くせ" 検出にディープラーニングを使用しているそうで、トッププロのスイングの真似をしてもなかなか飛距離が伸びないといった時でも、アプリが素人に分からないトッププロとアマチュアの差を教えてくれるかもしれません。


 構造的には、胸の真ん中にジャイロセンサーと加速度センサーがあって、ここが各種センサーの取得データを収集して外部に送信するパーツのようです。洗濯する場合も、胸のハブさえ取り外せばそのまま洗濯機で洗えるとのこと。そしてセンサーデータの取り出しはBluetoothで、ハブ自身がユニバーサルWindowsプラットフォーム(UWP)対応ということなので、Microsoft HoloLensのようなデバイスで直接的に扱うこともできそうです。

 開発元の東大発ベンチャー、Xenoma代表取締役CEOの網盛氏は「こういう服が、ユニクロの棚に陳列されるような未来を期待したい」と述べているそうで、現在の価格はシャツ・ハブ・開発用SDK・専用アプリケーションをまとめて479ドル(約5万4000円)からと、網盛氏の言われるレベルのコンシューマー製品を名乗るにはもう一歩といったところでしょうか。自分が仕事として関わるIoTはいわゆる「産業IoT(Internet of Things)」でおカタいものが多いのですが、ちょっと横にある「コンシューマーIoT」の世界ではアイデア次第で面白いデバイスがどんどん出てきそうですね。

2017年7月24日月曜日

オフィス廃止、遠隔飲み会…「完全テレワーク」効果は

オフィス廃止、遠隔飲み会…「完全テレワーク」効果は:朝日新聞デジタル:

 会社で仕事をしている人で、今日がテレワーク・デイだったっことを知っている人ってどのくらいいるのでしょうか。自分の職場で回ってきたメールによれば、2020年の7月24日は東京オリンピックの開会式の日で、公共交通機関の混雑が予測されるために、一斉にテレワークを行なう予行演習というか社会実験のようなものだということでした。自分の会社ではメールが回ってきただけで、特段テレワークを行なう動きはありませんでしたが、今日は900を超える企業や官公庁などが一斉に在宅勤務を行なったのだそうです。

 さて今回の元記事は、庄司将晃氏による朝日新聞デジタルの記事ですが、本社オフィスを廃止して「完全テレワーク」を導入するベンチャー企業が紹介されています。その企業とは、企業向けシステム開発を手がけるソニックガーデン。2011年設立で、経理業務などは外注なので、常勤の28人は全員プログラマー。首都圏以外に住む人も半数以上いて、主に在宅勤務に就いているのだそうです。社内の会話はチャットで行ない、込み入った打ち合わせなどはパソコン内のテレビ会議システムを使用します。創業社長の倉貫義人氏によれば、IT業界の人手不足は深刻で首都圏以外の人材も取り込むための措置でもあるのだそうです。ただ、オフィス勤務者と在宅勤務者がいる場合、どうしても在宅勤務者は疎外感を感じやすいので、それならばむしろ全員テレワークにしてしまえとなったのだとか。

 そういえば自分の勤める会社でも最近とみに「働き方改革」と唱えることが多くなってきました。例えば、サテライトオフィスなどを設置したりして、遠い出張先からオフィスに帰らず出張先のサテライトオフィスで作業するような働き方ができるようにもなってきました。他にも、ビデオ会議やインスタントメッセンジャーのシステムが導入されていて、そのためのインカムマイクも配布されました。それでも自分としては、特に技術的な打ち合わせやブレインストーミングなどを行なう時は、顔と顔を合わせてホワイトボードに書きながらという昔ながらのスタイルの方が好みです。一方的な報告会や定例ミーティングなどの場合であればビデオ会議でもいいかもしれませんが、その場の空気感や熱のようなものを共有できないと頭脳と頭脳の化学反応が起きづらいような気がしてならないのです。テレワーク・デイの今日、実際にテレワークを体験してみた人はどんな感想を持ったのでしょうか。

2017年7月23日日曜日

ブレグジットを撤回したくなってきたイギリス人。果たして可能?

ブレグジットを撤回したくなってきたイギリス人。果たして可能? | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト:

 今回は久しぶりに政治ネタ。イギリスのEU離脱(いわゆるブレグジット, Brexit)は、この山ちゃんウェブログでも何度か取り上げてきましたが、プラス方面・マイナス方面の双方の立場を取ろうとしたにも関わらず、結果的にマイナス優勢の議論に終始していました。今回のレジナルド・デール氏(米大西洋評議会シニアフェロー)による元記事(翻訳は河原里香氏)も、イギリス人自身がEU離脱を決めたことを後悔しているという内容で、今なら引き返せるぞというものです。

 デール氏のレポートによれば、Brexitをめぐってテリーザ・メイ政権が混乱の中にあり、イギリスはEUに残留すべきでまだ引き返せるとする声が一部で高まっているようです。昨年6月に国民投票までして決めたBrexitという方向性が実は間違っていたなんて口にすることは、つい最近まで政治的・社会的にタブーとされていました。しかし、根拠とされる国民投票は52%対48%という僅差で国民の総意というには弱く、一度ヘコんだ反対派が再び頭をもたげ始めているようなのです。自由民主党の新党首で人気の高いビンス・ケーブル下院議員やトニー・ブレア元首相など、公然とBrexitをやめる(EU残留)可能性を公然と語り始めているのです。英世論調査会社YouGovが6月に実施した世論調査でも、Brexitは間違いだする回答が、45%対44%という僅差とはいえ初めて正しいという回答を上回りました。

 この山ちゃんウェブログでは、トランプ政権誕生もBrexitも歴史的な階級間闘争の結果、鬱屈していた白人ブルーカラー層(労働者階級)がエリート層(専門職従事者)に反旗を翻した結果だという流れで解釈してきました。Brexitに関してはブルーカラー層の仕事を直接的に奪っていく移民・難民の問題が大きく、テロ問題と合わせて恐怖に突き動かされたブルーカラー層がエリート層から主導権を奪ったのだと。しかしトランプ政権の動きにしてもBrexitにしても、国や世界の方向性を決める慣れないポジションを手にしてしまったブルーカラー層が戸惑いを見せているように感じてなりません。生活が脅かされる恐怖と怒りに任せて立ち上がってはみたものの、もともと政治意識が強いわけではなく国や世界の全体を考えるほどの見識もポリシーもありません。今さらながら自分たちの行動を後悔しているところかもしれません。

 例えば、Brexitの方向性は示したものの、ハードブレグジットかソフトブレグジットか、ノルウェー型かスイス型か、といった議論は国民投票の後にようやく始まりました。英通貨ポンドは下落、経済成長は鈍って、投資は減速し、物価も上昇しました。EUからの移民が大挙して本国に戻ることで、現場の熟練労働者不足も露わになってきました。ブルーカラー層からすれば、移民や難民に仕事を奪われて生活していけなくなる恐怖からBrexitを決めたのに、バラ色の世界どころか逆に経済低迷によって生活は苦しくなっていく。Brexitに必要な膨大な数の法律を通過させるのは、途方もない悪夢になることも明らかになってきました。あの国民投票はBrexitの一面しか見ていなかった、こんなはずじゃなかった、ということではないでしょうか。

 デール氏によれば、ブレグジットの撤回は、少なくともイギリスがEUを離脱する期限とされる2019年3月までなら手続き上も法律的にも可能だろうと述べておられます。しかし、現時点ではBrexit撤回を公然と訴える政治家はわずか数人です。Brexitがもたらす茨の道が、離脱期限までに世論を残留へと心変わりさせるのに十分な影響力を持つことになるのでしょうか。

2017年7月21日金曜日

エンジニアに話しかけていいタイミング

よう #365日の百合さんのツイート: "エンジニアに作業中話しかけていいタイミングを聞いたら大体こんな感じだったんだけど、プログラムに限らず作業中ってみんなこんな感じなのかもしれない。 http://t.co/gnp25pxdpP":

 今回は、よう #365日の百合さんのツイート(↓)をご紹介したいと思います。このツイートは3年も前のものなのですが、あまりにエンジニアの(というかプログラマーの)実態を的確に表していて、今さらながら自分の記事にも残しておきたい欲求にかられてしまいました。とにかく、余計なコメント不要、見れば分かる。そんなあるあるネタです。

「フェイクニュース」なのか「オルトファクト」なのか

あなたの言う「フェイクニュース」は、「オルトファクト」の間違いかもしれない | 文春オンライン:

 トランプ米大統領がメディアを攻撃するときによく使う「フェイクニュース」という言葉は、氏の大統領就任以来頻繁に耳にしますが、最近「オルトファクト」なる言葉も耳にするようになりました。今回はそんな話題を、佐々木俊尚氏の記事を元に考えてみようと思います。

 佐々木氏が書かれている「フェイクニュース」と「オルトファクト」に関する例は、福島第一原発事故にまつわる言説で、福島の子供達に甲状腺がんが多発しているという話です。これに関しては首相官邸の公式サイトにおいて、UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)の報告が掲載されており、以下のように明記されています。

心理的・精神的な影響が最も重要だと考えられる。甲状腺がん、白血病ならびに乳がん発生率が、自然発生率と識別可能なレベルで今後増加することは予想されない。また、がん以外の健康影響(妊娠中の被ばくによる流産、周産期死亡率、先天的な影響、又は認知障害)についても、今後検出可能なレベルで増加することは予想されない。

