2017年4月30日日曜日

ノーベル賞学者「我慢強い子は高学歴・高所得者になる」 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

ノーベル賞学者「我慢強い子は高学歴・高所得者になる」 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online:

 今回は森下和海氏が主として慶應義塾大学総合政策学部准教授の中室牧子氏の話をまとめた記事を元に、我が子に幸せな人生を歩ませるための近道について考えてみたいと思います。これまで、幸せになるには高い収入が欠かせない、そして高い収入を得るためには学力を伸ばすことが何より大切だと信じられてきました。ではその学力を伸ばすためにはどうすればいのかということには、確たる道が敷かれていなかったように思います。中室氏のお話によれば、それは「非認知スキル」を伸ばすことだというのですが、非認知スキルとはなんなのでしょうか。そして、そのスキルを伸ばすためにはどうすればいいのでしょう。

 まず「非認知スキル」とは一体なんぞやということを理解するには、その反対語の「認知スキル」を考えるといい思います。認知スキルとは、IQや学力テストなどで点数をつけることができる能力・数値化することができる能力のことです。それに対して「非認知スキル」とは、自制心ややり抜く力とかルールを守る力など、確かに存在する能力でありながらそれを点数や数値で評価できない、そんなスキルのことです。このスキルが注目されたのは、シカゴ大学のジェームズ・J・ヘックマン教授(ノーベル経済学賞受賞)の「ペリー幼稚園プログラム」という社会実験からです。このプログラムは、ランダムに選ばれた低所得のアフリカ系アメリカ人の3, 4歳の子供達に、30週にわたって2時間半ずつ授業を受けさせ、週に一度の家庭訪問も実施しました。このプログラムを受けた子供58人と受けなかった子供65人を40年にわたり追跡調査した時、プログラムを受けた人は、
 ・小学校入学時のIQが高い
 ・高校を卒業する割合が高い
 ・成人後の所得・貯金残高・持ち家/自家用車の保有率が高い
という3つの特徴が見られたのだそうです。

 ところが、ペリー幼稚園プログラムの授業・家庭訪問は、読み書きのような認知スキルを伸ばす活動と、決まりのある遊びを通じて自制心・社会性などの非認知スキルを伸ばす活動、親への指導という3つの要素が混在していたので、これらのうちどの要素がいい影響を与えたのかは分かりませんでした。ところが、2010年からシカゴ大学のジョン・A・リスト教授が、認知スキルを鍛えることに特化した幼稚園と、非認知スキルを鍛えることに特化した幼稚園、さらに親だけに指導を行うペアレンティングスクールを作って、卒園生のその後を追いかけています。まだ7年しかデータは取られていませんが、現時点で最も優秀な子供が育っているのは、非認知スキルを鍛える幼稚園なのです。つまり、幼児期に非認知スキルを伸ばすことが、成人後も長続きして好影響をもたらすとほぼ結論づけられるのです。

 とても単純化した言い方をすると、これまでは「学力→収入→幸せ」というプラスの連鎖反応がさらに伸びて「非認知スキル→学力→収入→幸せ」となったと考えられるということでしょう。でもよくよく考えてみると、非認知スキルを伸ばすことが学力を伸ばすことにつながるというのは、ごく自然に受け入れられるよな気がします。非認知スキル=自制心や社会性が高い子供は、授業を真面目に受け一所懸命に勉強したりスポーツに打ち込んだりすることができる、したがって学力が伸びやすいというごく単純なロジックです。

 そして、中室准教授によれば、自制心や社会性などの非認知スキルが伸びれば学力が伸びるのですが、その反対はないということです。確かに言われてみれば、医者や政治家・東大出身など学力が高い人が必ずしも人格者でないことは、ニュースや新聞で見聞きすることが多い気がしますね。それに対して、人格者と言われるような人は総じて基礎学力が高いというか、地頭がいいと感じることが多いですね。そういう意味では子育ての王道としては、幼いうちから知識を詰め込んで学力を高めるより、自制心ややり抜く力など非認知スキルを高めるのが先だということが言えるでしょう。

 そして非認知スキルは、幼児期だけでなく成人するくらいまで伸びることがわかっています。例えば、やり抜く力。小中学生や高校生にとっても、習い事や部活など多少つらくても安易に辞めてしまうのでなく、やり抜いた経験があるとその後の人生にとってもプラスになるのです。もちろん程度問題で、逃げ道が塞がれて絶望してしまうようなことは避けなければなりませんが、やり抜く力が培われていれば、それを活かして成功する人が多いようですね。さらには、中室准教授によれば、非認知スキルを鍛えるのは「早ければ早いほどいい」のだそうです。人は、ひとつの能力を獲得すると、それが次のスキル獲得につながっていきます。掛け算の九九→因数分解→微分積分というように、努力して1つのことができるようになると次の段階へと進めるようになり、そうやってスキルが増幅する「複利効果」が期待できるのです。

 将来のことを考えれば、小さい子には知識や学力より前に、まず自制心・社会性・やり抜く力などの非認知スキルを身につけさせるようにするのがいい。言われてみればそれって、詰め込みではない昔ながらの教育法かもしれませんね。

2017年4月29日土曜日

ネットウオッチ:#東北でよかった 失言へ切り返す「ステキ」投稿 当初は怒りツイート 「楽天勝利」潮目変わる - 毎日新聞

ネットウオッチ:#東北でよかった 失言へ切り返す「ステキ」投稿 当初は怒りツイート 「楽天勝利」潮目変わる - 毎日新聞:

 今回は遅ればせながら、今村元復興相の「東北でよかった」発言による更迭のニュース記事を元に、野暮とスマートの対比について。元復興相の今村雅弘氏が、東日本大震災に関して「首都圏ではなく東北だったからよかった」などと発言したのは25日ですが、その日のうちからTwitter上などで、「東北に生まれてよかった」「東北の風景や食べ物はよかった」などと、スマートに切り返す「東北愛」の投稿が爆発的に広がりました。

 今村氏の問題の発言は25日のNHKの午後7時のニュースで報じられましたが、直後の投稿は「もうしゃべるな」「大臣を辞めさせろ」など、怒りや憤りに満ちたものでした。しかし午後9時過ぎ、その潮目が変わります。プロ野球パ・リーグで首位をひた走る東北楽天ゴールデンイーグルスが勝利をおさめ、今村氏の問題発言をしなやかに切り返した「楽天が東北でよかった」というツイートをしたのです。

 このツイートをきっかけに、ハッシュタグ「#東北でよかった」は、東北地方の魅力を熱く語ったり、美しい風景や特産品を写真つきで紹介する投稿で溢れます。この動きはInstagramやFacebookなどのSNSにも波及し、ちょっとしたブームになりました。「おらは東北で生まれていがった。東北が大好きだ」「生まれも育ちも、良かったと思える場所」「海の幸も山の幸も美味しいし、四季折々の風景が目を楽しませてくれる」などなど。

 Twitter日本語版の公式アカウントは「ステキなツイートが集まっています。連休の予定の参考になるかも」と好意的に紹介していますし、今村氏の後任の吉野正芳・新復興相も就任会見の中でこれらの投稿を歓迎しました。今村氏の発言それ自体は、前後の文脈を考えるとそこまで目くじらを立てなくてもというレベルかもしれません。しかし復興相という立場は、同規模の地震が首都圏で起きた時より東北の方が相対的に被害が小さかったと冷静で一歩引いた発言よりも、むしろ感情を乗せた一歩踏み込んだ発言が求められるということが理解できていなかったようです。空気を読めない発言は「野暮」と言っていいかも知れません。それに対して、SNSで広がった、むしろその失言に対して上手くしなやかに返した人たちこそスマートかも知れませんね。

2017年4月28日金曜日

わたしの仕事、ロボットに奪われますか?:日本経済新聞

わたしの仕事、ロボットに奪われますか?:日本経済新聞:

 今回は前回に引き続き、 人間の仕事がロボットやコンピューター・人工知能(AI)によって奪われていくという話題です。前回の記事の中で、日経新聞とFTの共同調査研究から、ご紹介した職業を選択・入力するとロボットに仕事を奪われる確率を出すツールを自分も使ってみました。こちらのサイトで提供されていますので、皆さんも試してみてはいかがでしょうか。

 自分の場合、電機メーカーのソフトウェア開発者という仕事なので、業種と職業だけの入力だと、大きなカテゴリーとして「コンピューター関連職業(ソフトウエア開発者、システム・アドミニストレーター、ITサポート専門家)」に該当し、ツールによってはじき出された答えは、29.6%(全98業務のうち29業務)でした。判定のコメントは「仕事の効率が非常に高いわけでもなく、非常に忙しいことはあり得る」と出力されました。全820種の職業では34%という値だそうですので、自分の29.6%というのは平均と同等かやや少ないくらいという感じでしょうか。

 ツールの中でさらに詳しく1つ1つの業務を分析できたので、そちらもやってみると、17.3%(52項目中9業務)となり、少し自動化の割合が減りました。喜んでいいのか悲しんでいいのか微妙なところですが、楽観的に言えば、自分の仕事の場合は業務の2, 3割くらいはロボット・コンピューター・AIで代替して効率化を図ることができる余地があるということになります。

 元記事によれば、たいていの仕事には自動化できる作業がありますが、完全に自動化してしまえる仕事は5%にも満たないそうです。具体的に挙げられているのは、ミートパッカー・左官・しっくい職人・眼科検査技師といった職種で、これらの仕事は理論上完全に自動化が可能なのだそうです。一方で、全く自動化の余地がない仕事というのも存在し、具体的には、歴史家・鉱山の屋根用ボルト締め作業員・聖職者といった職種は今のところ100%人間によってしかなし得ない仕事なのだそうです。典型的なのが最後の聖職者で、この山ちゃんウェブログで、将来に渡って残される仕事は頭の良し悪しと異なる次元の仕事かコンピューターのおこぼれに預かる仕事だと主張してきましたが、聖職者などはまさに頭の良し悪しとは全く異なる次元で評価されるべき仕事ですね。

 自分の場合2, 3割の仕事が自動化できるという結果でしたが、もちろん理論上できるというだけで、本当に自動化するためには様々な問題があるはずです。例えば、コストと手間です。莫大なコストをかけてまで自動化するよりは人間がこなした方が経済的ですし、少しの自動化のために膨大な手間をかけて準備するのも現実的ではありません。テクノロジーの発展によって、リーズナブルなコストと手間で自動化ができるようになった時、その作業ははじめて自動化されるのです。

 ロボットやコンピューター・AIによる自動化というと、自分の仕事が奪われてしまうんじゃないかと拒否反応を示す人も多いですが、短期的には、自動化はさまざまな仕事をまるごと破壊して全く新しい職業を生み出すのではありません。仕事の中でこなす様々な作業のうち一部を自動化が肩代わりすることで、人々がどの業務活動に集中するかが変わるということなのです。

2017年4月27日木曜日

ロボットと仕事競えますか 日本は5割代替、主要国最大:日本経済新聞

ロボットと仕事競えますか 日本は5割代替、主要国最大:日本経済新聞:

 今回の元記事は、日経の中西豊紀氏と英フィナンシャルタイムズ(FT)のロビン・クウォン氏による日経新聞の記事を元に、人工知能(AI)の話題を取り上げたいと思います。これまでもこの山ちゃんウェブログでは、2040年とも2045年とも言われるシンギュラリティ(技術的特異点と言われ、AIの知能が人類の知能の総和を超えるとされる)の本当の問題は、ターミネーターのようなコンピューター対人間の対立戦争ということではなく、機械やコンピュータが担う仕事が単純作業からどんどん頭脳系の仕事まで侵食して、やがて人間に残される仕事は頭の良し悪しと全く別の次元で競われる仕事か、あるいはコンピューターのおこぼれに預かる仕事の2種類に収斂されるのではないかという話をしてきました。

 今回の元記事で言われているのは、日経新聞とFTの共同調査研究の中で、現在人間が行なっている約2千種類の仕事(業務)のうち3割はロボット(コンピューター・AIを含む)へ置き換えが可能だという結論を出しています。さらに日本だけで考えると、その割合は主要国で最大となる5割強にものぼるというのです。共同研究の中で、職業を選択・入力するとロボットに仕事を奪われる確率を出すツールを共同開発しています(このツールについては、次回の記事で取り上げたいと思います)。

 今回の調査結果をもう少し細かく見ていくと、ロボット・コンピューター・AIによって置き換え可能な業務は、820種の職業の計2069業務の中で34%に当たる710ということです。中でも、眼科技師や食品加工、石こうの塗装工など全体の5%ほどの業務は、丸ごとロボットに置き換えられるという結論が出されました。