 つまり、信頼性の高い機関から科学的根拠を元に否定されており、自分は福島の子供たちに甲状腺がんが多発しているというのは「フェイクニュース」だと思います。しかし、佐々木氏がSNS上で上記の根拠を示した上でこのニュースはデマだと指摘したところ、甲状腺がん多発を否定するあなたの方がデマだという反論を受けたそうです。

 冷静にこの問題を考えてみると、例えばこの問題の調査に直接関わった本人であれば、実体験にもとづいてどちらの言い分が正しいのか判断を下すことができます。客観的に科学的に正しい判断かどうかは別ですが、少なくとも自分の経験という一次情報を元に確信を持って判断できるはずです。しかし、この問題を論じる人のほとんどは自ら調査をした人ではありません。誰かから聞いたり何かを読んだりした二次情報を元に判断していて、たくさんの二次情報を集めて論じている人もいれば少数の二次情報だけで論じている人もいるでしょう。自分は二次情報であっても情報元の首相官邸は信頼性が極めて高い機関だと思っているので、そこから出ている情報が正しいと考えていますが、単純に数だけで言えば福島の子供たちに甲状腺がんが多発しているという情報の方が多いのかもしれません(その方が衝撃的ですし、スポーツ新聞の見出しと同じで、衝撃的であればあるほど人の注目を集めますから)。

 言いたいことは、以前は情報の流れが一方向に統制されていて、例えば今回の例であれば首相官邸の発表を元に新聞社なども手メディアがニュース記事を作り、その記事を一般大衆に届けていました。しかし現在は、インターネットやSNSを通じて多くの人が情報を発信することができます。そしてネット上を行き交う情報は玉石混交で、たとえ事実でないことでも面白いことや衝撃的なことは瞬く間に広がります。ほとんどすべてが二次情報であるだけでなく、その情報元のあやふやです。この山ちゃんウェブログも「ウェブログ(Wikipediaによる定義は、WebページのURLとともに覚え書きや論評などを加えて記録しているウェブサイト)」という性質上、元記事をURLと合わせて明確にしているつもりですが、さかのぼってその元記事の情報源までたどって検証するところまでは行なっていないのが現状です。情報源を検証できない一般的なブログやSNSの情報は、「オルトファクト」となってしまっている可能性もあるのです。

 「オルトファクト」という言葉は適切な日本語訳が見当たりませんが、英語はAlternative Factsなので「もう一つの事実」とか「代替的事実」とでも訳せましょうか。この言葉は、大統領顧問であるケリーアン・エリザベス・コンウェイ氏が発祥のようです。コンウェイ氏がこの言葉を使った背景はこんな風でした。大統領の就任式にあまり人が集まらなかったという指摘に対して、トランプ大統領は「そんなことない!たくさん集まっていた!150万人はいた」と、推定25万人という報道を否定しました。ショーン・スパイサー報道官も、記者会見で「就任式の観衆としては文句なく過去最大だった」と説明したのですが、コンウェイ氏がテレビ番組でこのことを追及されたとき、「報道陣はスパイサーの発言を虚偽だというが、彼は "Alternative Facts" を述べただけだ」と釈明したのです。

 佐々木氏は「依拠している党派や立ち位置によって事実は異なってしまう」と言われています。しかし、本来「事実(Facts)」の対義語は「虚構(Fake)」です。客観的に正しいことが「事実」で、正しくないものを正しいと見せかけることが「虚構」ですから、事実か虚構かは客観的な観察によって万人が見分けられることのはずです。にもかかわらず「フェイクニュースだ」「いや、あなたこそフェイクニュースだ」という言い合いは、双方が二次情報を元にしているが故に起きる水掛け論です。原理的には、少なくとも一次情報を持つ人にはどちらが事実でどちらが虚構か見分けがつくはずです。しかしここで最初に述べた、福島の子供達に甲状腺がんが多発しているという話が明らかに虚構であると示しても水掛け論に陥ったことを思い出してください。一次情報でこそありませんが、極めて信頼性の高い機関から出ている情報をもってしても、水掛け論に終止符を打てないのです。

 それは先ほど述べたように、以前のように情報の流れが一方向に統制されておらず、様々なベクトルを持ち信頼性においても玉石混交の情報が溢れてしまっていることが原因だと自分は思っています。情報があまりにも多すぎてしかもその情報の方向性がバラバラなので、客観的な事実確認が難しく、情報を受け取った人による正しい情報の見分けが追いついてこないのです。一体何が事実で何が虚構なのか、情報の真贋を見極める能力がかつてないほど重要な時代になっていると言えそうです。

2017年7月19日水曜日

「コーヒーになります」「千円からお預かりします」に違和感?

(ことばの広場 校閲センターから)「コーヒーになります」:朝日新聞デジタル:

 今回の話題は日本語の言葉づかいに関するもので、板垣茂氏による朝日新聞デジタルの記事を元に考えてみようかと思います。例えば喫茶店で、注文したコーヒーを持って来てくれた店員さんが「こちら、コーヒーになります」。例えばコンビニで買い物をした時、店員さんから「レシートのほうはよろしかったでしょうか」「千円からお預かりします」。あなたは、この言葉の使い方に違和感を感じるでしょうか。

 例えば「コーヒーになる」という表現は、持って来たカップに入っているものはまだコーヒーではなくこれからコーヒーに変わるように聞こえる。「レシートのほう」は2つある選択肢のうちレシートの「ほう」、あるいはレシートの「方角」のように聞こえ、「千円からお預かり」はあなたから千円を預かるのではなく千円「から」何かを預かるというように聞こえるというわけです。岐阜大学で言語学の教鞭を執る洞澤伸教授によれば、こうした言い回しは「バイト敬語」と呼ぶのだそうです。「コンビニ敬語」「ファミレス敬語」という言い方もありますが、アルバイトの若者たちが接客の際に使っているからだそうです。若者の感性の中で、断定表現で丁寧さが全くないのは避けたいですが、敬語や丁寧語を完璧に使うのも逆に慇懃無礼な印象を与える可能性があるので、少しだけ婉曲に表すというところに落ち着いたのかなと思います。

 一般的に、断定的な表現は素っ気なく聞こえたり丁寧さに欠ける印象を与えますが、婉曲的表現で少し含みを持たせた言い方は相手を思いやった丁寧な言い方に聞こえます。例えばビジネスの世界でも、ある依頼を断る時に「できません」では取りつく島がなく相手に対して失礼な印象がありますが、「できかねます」「いたしかねます」とすれば、本当は依頼を受けたいのだけれどもやむなく断っている印象を与えられます。日本には相手との距離感を大切にする文化があり、直接表現は相手との距離が近すぎて「ぶしつけ」だとされます。婉曲表現は、相手と適度な距離を取って節度や敬意を表すための手法というわけです。

 確かに「…のほう」「千円から」という表現は、国語に関する世論調査(文化庁)でも頻繁に取り上げられ、2013年度の調査では「気になる」と答えた人はそれぞれ6割超、5割超もいたそうです。しかし一方で、テレビ番組で「テーマはこちらになります」、駅で「1番線に参りますのは東京行きとなります」など、「バイト敬語」が着々と浸透しているようにも感じます。自分は、伝統的な敬語や丁寧語を完璧に使い過ぎても逆に慇懃無礼な与えかねない、そんな場合はバイト敬語で少し崩した婉曲表現で丁寧さを表現するのも、新しい敬語としてアリなんじゃないかと思います。

2017年7月18日火曜日

「下流大学は門前払い」インターンの実態

「下流大学は門前払い」インターンの実態 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online:

 前回、勉強→学歴→収入のループについて書き、今回も同じような話なのですが、就職活動における「学歴フィルター」の話題です。元記事は、ジャーナリストの溝上憲文氏によるものです。

 皆さんはインターンシップというのをご存知でしょうか。インターンシップとは、大学生が一定期間企業で働く「職業体験」のことを言います。当初は外資系企業が一部の有名大学の掲示板を使って学生を募集し、10日間ほどで1日あたり1万円ほどという条件で実施されていました。2000年代に入ってからは、不況下の人材採用の一環としてインターンを実施する日本企業が現れ、その後「就活はインターンから始まる」とまで言われるようになってきています。企業側の建前としては、若い人を受け入れることによる社内の活性化や自社の若手社員の成長を促すことだったりと言っていますが、実際の目的は学生の囲い込みだということは周知の事実になっています。学生側もその建前と本音の部分はよく心得ていて、インターンシップに参加して企業にアピールすることで有利に進めようという意図が持って臨んでいるのが実態でしょう。

 そんなインターンシップですが、溝上氏は、インターンシップ参加の選考で「大学フィルター」をかけている企業も少なくないと指摘されています。かつて企業説明会であらかじめ企業側が指定した大学の学生を優先し、席に余裕があるときのみ他の大学生に募集をかけるという「大学フィルター」がありましたが、イマドキはインターンシップもその対象になっているようなのです。ある大手総合商社のインターンシップは50人の募集に3000人が応募するほど高倍率ですので、あらかじめ大学名でフィルターしないと選考しきれないという実態もあります。

 実際、溝上氏が取材した金融業の企業は、事前に対象大学を旧帝大クラスと早慶、GMARCH(学習院、明治、青山学院、立教、中央、法政)クラスで約7割、その他の大学を3割に絞り込んで面談し、参加者を決めているのだそうです。最終的なインターン参加者も、GMARCHクラス以上が9割を占めているのだそうです。他にも、元記事ではあるIT企業の人事担当者の話として、こんな話を紹介されていましたので、そのまま再掲させていただきます(↓)。

もちろんいろんな大学にも広げたいが、採用実績校などの優秀な学生に他社よりも早く接触したいという思いがある。大学名で分けることに批判があることは承知しているが、旧帝大や早慶など偏差値の高い大学にいるということは少なくとも受験プロセスとして受かるための学習をしてきた人たち。学ぶ力、学習する力は社会人になっても再現性があると見ている。少なくとも他の大学生よりも勉強のやり方は知っている。だから大学フィルターは当社にとって優秀な人材を採る手段として有効だと思っている。もちろん入り口の目安であって、実際に採用するかどうかはじっくり吟味して決めている

 溝上氏はこの人事担当者の話を、学歴以外の方法で学生の能力を見抜くスキルが少ないことを露呈していると批判されていますが、実際のところ企業にとっては少ないコストで優秀な学生を採用することが重要なわけで、学歴を持っている学生はある一定以上の水準にある確率が高いということは紛れもない事実です。ましてや、建前上はインターンシップの参加者を決めることと採用活動は一線を画しているはずですから、採用のためでもないのに効率の悪い選別方法を取る必然性は全くありません。企業の論理からすれば、学歴フィルターでまず一定の水準以上の学生に絞り込むというのは、極めて自然な姿だと言えるでしょう。

 一方で学生が企業を選ぶ傾向として、明らかに大企業志向が強まっているそうです。18年大卒の求人倍率は1.78倍で前年の1.74倍を上回ります(リクルートワークス研究所調査)が、従業員5千人以上の企業に限ってみれば0.39倍と前年の0.59倍を下回るのです。大企業に限ってみれば、学生の売り手市場どころか完全なる企業側の買い手市場だと言ってもいいでしょう。

 溝上氏が取材された、建設関連企業の人事担当者の話が面白いので、やはりそのまま再掲させていただきます(↓)。

私たちの世代を含めて以前は大学ヒエラルキーによって入れる企業が暗黙の了解で決まっているところがあった。この大学ならこのクラスの企業だとか。でも今の学生は明らかに入れない大学の学生でも大企業を目指している。それに対して大学側は何も言わない。学生も堂々と『大学フィルターをかけるのはおかしくないですか』とか、『どうして大企業に入れないのですか』とキャリアセンターに平気で聞いてくるが、キャリアセンターの職員も学生に『大企業は難しいし、受けるな』とも言えない。もちろん企業側も悪い。『人物本位で採用します、大学は関係ありません』と言っている。本音と建前が交錯し、大学生に理解を求めるのはなかなか難しい

 つまり、建前上は学歴フィルターは「ない」ことになっているのですが、本音のところでは「ある」のです。以前は公然と「ある」ことになっていたので、学生側も学歴フィルターは「ある」ものとして、自分の学歴と企業のレベルを照らし合わせて身の丈にあった企業を選んでいました。それが最近は学歴フィルターは「ない」ことになっていて、大学側も学生に対して学歴フィルターは「ない」と指導します。ところが、ピカピカの学歴を持って大企業に就職して行くような学生は、企業の本音は学歴フィルターが「ある」ことなどとうの昔に承知済みです(だからこそ彼らは多かれ少なかれ苦労して学歴を手に入れたわけです)が、世間知らずの下流学生は学歴フィルターなが「ない」という建前をそのまま信じ込んでしまいます。彼らは6月の選考時期が来たとき、大企業から軒並み門前払いされることで、自分の世間知らずを思い知らされることになってしまいます。

 学歴フィルターに関するこの「二枚舌」で割りを食うのは、下流大学の学生ばかりではありません。中小企業も、以前は中流学生や下流学生が身の丈相応として選んでもらえていたのが、最近の猫も杓子も大企業という風潮で、学生がなかなか集まらなくなっているのです。

 日本の国民性なのか、経団連も企業も大学も、人に優劣をつけることに批判を受けたくない心理が強く働いているようです。小学校の運動会でかけっこの順位をつけないという心理も、同じ心理の表れだと思うのです。しかし現実社会では、日々熾烈な競争が繰り広げられ優劣がつけられているのが現実です。競争や優劣が「ない」と教えられて育った子供達・学生たちは、社会に出て厳しい現実を目の当たりに思い知らされたとき、どうしてもっと早く教えてくれなかったのかと憤りを感じるのではないかと思うのです。学歴フィルターは「ある」とか、頭のいい人が社会を牛耳っていて頭の悪い人はその搾取にあうとか、そういうシビアな現実をしっかり教えてくれていれば自分ももっと頑張ったはずだと。

 つまり言いたいことは、大人たちは「二枚舌」で子供たちを騙すようなことはやめましょうということです。社会は不平等に溢れていますし、頭がいいとかピカピカの学歴があることのパワーは思った以上に大きなものです。そういうことを思い知らされている大人は、せめて自分たちの子供には社会の現実を伝えた上で、頭がいい側・学歴がある側になれるようサポートしたいものだと思うのです。

2017年7月16日日曜日

「親が貧しい子」は勉強でどれだけ不利なのか

「親が貧しい子」は勉強でどれだけ不利なのか | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準:

 今回の話題は、子供を持つ親として薄々気づいてはいたけど目を背けてきた事実に関するお話です。それは、親の経済力が子供の学力に大きな影響を与えるという事実です。以前この山ちゃんウェブログでは、親の経済力よりも学歴の方が影響が大きいという話題を取り上げたことがありますが、厳密に親の経済力と学歴のそれぞれの因子が子供の学力に与える影響度を数値比較したものではありません。今回は橘木俊詔氏の記事を元に、 親の経済力が子供の学力にリンクする悲しい現実と、親から子・子から孫へと繋がる正の連鎖・負の連鎖について考えてみたいと思います。

 元記事では親の収入と子供の学力の関連を示すデータとして、文部科学省による小学校6年生の全国学力テストの正答率を親の年収別にカテゴライズした結果が示されています(↓)。なぜ国語と算数だけなのか(他の科目は親の年収との関係性が見えなかったのか)と思いきや、全国学力テストの対象科目は国語と算数だけのようで、そこにデータ操作の意図はありません。

 このグラフの結果からは、明らかに親の年収が高ければ高いほど(グラフの下へいくに従って)子供は高い点数を取ることができている(グラフが右に大きく伸びている)ことが分かります。親の年収と正答率には完全に正の相関関係があり、親の年収が200万円未満の子供と1500万円以上の子供の正答率の差はだいたい20%くらい、国語よりも算数の方がやや差が大きいという結果が得られました。

 その原因として真っ先に考えられるのは、親に経済力があれば子供を塾に行かせる余裕があり、塾などの学校外教育費を多く捻出でき、結果的に子供の勉強量が増えるからだということです。実際、スポーツ・芸術・家庭学習・教室学習のそれぞれの学校外教育費を親の年収ごとにカテゴライズした次の上側のグラフでは、やはり年収が上がるとともにかける費用も多くなっていることがわかります。下側のグラフは、中学受験を予定しているかどうかで学校外教育費の支出がどの程度違うのかを示しており、教室学習(いわゆる塾)にかけている金額は中学受験を予定している家庭は月当たり2万4000円も支出しているのに対して、しない予定の家庭は3900円にすぎず、なんと6倍もの差があるのです。

 中学受験をする予定の家庭の中での親の年収別のデータがないのが残念ですが、お金のかかる私立中学への受験を考える家庭は、親の年収が高いほど多いだろうと容易に想像がつきます。お金持ちの家庭は、子供を私立中学に通わせるために塾に多くの費用をかけているということでしょう。お金持ちの家庭の子供は、小学校から塾に通って名門私立中に入学し、そのまま難関大学に合格するというコースを歩めますが、一方で貧しい家庭の子供は、公立校で落ちこぼれてしまっても補習塾に行くことはできません。

 そして一方で、学歴が生涯賃金に大きな影響を与えるという事実もあります。つまり、お金持ちの家庭に生まれた子供はしっかりと教育に費用をかけてもらえるためピカピカの学歴を得られる可能性が高く、そうして得られた学歴は高い収入に繋がります。高い収入を得られるようになると、また自分の子供にもしっかりと教育費をかけることになり、「高い学力・ピカピカの学歴・高い収入」という正の連鎖があるというわけです。それに対して、貧しい家庭に生まれた子供は、その反対の負の連鎖が生まれることも多いでしょう。

 この「お金持ちの正の連鎖」「貧困の負の連鎖」については、教育に掛ける費用の違いもさることながら、自分は「教育」に対する親の認識の違いも大きく関わっていると思います。つまり、お金持ちの家庭に生まれた人は小さい頃から、勉強ができる→立派な学歴→高い収入というループを親から叩き込まれます。逆に貧しい家庭はその日暮らしになりがちで、子供の目を勉強に向けて生活費を削る羽目にならないよう、むしろ勉強の大切さを子供に教えない傾向があるのではないかと思います。本来は生活費を削って無理してでも教育費をかけることで子供を正の連鎖に乗せることができれば、将来高い年収を得て親も安泰な生活に近づくのです。しかし、貧しい家庭に育った親自身が教育の持つパワーを認識していません(または過小評価しています)から、生活費を削ってでもということに繋がらないのでしょう。
富裕層・貧困層といった言い方がされるように、社会における階層はだんだん固定化される傾向にあります。お金持ちの家庭に生まれれば正の連鎖によって自分もお金持ちの人生を歩めますが、貧しい家庭に生まれれば負の連鎖によって貧しい人生が待っています。本当の極限の貧困にあえいでいる家庭に対しては言えないのですが、生活費を切り詰めて無理してでも子供の教育にお金を回すことができる家庭は、ぜひ負の連鎖を断ち切ることを考えて欲しいと思います。勉強ができることのパワーは、思っている以上に大きいものだと思います。

2017年7月14日金曜日

世界初の「バッテリーが要らない携帯電話」が誕生

世界初の「バッテリーが要らない携帯電話」が誕生 - GIGAZINE:

 これすっごく欲しい!そんな携帯電話が紹介されていました。ワシントン大学の研究者が開発した携帯電話がスグレモノで、世界初、バッテリーなしで動く携帯電話です(↓)。

 基板ムキ出しで愛嬌抜群の「Battery-Free Cellphone」。ちゃんと基板に「Battery-Free Cellphone」って書いてありますね。もちろん、消費電力を抑えるために液晶は搭載していません。それでもボタンをぽちぽちっとやることで、ちゃんと電話が掛かります。仕組み的には、音声通話にSkypeを利用していて、音声のアナログ信号をデジタル信号に変換する時はマイクやスピーカーの振動を捉えてデジタル信号に変換しているのだそうです。この辺りでも省エネ設計が徹底されていますね。やはり優れているのはその省エネぶりで、こんな風にわずか3.48μWしか使用しないのです。(ちなみに一般的なスマホは液晶だけで3.5W程度使ってしまうので、Battery-Free Cellphoneはその100万分の1程度しか電力を使いません!)