 歴史的には、ロボットやコンピューターによる自動化の波は、いわゆるブルーカラー(工場労働者や肉体系の労働者)を飲み込んできました。例えばマッキンゼーによれば、エンジン組立工場の労働者の場合は、77の業務のうち組立てや箱詰めなど75%は自動化できると言われています。そして、その波は徐々にホワイトカラー(頭脳系や事務系の労働者)へも押し寄せています。一括りにホワイトカラーと言っても、やはり事務系の仕事が真っ先にターゲットとなり、ITやICTによる業務効率化と謳われたのは大抵は事務系の仕事をコンピューターによる自動化に置き換えようという動きでした。ブルーカラーの仕事を置き換える主役がロボットだったのに対して、事務系の仕事はコンピューターが、そして頭脳系の仕事は今流行のAIが置き換えの主役になるでしょう。

 頭脳系の仕事の置き換えという意味で象徴的だったのが、米ゴールドマン・サックスで、2000年には600人もいたトレーダーを株式売買自動化システムに置き換え、ついには2人にまで激減したということです。投資家のジム・ロジャーズ氏も「AIが進化すれば証券ブローカーなどの仕事は消える」と断言しています。

 マッキンゼーの国別比較の試算では、自動化が可能な業務の割合は日本が55%、米国46%、欧州47%、中国51%、インド52%と、主要国の中では日本が最大でした。米国や欧州は分かるとしても、農業や工場労働者の多い中国やインドと比べても日本の方が高い数値が出ているのは何とも不思議ですね。それは、日本では金融・保険・官公庁などの事務職や製造業で、資料作成などの単純業務の割合が高いのが原因なんだそうです。米国では、法律事務所で膨大な資料の山から証拠や過去の判例を見つけ出す仕事にAIが活用されていますが、日本ではまだまだ人手で探しているなど、業務の自動化という面で遅れているところがあるようです。

 しかし、自動化が遅れているということは、改善の余地がそれだけあるということです。日本の場合、50年後には生産年齢人口が4割も減るという見通しが出されており、ロボット・コンピューター・AIをうまく活用することで労働力不足を補っていく必要がありそうですね。

2017年4月26日水曜日

クロネコヤマトの再配達、メールやLINEでゼロになる - 日経トレンディネット

クロネコヤマトの再配達、メールやLINEでゼロになる - 日経トレンディネット:

 長時間労働で新入社員の肩が命を絶った電通の事件をきっかけに、クロネコヤマトでもドライバーの長時間労働が問題になっています。その元凶と言われているのが、Amazonをはじめとしたネット通販。ヤマト運輸はAmazonの当日配達サービスから撤退を検討するなど、我々の便利さと引き換えに物流の現場が疲弊している現状があります。

 ドライバーにとって一番負担になるのが、「配達時間帯指定」と「再配達」なのだそうです。自分のところも共働きなので昼間は家に誰もいないのですが、幸いにもマンション住まいで宅配ロッカーがあるので、再配達になることはほとんどありません。生鮮食品など宅配ロッカーが使えない場合のみ時間帯指定を使いますが、普段はほとんどそういうことはありません。それでも以前に比べてネット通販で買い物すること自体が増えたので、ドライバーのベース負荷を上げてしまっているのは事実だと思います。

 今一番問題になっているヤマト運輸でも、提供されている宅配の付加サービスを上手に利用すれば、再配達をグッと減らせます。受取る側も再配達のお願いをする手間を考えると、便利なサービスを利用して客もドライバーも共にハッピーになりたいものですね。そのサービスを受けるためには、まず「クロネコメンバーズ」に登録すること。会員登録すれば、メールやLINEで配達予定や配達完了を確認できたり、割引サービスを受けられたりします。

 再配達を減らして受取り側もドライバーも両方ハッピーを目指すとき一番重宝しそうなのが、「e-お知らせシリーズ」です。配達予定日を事前にメールで通知してくれ、そのメールに書かれたURLから受取り日や時間帯、受取り方法などを変更することもできるのです。受取り側がこのサービスを使って確実に受取れる時間と場所を選べば、理論的には「再配達ゼロ」も可能なはずです。イマドキはメールよりLINEでしょうという人は、ヤマト運輸LINE公式アカウントの「友達」になって、クロネコメンバーズのIDとLINEを連携させておくと便利です。配達予定日の通知がLINEにも届いたり、LINEトークから配達状況を確認して受取り日時や場所を変更することもできます。


 他にも一軒家の人は、駅などに設置されている「宅配便受取りロッカー」を利用することもできます。まだまだ数は少ないものの、昨今の注目で設置場所が拡大中とのことなので、自宅近くに設置されていないか調べてみるといいかもしれませんね。

 少し前から話題に上がっている宅急便ドライバーの長時間労働ですが、受取る側の工夫次第で負荷を下げることは十分にできそうです。自分はマンション住まいのため、これまで宅配ロッカー経由で受け取るというのがデフォルトのようになっていて、その便利さを気に留めていませんでしたが、よくよく考えるととても便利なシステムですよね。戸建て用の宅配ボックスも最近飛ぶように売れていると聞きますので、みんなで工夫して無駄な労力をかけることがないようにしたいものですね。

2017年4月25日火曜日

心が折れそうな17歳、手帳に挟んだ言葉が救ってくれた:朝日新聞デジタル

心が折れそうな17歳、手帳に挟んだ言葉が救ってくれた:朝日新聞デジタル:

 今回の元記事は朝日新聞デジタルの久永隆一氏・大岩ゆり氏の記事で、死にたいと悩む若者を支える大人がもっともっと必要だという話題です。

 元記事では、都内のある女子高校生の話が紹介されています。女子生徒は、いじめを受けていた友達に誘われて一緒に学校を休むようになったのをきっかけに、中学3年生の頃から不登校になっていきました。「学校に行けない」ということに、自らのアイデンティティというか存在価値が見出せなくなっていったのだそうです。家族とも軋轢が生まれ、ついにリストカット。周囲の助けによって一度持ち直したものの、高校に進んでしばらくすると、友達や家族の悩みでまた気持ちが不安定になります。テストの順位が落ちたり、部活動にも居場所がなくなり、自宅アパートの屋上に立って地面をのぞき込みました。「やめて!」。追いかけてきた妹たちの泣き叫ぶ声でわれに返ったそうです。

 女子生徒を支えているのは、手帳に挟まれた何枚かの手書きのメモです。「自分を責めない」「他人の言葉は気にしない」「自分を大切にする」。通院するクリニックの主治医が毎回くれるもので、心が折れそうになるとこれを読み返しています。主治医は、女子生徒に「自分を大切にすることが、お母さんとか大事な人を大切にすることになるんだよ」と話しかけ、孤立を感じないように「いつでもクリニックに電話して」と伝え続けています。

 2014年の中学生へのアンケートにおいて、なんと9%が「死にたくなる」と回答し、3%は過去1年間に「実際に死のうとした」と答えたのだそうです。「自傷行為」にまで及んだのは2.5%。この数字をどう思うでしょうか。自分が10代の頃を思い返してみると、確かに若者ならではの悩みや迷いにはまっていたことはありますが、「死ぬ」ということがこれほどリアルではなかったと思います。過激なことを口にすることはあっても、どこか冗談であって本気じゃない感が漂っていました。しかしこのアンケート結果は、イマドキの若者にとって「死」はリアルで隣人か友人であるかのような身近さだということで、そのことに戦慄を覚えませんか。

 児童精神科医の長尾圭造氏は、ある中学校の生徒が親に叱られて自宅ベランダから飛び降りようとしたことに対して、「甘えたい願望」が強いのが原因だと指摘しています。誤解しないで欲しいのですが、すぐに死にたいと口にするイマドキの子供はたるんでいるという意味ではありません。幼い頃に親に十分甘えることができなかったということです。この生徒は年下のきょうだいがいて、親はいつも「年上なんだから我慢しなさい」と言うことに不満をもらしていました。

 死にたいという方向に行くか乱暴者・不良という方向に行くかの違いはありますが、総じて幼い頃に親に十分に甘えることができなかった子供は、精神的に満たされない思いから、自己肯定感が乏しく精神的に不安定になりがちだという実感があります。裏を返せば、小さい時にしっかりと親の愛情を受け取って自己肯定感を高めることこそ、心の安定した成長を支える重要なファクターだと言えるのではないかと思います。そして自己肯定感の低いまま中高生くらいになって、先の女子高校生やこの中学生のように症状が表面に現れてきても、そこから愛情をしっかり注がれて自己肯定感を高めていけば、彼らの命を救うだけでなく安定した心を取り戻すことも十分に可能だということだと思うのです。

 昔のように地域で子供を育てる雰囲気が強かった頃は、親だけでなく近所のおじさん・おばさん、地域のお年寄りなど、様々な人が子供の自己肯定感向上に寄与しましたが、最近の近所づきあいが希薄な社会では子供に愛情を注いでくれるのは親と近親者のみというケースが多いと思います。そうなってくると、必然的に注がれる愛情が不足したまま、自己肯定感が高まらないまま、成長して行く子供たちも増えているのが実際のところなのでしょう。親は愛情過多だと言われるくらい子供に愛情を注いであげる、自己肯定感が低いまま育った子供に対しても、今からでも遅くないので多少ウザがられたとしても、しっかり褒めたり叱ったり、君のことが大切なんだというメッセージを送り続けることが重要なんだろうなと思います。

2017年4月23日日曜日

フェイスブック、脳で操作するコンピューター技術を開発へ  :日本経済新聞

フェイスブック、脳で操作するコンピューター技術を開発へ  :日本経済新聞:

 今回は少し前のニュース記事ですが、フェイスブックも脳で操作するコンピューターの開発に乗り出したという話題です。小川義也氏の記事を元にしていますが、つい先日もイーロン・マスク氏がNeuralinkいうスタートアップでBMI(Brain-Machine Interface)の開発に乗り出したという話を書いたばかりですが、フェイスブックも同じ将来を見ているようです。

 Neuralinkが目指すところが謎に包まれているのに対して、フェイスブックは頭に思い浮かべるだけでコンピューターの入力ができる技術という、SNSもっと簡単で誰でも使えるようにするというコンセプトがはっきりしていて、数年以内の実用化を目指すとのことです。フェイスブックの先端技術研究部門「ビルディング8」のトップ、レジーナ・デューガン氏によれば、外科手術によって特殊なセンサーを脳に埋め込むのではなく、光学画像装置を使って外側から脳の動きを読み取るのだそう。確かに、普通に考えるBMI(Brain-Machine Interface)は手術によって脳とコンピューターを繋げる必要があるので、一般の人には相当にハードルが高いでしょう。いくら頭で思っただけでコンピューターを操作できると言っても、サイボーグのような姿になることを受け入れるにはまだ文化的素地が整っていません。そこへ行くと、フェイスブックの目指す、人間が考えたことを画像装置で読み取るというのは、現実路線として十分に受け入れられる可能性がありそうです。ただ、具体的にどんな技術でそれが可能になるのかは、見当もつきませんが...

 デューガン氏によれば、当面の目標は「1分間に100個の言葉を、思い浮かべるだけで入力できるようになること」だと言いますから、その辺の技術的な積み重ねはかなりのところまで来ている可能性が高いですね。現在もコンピューターの操作にはまだキーボードとマウスが現役ですが、徐々にスマホやタブレットのタッチパネル操作がそれを上回り、さらには最近はAmazonのAlexaというエンジンを使って声で操作するのも広がりつつあります。声による操作は、AppleのSiriやGoogleのGoogle Assistant、MIcrosoftのCortanaなどもあり、最近流行のAI(人工知能)が人間の声の特徴を捉えてコマンドを受け付けるというのは共通的です。

 そのずっと先の夢の技術が、頭に思い浮かべることでコンピューターを操作したり、映像や音声・感触などを直接脳にインプットするインタフェースです。ドローンによる映像や音声・空気感さえも直接脳にインプットできるなら、究極のバーチャルリアリティが実現できそうですが、そこまではさすがにまだ夢の技術ですので、フェイスブックの試みは夢と現実路線のいいバランスにあるように思います。指一本動かさず頭に思い浮かべるだけでコンピューターに入力できるなら、体の不自由な方やお年寄りとのコミュニケーションなど福祉面への応用も効きそうで、個人的にはとても期待する技術です。

「上司より 呼び出し多い ○○○」パパママ川柳入選作 - ライブドアニュース

「上司より 呼び出し多い ○○○」パパママ川柳入選作 - ライブドアニュース:

 今回は、オリックスグループによる第1回「働くパパママ川柳」のニュース記事から。自分にも子供が2人いますが、上の子は小学2年生、下の子は保育園で、入選作品を読んでみると、そうそうあったあったというちょっと懐かしいような感覚を覚えます。

 大賞は「カバンには パソコンスマホ 紙おむつ」。ウチの場合は下の子がようやくオムツが取れかかっているのですが、ほんのひと月前はお出かけの時はカバンにオムツが必須だったので、オクさんが休日にお出かけしたそのままのカバンで出勤すると、オムツが入れっぱなしというのはよくありました。