 そうは言ってもほんのわずかでも電力を消費するわけですから、全く電力の供給ゼロというわけにはいきません。電力はバッテリーから供給するのではなく、周囲の基地局となる端末からのRF信号(高周波の電波)を掴まえて電力に変換、フォトダイオードで光も電力に変換することで、バッテリーなしの通話を実現しています。

 この山ちゃんウェブログでは、以前に通話オンリーのシンプル携帯電話をご紹介したことがありましたが、こっちの方がもっと凄いですね。最近はバッテリーを搭載したものばかりで、暇さえあったら充電、充電、充電、...。自分の場合は、スマホにノートパソコン、スマートウォッチ、ウォークマンにBluetoothイヤホンまで充電が必要ですから、家に帰ったら充電ばかりしている気がします。電話だけでもその煩雑さから逃れられるというのは、すごく魅力的です。Battery-Free Cellphoneのただ一つの弱点は、相手の喋ることを聞くモードとこちらから話すモードをボタンで切り替えなけけばならないのが、ちょっと面倒なことですが。

2017年7月13日木曜日

職場の生産性上げたい? 雇うべきは「理系人間」

職場の生産性上げたい? 雇うべきは「理系人間」 - WSJ:

 今回は自分の存在意義を確認するような記事ですが、Lauren Weber氏が「理系人間は生産性が高い」ということが書いてありましたので、紹介させて頂きます。

 Weber氏の報告によれば、従業員に占める科学者やエンジニアの割合が高い企業は、そうでない企業よりも生産性が高いことが分かったのだそうです。つまり、全米経済研究所(NBER)の研究で、工場の従業員の10%が科学者やエンジニアの場合、同じ従業員数で専門技能者がいない工場に比べ、生産性が4.4%高かったのです。

 工場の生産性が理系の人たちに支えられているのは、言われてみれば当たり前に思います。しかし、実は科学者やエンジニアが研究開発や生産技術用のような理系全開の仕事に関わっていない場合でも、その傾向は同じだったというのです。実際、民間の科学者やエンジニアの8割は研究開発部門ではなく、ITや運営部門に属しています。理系の脳を持つ彼らは、どちらかと言えば文系脳の人の方が得意に思える部門でも高い能力を発揮するのでしょうか。元記事の根拠になっている論文の著者の1人、リチャード・フリーマン氏は、其の秘密は彼らが他の従業員に対して行う研修にあると考えているようです。

 例えば、業務システムを更新したり新しい製造プロセスを導入したりする時、指揮棒を振る人も重要ではありますが、それだけでは笛吹けど踊らずということになってしまいます。彼の振るタクトに従って業務の改善を行なう「実務」、そして「研修」によって他の従業員にその改善を浸透させる能力に長けているのは、実は理系脳を持つ人材なのかも知れません。自分は理系の大学・大学院から電機メーカーの設計開発部門という筋金入りの理系人間ですので、こういう話は嬉しい限りですね。

2017年7月12日水曜日

集中、発想、記憶、一番欲しい能力は?

集中、発想、記憶、一番欲しい能力は? | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online:

 今回は「集中力、発想力、記憶力」の能力のうち一番欲しいのは何かという、プレジデントウーマンのアンケート結果をご紹介したいと思います。元記事はプレジデントウーマンの横田良子氏によるものです。

 集中力、発想力、記憶力。自分が一番欲しいのは、ズバリ「発想力」です。自分の勝手なイメージかもしれませんが、集中力が持続しないとか記憶ができないといった、極端にこの能力が低いことは脳の病気だと認定されていて、それはつまり、多くの人にとって集中力・記憶力が一定レベルにある前提で、そこから極端に能力が高い人は「天才」と言われます。しかしこれらの能力が高い人は、「天才」と呼ぶよりも「秀才」と呼ぶ方が適しているのではないかと自分は思っています。それはつまり、集中力も記憶力も外部から観察可能だったり、計測可能だったりする能力だからです。医学的・科学的に集中力を測るテスト、記憶力を測るテストというのがあって、その点数が高いことで才能があるとされるのは、やはり「秀才」の名が相応しいのではないかということです。

 それに対し「発想力」については、それを客観的に観察したり計測したりする方法がほとんどないのではないかと思うのです。もしかして自分の知識がないだけで実際にはあるのかも知れませんが、集中力・記憶力に比べて計測手法がかなり難しそうに感じます。そもそも計測できないので、発想力が低いから精神病だと認定されることもない。そういう「計り知れない」能力が高い人こそ「天才」の名に相応しいのではないでしょうか。確かに、発想力を高めるとされるメソッドやフレームワークが提唱されてはいます。

 この山ちゃんウェブログにおいても以前、ロジカルシンキングに対するラテラルシンキングというメソッドを取り上げましたが、これも思考が順方向か逆方向かとか連続的か非連続的かのような違いであって、本質的には天才的な発想とは違う気がするのです。それでも、論理的にロジックを積み上げるロジカルシンキングに対して、ナナメ上の発想を得やすいということで、極端なケースを考えてみるラテラルシンキングは少しは天才に近づく方法かも知れません。

 ということで、やはり憧れは「秀才」よりも「天才」かなぁということで、自分としては発想力が一番欲しいところですが、皆さんはどの能力が一番欲しいでしょうか。元記事に示されているアンケート結果は、こんな感じ(↓)... やっぱり、みんな憧れは「天才」なんですね!

2017年7月11日火曜日

「やる時間がなかったです」といういいわけが多い職場は、根本が間違っている

「やる時間がなかったです」といういいわけが多い職場は、根本が間違っている。 | Books&Apps:

 今回は、なるほどそういう見方もあるのかと思った話をご紹介したいと思います。元記事は、安達裕哉氏によるもので、話題は仕事をしている上で意外とよく耳にする「時間がなかった」という言い訳です。

 依頼された仕事をやっていなくていざ期限が迫った時、あるいは期限が来てしまった時、依頼元が「あの仕事どうなった?」と聞いて来ます。依頼元は顧客かもしれませんが、多くのケースは社内の他部署や上司かもしれません。実際にその仕事が終わっていない時、あるいは手さえも付けていない時、あなたはどんな言い訳をするでしょうか。「別件が入ってしまって、時間が取れなかったんです...」 こんな言い訳を口にするケースはありませんか。この言い訳は意外によく使われる割に、そこから醸し出されるニュアンスは「自分は無能です」と言っているように聞こえます。

 確かに仕事は忙しいですし、やらなければならないことは山ほどあります。他の仕事が思ったより時間が掛かってしまったという場合もあるでしょう。もし本当に時間が取れないなら、最初のうちに断るか期限が十分にあるうちに依頼元と調整するのがあるべき姿です。依頼内容に不明点があったりして仕事を進められなかったなら、依頼元への確認を怠ったということですし、もし依頼された仕事の存在そのものを忘れていたのなら、厳しい言い方をすればビジネスマン失格です。

 自分はこの手の言い訳が出る時、それは全面的に言い訳をする側が無能なんだと思ってました(少し厳しい言い方をしていますが、実際に自分もこの言い訳をしたことがあり、自省の念も込めてということです)。しかし安達氏の元記事は、もう一つのケースがあることを指摘しています。それは例えば上司が部下に仕事を依頼した時、部下の側が「『わざと』その仕事をやらない」というケースです。どういう意味でしょう。上司からの業務命令である仕事を『わざと』やらないなんて。安達氏がヒアリングしたビジネスマンの正直な告白に、その真実が隠れています。それは、上司がその仕事を依頼したことすら忘れているケースが多いので、部下としては本当にその仕事をしなければならないのか様子を伺っているということです。

 つまり、上司が思いつきで部下に仕事を振ります。以前はその仕事を全部こなしていたかもしれませんが、一生懸命完成させた仕事を、その上司はチェックもフォローもしなかったのです。こんな経験が何度か続くと、部下はこう思います。「この上司の言うことは全部聞く必要はないんだな」と。そして大抵は部下に仕事を振る時の期限は、上司自身がチェックする余裕を持って早めに設定することが多いので、部下としては「あの仕事どうなった?」とフォローされたら「これからやります」と答えておけば十分だと言うわけです。たまに上司がフォローを忘れていた場合、部下からは「やる時間がなかったんです」という言い訳が出るということです。本心の「え?これ本当にやってほしい仕事だったの?」とという言葉を飲み込みながら。

 つまり「やる時間がなかったんです」という言い訳が出る職場は、この言い訳をする部下に問題があるケースもありますが、上司が「本当にやるべき仕事」を認識できていないケースもあるということです。つまり、上司側にやるべき仕事とやらなくてもいい仕事の判断ができていないために、何でもかんでも部下に投げ、投げた仕事を管理していないのでフォローしない。部下は次々と仕事を投げてくる上司の仕事を全部こなしきれないので、受けた仕事は一旦バッファーに入れ、フォローされた時に「本当にやる仕事リスト」に移すということをしているのです。つまり部下が無能なケース以外に、上司が無能というケースがあるということなんです。あなたの部下から「やる時間がなかったんです」という言い訳が出た時は、その部下が無能なのではなく、自分が無能だということなのかもしれませんよ。

2017年7月10日月曜日

自ら机に向かう子の親が“欠かさない習慣”

自ら机に向かう子の親が“欠かさない習慣” | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online:

 今回の話題は小学生の子供がいる自分にはぴったり、「勉強しなさい」と言わなくて住むための方法。元記事は現役小学校教諭でもある、松尾英明氏によるものです。難関大学に入るような学生は、ほとんど「小学生時代に親に勉強しろと言われたことがない」と話しているそうで、ぜひ小学2年生の長男もそうなって欲しいものです。

 「宿題は終わったの?」「早く勉強しなさい!」「いつになったら始めるの!?」。自分が小学生の時に言われたくなかった小言を、いざ親になってみると頻繁に口にしていることに驚くことがありませんか。そうやって無理やり机に向かわせて、嫌々ながら勉強しても学習効果が上がるはずがないことは百も承知のはずです。それでも口にせざるを得ない。小学生くらいの子供を持つ親の共通の悩みではないでしょうか。

 そもそも、親に言われる前に子供が自ら机に向かって勉強することはなぜ望ましいのでしょうか。それは、「学習の習慣」を身に付けることが、その後の勉強の成果に大きなプラスをもたらすからです。親としてはその効果を身に沁みて経験しているからこそ、我が子に口を出さざるを得ません。大学卒業までと考えれば、人生の中で勉強がメインの期間は小学校・中学校・高校・大学の6+3+3+4=16年間もあるわけです。本当は社会人になっても勉強は続くのですが、少なくとも16年間も勉強期間があって、そこを有利に乗り切るためにも、小さいうちに自分から勉強する習慣を身につけさせたいものです。

 ところで、子供の中にも自ら進んで勉強するタイプの子供もいますが、口うるさく言ってようやく机に向かう子供と彼らはどう違うのでしょう。彼らは決して、学習の習慣を身に付けることが自分の将来のために大切だと認識しているわけではありませんし、自然と自分から机に向かうようになるわけではなありません。子供とは本来、四六時中走り回っているものだからです。「多動」が普通で、机に向かって座っているのは本来不自然なことです。その不自然を実現するためにはなんらかの外力が必要で、その外力が「習慣」なのか親の怒鳴り声なのかという違いなのです。つまり、自ら机に向かう子に育てるためには、親がうまく勉強を習慣化してあげることが大切というわけです。

 言うは易く行うは難しの典型のようですが、まず「勉強=楽しいもの」ということをできるだけ早く認識させてあげることが重要です。残念ながら小学校低学年の勉強は、覚えることや繰り返しトレーニングが多く、子供に「勉強=苦しいもの」というメッセージを植え付けがちです。自然の中で「なぜ」と思ったことを一緒に調べたり、習った漢字を使っていろんな言葉遊びをしたり、買い物やお菓子を分けたりする時に算数を使ってみたり、生活かゲームの延長線上に勉強(松尾氏は「勉強」という言葉は辛く苦しいというイメージの漢字なので、「学習」と呼ぶ方が良いと言われています)があって、それは楽しいものだというメッセージを発し続けることが大切です。松尾氏は、学習は楽しいものだということで、「楽習」という言葉を使用されています。

 しかし、子どもを自ら机に向かわせるのは至難の業で、それなりの「仕掛け」が必要です。例えば、机をどこに置くかという問題があります。最近、勉強のできる子を育てるにはリビングに机がある方がいいという話を聞きますが、松尾氏によれば、小学校低学年のうちは有効ですが、高学年以降は自分の部屋で一人になれるところに机がある方がいいことも多いそうです。それは、子ども自身が帰る時間が遅くなり弟や妹のテレビの時間と勉強時間がかち合ったり、思春期に入って親のアドバイスを聞きづらくなったりなど、理由は様々ですが、要するに「これをすれば万全」というすべての子どもに当てはまる黄金律はないということでしょう。家庭環境や家の間取り・子供の性格など、その子に合った場所に机を置く。もし勉強の習慣が身につきづらそうにしているときは、机の配置を変えてみるというのも一つかもしれませんね。

 机という場所が確定すれば、次は時間です。いつどのくらいの時間勉強するのか。机に向かって勉強するというのが、子どもにとって不自然なことである以上、最初のうちは一定のルール化が必要です。何時から何時までと時間が決まっている方がいいタイプの子供もいますし、1週間でトータル何時間と自由度がある方がいいタイプの子供もいますが、低学年のうちは時間を決めた方がいいでしょう。

 そして松尾氏は、子供が机に向かって勉強してもご褒美は上げてはならないということを強調されています。勉強することは自分のためであって、ご褒美にゲームさせてもらえるからとか褒めてもらえるからという「報酬」で釣ってはならないというのです。

 最後に、松尾氏の言われることが我が家でどのくらい当てはまって、あるいはどのくらい違ってしまっているかを考えてみようかと思います。自分のところはオクさんもフルタイムの仕事を持っている完全な共働き家庭ですので、小学2年生の長男は学校の授業が終わると児童クラブに行きます。児童クラブでは、お友達や上の学年の子供に混じって机の前に正座し、宿題やドリルなどをやります。どのくらいの時間という決まりがあるのかどうかは実は知らないのですが、宿題や勉強が終わったらグラウンドでサッカーやドッチボールをしたり、室内の場合は将棋をしたり本を読んだりして過ごしているようです。夕方、おばあちゃんに妹と合わせて迎えに来てもらい、夜ご飯も食べさせてもらったところを、オクさんが迎えに行って自宅に帰り、お風呂に入ってからオクさんが宿題のチェックをするという流れです。

 スケジュール的にも余裕のない生活を送っているのですが、長男の勉強の習慣としては児童クラブの役割が大きいと思います。残念ながら、児童クラブは分からないところを教えてくれるわけではありませんが、それでも一定の時間机に向かわせてくれますし、うちの児童クラブだけかも知れませんが先生がかなり厳しいらしいので、お友達と一緒だからといっておしゃべりしてしまうわけでもないようです。その後、おばあちゃんの家でも宿題がまだの場合は宿題をやらせてもらい、家に帰ってからオクさんのチェックもリビングですので、意図したわけではないものの自分の部屋で1人で勉強机に向かうことより、大人がいるところで机に向かうことの方が圧倒的に多く、まだ小学2年生の長男には結果的に恵まれた環境になっているようです。

 松尾氏の元記事の中には出てこないのですが、児童クラブで机に向かう習慣ができるのも、親としてはすごく助かっている気がします。勉強の習慣のためには、児童クラブや塾をうまく活用するのもいいかもしれませんね。

2017年7月8日土曜日

「ネット中立性」が損なわれるとIoTの未来まで危うくなる

「ネット中立性」が損なわれると、IoTの未来まで危うくなる|WIRED.jp:

 今回は、そんなこと今まで考えもしなかったかも、という話題です。その話題とは、「ネットワーク中立性」。インターネットは、以前はパソコンから接続するのが当たり前でしたが、今ドキはスマホからの接続の方が多いくらいになり、さらに現在はIoT(Internet of Things)デバイスが続々と接続されつつあるところです。そんなインターネット接続スピードが誰かによって意図的に操作されたら...という話題です。

 これまで「ネット中立性」という規制がしっかりしていたため、自分たちは平等にインターネットにアクセスすることができました。「中立性」と言うか「平等性」と言ってもいいかもしれません。しかし、この「ネット中立性」ということをよく考えてみると、なぜこれまでこうもしっかりと守られてきたので不思議だと思いませんか。例えばAT&T、Comcast、Verizonのように、自前でテレビ番組やストリーミングサービスをもつインターネットサービスプロバイダー(ISP)があります。これらの企業が、自社のユーザーがNetflixのような競合他社のストリーミングサービスを利用する時の通信速度を、意図的に遅くしたとしたらどうでしょうか。いやむしろ、自社のサービスを利用するときは速くして他社のサービスを利用するときは遅くしようという動機こそ大きいと思いませんか。それにもかかわらず、これまでネット中立性が守られてきたのは、それが単なるスローガンだけではなく実効を伴ったルールがあったからだと言えるでしょう。

 アメリカでは、2005年アメリカ連邦通信委員会(FCC)が「ブロードバンド政策綱領(インターネット政策綱領)」を発表し、公共のインターネットのオープンで相互接続された性質を保持し促進するために、消費者に次の4つの権利が与えられるとしました。その4つとは、
(1)合法なインターネットコンテンツに自由にアクセスする権利
(2)法が許す範囲で、自由にアプリケーションを実行しサービスを利用する権利
(3)ネットワークを傷つけない合法な手段で自由に接続する権利
(4)ネットワークプロバイダ、アプリケーションプロバイダ、サービスプロバイダ、コンテンツプロバイダを選択する権利
という、まさにネット中立性の中核をなす概念で、その後もFCCはネット中立性を守るための数々の規制を導入してきました。