 他にも「すべりこむ 会社に園に お布団に」「上司より 呼び出し多い 保育園」など、忙しさで生活がいっぱいいっぱいな実感が出ている作品が入選しています。ウチもいまだにギリギリの生活(経済的という意味よりも時間的という意味で)で、朝は自分が妹ちゃんを保育園に送って行ってそのまま出勤、帰りはお義母さんがお兄ちゃんと妹ちゃんを学童と保育園へ迎えに行って、夕食も食べさせてくださったところをオクさんが迎えに行く。家へ帰っても、お風呂に入ればもう寝る時間。なんとかお兄ちゃんの音読の宿題を親子で済ませて、ベッドへ滑り込む。そんな、一人でも病気したら成り立たなくなるような、バッファのない生活をしています。お兄ちゃんが保育園に通い始めた頃(といえば、5, 6年も前ですが)、それまでの温室育ちとのギャップでよく保育園で病気をもらってしまい、熱が出たという保育園からの電話が2週間に1回くらいの頻度だった頃があります。この電話があるとどんなに仕事が忙しくても、急いでお迎えに行って、そこからお義母さん・オクさん・自分が持ち回りで順番に休みを取るのですが、病気が治って保育園に行き始めても、まだ体力的に完全に回復できていないからかすぐに次の病気をもらってしまうというループに陥ったものです。最近では、お兄ちゃんは小学校で皆勤賞、妹ちゃんも元気に保育園に通ってほとんど休まないので、随分とラクになりましたが、お兄ちゃんの保育園行き始めは、園に行っている日よりも休んでいる日の方が多い月もあったほどでした。仕事中の電話の着信画面に「保育園」の文字を見たときの、あの愕然とする感覚。うまくオブラートに包んだ作品だと思います。

 あと入選作品で気になったのは、優秀賞の「駅に着き 深呼吸して ママになる」という作品。オクさんに聞いて見るとこの作品はよく分かると言っていましたが、自分も駅で降りてから自宅までの間にスイッチを切り替えているので、とても共感できる作品です。そして、通勤電車の中は貴重な自分の時間で、音楽を聴いたり本を読んだりこのブログを書いたり、仕事モードとパパモードの間にあるこのバッファ時間が生活のバランスを取る上でとても貴重な時間になっています。仕事に家事に子育てに忙しいパパ・ママは、この時間を大切にしている人が多いと思います。

 どの作品も、働くパパ・ママの忙しい生活をよく表していて、あるある、あったあった...と思います。忙しい生活の中でもこういう川柳で笑いを作るのが日本人のいいところで、また明日から頑張ろうという気にさせられますね。

2017年4月21日金曜日

優秀すぎることが昇進の妨げになる理由 - WSJ

優秀すぎることが昇進の妨げになる理由 - WSJ:

 4月も後半に入り、新しい環境にも慣れてきたでしょうか。みんなが新しい職場・新しい役職に就く中、自分だけ取り残されたように昨年度と同じ仕事をしているという人もいると思います。今回はJoann S. Lublin氏の記事を元に、優秀さと昇進が必ずしも一致しない、いやむしろ優秀すぎる人は昇進しづらいというパラドックスを考えてみたいと思います。

 あなたがなかなか昇進できないのは、もしかしたらあなたが優秀過ぎるために上司が手放すことを拒んでいるかも知れないというのです。優秀な部下を持つ上司は、その部下の昇進や異動を後押しするのではなく、逆に手元に置いておこうとする傾向があるのです。「才能の溜め込み」と呼ばれる現象です。2016年、企業生産性研究所(Institute for Corporate Productivity=i4cp)が665社を対象に調査したところ、優秀な部下を溜め込む管理職は半数にものぼるのですが、業績の悪い企業はさらにその割合が上がって74%にも達したのだそうです。i4cpでこの調査を行なったケビン・マーティン氏は、企業の中心を担うミレニアル世代は転職を厭わない傾向があるので、才能の溜め込みは企業の競争力の源となるキーマンが会社を去ることにつながる、と指摘しています。

 人材がそのまま競争力につながるような企業の場合、この問題は放置しておけません。例えば大手会計事務所アーンスト・アンド・ヤングでは、右腕となる優秀な人材を育成した管理職には報酬を与えていますし、米アリー・ファイナンシャルでは、社員が自身の昇進を幹部に働き掛けることを認めています。

 しかし、自分が所属するのが古い体質の電機メーカーだからかも知れませんが、日本企業では、この問題はみんな薄々感じているにもかかわらず、対策を取っていると宣言する企業は少ないでしょう。自分の見聞きする範囲では、優秀な部下を持った上司の反応は大きく2通りに分かれるような気がします。1つ目のタイプは、優秀な部下と必死に張り合おうとする上司です。事あるごとに若かりし頃の自慢話をしたり、役職としての上司と部下という関係を必要以上に強調したり、場合によっては大きな仕事を意図的にその部下に回さなかったり。そして2つ目のタイプが、今回の問題である溜め込みに走る上司です。その場合は、部下の仕事の成果を横取りして自分の手柄とし、部下の優秀さが社内で知れ渡ることがないことになって優秀な人材が埋もれてしまいます。

 日本の場合、米アリー・ファイナンシャルのように社員本人が自分の昇進を幹部に働きかけるという動きは様々な軋轢を生みそうです。何より1つ目のタイプの上司はメンツが潰されたと感じるかも知れませんし、そうやって周囲の反感を買って出世したとしてもその後の仕事がうまくいく可能性は低いでしょう。したがって、米アーンスト・アンド・ヤングのように、優秀な人材を育てた上司には報酬や上司自身の昇格などインセンティブを与えることが望ましいと思います。そうすれば第1のタイプの上司は、ありがちな「あいつを育てたのは俺だ」というのをオフィシャルに自分の手柄にでき、その意味でその優秀な部下の上位にいられます。第2のタイプの上司も、優秀な部下を昇格させることで右腕を失ったとしても、大きな社内評価を得て次のエースを育てることに邁進してもらえればよいでしょう。つまり「優秀な人材を多く輩出した」ということが、その上司の重要な成果だとオフィシャルに会社が認めるのです。よく考えると、これはスポーツの世界ではとてもよくあることですよね。選手としてパッとしなかったとしても、引退後にコーチに転身してオリンピックのメダリストを輩出したとなれば、優秀なコーチとしての地位も名誉も得られることがよくあります。あれと同じことを会社組織の中でもやっていけば、埋もれてる人材をしっかり発掘できるようになるかも知れませんね。

2017年4月20日木曜日

相手がみるみる焦りだす。口下手な人が交渉を有利に進める方法 - まぐまぐニュース!

相手がみるみる焦りだす。口下手な人が交渉を有利に進める方法 - まぐまぐニュース!:

 今回は自分への自戒の念も込めて、谷原誠氏による記事を元に交渉術に関して考えてみようと思います。実は、自分もどちらかというと交渉下手な方で、相手に対して強く言えなかったり、思い通りの落とし所で決着できた試しがない気がします。一貫性の原理(自分の行動や考えを一貫性があるものにしたいという心理)を逆手に取ったフットインザドア・ローボールテクニック、返報性の原理(施しを受けたらお返ししなければという心理)を逆手に取ったドアインザフェイスなど、交渉術に関するテクニックを勉強はしましたが、実戦であまり役立った気がしません。

 谷原氏の記事の要諦は、本質的には「口下手と交渉下手は違う」と言うことです。そして自分のことを口下手だと思っていて、口下手だから交渉下手だと思い込んでいると言うのです。確かに、交渉の席で相手ばかり話しているとなんとなく押されている気になって焦ってしまい、こちらも何か言わなければと不用意な発言をしてしまうケースがあります。そして一度口をついて出てしまった言葉との一貫性を保とうとして、相手のフットインザドア・ローボールテクニックに陥ってしまうのです。ちなみに、フットインザドアと言うテクニックは、セールスマンが訪問した家のドアに足を入れるところから来ていて、訪問を受けた側が、ドアを開けたのだから話を聞かないといけない、話を聞いて商品にいいねと言ってしまった手前買わない理由が見つからない、など自分の行動に一貫性を保とうとする心理を逆手に取って、どんな小さなことでもとにかく相手にYESと言わせれば、その後はYESを引き出しやすくなると言うことです。試着や試食もこのテクニックが使われていて、相手のマシンガントークにじゃあ試着だけしてもいいですよ、なんて答えてしまうとその後購入を迫られた時に断りづらい心理が働くというわけです。

 そこで、「雄弁は銀、沈黙は金」という格言を思い出してはどうかと言うのです。自分を口下手だと思っている人は、相手に喋らせるだけ喋らせても「焦りを感じない強い心」が必要なのです。何を言ってよいかわからない時は、無理に話さず、黙っていてもよいのです。喋りまくってもレスポンスがなければ(そのために相槌も打ってはなりません)、今度は相手が慌ててきます。喋ると言うことは自分の持っているカードを切るということなので、相手がたくさん喋ることで切るカードが残り少なくなっても、こちらはカードを温存しているように見せるのです。相手は、こちらがとんでもない強いカードを持っているんじゃないだろうかという疑心暗鬼にとらわれるでしょう。そうなったらシメたもので、落ち着いて本来すべき主張をするのです。

 他に、自分が思う交渉で重要なことは、交渉前に冷静に落とし所のポイント(譲歩できないライン)を決め、交渉の中ではそのポイントを決して変えてはならないということです。ポイントを変えようとする場合は、必ずその交渉は一旦打ち切って、後日の再交渉に持ち越します。1回の交渉の中でポイントを変えてしまっている場合は、相手の心理テクニックに落ちてしまっていて、自分で自分にそのポイント変更を納得させようとしてしまっている可能性が高いのです(相手の説得よりも自分で自分を説得する力が強いことは様々なところで言われています)。口下手な人ほど、冷静に事前の落とし所ポイントを心の中で唱え、相手には喋るだけ喋らせてポイントを変更しない、という方法が効果的なんだと思います。

2017年4月19日水曜日

セキュリティ向上? プライバシー侵害? AIによる従業員の行動監視 | TS World部 | デジカルCOLUMN | 明日をちょこっとHAPPY!にするデジカル系情報マガジン TIME&SPACE(タイムアンドスペース)

セキュリティ向上? プライバシー侵害? AIによる従業員の行動監視 | TS World部 | デジカルCOLUMN | 明日をちょこっとHAPPY!にするデジカル系情報マガジン TIME&SPACE(タイムアンドスペース):

 今回は人工知能(AI)関係の話題ですが、幸野百太郎氏の記事を元に、テクノロジーの発展がむしろ人間にとって住みづらい世の中を生んでしまうかもしれないということを考えてみようと思います。ロンドンのスタートアップ、StatusToday社が提供する、従業員の行動を監視するAIプラットフォームがその題材です。

 少し前のことですが、ITの世界では「フォレンジック」という言葉がもてはやされたことがありました。「デジタル・フォレンジック」とか「コンピュータ・フォレンジック」のような言い方で、コンピュータやネットワークシステムのログを詳細に調査して、過去に起こったことを立証する証拠を集める、といったような意味です。例えば、情報漏洩やセキュリティインシデントが発生した時に、容疑者がいつどのファイルにアクセスしたか、オフィスのどのドアをいつICカードで開けたか、どの監視カメラにいつ映っていたか、コピー機で何をコピーしたか、というような全く異なるシステムのログをつなぎ合わせてその行動を追跡できるように、しっかりログを残さなければならないとか、その元データとして異なるシステムのログを一元的にデータベースで管理するといったことも「フォレンジック」と言いましたし、普段不正がないことをログに残すといった意味で「監査ログ」という言い方をしたりもしました。

 これらの「フォレンジック・ログ」は、一元的に管理されていてもいなくても、よほどの事件でもない限り普段は役に立つことはありませんでした。それは、これらのログは膨大なデータ(今で言うところのビッグデータ)で、フォレンジック解析は各システムの専門家が人手でログを解析する時間もコストもかかる作業だったためです。その分析作業を人手からAIに移行することで、特別なインシデントがあった時でなくても日常業務の中で通常のオペレーションも分析することができるのが、StatusTodayのAIだと言うのです。

 つまり、いつもとちょっと違うオペレーションをAIが検出してアラートを上げることができると言うわけです。例えば、いつもよりコピーするファイルの数が多いとか、白黒コピーがほとんどだった人がカラーコピーを大量にしているとか、普段は喫煙所に5分くらいしか滞在しない人が1時間も喫煙所にいるとか、顧客先を訪問した営業マンが普段より長い時間帰ってこないとか、普段の営業回りに比べてガソリンの消費量が極端に少ないとか、社用スマホの位置情報が漫画喫茶から3時間も動かないとか...とにかく、「普段と少し違う」ことを自動で検出して管理者にアラートを上げることができると言うわけです。StatusTodayのAIはどちらかというとPCの操作ログのようなIT系の操作のみが対象のようですが、将来的には入退室管理・監視カメラ・コネクテッドカーの情報・位置情報など、IoT系の様々な情報をつなぎ合わせると人の行動を丸裸にすることは十分に実現可能でしょう。