 一方で、日本の固定ブロードバンドの領域では、ISPの市場支配力は高くありません。これは圧倒的なネットワークを持つNTTへのピンポイントの規制が有効に働いていて、NTT東西は自身でISPサービスを提供できないだけでなく、独立系ISPも系列ISPと平等に扱わなければならないからです。しかし、モバイルブロードバンドの領域は様相が違っていて、ネットワークを持つ企業が自らISPを提供しているので、市場の寡占度が高くなっています。アメリカと同じように、規制によって解決していかなければならない状況だと思います。

 しかしここへきて、この「ネット中立性」こそ大切だとする従来とは、風向きが変わりつつあると報じるニュースを耳にするようになりました。今回の元記事でも「FCCがネット中立性に関する規制を行う機関の権限を覆えすプロセスを開始した」と報じています。注意深く調べてみると、確かにネット中立性の問題は古くから賛否両論で、反対派の意見もそれはそれでもっともなケースもあります。例えば、近年インターネット上を流れるデータ量は加速度的に増加しており、特に動画配信や音楽配信など多くの帯域幅を占めるサービスを提供する企業は多くの料金が徴収されるべきだという意見は、それはそれで説得力があります。よく考えてみると、日本の多くの携帯電話会社で月当たり通信量が5GBや10GBなどの上限を超えたユーザーに速度制限をかけるのは、厳密にはネット中立性に反する行為かもしれません。

 もしネット中立性がなくなってしまったら、インターネットは一体どうなってしまうのでしょうか。例えば、最近のIoTの中には、工場やオフィスの警報が作動したとき、スマホや携帯に通知するという機能がよく見られますが、警報データがインターネット上を移動する時間というのはこのサービスの品質そのものと言えます。つまり、IoTデバイスが送受信するデータ量は圧倒的に少量ですが、リアルタイム性が高いことにこそ価値があります。もしISPによってその品質価値を握られてしまうことになれば、ISPがIoTの発展に大きな蓋となってしまう可能性があります。つまり、例えばあるIoTサービスのインターネット接続スピードを上げて本当の効果を得るためには、ISPが特別な契約を要求してくるかもしれないということです。

 元記事でも少なくとも現時点においては、口先だけでもISPはネット中立性をうたっています。しかし、ユーザーとISPの立場は決して平等ではなく、ISPの競合が少ない状況では、ISPのネット中立性を守るんだという言葉は慰めにしかならないかもしれません。日本でも、モバイルブロードバンド分野はISPの寡占化が進んで危険な状況にあります。法的強制力のある保護が必要になってきているかもしれません。

2017年7月7日金曜日

日本では考えられない?? 海外のおトイレ問題を解決するIoT秘策とは?

日本では考えられない?? 海外のおトイレ問題を解決するIoT秘策とは? |TS World部|ITコラム|KDDIがお届けするIT×カルチャーマガジン TIME&SPACE(タイムアンドスペース):

 前回、IoT(Internet of Things)の典型的な適用先の1つとしてオフィス・工場の設備制御があると書きましたが、今回はもう1つの有力な適用先についての記事を見つけたので、ご紹介したいと思います。そのもう1つの適用先とは...なんと「公衆トイレ」。幸野百太郎氏による記事です。

 トイレのIoTということで、元記事そのものがDDIが運営するサイトですので、KDDIの空室管理と節水管理システムが紹介されています。一般の人には節水管理よりも、空室管理の方が面白いアプリケーションかもしれません。スマホから公衆トイレ個室の空き状況をリアルタイムに閲覧できるというサービスで、並々ならぬ事態(?)に陥っている中ようやくたどり着いたトイレで行列に並ぶ絶望感のことを考えると、ありがたいサービスですね。もう一歩進んで、近くで個室が空いているトイレを案内してくれたり、個室の待ち行列の長さやもうすぐ空きそうかどうかまで分かったりすれば、いいかも知れませんね。個人的には、いわゆる "漏れそう、しかも大" というケースもそうですが、赤ちゃんや幼児を連れている時はオムツ替え台があるトイレが空いているかどうか、車椅子の方なら広いファミリータイプの個室が空いているかどうかが分かると、もっといいかも知れませんね。公衆トイレはIoTの有力な適用先と書きましたが、前回のような設備制御と違って歴史が浅いので、サービス拡充はまだまだこれからです。

 実は今回の元記事の本題は、そのサービス拡充の一つが紹介されているのです。電車に乗っていたあなたに突然 "漏れそう、しかも大" という緊迫の状況が訪れます。額に脂汗を浮かべながらスマホを取り出したあなたは、次の停車駅のトイレの個室が空いていることを確認し、電車を飛び降りるとトイレ駆け込みました。何とか事なきを得て落ち着きを取り戻したあなたでしたが、突然次の絶望感に打ちのめされます。そう、...紙がない! もっとも日本のトイレの場合は「予備ロール」が完備されていることが多く、こういった神様のイジワルとしか思えない事態に陥ることは多くはありません。しかし海外の公衆トイレ事情は違います。余計に積み上げられたトイレットペーパーは、盗んで下さいと言わんばかりですので、そもそも補充用のロールがそもそも置かれないケースもあるのです。先ほどの「一難去ってまた一難」のストーリーは、海外では十分に起き得ることです。

 元記事では、このトイレットペーパー盗難防止のため、公衆トイレに顔認識技術を導入した例が紹介されています。個室に設置されたカメラに顔を向けると、トイレットペーパーが自動的に70センチ分出てきます。そして、もっと紙を使いたい場合でも、システムが同一人物と見做した場合は9分間はトイレットペーパーが出ないようになっているのです。このシステムを導入して、トイレットペーパーの消費量が激減したとドヤ顔するのは、やはりあの国でした。予備トイレットペーパーを平気で盗んでいく国民性、それを防止するためなら公衆トイレにカメラさえ設置してしまう、プライバシーの概念すらないあの国です。

 さすがに普通の国にはこんな方法は取れません。そこで、本拠地をサンフランシスコにおくHackster社が開発したもう少しスマートな解決法は、トイレットペーパーの減り具合をリアルタイムに取得できるガジェットです(↓)。

 仕組みは、トイレットペーパーホルダーの近くに距離センサーを設置して、カメラからロールまでの距離を測ることで、紙の減り具合を計算するのです。ガジェットはプログラマブルIoTボードと超音波距離センサーHC-SR04で構成され、ネットに繋げばWebインタフェースでアクセスできるようになります、ガジェットのプログラムそのものはオープンソースなので、組込みプログラムに慣れた人なら、減り具合を監視して一定以下になったらプッシュ通知でスマホに知らせるなんてアプリケーションも考えられそうですね。

 今回はIoTの適用先として「公衆トイレ」を取り上げてみました。前回のようなオフィス・工場の設備制御に比べれば、歴史が浅くまだガジェットレベルの市場ですが、逆に古くからのしがらみがなく、面白いアプリケーションが出て来るかもしれませんね。

2017年7月6日木曜日

二酸化炭素濃度まで見える化、IoTで「快適空調」

二酸化炭素濃度まで見える化、IoTで「快適空調」 - IoTで快適オフィス:ITpro Active:

 今回は自分の仕事にも関わる分野のニュース記事を見つけたので、ご紹介したいと思います。日経コンピューター・高槻芳氏による記事で、IoT(Internet of Things)の典型的な適用先の1つとして、オフィスや工場・家庭などの設備制御やエネルギー管理があります。自分の仕事がまさにその分野で、電気・空調・照明などの設備の異常監視や自動制御・使用エネルギーの見える化や省エネ制御など、従来からあったシステムなのですが、「IoT」というキーワードでにわかに注目を集めるようになって来ました。

 従来の設備制御システムは、空調機や照明を8時ON・19時OFFなどのタイムスケジュール制御、駐車場などでCO2濃度が一定を超えたらファンを起動するなどのイベント制御など、基本的な制御しか行なわれてきませんでした。それが、最近の「IoT」「AI」といったキーワードとともに、多くのデータをもとに高度な制御を行う例が増えてきています。

 今回の元記事で紹介されているダイキン工業とNECの共同研究の例では、顔認証技術などで利用者を特定し、暑がり・寒がりなど個々人の好みを覚えて温度を細かく調整する次世代空調設備が紹介されています。

 実はもう10年前くらいになると思いますが、「タスクアンドアンビエント」というキーワードが流行ったことがあります。これは例えば夏場、オフィス全体が一様に27℃になるように空調するのではなく、人が仕事をするオフィス空間は26℃の快適空間になるようにする一方で、仕事をする場所でない空間(例えば廊下やエレベーターホール、喫煙所などをアンビエント空間と言います)は28℃や29℃にするという考え方です。快適性と仕事のアウトプットは密接に関係するため、オフィスの快適性は高く保つ一方で、アンビエント空間は省エネを図るという考え方で、キモは「快適性は一様から濃淡へ」ということでした。タスクアンドアンビエントの先に、「パーソナル空調・照明」といった考え方が流行ったことがあり、快適性の濃淡をもっと個人レベルに細かくしたものです。そもそも25℃を快適だと感じる人も27℃を快適だと考える人もいる、明るい照明が好きな人も薄暗いくらいが落ち着く人もいるんだから、個々人で好きな温度・照度に調節してもらうのが、快適性と省エネという相反する要求に応えられる方法だというわけです。今回のダイキン工業とNECの共同研究の例は、そこをさらに進めて個々人が快適と感じる環境をコンピューターが学び取って、個々人の最適快適点に向けたパーソナル制御を行おうというものでしょう。

 元記事の内田洋行の例では、CO2濃度に着目してCO2濃度をタブレット端末などで確認できるようにしたとされています。オフィスにおける労働者のアウトプットに大きな影響を与える環境因子としては、温度・湿度・照度以外にもCO2濃度が大きく関係しています。昔はセンサー類は高価なので、温度・湿度センサーはオフィスの多く置かれていましたが、照度やCO2センサーはあまり配置されてきませんでした。最近の「IoT」の流行で、そういったセンサー類が多く配置されるようになり、よりきめ細かい制御へも繋げることができるようになって来たのです。

 ただ内田洋行の例の中で、高槻氏は次のように書かれています。オフィス設備の制御にはBACnet・LonWorks・DALIといった標準プロトコルが欧米では普及しているが、日本はメーカー独自のプロトコルが使われマルチベンダー環境が難しい。内田洋行はプロトコル変換用のゲートウェイを開発して、それらをTCP/IPネットワークに繋げるようにしたと。しかし残念ながらこの業界で飯を食っている人間からすると、この高槻氏の見解はちょっと間違っています。日本メーカーが独自プロトコルでマルチベンダー化が難しかったのは1980年代までのことで、それは何も日本だけではありませんでした。90年代以降BACnet・LonWorksなどの標準プロトコルが広まった時、日本もそれに追従しています。そしてビル内のあらゆる設備を対象としたBACnetやLonWorksと違い、DALIは照明設備専用のプロトコルで、欧米も含めて大きく広まってきたのはここ数年のことです。確かにDALIは日本の照明最大手パナソニックが対応してこないのでやや遅れている印象はありますが、BACnetやLonWorksを使ったマルチベンダー環境は少なくとも自分が入社した2001年ごろから日本でも対応しているメーカーが増えつつありました。

 もう一つ、内田洋行のゲートウェイでTCP/IPに繋げるというのも、ちょっと的外れです。BACnetやLonWorksとTCP/IPは通信レイヤーが異なので、例えて言うなら、日本語やフランス語など様々な言語を変換して、電話でやり取りすることができる電話機を開発しましたと言っているようなものです。(日本語やフランス語など様々な言語を英語に変換する機械というならレイヤーが合っているので分かりますが)

 今回は、オフィス・工場向けIoT、特に設備制御という自分の仕事の本丸に近い話でしたので、高槻氏の元記事に対して重箱の隅をつつくような話をしてしまいました。実際のところ、内田洋行のようなゲートウェイに相当するコントローラーは、各メーカーが15年以上前から作っている類のものなので、元記事に対しては正直言って何を今更という感覚でした。最初に挙げたダイキン工業とNECの共同研究については、比較的イマドキの研究のように思います。流行りのAIなどを使って、個々人の好みに合わせた温度・湿度・照度・CO2濃度を提供するという制御なら、アピールポイントになりそうですね。

2017年7月4日火曜日

セクサロイドは電気羊の夢を見るのか

セクサロイドは電気羊の夢を見るのか : 情熱のミーム 清水亮 - Engadget 日本版:

 今回の話題は、ちょっと奇をてらって「セクサロイド」。人工知能(AI)の第一人者でもある清水亮氏による記事を元に、漫画やアニメのキャラクターに恋する男性と特徴点を捉えるAIとの奇妙な共通点を考えてみようと思います。

 「セクサロイド(sexaroid)」というのは、アンドロイドやロボットのうち人間とのセックス機能を全面的に打ち出したものを指していて、セックスとアンドロイドを併せた造語です。AIが盛んになった最近の言葉なのかと言うとそうでもなく、松本零士のSFスパイ漫画「セクサロイド」がおそらく最初のようで、そうだとすると50年も前からある言葉です。しかし、漫画や映画の中だけでなくその実現が現実的なものになってきたのは最近のことで、やはり女性を模した形のロボットであることが多いのですが、ちょっと見ただけでは現実の女性と見分けがつかないようなロボットも出ているようです(↓)。

 いわゆるダッチワイフとは一線を画するようなリアリティですよね。この作品はオリエント工業40周年記念『今と昔の愛人形』展の中で展示されていたものだそうです。

 面白いのは、さすがにAIの第一人者・清水氏ならではの見方で、セクサロイドや漫画・アニメのキャラクターなどは、造形師がリアルな「女性」を解釈して再現した「特徴ベクトル」のようなものだという見方です。確かに本物の女性に対するよりも、漫画やアニメのキャラクターのような「作られた」女性に対して強い魅力を感じるタイプの男性っていますよね。清水氏がエロ漫画好きの知人に「実写のアダルトビデオは見ないの?」と聞いた時の答えというのが衝撃的で、「実写は頭の中で一度絵に変換しないとなんないから疲れるんですよ。だったら最初から絵の方がいいじゃないですか」ですって。そういうことなんですね。この男性は、女性をそのまま捉えているのではなく、女性の「特徴点」に性的な魅力を感じているということなのですね。でも、言われてみれば、目からウロコような気がします。

 漫画やアニメ・絵など、作家さんが現実の女性を認知して現象をとらえて、それを再現するために、余計な情報を省略したり逆に特徴的な部分を強調したりしたものだと捉えることができます。清水氏の十八番であるAIの世界とは、作家さんを「AI」に、作品を「特徴ベクトル」のようなものに置き換えれば、見事なまでのアナロジーになっています。セクサロイドの場合も、造形師が女性を解釈して、再現した特徴ベクトルなんだと思うことができるでしょう。さらに発展させると、男性が本物の女性に対して興奮を覚えるという時も、それはその女性を認知して現象を捉え抽出した「特徴ベクトル」に対して性的魅力を感じている、と捉えることもできるかもしれません。そうだとしたら、最初から分かりやすく「特徴ベクトル」が抽出された状態の漫画・アニメ・絵のようなものの方が、現実の女性よりも手っ取り早いだろうと。なかなか面白い理論だと思います。

 たまたまセクサロイドという突飛なサンプルなのでびっくりしますが、この考え方自体は突飛な考え方というわけでもないでしょう。人間は、リアル世界をそのまま捉えているつもりでいても、何かのバイアスをかけて捉えているでしょうし、それは脳による情報処理の過程で情報の特徴点を捉えて単純化していると言えるかもしれません。特徴ベクトルを学習していくというAIのアルゴリズムは、本当に人間の脳を模したアルゴリズムなんだなぁと今更ながら思うところです。

2017年7月3日月曜日

保育園建設に反対する高齢者の末路

保育園建設に反対する高齢者の末路:日経ビジネスオンライン:

 前回に引き続いて、日経ビジネスオンラインの記事しかも同じ鈴木信行 副編集長による記事を元に、保育園建設に反対する高齢者について考えてみようと思います。前回のエスカレーターの右側を空けるかどうか、エスカレーターを歩いていいのかどうかの話題では、鈴木氏の偏見に満ちた感情的な記事に、立派な肩書きを持つ方がやることではないと断じましたが、今回は鈴木氏ご自身の身内が関わる事案がなかったからか、感情移入や偏見も前回より少なくまともな記事内容になっていたので、ご紹介しようと思ったわけです。ただ鈴木氏は、「○○の末路」という言い方で、自分は正しい・相手は間違いという対決姿勢を取り、相手側の意見には聞く耳を持たないのがスタイルのようで、そういう意味でもともと冷静で客観性のある、知性を感じる文章は書けないタイプの方かも知れません。

 鈴木氏が今回インタビューしている相手が、先にお名前だけ出させて頂いた、株式会社脳の学校の創業社長で脳画像診断医・小児科専門医でもある加藤俊徳氏。前回の斗鬼正一教授もそうですが、鈴木氏の偏見に満ちた質問に対して、加藤氏も学者らしい客観的で冷静な態度で臨んでおられることが印象的です。

 議論の本題ですが、新設予定の保育園が住民運動により建設中止や延期に追い込まれるニュースが報じられることが多くなりました。しかも反対の声を上げている人には、自身が子供の頃に地域ぐるみでご近所の皆さんに育ててもらった経験を持つ人も多いはずの高齢者の方が多いと聞きます。この問題に対して加藤氏が立てておられる仮説が、日本の高齢者の脳が「子供が苦手、嫌いな脳」になりつつあるのではないか、というものです。つまり、人間の脳は「慣れないこと」や「慣れない環境」に対して、面倒くさがり、拒絶する性質があります。高齢者が子供だった頃の日本社会(第二次ベビーブームと言われた自分たちの子供時代もそうですが)は、子供が駆け回ったり大騒ぎしたりする光景があちらこちらで見られ、大人たちも慣れっこになっていました。それに対して少子化が進んだ現代では、むしろ子供のいない生活が当たり前になっていて、大人たちにとって子供が身近にいる生活は「慣れない環境」なのです。もし地域に保育園が出来れば、そんな慣れない環境が忽然と目の前にできるわけですから、本能的に拒否反応が出てくるのでしょう。