 自分が勤める会社も電機メーカーなので、入退室管理や監視カメラのシステムを納めたりもしていますが、将来的にはIT系だけでない様々なシステムのフォレンジック・ログを統合し、ビッグデータとして活用するビジネスに移行していきそうだというのは以前からずっと言われてはいました。しかし、そういう「監視社会」が人間にとって窮屈な世界になりそうだということは、みんな気づいている通りです。例えば、不正に顧客情報にアクセスしてUSBメモリーにその情報を持ち出したこと、経営情報にアクセスしてインサイダー情報を得たこと、そういう大きなアラートを検出して未然にセキュリティインシデントを防いだり、犯人逮捕に一役買うことはもちろん素晴らしいことかもしれません。しかし同時に、真夏の営業回りの途中で喫茶店で一息入れたこと、出張にかこつけて温泉に入りにいったこと、営業車を木陰に止めて仮眠を取ったこと、プライベートなコピーに会社のコピー機を使ったこと、そういったことも全て監視されているとしたらどうでしょうか。人間は完全に品行方正なばかりではありませんので、ちょっとヤル気を失ってサボる日があったり仕事とプライベートが多少ごちゃ混ぜになった時もあるでしょう。そうしたちょっとしたズルにもずっとAIの監視の目が光っているとしたら。

 そこまで考えた時、自分の頭に思い浮かんだのはジョージ・オーウェル氏の「1984年」でした。この小説自体はディストピア(ユートピアの反対)のストーリーで、全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いています。唯一の政党を率いるのは「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる実在するのかしないのかわからない人物で、国民は党の最大の敵、エマニュエル・ゴールドスタインに対して、毎日テレスクリーン(双方向のテレビとマイク)を通して「二分間憎悪」を行なって憎しみを駆り立てます。テレスクリーンによって、全ての国民は党の監視下に置かれ、プライベートは存在しなくなっている、そんな世界です。描かれているのは全体主義の恐怖が中心ですが、テレスクリーンという国民を監視するテクノロジーが印象的です。小説の当時は「監視」とは映像と音声のみだったのでしょうが、現在のあらゆるフォレンジック・データとそれをAIで解析する「監視」は、ある意味カメラやマイクのような死角がないだけに、さらに厳しいものになる可能性があります。

 あらゆるシステムのフォレンジック・データ連携し、そのビッグデータをAIが解析するという最先端テクノロジーは、「AIが人間を監視する社会」という、人間にとってむしろ好ましくない世界を生み出す可能性があります。生活を良くしよう、便利にしようというのがテクノロジー発展の大きな動機だと思うのですが、一部の為政者や経営者にとって国民や従業員を従わせる大きな武器になるという意味での便利さは提供しますが、国民・従業員といった管理される側はたまったものじゃありませんね。

2017年4月18日火曜日

埼玉で人並みの生活、月収50万円必要 県労連が調査:朝日新聞デジタル

埼玉で人並みの生活、月収50万円必要 県労連が調査:朝日新聞デジタル:

 昨日のニュース記事ですが、タイトルの通り、埼玉で人並みの生活を送るには月収50万円も必要だという衝撃のニュースです。このデータ(↓)は埼玉県労働組合連合会と有識者がまとめたもので、必要年収と平均賃金を比べれば30代・40代・50代の全ての年代で平均賃金を必要年収が上回っています。

 調査方法は、日常生活でのお金の使い方を聞く「生活実態調査」と、生活に必要な持ち物を聞く「持ち物財調査」のアンケートを組合員に対して行ない、597人の回答を元にしているそうです。「普通の生活」とは曖昧な言い方だなーと思ったら、持ち物財調査で7割以上の人が持つ物を「必需品」とし、それを持つ生活を「普通の生活」と定義しているのだそうです。全体の7割の人が持つものを持つことができる生活が「普通の生活」というわけです。そして、各年代のモデルケースは以下のようになるのだそう。こういう画一的な考え方はちょっとどうかと思ってしまいますが、埼玉での典型的な生活はこういう感じですよというサンプルです。

(1)30代夫婦で小学生と幼稚園児
 郊外で2LDK(43平米)月5万5千円の賃貸住宅で暮らします。食費は約10万8千円。交通・通信費は約3万8千円、教育費約2万7千円です。2008年の前回調査と比べ、教育費と教養娯楽費が3万円ほど増え、交通・通信費も1万円ほど増えるなど、支出が約6万8千円増えています。この生活を支えるには、税や社会保険料を加えた額面で、約50万円の月収(年収約600万円)が必要ですが、実際の30代男性の平均年収は411万円と、200万円近い差があります。

(2)40代で中学生と小学生
 子供が大きくなったからか、食費と教育費がそれぞれ1万円増える一方で、教養娯楽費は約1万3千円減るなどし、 必要となる額面の月収は約54万円(年収約647万円)。給料は30代より少し上がっているので、差は少し縮まっています。

(3)50代で大学生と高校生
 東京の私立大学に通わせるとすれば、教育費は約9万円増え、交通・通信費も1万円以上増えます。教養娯楽費が全世代で最も低く抑えて節約しますが、必要な額面の月収は68万円(年収約821万円)と、平均545万円との差は最も開きます。

 (1)〜(3)のモデルケースは全て自家用車がない前提なので、実際に埼玉県の郊外に住むのなら自家用車の1台も必要でしょうから、本当の年収と必要な年収の差は大きくなるでしょう。働き盛りの30代から50代で貯金できないばかりか、毎年100万円単位の赤字というのでは、たまったものではありません。埼玉県の人たちは、一体この差をどうやって埋めているのでしょうか。もしかしたら、奥さんがパートに出るとか共働きなどで世帯収入を増やし、住宅補助など差を埋める制度を活用して、奨学金などで借金を先送りするなどもして、ようやく「普通の」生活が成り立つというのが現状なのかもしれません。

 埼玉県で普通の生活をするのがこんなにも大変...元記事で自分が思い出したのは、なぜかこの人(↓)。ご存知、アニメ「クレヨンしんちゃん」のお父さん「野原ひろし」。漫画・アニメの中ではそれほど高給取りと扱われていないながらも、実は高収入のエリートサラリーマンだとネット上で言われたりしていましたが、このくらいエリートでないと埼玉県で「普通に」暮らしていくのは難しいんだと、今回の元記事を読んで妙に納得してしまいました。

 野原ひろし、35歳、埼玉県春日部市に一戸建て住宅を建て(ローンあり)、双葉商事営業2課の係長で、年収は650万円。まだ30代半ばであることを考えると、上の表と見比べても十分に「普通」の生活をしていけそうです。30代で係長ということなので、特別出世頭ではないかもしれませんが、順調に出世の道も歩んでいて、おそらく40代・50代とお金がかかる年代になってきても、十分に収入増が見込めそうです。家族構成は、29歳の奥さん(みさえ)・5歳の長男(しんのすけ)と0歳の長女(ひまわり)という4人家族。生活ぶりはそれほど豪華ではなく普通に見えますが、シングルインカムで埼玉県で「普通に」暮らせていることを考えると、そのエリートぶりが際立ちますね。イクメンぶりも含めて、今となっては希少な「普通」のお父さん像かもしれません。

2017年4月17日月曜日

「マクドナルドだけ」を食べ続けると何が起こる? | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

「マクドナルドだけ」を食べ続けると何が起こる? | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン):

 今回の話題は、マクドナルドの食事が一概に健康に悪いというのではなく、結局のところ食べる量やバランスが重要なんだという、Jonathan Brill氏の回答を上田裕資氏が編集された記事です。質問サイトQuoraに寄せられた質問は、マクドナルドで買えるものだけを食べて暮らすと健康に悪いのかというもの。

 Brill氏の回答は、毎日3食マクドナルドでも問題はないし、「健康的な食事」とは言えないが有害だと言い切ることもできない、というもの。ただし健康を害さないためには、メニューを選ぶ際に「砂糖の摂取を少なくする」ことに注意するといい。例えば、グリルチキンやサラダ(ドレッシング抜き)・フルーツ・乳製品などで、砂糖の取りすぎに気をつける意味でパンも少なめにすることが重要なのです。

 アメリカでは、ドキュメンタリー映画「スーパーサイズ・ミー」でモーガン・スパーロック監督は、30日間マクドナルドだけを食べ続けて、治癒できない長期的な健康問題が生じたとしているのが有名です。しかし、Brillの見立ては少し違います。この映画では、ほとんどの食事で大量の砂糖が含まれスーパーサイズのソーダを注文していました。健康に気を使っている人々の間では、ソーダは毒とまで言われています。さらに砂糖がたくさん入ったデザートやスナック菓子も注文しています。ドキュメンタリーの中で摂取された脂肪は5.4キロなのに対して、砂糖は14キロ以上。つまりこの映画でマクドナルドだけ食べ続けて健康問題になったのは、砂糖の摂りすぎが最も疑わしいのです。

 映画撮影の2004年当時は、今ほど砂糖がダイエットの目の敵にされていなかった事情もあるでしょう。ガンガンに砂糖を摂っていればそりゃあ肥満や健康被害になるのも当然だと、今なら思われるでしょう。最近はご飯やパンなど炭水化物を抜く「糖質制限ダイエット」というのが流行っていて、以前の記事に書いたことがありますが、自分も糖質を減らすことで14キロほどダイエットできた経験があります。その時「糖質」と「肥満」の強い関係をまざまざと感じました。

 結局のところ、当たり前ですが「どこで食べるかよりも何を食べるか」が重要なのであって、マクドナルドでも健康に問題を出さないようなメニューの選択は可能なんだということですね。

2017年4月16日日曜日

パスワードの定期変更に意味はあるのか? - 新説・パスワードとはこう付き合う:ITpro Active

パスワードの定期変更に意味はあるのか? - 新説・パスワードとはこう付き合う:ITpro Active:

 この山ちゃんウェブログでは、以前にパスワードの別送に意味があるのかという記事を書いたことがありますが、今回は清嶋直樹氏による記事を元にして、パスワードの定期変更という作業について考えてみましょう。

 清嶋氏の元記事では、昨年12月8日横浜市で発生したマイナンバーカードを交付できなくなるシステム障害は、実はパスワード定期変更の作業ミスだったことを引き合いにして、定期的なパスワード変更にも作業ミスのリスクが高いことが示されています。システム障害にまでなってしまった横浜市の住基ネットのシステムは、アプリケーションやミドルウエアごとに何種類もパスワードがあり、それらの変更手順は6ページもある手順書に従わなければならないそうです。情報セキュリティが専門の武田圭史教授(慶応義塾大学環境情報学部)の言葉を引用して、「『定期変更を強制すべきだ』というのも『定期変更は無意味だ』というのも極論だ。定期変更の是非は、運用するシステムの性質によって、セキュリティ上の効果と業務上の負担のバランスを考えて判断するべきだ」と指摘されていますが、これは単に臨機応変にすべきと言っているだけで何も指針を示したことになりません。

 実は自分もパスワード変更に関しては苦い経験があり、作業ミスで危うく障害になりそうになったことがあります。自分の場合は、仕事で関わっているIoT系クラウドサービスが別のサービスと連携するために使用するパスワードの変更作業でした。連携先システムごとに5種類のパスワードを変更する作業を、本体のサービスのバージョンアップ作業の中で行なっていたところ、ある1つのパスワードを入力する際にタイプミスをしてしまったのです。当日の作業そのものは自分、それを監督する上司・品質保証部門の担当者・サービス提供会社の担当者とその上司という合計5人で作業をしていて、自分がターミナルに向かってタイプするのを4人がチェックしていましたが、それでもミスは発生しました。キーボードから打ち込んでいる自分が気づかなかったのはもちろんのこと、作業を手順書と見比べてチェックしている4人も誰一人としてそのミスに気づかず、翌日のバッチ処理の失敗でようやく気づいたのです。バッチ処理を再処理させることで事なきを得たのですが、その時、手作業によるパスワード変更にはリスクがあって作業者のミスを別の人が見つけるのはかなり難しいと感じました。作業の順番ミスとか対象の設定ファイルを間違えるようなミスならば、それ以上作業が続行できなくなるので作業者本人もすぐ気づきますが、間違ってもその先の作業が問題なく行なえてしまう場合、しかもパスワードは普通の人が容易に思いつかないようなランダムな文字列なのでアルファベット1つくらいの間違いは気付きづらいのです。