 そんな高齢者も自分の孫だけは可愛いのかと思いきや、なんと、今のお年寄りは自分の孫と接する機会すら減っているというのです。もちろん背景には「核家族化」があります。昔のような三世代が一つ屋根の下で暮らす生活であれば、必然的に孫との接点も増え、小さい子供が身近にいる生活は当たり前のものになりますが、年に1回か2回だけ連れてこられる孫に親しみを感じろと言われても無理な話かも知れません。表面的にはお小遣いをあげたり一緒に絵本を読んであげたりするのでしょうが、孫が帰って日常の静けさを取り戻した時、それまでの疲れを感じて静かな生活の方がいいと感じてしまうのでしょう。

 子供に慣れていない脳の持ち主が増えているというのは、極めて危険な兆候です。だってそうでしょう。生物の根源的な欲求の一つは、「種の保存」であるはずです。子供を嫌う脳の構造があるとしたら、その根源的な欲求に反することになってしまうと思うのです。

 昨年2月の「保育園落ちた日本死ね」の匿名ブログ、4月の市川市での保育園開設反対運動に関して、この山ちゃんウェブログでは保育園の子供達と地域の人たちとはもっと交流を持つといいと書きました。子供が保育園に通う道中で「おじちゃん、今日も一緒に遊ばない?」とか「○○ちゃん、今日は一緒におやつ食べようか」なんていい合えるような関係性だったら、子供の声が騒音だなんて言えないはずだと。名前も顔も知らない子供たちならの騒ぎごえは騒音に聞こえても、顔の見える子供たちは友達ですから。

 そして子供たちとの交流は、高齢者の側にとってもいいことのはずです。元記事の中で、加藤氏は保育園に反対するような「子供が苦手、嫌いな脳」を持つ高齢者は、将来的に認知症になる確率が高いと述べられています。というのも、認知症を引き起こす大きな要因は「社会的孤立」です。「子供が苦手、嫌いな脳」の人は、実は子供だけでなく、そもそも人と接する時間自体が少ない暮らしを送っているケースが多く、他人との対話で脳の記憶系や感情系を刺激されないと、どんどん認知症に向かってしまうのです。子供たちにとっても、高齢者の方との接点はとてもいいことだと思います。地域のお年寄りたちに顔と名前を覚えてもらうことで、地域全体で守ってもらえる雰囲気が醸成できるでしょうし、お年寄りには長年積み重ねた知恵がありますので、そういう知恵に触れるだけでも子供の成長にとっていいことだと思うのです。

 以前、自分の長男が通う小学校に授業参観に訪れた時、授業でお手玉やベーゴマ・凧揚げなどの「昔遊び」を取り上げていて、地元のお年寄りに「昔遊び名人」として子供たちの指導をして頂いていました。スマホやテレビゲームに慣れたイマドキの子供たちが、福笑いとかコマ回しとかを喜ぶのだろうかと半信半疑で見ていると、子どもたちが目をキラキラと輝かせて「昔遊び名人」に群がって楽しそうに教わっていて驚いたことがあります。スマホやゲームをしている時の詰まらなそうな顔に比べて、その表情は100倍も輝いて見えました。他にも、長男は小学校の授業が終わっても放課後の時間を児童クラブで過ごすのですが、その児童クラブの先生も高齢者の方が多く携わって下さっています。この前、マンション内で、自分が知らないお年寄りに長男が声をかけられていて驚いたのですが、よく聞いてみると児童クラブの先生でした。先生にとってウチの長男はその他大勢のうるさい子供の一人というのではなく、きちんと名前と顔がわかるうるさい子供(やっぱりうるさいんかい!とのツッコミは置いておいて)だったのです。

 こういった地域のお年寄りと子供たちの接点を作る役割を、積極的に担って欲しいのが「学校」です。お年寄りと子供たちの接点をもっともっと増やすことで、地域全体で子供たちを育てていくんだという意識が醸成されるでしょうし、子育てに悩む人の相談先ができるなど嬉しい副産物もあるんじゃないかなと思うのです。

2017年7月1日土曜日

エスカレーターでは片側を空けるべきかどうか、歩いても良いのかどうか

「エスカレーターで歩くな」と無茶言う人の末路:日経ビジネスオンライン:

 今回、日経ビジネスオンラインで呆れた記事を見つけたので、ここにご紹介したいと思います。元記事は、日経ビジネスの鈴木信行副編集長が、江戸川大学の斗鬼正一教授にインタビューする形で書かれています。議論のテーマはというと、エスカレーターで片側を空けるべきかどうか、エスカレーターを歩いても良いのかどうかという問題です。呆れた記事と言いましたが、インタビューを受けている斗鬼氏は良識ある知識人として、元記事が変な方向に行き過ぎないよう辛うじて繫ぎ止める役割を果たされています。インタビュアーである鈴木氏の暴論と視野の狭さ、それにインタビュアーとして自説への誘導ぶりの酷さが際立っていたのです。

 まず自分の認識では、テーマになっている問題は現時点ではすでに結論が出ています。確かに、イギリスやアメリカ・台湾・香港など、混雑の激しいときは急ぐ人のために左側を空けることがマナーとされている国々もあります(オーストラリアやニュージーランドなどでは逆に右側を空けます)。日本でもかつてはそれらの国々のマナーに習って、片側を空けるのがマナーとされていました。実際のところ、自分は電車通勤で毎日のように鉄道を利用するのですが、少なくとも自分が使う駅のエスカレーターの範囲では、相変わらず片側を空ける文化が根付いているように思います。しかし数年前から(2015年ごろ?)、エスカレーターは歩くことを前提に製作されておらず、エスカレーターでの歩行禁止を徹底するよう日本エレベーター協会や鉄道各社が呼びかけています。

 エレベーター協会のWebサイトによれば、エスカレーターで歩くと他の利用者や荷物と接触して事故につながる場合があること、身体が不自由だったり怪我をしていたりして右側(あるいは左側)の手すりにしか掴まれない方もいるので、どちらか一方を空けるというマナーは不自由で危険だと明記されています。したがって日本では、以前は公式なルールはなかったので、海外の真似をしてどちらか一方を空けるのがマナーでしたが、現在はエスカレーターは歩かないルールが公式に定まったというのが概ね正しいと思います。(もちろん、国民全体にこのルールが周知徹底されているかと言えば、まだまだだとは思います)

 元記事では、聞き手の鈴木氏がそもそも「エスカレーター歩く派」のようで、エスカレーターで歩くなと主張する人々の思考回路とそういう人の行く末をエスカレーターマナーに詳しい専門家と考察した、などとのたまわっています。鈴木氏は、同僚の女性社員が都営三田線の三田駅のエスカレーターで「歩いてんじゃねえよ!!」と怒鳴られた事案に憤慨しているらしく、斗鬼氏へのインタビューも盛んにエスカレーターを歩くなという意見は暴挙だという結論を引き出そうと試みています。さすがに百戦錬磨の斗鬼氏は、鈴木氏の誘導に乗せられず、「片側を空けるか空けないか」「歩いても良いのかダメなのか」に結論めいた言質を取らすことなく、極端な意見をぶつけ合わずに折り合いをつけて尊重し合いましょうなどとケムに巻いています。

 エスカレーターで歩くことを推す鈴木氏の論理によれば、エスカレーターで片側を空け急いでいる人が歩くのは「社会の効率化」のための紳士的ルールであるにもかかわらず、最近このルールに異を唱える人間がいる。その手の人間は、エスカレータを歩くのは危ないからだと主張するが、片側を空けたことで片側の部品の消耗が早くなったとしても定期検査で早期発見して交換すればいいだけだ、と言うのです。斗鬼氏は、エスカレーターを歩くのが危ないというのは、機械の故障よりも利用者同士の接触や利用者と荷物との接触による事故の危険性が大きいと鈴木氏を諭されていますが、鈴木氏も負けずに片側空けを廃止すれば駅やホームに人が溢れて却って危険などと反論しています。さらに、立ち止まる人は歩く人にぶつからないよう片側にしっかり寄るべきで、それができない人はエレベーターを利用すべきだ、あるいはエスカレーター事故の被害者は安定した資産を持つ高齢者で、「俺たちが怖いからエスカレーターは歩くな。でもそれ以外では効率を上げて働いて年金の原資をしっかり納めろ」というのは強者の理論だとまで言われています。

 怒りに任せた感情論で、独善的にもほどがあります。鈴木氏は、同僚の女性が怒鳴りつけられたことに、よほど怒りを覚えたのかも知れません。エレベーター協会のWebサイト上で述べられているように、エスカレータを歩くことの大きな危険は、他の利用者や荷物と接触して事故につながる場合があることで、機械の故障に繋がるからというわけではありません。鈴木氏のまさかの故障理論に唖然とした斗鬼氏が、諭すように説明されているその通りです。立ち止まる人は歩く人にぶつからないように端に寄れというのは、それこそ強者の理論であって、体の不自由な方やお年寄り、怪我でどちらか決まった方の手すりにつかまることしかできない人のことなど、完全に頭から飛んでしまっているようです。数値がなくともエスカレーター事故の被害者が高齢者が多いだろうというのは同意しますが(子供も多いかも知れませんね)、被害者=高齢者がみな安定した資産を持つ強者で、弱者の若者に対して歩くなというのは高圧的だというくだりに至っては、開いた口が塞がらない思いがします。

 自分の意見は最初に述べた通りです。この問題はすでに結論が出ているのです。身近な人が怒鳴りつけられ憤慨する気持ちは理解できますが、怒りの感情に任せて安全性を覆すような理論を展開するのは、日経ビジネス副編集長などという立派な肩書きを持つ方のやることではありません。むしろ、エスカレーターは実は片側を空けない、歩かないのが公式なマナーなんだということを広める記事を書いてこそ、さすが日経ビジネス副編集長と言われると思うのです。