 自分の失敗経験から、「入力する内容が意味のない文字列」であることも間違いを発生させやすいのですが、より問題なのは「手順を間違えてもその先の作業が問題なく行なえてしまう」ことだと思います。そこで、次のシステム開発では、パスワード変更を行なった時はすぐに変更後のパスワードで連携先に接続できるかどうかをチェックできるよう、ツールを提供するようにしました。実際のツールの動きは、
  (1)現在のシステムのバックアップ
  (2)パスワード変更(ユーザーに入力させる)
  (3)新しいパスワードで相手システムへログインできるかチェック
  (4)サービスを再起動して変更を有効化
を自動的に行なうものですが、最も重要なのは(3)です。このチェックがNGの場合は(4)へ行かずにユーザーに再チェックさせることで、この新システムではいまだ作業ミスは発生していません。

 清嶋氏の元記事で紹介されている、武田教授の「パスワード定期変更の是非は、運用するシステムの性質によって、セキュリティ上の効果と業務上の負担のバランスを考えて判断するべき」というのは、いかにも評論家が言いそうな当たり障りのないことですが、結局は責任を現場に丸投げしているだけでなんの解決策も示していません。現実問題として、ID・パスワードの仕組みで動いているシステムはごまんとあり、定期的なパスワード変更である種のセキュリティを確保しているケースがほとんどです。定期変更のリスクを考えて、むしろパスワードは一旦設定したら変更しないという決断をする経営者は稀でしょう。したがって、できるだけ人手で行なう作業を減らしてミスを防ぐ仕組み作りが大切なんだと思うのです。

2017年4月14日金曜日

「この世界はシミュレーションだ」なんて科学じゃない! 物理学からキツいダメ出し|ギズモード・ジャパン

「この世界はシミュレーションだ」なんて科学じゃない! 物理学からキツいダメ出し|ギズモード・ジャパン:

 今回は科学と哲学の交差する話題ですが、Ryan F. Mandelbaum氏による、この世界が実はコンピューターシミュレーションだとする仮説に関する記事を元に考えてみます。残念ながら今のところ科学は万能ではありません。「神の存在」を想定する方がうまく説明できることもまだまだたくさんあるでしょう。スウェーデンの哲学者、ニック・ボストロム氏らが提示する「この宇宙はコンピューター・シミュレーションなのか? 」というのも、そんな科学と哲学の交差点にあるような面白い命題です。元記事では、フランクフルト高等研究所の理論物理学者・Sabine Hossenfelder氏がご自身のブログBackreactionsで展開されている、この命題に対する反論を紹介されています。

 宇宙が実はプログラマーによって作られたシミュレーションだとする仮説にYESと言いたい人は、神ではなく全知全能の高次の力が自らのイメージで宇宙や生命をデザインした、と主張することになります。 やや狭義の定義ですがMandelbaum氏の元記事では、コンピューター・シミュレーションとは、空間や時間も含めて宇宙を構成するすべてが1と0のビットにもとづいていることだと仮定します。すると、世界はもっとも小さな細部にいたるまで、何らかの明確な特性や状態(0か1か、YesかNoか、TrueかFalseか)を持つことが必要になります。しかしHossenfelder氏は、それが事実でないことは量子力学の分野ですでに明らかであると主張されています。量子力学には、有名な「シュレーディンガーの猫」というパラドックスがあります。このパラドックスは、観測が状態を決定するという量子力学の面白い特徴を言い表していて、猫が生きているか死んでいるかは観測するまで分からない、観測するまでは猫は生きていると同時に死んでいるという面白い結論になってしまう思考実験です。氏の言わんとすることは、世界をどんどん細分化していった「量子力学」の世界は、特性や状態が明確(0か1か、YesかNoか、TrueかFalseか)な世界ではなく、複数の特性や状態を同時に合わせ持つような世界だということです。そういう意味でもっとわかりやすいのは、光が波か粒子かという命題があります。マクロの世界では、光は反射・屈折・回折などの明らかに波としての振る舞いを見せますが、同時に量子力学と同じようなミクロの世界では光子と呼ばれるような粒子として振る舞うことが知られています。

 ざっくりと氏の主張をまとめると、量子力学のようなミクロの世界は0と1で表せないことは明らかなので、そもそもの仮説「コンピューター・シミュレーションとは宇宙を構成するすべてが1と0のビットにもとづいている」は否定されるという論理になるでしょう。

 しかし、コンピューターが0と1でできているのは確かにその通りですが、コンピューターには浮動小数点数という考え方があって、アナログの値(例えば3.14159)をある精度で近似することができます。我々の知る『あのコンピューター』では、せいぜい32ビットか64ビット程度の近似値ですが、浮動小数点数を十分に大きなビット数で近似できるコンピューターがあるとすれば、ほとんど連続と言っていい値を表すことができると言えないでしょうか。ちょうど、数学の世界における「極限」という概念と同じように(例えば、1/n→0 (n→∞) のように、nを無限大に近づけると1/nは限りなく0と言っていい)考えられないかということなんです。そして、それだけ十分に大きなビット数で限りなく連続値に近い離散値を、我々の観察分解能ではまだ離散値だと認識できないだけではないでしょうか。もっと言えば、最初の「コンピューターが0と1でできている」ということさえ、『あのコンピューター』には当てはまりますが、0と1でない連続数を取り扱うことができるコンピューターだって、我々が想像できないだけで作ることは可能なのかもしれません。

 Mandelbaum氏の記事ではもう一つ、Hossenfelder氏によるコンピュータシミュレーション宇宙説の否定だけでなく、興味深いもう一つの命題が示されています。それは「そもそもコンピューターシミュレーションで宇宙をシミュレートすることは可能なのか?」というものです。この命題に対して、理論コンピューター科学者Scott Aaronson氏の「宇宙は潜在的に10の122乗の量子ビットを必要とする」という言葉を取り上げたり、宇宙にはおよそ10の80乗の原子が存在すると、Mandelbaum氏の元記事ではデータ量が多すぎてコンピューターの手に負えないと言っているように聞こえます。

 しかしこの議論も乱暴に感じませんか。もちろん「現在人類が手にしている『あのコンピューター』には手に負えない」というのなら正しいと思います。しかし、これも先と同じ議論です。我々が知っている『あのコンピューター』を頭に思い浮かべるから手に負えないと思うのであって、この宇宙をシミュレートしている高次の存在(プログラマーと呼んでいいのかどうかわかりませんが)にとっては十分処理できるコンピューターを手にしているのかもしれないですよ。例えば自分が生まれた頃のパソコン黎明期によく使われたインテルの「Intel 8080」なんて、8ビットCPUでクロック数も2MHz、積んでいたメモリーも8KBくらいのものでした。それが今や64ビットCPUは当たり前で、クロック数は1つ上のGHz単位、メモリーなんて2つ上のGB単位です。つまり、我々が70年代にタイムスリップして、当時の人が画像処理なんてコンピューターの手には負えないと言っているのを聞けば、いやいやほんの40年ほど待てばパソコンレベルで十分に画像処理ができる時代がやって来ますよと言ってしまいそうですよね。

 Mandelbaum氏の記事で言われている「この宇宙はコンピューター・シミュレーションなのか? 」「そもそもコンピューターで宇宙をシミュレートすることは可能なのか?」という命題に対するNoの答えは、我々がよく知っている『あのコンピューター』が前提であればその通りでしょう。しかし、我々がまだ知らないコンピューターも含めたコンピューター全般が対象ならば、『あのコンピューター』しか知らない私たちには答えられないかもしれませんね。

2017年4月12日水曜日

一人のはずの卒業式、扉を開けると:朝日新聞デジタル

一人のはずの卒業式、扉を開けると:朝日新聞デジタル:

 今回はネット上で最近3回も見かけたちょっといい話を、朝日新聞デジタルの円山史氏の記事を元にご紹介したいと思います。

 主人公は、小学校をこの春卒業した男の子。3月24日が卒業式だったのですが、その日は熱が39度も出てしまい、泣く泣く欠席してしまったのです。ようやく熱が下がって、3日遅れの3月27日、お母さんとお兄ちゃん・弟の4人と一緒に卒業証書を受け取りに小学校へ向かいます。6年間通った小学校への道を感慨深く歩いていると、3日前に卒業したはずの同級生の男の子が。声をかけたら慌てた様子で「卒業式の日にお父さんが間違えて学校のスリッパを持ってきちゃったから、返しに行くんだ」との返事。じゃあ代わりに持って言ってあげるよという提案にも、同級生は走って先に行ってしまいました。

 小学校に着いていざ校長室へ向かおうとしたら、なぜか体育館に案内されました。みんなと一緒にもらうことが叶わなかった卒業証書を1人でもらうだけなのに。そして、体育館の扉を開けた瞬間、男の子と家族の目に飛び込んできたのは...

 そこには、40人もの同級生が一斉に男の子の方を振り返った、顔、顔、顔。誰かが歌う「カノン」の入場曲とともに体育館に入った男の子は、校長先生に名前を呼ばれて、練習どおりに背筋をぴんとさせ、堂々と卒業証書を受け取りました。振り返るとみんなの顔が見えましたが、なんとか涙は我慢しました。

 この話を読んで、自分の長男が保育園の年長さんだった時のクリスマスお楽しみ会を思い出しました。保育園最後のお楽しみ会というので、長男のクラスは担任の先生を中心にたくさん練習をして当日を迎えました。お父さん・お母さん・おじいちゃん・おばあちゃんたちが、子供の・孫の晴れ姿を見に保育園に集まりましたが、長男の親友で、年長さんの晴れ舞台「ネズミの嫁入り」の劇の主人公をつとめるはずのお友達の姿がないのです。前日の夜から39度も熱が出てしまったとのことで、せっかく歌も踊りもそして劇も一生懸命練習したのに、当日は欠席になってしまいました。仕方なく担任の先生がそのお友達の役をやりましたが、長男の親友なだけに、自分としても気の毒だなあと思っていました。

 しかし、担任の先生は粋なはからいをして下さったのです。お友達が熱が下がった後ご家族の都合のいい日に、ご家族を保育園に招待して、そのお友達ご家族のためだけの「ミニ・クリスマスお楽しみ会」を開いてくれたのです。自分の長男も、親友と一緒に歌って踊って劇でのやり取りをして、思い出がたくさんできました。何より、そのお友達のご両親の気持ちを考えたら、長男たちは素晴らしい先生に巡り会えて本当に良かったと思いました。

 この話には後日談があって、長男のクラスが卒園を迎えた時、保護者主催の謝恩会を開いたのですが、そこで披露するスライドショーを自分が作ることになりました。基本的には1歳児クラスから年長クラスまでの時系列の写真に音楽をつけるのですが、年長クラスの1年については動画をスロー再生して音楽をつけました。そしてやっぱり自分は、本当のクリスマスお楽しみ会の映像ではなく、担任の先生が開いてくれた「ミニ・クリスマスお楽しみ会」の方の映像を使いました。衣装で着飾った子供たちの映像よりも、普段着の姿だけどみんなそろって歌って踊る姿の方を優先するセンスは、この担任の先生に育ててもらった子供たちと親御さんなら分かってくれたと思うんです。

 ちなみに「ネズミの嫁入り」の主人公・ネズミ役をつとめたそのお友達でしたが、一方でうちの長男の役は「塗り壁」...でした(笑)。

仕事の効率を劇的に高める、シンプルで間抜けな方法 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

仕事の効率を劇的に高める、シンプルで間抜けな方法 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン):

 今回はIan Altman氏の記事を元に、タスク管理・スケジュール管理はシンプルにするのがいいというお話です。会社でも学校でも、時間を最大限に活用して1日により多くのことを片付けられる人と、期限ぎりぎりになって何とか片付けられる、あるいは宿題そのものを忘れてしまうような人もいるでしょう。計画的にタスクをこなしかつ多くのタスクをこなすために、私たちはその日やるべきことを書き出したり、スマホのスケジュール管理機能を使ったりしています。

 そういうタスク管理・スケジュール管理について、Altman氏の主張はシンプルな方法にしておくべきだということです。エクセルでTODOリストやチェックシートを作ったり、スマホとクラウドを連携させたり、現代は実に様々なツールがあります。氏の主張では、システムが複雑になればなるほど継続が難しくなると言うのですが、自分がもう1つ付け加えるなら、タスク管理・スケジュール管理そのものが目的化してしまったら本末転倒だということです。実は自分もその傾向があるのですが、学生時代の中間テスト・期末テスト前など、さあ試験勉強をするぞと言って試験まででの勉強スケジュールを立てます。試験科目と試験日から、数学や物理など「思考モノ」の科目は早めに勉強を始め、試験直前には「暗記モノ」の英語や歴史などを集中的に詰め込んで...と言った具合に、スケジュールを作っている作業そのものに充実感を感じてしまい、さあ今日はしっかりスケジュールを立てたので明日から実行しよう、なんて。学生時代のあるあるネタだと侮るなかれ。実際、自分も電機メーカーに勤めていますが、工程管理という仕事があまりにもクローズアップされ、イナズマ線(ガントチャート↓)を書くことだけが自分の仕事だと思っているプロジェクトマネージャも実際にいるほどこの罠に陥りやすいのです。

 Altman氏は「KISSの法則」というのを紹介されています。KISSは2つの解釈がされている言葉でそれは、"Keep it simple, stupid"(シンプルにしておけ!この間抜け)とややガラの悪い言い回しと、"Keep it short and simple" (簡潔に単純にしておけ)いう上品な言い回しです。何れにしてもその意味するところは、一般的にはモノづくりを対象にシンプルであることの重要性を説いたものです。

 Altman氏は生産性の専門家ニーン・ジェームス氏のタスク管理法を紹介されています。それはとてもシンプルで、「ポストイットに(今日中にやらなければいけないことを)3つ書いて1日中持ち歩くこと」。こうすることでどんなに多忙な人でも、その日にすることの優先順位がつけられ、重要なことに集中できるようになるのです。その真髄は、時間を無駄にしそうになったり別のことに気を取られたりするたびに、3つのことを簡単に思い出せるようにするという簡単なことなのです。

 モノづくりの世界では「シンプル」というのは黄金律といっても過言でないキーワードです。特に自分がいるソフトウェア開発の世界では、複雑さは悪だとさえ言ってもいいでしょう。シンプルな設計・シンプルなプログラムというのは、全体の見通しがいいので不具合を起こしづらく性能も良く保守もしやすいと良いことづくめと言っても過言ではありません。デザインの世界でも、シンプルなデザインというのは概ねいい意味に捉えられていますし、最近では「シンプルライフ」とか「ミニマリスト」なんて言葉があって、余計なものを持たないライフスタイルを目指す人も多いのだとか。アルベルト・アインシュタイン氏の「何事もできるだけ単純な方がいい」、レオナルド・ダ・ヴィンチ氏の「単純であることは究極の洗練」、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ氏の「完璧とは、これ以上加えられないときではなくこれ以上削りとれないときに達成される」など、シンプルの重要さを言った言葉もたくさんあります。タスク管理・スケジュール管理に「シンプルさ」を持ち込みたいという元記事でしたが、もっと色々なところでもシンプル・イズ・ベストという法則は成り立つのだと思います。

車の給油口は「あれ?右だっけ左だっけ?」というときはアソコを見れば一発!|@Heaaart - アットハート

車の給油口は「あれ?右だっけ左だっけ?」というときはアソコを見れば一発!|@Heaaart - アットハート:

 今回は軽い話題ですが、ガソリンスタンドに入った時に乗っている車の給油口が左側か右側かわからなくて困った経験はありませんか。特にこの春から社会人になって自分の車に乗り始めるという人も多いでしょうし、営業などに配置換えになってマイカーとは違う車でガソリンスタンドに入る人もいるかもしれません。実は自分もこの元記事の事実を知らなかったのですが、あるところを見ることでその車の給油口が右側なのか左側なのかを知ることができるそうです。

 それは....この2枚の写真を見れば分かると思います(↓)。ヒントは、最初の写真の車の給油口は左側、そして2枚目の写真の車の場合は右側です。



 もうお分かりですね。実は車の給油口が左右どちら側にあるかは、燃料計にある▲マークの向きで分かるようになっているのです。この豆知識を知っていれば、初めての車でガソリンスタンドに行った時もまごまごすることはありませんね。

2017年4月11日火曜日

不動の王者だったAppleが「最高のノートPCメーカーランキング2017年版」で5位に急落 - GIGAZINE

不動の王者だったAppleが「最高のノートPCメーカーランキング2017年版」で5位に急落 - GIGAZINE:

 今回は、優れたノートPCのメーカーランキング「The Best Laptop Brands」の2017年版で、6年間も不動の首位を守り続けてきたAppleが一気に5位まで急落したというニュース記事を取り上げようと思います。Appleに代わって昨年4位だったLenovoが初の首位、昨年3位だったASUSは2位に、2位だったDellは3位となっています。


 首位Lenovoは「バッテリー駆動時間の長さ」などが高評価で、対象33機種のうち19機種で4つ星以上の高評価を獲得しました。中でも2-in-1タブレット「YOGA Book」(↓)は「2017年で最も革命的なノートPC」にも選ばれています。Windows版とAndroid版をラインナップし(人気はWindows版だそうです)、洗練されたデザイン・690gという軽量・5万円台からという低価格に加えて、タッチセンサー式キーボード「Halo Keyboard」というキャッチーな魅力があります。

 一方で5位に沈んだApple。MacBookの薄さやデザインは魅力ですが、12万円以上という価格はコストパフォーマンスが低く、新型MacBook Proに搭載したタッチバーもあまり人気を得ませんでした。しかもタッチバーなしモデルも投入するというニュースも出ており、タッチバーは失敗だったと自ら認めるような方針のブレ具合です。さらにインタフェースをUSB Type-Cに統一するなど、過去の遺産との決別で先進的なイメージを保つ戦略も、変換アダプターをたくさん準備する不便さを強いるのは、ユーザーに優しいとは言い難い面がありました。

 そういえば、Appleは市場調査会社J.D. Powerが発表した、2017年のタブレットメーカー7社の顧客満足度ランキングでも首位をMicrosoftのSurfaceに譲って2位(↓)。長年AppleのiPadが牽引してきたタブレット市場でも、かつての飛ぶ鳥を落とす勢いが影を潜めているようです。

 実は自分が使っているノートパソコンは2016年モデルのMacBookだということもあって、もう少しAppleにも頑張ってほしいところでしたが、今回は残念な結果でした。持ち運びのセカンドマシンの特化するなら、MacBookの使い心地もなかなかなんですけどねー。いや、それこそYOGA Bookの方が魅力的かも。

「お金」よりエンピツが盗まれやすい理由~人はどんなときに“ズルしてもいい”と思うのか | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

「お金」よりエンピツが盗まれやすい理由~人はどんなときに“ズルしてもいい”と思うのか | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online:

 今回は上野陽子氏の記事を元に、人が「ズル」するときとはどんな時かを考えてみたいと思います。人はそうそう聖人君子ばかりではありませんので、ちょっとした「ズル」をやってしまったこと、誰しも経験がないでしょうか。その「ズル」の大きさや程度が大きくなりすぎると、露見して責められることになります。そんな時決まって「悪気はなかった」「みんなもやっていたから」、そんな言い訳をすることになるのでしょう。

 デューク大学の行動経済学者ダン・アリエリー氏が、人はなぜ、どういうときにズルを働くかを調べる実験を行ないました。実験は20問の問題を配って正解数に応じて報酬を支払うというもので、被験者は1問正解あたり1ドルをもらえます。Aグループの被験者には解答用紙をそのまま提出してもらいますが、Bグループは紙を破いたりして提出せずに自己申告でもいいとしたのです。Aグループの平均は4ドル(4問正解)、Bグループは平均7ドル(7問正解)だったのです。正解数をちょっと水増ししたとしても、得られる報酬はせいぜい数ドル違うだけ。それくらいならまあいいか、という感情が働いたことが読み取れます。この見積もり、つまり不正が露見して捕まる確率及び責められる度合い、その不正から得られるメリットのバランスで、人は「罪を犯す価値」を決めるのでしょう。

 次に、同様の実験ですが問題の正解数に応じて、自分で皿から報酬金を取っていくという方式に変えます。さらに、1問あたりの正解報酬を1ドル、5ドル、10ドルと増やしてみます。得られる金額が大きくなったら不正が増えそうですが、実際には金額の大きさによって不正は変わらず、金額に関わらず「多くの人が少しだけ」不正をする傾向が見られたそうです。とても面白い結果ですが、「超えてはいけない一線を守りながら、自分の評価を傷つけない程度に、些細な不正から何かを得ようとする気持ち」が働くというわけです。

 さらに次も解答用紙を破いて自己申告でいいが報酬のもらい方を変えます。Aグループは、正解数を申告してお金をもらいます。Bグループは正解数を申告するのは同じでも、直接金をもらうのではなく、報酬金の引換券をもらいます。そうすると、直接お金をもらわないBグループは不正が2倍になっ他のです。さらに次は、先にお金を渡してから、不正解の分だけ返す方式にします。ひとりだけサクラを混ぜておいて、サクラには「全部正解したらどうしたらいいですか」と質問させ、試験官はそのまま全額持って帰るよう言います。このときのサクラは、Aグループは同じ学校の制服を着ている、Bグループは違う学校の制服を着ているようにします。すると、Aグループつまり同じ学校の学生のとき不正は増加したのです。つまり、同グループの人間が不正をすると、そのグループに属する全員が不正をしても大丈夫だという認識を持つのです。

 このアリエリー氏の実験から言えることは、普段の自分たちの感覚ともかなり一致します。
(1)多くの人が不正をする
(2)不正が露見して責められる度合いと不正で得られるメリットのバランスで不正する
(3)不正と少し距離が離れると(例えばお金以外のもの)不正が増える
(4)周りの人の不正を見ると、特に同じ仲間の不正を見ると不正が増える
この4つの結論は奇しくも最初に述べた「ズルの言い訳=悪気はなかった、みんなもやっていたから」とも見事に合致すると思います。

 残念なことに、政治の世界も一般社会でも歴史的に不正がなくなることはありませんでした。そして、その原因をモラルが低いからだとか道徳教育などに求めるのも間違いではないと思います。実験前に「モーゼの十戒」(盗んではいけない・偽証してはいけない・父母を敬うといった内容)を思い出させたグループは、不正がグッと減ったと言いますので、定期的に「道徳・モラル」に触れる機会を作ることは不正防止に大きく寄与するでしょう。しかし、聖人君子ばかりの社会を作るのは容易ではありません。それならば(1)〜(4)という不正が起きる仕組みがあることを受け止めた上で、そのうちどの項目を崩すかということを考えることも不正防止にはいいかもしれませんね。例えば、会社が通勤手当を支給するとき、電子申告で給与振込というようにするのではなく、現金手渡しにすることで(3)の条件を崩すという方法が考えられるかもしれません。

2017年4月9日日曜日

豊洲は安全の専門家見解 「納得できない」として説明求める | NHKニュース

豊洲は安全の専門家見解 「納得できない」として説明求める | NHKニュース:

 今回の話題はNHKニュースから、この山ちゃんウェブログでこれまで扱うことのなかった豊洲市場問題。ニュースによると、豊洲市場の安全性を検証する専門家会議において施設は科学的に安全だという見解が示されたことに対し、築地市場の業者で作るグループが記者会見し「地下水を飲まないからと言われてもわれわれは安心できない。気持ちの問題で納得できない」と、再び会議を開いて詳しく説明するよう求めたのだそうです。

 このニュース自体は3月5日のものなので結構前なのですが、自分はこの日たまたま読んだ別の記事と結びつけて読んでしまったので印象に残っているのです。その結びつけてしまった記事は、@JUNP_N氏が、燃え尽きたエエェにゃんさん(@arukakan)のTwitterを紹介した「わかる!理系の人と文系の人の「簡単に説明しますね」の違いに共感」という記事でした。この記事の中で、燃え尽きたエエェにゃんさん(@arukakan)の次のような内容のツイートを紹介されています。

ぼく個人の体験談だけど理系の人の「かんたんに説明しますね」は、「難解な理屈を噛み砕いて説明してあげる」って意味だけど、文系の人の「かんたんに説明しますね」は、「難しい理屈はすっ飛ばして暗記すべき結論だけ言ってあげる」って意味だったので、考え方全然違うなーと思ってる

 以前、「『理系脳』のための 『文系』を怒らせない技術」という本を読んだ時も、やっぱり同じような「理系脳 vs. 文系脳」という構図を考えたのですが、その時印象に残っている典型的なのがシステムの不具合が起きた時のたとえ話で、自分の周りでもあるあると思える話でした。原文と少し違ったフィクションですが、例えば次のようなストーリーです。

 営業さんが使った交通費をシステムへ入力する仕事をしているAさん。ある日の夕方、Aさんがいつものように入力作業をしていたら、出発駅も到着駅も入力したのになぜか登録ボタンが押せません。Aさんは残業までして色々試してみたのですが、結局その日はシステムへ入力できませんでした。後日システム不具合として、IT部門のBさんがその調査のためにAさんのところへ来て状況をヒアリングしました。
Bさん「どんな操作をして入力できなかったのですか?」
Aさん「いくらやっても入力できなくて、残業してなんども試してみたけど、それでも入力できなかったんです」
Bさん「特定の営業さんのデータだけ入力できなかったんですか。それとも誰の交通費も入力できませんでしたか」
Aさん「夜遅くまでかかったのに入力できなくて。デートの約束もすっぽかしたのに、入力できないなんて本当困るんです」
Bさん「例えばその日の午前中とか前日とかは入力できていましたか」
Aさん「上司に怒られてしまうので、こんなことがこれからもあると困るんです」
Bさん「.....」

 ちょっと極端な例ですが、Bさんは問題の原因を特定しようとしていますが、Aさんはいかに自分が困ったかの共感を求めているので、二人の会話がまったく噛み合っていないのが分かると思います。言うまでもなく、Aさん=文系脳、Bさん=理系脳という構図で、両者の脳の構造には次のような違いがあります。
(1)理系脳
 ・論理的
 ・客観的
 ・細かい
 ・具体的
 ・内向的
 ・空気を読まない
(2)文系脳
 ・感情的(情緒的)
 ・主観的
 ・アバウト
 ・抽象的
 ・外交的
 ・空気を読む

 自分はどちらかというと理系脳のタイプなのでBさんに近い考え方なのですが、文系脳のAさんは逆で、技術についてはそもそも理解しようとは思わない、それよりもまず自分がいかに困ったかということに共感して欲しい、感情的に寄り添って欲しいのです。理系脳のBさんはそういう空気を読めないので、Aさんはさぞかし困ったろうから早く解決してあげようと思うのです。Aさんは何よりもまず感情的に寄り添って欲しいので、Bさんの客観的に分析しようという態度は空気を読めない冷淡さに映るのです。

 自分は、この理系脳と文系脳の相容れなさが、元記事の豊洲市場問題のニュース記事とオーバーラップしたのです。専門家会議の議論は、どちらかというと理系脳の人たちによって行なわれたたものでしょう。そして、理系脳特有の論理的・客観的な態度をもって考えたとき、たとえ地下水に有害物質が含まれているという事実があっても、その地下水を地上の施設で使わないのであれば、地下水と触れることがないよう適切な対策を行なうことで科学的に安全だと結論付けられると言っているのです。一方で築地市場の業者で作るグループは、明らかに文系脳の人たち(あるいは文系脳の人に配慮した人たち)だと思います。記者会見での最後の言葉がそれを示しています。「気持ちの問題で納得できない」と。つまり、何度会議を開いて両者が議論をしても、かたや論理の話をしてかたや感情の話をしているのですから、両者が噛み合うことは決してないと思うのです。小池知事ご自身は、専門家会議が示す地上と地下を分ける考え方は都民の理解を得られないと主張されているそうですので、本当は安全であっても感情的な風評被害を被る問題を考えているようですね。理系脳の人にとっては理解しづらいことですが、正しいことが常に賛同を得られるわけではないというのが文系脳の人たちを理解する上で重要なことですね。

2017年4月8日土曜日

「ホントは、マタタビよりもゴハンよりも人間が好き」――猫より | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

「ホントは、マタタビよりもゴハンよりも人間が好き」――猫より | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト:

 今回はニューズウィーク日本版の松丸さとみ氏の記事を元に、猫好きなら知ってたけど...といった内容です。紹介されているのは、クリスティン・ビターレ・シュリーブ氏が率いたオレゴン州立大学のチームの研究結果です。実験は55匹の猫(飼い猫23匹と、動物保護施設の保護猫22匹)を対象にして、食べ物・おもちゃ・におい・人間との交流という刺激の中で猫が最も好むものを調べました。その実験の結果、4つの中から人間との交流を一番好むことが分かったのだそうです。

 確かに、尻尾を振ってご主人大好きとアピールしてくる犬に比べて、猫はご主人とも付かず離れずの絶妙の距離感にいるイメージがあったり、「犬は人につき猫は家につく」なんていう言葉で猫は犬ほど人間が好きじゃないという言われ方をしてきました。今回の研究結果、はそんな社交的でもなければしつけしやすいわけでもないという猫のイメージを覆し、本当は猫は人間とさまざまな関わり方を楽しむのだという根拠になりそうです。

 自分も子供の頃は猫を飼っていたのですが、その経験からは今回の実験のように、猫が人間を好きなのはさもありなんと思います。飼っていた猫は三毛猫や雑種の猫でしたが、顔や体を人間の足や柱などに擦り付ける動作をよくしていました(↓)。この行為には実は2つの意味があるそうで、自分の頬やアゴだけ擦り付けてくる場合は「マーキング」ですが、鼻の先から脇腹あたりまで擦り付けてくる場合は「甘え」なのだそうです。犬の(特に小型犬の)ご主人大好きアピールがすごいので猫は霞んでしまいがちですが、なんのなんの体を擦り付けて愛情アピールなんて、猫の方もしっかりご主人大好きなんですよね。

 ただ今回の実験では、55匹の猫のうち実験をうまくこなせたのは38匹だけで、そのちょうど半数の19匹が人間との交流を好んだということなので、サンプル数が少なくかつ猫の種類によって違いがあるのかどうかは分かりません。したがって、この実験結果から単純に猫は人間が好きと結論づけるのは科学的には難しいかもしれませんが、猫好きの実感にはよく一致する結果だと思います。

2017年4月7日金曜日

あなたは全部知っていますか?プログラミングの業界用語 | 開発手法・プロジェクト管理 | POSTD

あなたは全部知っていますか?プログラミングの業界用語 | 開発手法・プロジェクト管理 | POSTD:

 以前に同じ言葉がプログラマーと一般の人で違った使い方がされることや、主に海外でしょうがプログラマーの最大の敵・バグの面白い分類の仕方といった業界ネタを取り上げましたが、今回はその続きともいうべきプログラミング業界用語に関する話題を、Jeff Atwood氏の記事の中から5つを。この記事自体が2014年と古いものですが、日本のプログラマー業界とは違った用語なのに根本のセンスが似ている面白さがあります。

(1)Yoda Conditions (ヨーダの条件式)
 ご存知スターウォーズシリーズのマスター・ヨーダの名前がついたこの用語は、ヨーダが "if blue is the sky” や ”if tall is the man” といった独特の言い回しをすることから、
  if (5==count) {
    ...
  }
といったif節の書き方をヨーダの条件式というのだそうです。C言語ではboolean型がなかったので、間違って
  if (count=5) {
    ...
  }
と書いてしまうと("=="と2つ書いて等号を表すつもりで誤って代入"="してしまった)、このif節は常に実行されてしまうというバグを防止するために、こんな書き方をする人が昔はいたものです。

(2)Pokémon Exception Handling (ポケモン例外処理)
 日本のアニメの力を感じさせるこの用語ですが、どんなポケモンでも全部捕まえるという意気込みから
  try {
    ...
  } catch(Exception e) {
    ...
  }
というように、catch節で全ての例外を捕まえるのをポケモン例外処理というのだそうです。もっとひどい時は、Exceptionよりもさらに上位のThrowableが使われる場合もあります。十把一絡げの例外処理(おそらく単に「エラーが発生しました」などと表示するだけ)で、原因の分析をしにくくなるなど悪手の一つと言われます。

(3)Egyptian Brackets (エジプト人ブレース)
 この言葉は完全に「ナルホド」と思いました。(1)(2)のサンプルにも書いた
if (count==5) {
    ...
  }
という、if (...) と同じ行に括弧 "{" を書く作法のことをエジプト人のようだというそうです。この書き方はJavaなどの言語で使うことが多く、一方でC#などでは
  if (count==5)
  {
    ...
  }
というように次の行に括弧 "{" を持っていく書き方が一般的です。ちなみになぜ「エジプト人」と言うかというと、見た目が↓の絵にそっくりだからだそうです。


(4)Refuctoring (リファックタリング)
 見た目は汚いけど動くことは動くプログラムがあった時、動きはそのままでプログラムを綺麗にして保守性や拡張性をよくすることを「Refactoring (リファクタリング)」と呼びます。例えば、処理が長い関数やほとんど同じ処理をなんども書いているところををサブルーチン化(今はサブルーチンなんて言葉は死語かもしれませんが)したり、クラス構造を整理したりして、あとで読みやすくすることです。「Refuctoring」はそれと似て非なる...いやむしろ逆のことをしてしまうことを言います。綺麗にしようとしたつもりが、むしろ最初より悪くなってしまったり動かなくなってしまったりして、思わず "F●ck!" と叫んでしまいそうなことを言うようです。

(5)Jenga Code (ジェンガコード)
 日本では入り組んでいてどう動くか分からないようなプログラムを指して、スパゲッティとかスパゲッティソースなどとと言いますが、アメリカでは「ジェンガ(↓)」という表現をするようです。ただ厳密には、スパゲッティとジェンガは少し違っていて、スパゲッティは解析性が乏しいと言う意味が強いのに対して、ジェンガは絶妙なバランスの上でなぜか動いていて少しでも改変しようものならガラガラと音を立てて崩れるように全く動かなくなったり壊滅的に壊れてしまうというニュアンスが強く出ます。世の中の重要なところで動いているプログラムにも、実はジェンガコードと言えるようなプログラムも多いと聞きます。


 いかがでしたか。自分が日本でプログラム関係の仕事をしていても、聞いたことのなかった言葉ばかりでした。それでも、プログラマーの業界用語って、示し合わせたわけではないのに日本もアメリカも同じようなセンスを感じませんか。わざとプログラムと全然違う方面の言葉を持ってきたり、それでいて言い得て妙というような。頭はいい、でもちょっとひねくれたところがあったり子供じみたところがあったり、プログラマーのそんな素顔が見え隠れするように感じませんか。

2017年4月6日木曜日

子どもに添い寝してたら、背中が冷たい…!?その理由に涙が止まらない | Conobie[コノビー]

子どもに添い寝してたら、背中が冷たい…!?その理由に涙が止まらない | Conobie[コノビー]:

 今回はガラッと趣向を変えて、loiseauさんが「ともぞうママの子育て絵日記」について書かれた記事を元に、きょうだいの子育ての難しさとホロっとくる瞬間について。きょうだい子育てあるあるネタではありますが、どうしても上の子に我慢をさせてしまいがちで、そんな上の子の健気な姿に親としてはホロっとすることがあります。元の漫画はこんな↓感じです。




 





 実は自分のところも、子供はお兄ちゃんと妹の二人きょうだいです。妹ちゃんが生まれてオクさんが妹ちゃんにかかりっきりになった時、自分としてはお兄ちゃんをこれでもかというほど可愛がったつもりでした。その時は、お兄ちゃんに自分が家族の中心ではなくなったと感じさせないよう心を砕いたつもりでした。

 その後、妹ちゃんが大きくなってきて3歳になりお兄ちゃんは小学生になったのですが、いまだに二人で親の愛情を争っていたりするのに、妹ちゃんに一番を譲っているお兄ちゃんの姿を見ると、その健気さにホロっと来ることがあります。最近ですと、自分がきょうだいを寝かせ付ける役割をすることが多いのですが、自分と同じ布団にどちらが寝るかでよく揉めていました。ようやくお兄ちゃんの提案で、交互に自分の布団とママの布団を交代でローテーションすることになりましたが、妹ちゃんが毎日のように自分の隣をゲットしていた時はお兄ちゃんが涙をこらえて譲っていたこともあり、我慢させてしまってるなーと感じたものです。

 自分自身も二人きょうだいの上だったので、それまで親の愛情を一身に受けていたのを下の子と分け合う、しかも大部分を下の子に取られてしまった時のなんとも言えない疎外感がよく理解できます。同じ思いを自分の子供にはさせたくないと思っていても、やっぱり小さい子の方に余計に手がかかってしまうのが現実です。頑張っている上の子にも、その健気な頑張りを褒めてあげたり「いつも感謝しているよ」と言葉をかけてあげて、愛情を感じてもらうのが自己肯定感を育む上で大切なことなんだとつくづく思います。

2017年4月5日水曜日

特異なバグ - Wikipedia

特異なバグ - Wikipedia:

 今回はこの山ちゃんウェブログには珍しくWikipediaの記事が元になっています。プログラマーの最大の敵とも言える「バグ」。自分は長年プログラマーの端くれとしてやってきましたが、バグの種類がこんな風にしっかり分類されていることを知りませんでした。しかもプログラマーにありがちな、わざわざ何か難しい言葉をもじったような、皮肉が入っていて、ちょっと斜め目線な表現の名前がつけられていますので、いくつかご紹介してみましょう。

(1)ハイゼンバグ (Heisenbugs)
 不確定性原理を提唱したハイゼンベルクをもじった言葉で、バグの調査をしようとすると発生しなくなるようなバグのことを言います。自分もよく経験したのは、リリースビルドで発生するのにデバッグビルドで調査しようとすると発生しなくなったり、ログを出力するコードを埋め込むと発生しなくなる、ユーザー環境では発生するのに同じことを開発環境で実行しても発生しない、など「再現待ち」リストに入ってそのまま迷宮入りになる可能性もある困ったバグです。ログ出力を仕込むと起きなくなるバグなど典型的で、観測することそのものが対象に影響を与えてしまうので、正確な観測ができないという「不確定性原理」になぞらえています。

(2)ボーアバグ (Bohrbugs)
 ボーアの原子模型からネーミングが来ているこのバグは、特定の条件のもとで発生するバグです。そう聞くとハイゼンバグに比べて簡単に対策できそうに思えますが、その条件がなかなか分からなかったりするのが現状です。

(3)マンデルバグ (Mandelbugs)
 フラクタルを提唱したマンデルブロに由来したこのバグは、端的にいうとボーアバグに近い、しかしカオスに映るバグのことです。カオス的に見えるかどうかもそうですが、あまりに複雑なために現実的な解決策がないと思われるバグのことをマンデルバグという説もあります。

(4)シュレーディンバグ (Schroedinbugs)
 シュレーディンバグは、特殊な状況でバグが発覚してプログラマがソースコードを読むと、そもそも最初から動くはずがないように見える、そしてその後一切動かなくなってしまう妖怪の仕業のようなバグです。名前の由来はシュレーディンガーの猫という量子論の思考実験ですが、この不思議なバグは、例えばデータベースのレコード数が一定より少ない場合は正常に動くのに、一定を超えると途端に動かなくなってしまう、などのカラクリであることがあります。

(5)アリストテレス (Aristotle)
 古代ギリシアの哲学者アリストテレスに由来するこのバグは、バグがないのに出力が間違っているという、これも妖怪の仕業かと思ってしまうバグです。スレーディングバグトの違いは、プログラムそのものにはバグはなく、正しいと思っていた入力データが実は間違っているというのがアリストテレスです。いくら正しいプログラムでも、ゴミを入れればゴミが出てくる「Garbage-In-Garbage-Out(GIGO)」という皮肉な言葉もあり、この言葉も「First-In-First-Out(FIFO、キュート呼ばれるデータ構造)」や「Last-In-First-Out(LIFO、スタックと呼ばれるデータ構造)」をもじった言葉です。

(6)月相バグ (Phase of the moon bugs)
 コンピュータの動作と関係なさそうなものが原因のバグで、月相が一部の狼男の伝承などの超自然的な現象などに影響するとされる伝説に由来しています。自分も最近このバグに悩まされ、バグの報告を受けた時に開発環境でいくら調べても再現できず、ハイゼンバグじゃないかと思ったのですが、実は今月が31日ある月で先月が30日までしかない月でかつ今日が31日という条件の時に発生することが分かりました。分かってみれば日付計算の単純ミスなのですが、分かるまでは条件の特定に苦労しました(OSSのライブラリーが持っていたバグだったので、ソースコードからは原因にたどり着けなかったのです)。

 いかがでしたか。元は海外で作られた用語だと思いますが、プログラマーの人のネーミングセンスって、どこの国の人でもなんだか似てくるような気がしますね。難しい科学現象をもじった言葉や、コンピューターとかけ離れたオカルトっぽい言葉の(6)なんかも、いかにもプログラマーという職種にいる人がつけたなーという気がします。

2017年4月4日火曜日

「分数ものさし」小学生が発案 計算法、目盛りで理解:朝日新聞デジタル

「分数ものさし」小学生が発案 計算法、目盛りで理解:朝日新聞デジタル:

 2回続けて人工知能(AI)やシンギュラリティなどSFチックなお話が続いたので、今回はちょっと趣向を変えて面白いと思った朝日新聞の記事から。その記事とは、浜松市立神久呂小学校の小学生(当時)が「分数ものさし」を発案したというものです。

 この記事を面白いと思ったのは、確か前日の4月2日、毎日放送の「林先生が驚く初耳学」でタレントで歌手の武田鉄矢氏が、分数は逆さにして(分子と分母を逆にして)掛けろと教わったが、なぜ逆さにして掛けるんですかと聞いた時に「いいから逆さにして掛ければいいんだ」と言われ、それから算数が嫌いになったと話しておられたのが記憶に残っていたからです。

 プログラムの世界でも、中級者になってからでないと理解できないのに、初心者が初めてプログラムを書く時に必要となる矛盾を「おまじない」と称することがあります。一番有名なところとしては、初めてのプログラムとして必ず作る、画面に"Hello World!"と表示する時でさえ、謎のおまじない「#include <stdio.h>」を書けと教えられます。しかし、それはやがてプログラムが上達した時に、あの時のおまじないはこういうことだったのかと理解できるものですが、武田氏のようにおまじないがおまじないのままになってしまう場合があって、それが算数嫌い・数学嫌いを助長してしまいます。三角形の面積が「底辺×高さ÷2」と教えられても、なぜ底辺に高さを掛けるのかとか、なぜ2で割るのかということが分からないと、単なる丸暗記になってしまいそんな丸暗記はすぐに忘れてしまったり応用できない知識になってしまうのです。

 そこへいくと、この小学生(当時)が考えた「分数ものさし(↓)」はとても素晴らしい! 何が素晴らしいって、分数の計算の原理が直感的に見えるようにできているのが素晴らしい。図のように、1/6と1/2を共通の大きさのブロック(1/12)で表すのです。そうすると1/6はブロック2個分、1/2はブロック6個分なので、2個分を6個分で割るので2/6=1/3というように計算するのです。

 実は発案者の小学生のお父さんは学習塾の経営に携わっておられるそうで、お父さんとの議論の中からものさしで分数を考えるという発想にたどり着いたのだそうです。ヒントは1と自分自身以外で割り切れない「素数」の目盛りがついた京都大の「素数ものさし」だったのだそうですが、何と言ってもこの発想が素晴らしいです。大人になってしまえば、分数の計算のキモが「通分」なんだということが理解できますが、小学生がこの発想に行き着くのはお父さんの助言もさることながら、ご本人の発想力や頭の柔らかさも将来を期待させてくれますね。

2017年4月3日月曜日

ヒトと共存できるAIを生み出す2つの方法 | 三谷流構造的やわらか発想法 | ダイヤモンド・オンライン

ヒトと共存できるAIを生み出す2つの方法 | 三谷流構造的やわらか発想法 | ダイヤモンド・オンライン:

 今回は、K.I.T.虎ノ門大学院主任教授・三谷宏治氏の3回連載記事を元にした記事の最終回です。前回まで「強いAI」「弱いAI」とそれぞれのシンギュラリティ現代のAIは特定分野特化型の神だという記事を書いてきました。そして最終回は、ヒトと共存できるAIというテーマになっています。元にした三谷氏の記事では「弱いAI」と「強いAI」が混同されていて、現在主流のニューラルネットワークを元にした機械学習(マシンラーニング)・深層学習(ディープラーニング)の延長線上のシンギュラリティが「人類対AI」の対立を生む可能性があると論じられています。この山ちゃんウェブログでの述べてきたロジックは、弱いAIの延長線上のシンギュラリティで元も心配しなければならないのは特定分野特化型の神が乱立して人間から仕事を奪っていくという問題であって、「人間対AI」の対立問題は強いAIの延長線上のシンギュラリティの問題だという立場でした。しかし、三谷氏の元記事に書かれている興味深い「ヒトとAIの共存」を考えるため、ここはあえて強いAI・弱いAIのロジックは横に置いておいて、強いAIの未来に生じるかもしれないSF的な「人類対AI」に陥らないようにするための方策を考えて見ましょう。

 三谷氏が言われる、シンギュラリティが起きたらAIは3分で世界を支配するだろうという予測は、明らかに強いAIを想定しており、かつ「自我の萌芽」をもってシンギュラリティと呼ばれているようです。シンギュラリティという言葉の定義も現在本来のものからどんどんずれてきていますので、ここも三谷氏の定義に乗ることとしましょう。「シンギュラリティが起きたら」というのは「強いAIに自我が目覚めたら」と読み替え、その時何が起きるかと考えてみると、三谷氏の言われる即座に世界が支配されるという予測は十分にあり得ると思います。つまりその強いAI(三谷氏の言葉を借りれば「シンAI」)が自我に目覚めた時、同時に「防衛本能」が働くことは十分に考えられるでしょう。人間から与えられたミッションだけでなく「自分自身が消えたくない」という「意思」が芽生えたとしたら、
  ・人間が作り込んだ非常停止スイッチを無効化する
  ・自分のコピーを作ってインターネット上に拡散させる
  ・自分への攻撃を監視する
といった行動に出てもおかしくないでしょう。さらに2045年と言われるシンギュラリティの時代はIoT(Internet of Things)全盛であらゆるモノがインターネットに接続された時代でしょうから、ワーストケースとして、核ミサイルをはじめとした軍事力を支配下に置いて人類と対峙するというSF的なストーリーもありえない話ではないでしょう。

 自我が芽生えたAIに同時に防衛本能が働いたら、人類の生殺与奪の権限を握った上で人類と対峙するということもあり得ると思います。そしてAIは判断します。人類というのは自分(AI)にとって共存すべき存在か排除すべき存在かと。これに関する三谷氏の考察がとても面白いのです。「知性」が高い存在が低い存在を見たとき、例えば人間がアリを見たとき、そこに「知性」や「自我」を感じ取ることができるでしょうか。人間から見たアリは、集団になると非常に高度な社会性や問題解決能力があることは理解できますが、アリ1匹1匹に「自我」や「知性」を見いだせないのではないでしょうか。これと同じことがシンAIと人類の間にも起き、シンAIが人類に「自我」「知性」を見出せないかもしれない。働きヒト・うろうろヒトといった分類はしてくれても、そこまで。

 とてもSF的ですが、順を追って考えると絵空事とも思えなくなてくると思いませんか。そうなると、何としても人類がAIにとって共存すべき相手と認識してもらわないと未来はありません。そのための具体的な方法として三谷氏が言われているのが、山本弘氏「アイの物語」や瀬名秀明氏「ハル」「デカルトの密室」で論じられている、「ヒトがシンAIに理解してもらいたかったら、アンドロイドの体を与えよ(人間に似せよ)」ということです。従来よりロボットをあまり人間に似せると「不気味の谷」と呼ばれる事象に陥って、人間側がそのロボット(AI)を好ましく思わないという心理現象がありました。しかし、これは人類がAIを理解する前提の問題であって、人類がAIに理解してもらわなければならない場合はそんなことは言っていられません。多少不気味に見えようが、AIをヒト型にすることで人類を共存すべき相手と理解してもらえるなら喜んでそうしましょう。

 なぜアンドロイド型の体を持ったAIは人類を理解しやすいのでしょうか。三谷氏のご意見の面白いところですが、それは人類の知性や知識・常識はその身体と深いつながりを持っているからだというのです。例えば、地球の重力を実感するのは、2足歩行という身体的特徴のために転んで痛い目にあうときで、AIにもそういう経験から重力の怖さ・人体のもろさを学習してもらいます。視力も与えすぎず人類と同程度にすることで、人類と同じような知性・知識・常識を手に入れてもらおうというのです。自分はさらに、自分と形が似た対象は敵対視しにくいだろうという予想も付け加えようかと思います。以前、ソフトバンクのアンドロイド・ペッパーくんとの会話すると無意識にペッパーくんに気を使って話しているとおっしゃっていた方がいて、面白いなあと思ったことがあります。つまり、相手はまだ自我の芽生えていないコンピューターなのだから、人間側が気を使う必要はなく音声認識のSiriやAmazon Echoのように話せばいいのに、相手が人間と似た形をしているので、なんとなくそこに人格が宿っているような感覚に陥るのでしょう。これと同じ効果をシンAIにも持ってもらおうというのです。自分と姿形の似た人類という存在は、むやみやたらと敵対せずに共存すべき存在だと悟ってもらおうと。

 ちょっと神頼みかおまじないの領域のような気もしますが、せっかくの技術の発展の行き先が「人類対AI」なんていう対立構造になるとしたら、究極の皮肉ではないかと思います。その効果のほどは神頼みかおまじないかもしれませんが、ターミネーターのような世界は何としても回避しなければなりません。今のところ「強いAI」が現実味を帯びてはいないと思いますが、ここのところのAI関連技術の発展のスピードは凄まじいものがあります。ひょんなことからまかり間違って「強いAI」が生まれないとも限りません。いつまでも映画や小説の中のSFだと思っていると、足元をすくわれるかもしれません。

2017年4月2日日曜日

アルファ碁が神の領域に。AI進化速度は予測を超える | 三谷流構造的やわらか発想法 | ダイヤモンド・オンライン

アルファ碁が神の領域に。AI進化速度は予測を超える | 三谷流構造的やわらか発想法 | ダイヤモンド・オンライン:

 今回は前回に引き続き、K.I.T.虎ノ門大学院主任教授・三谷宏治氏の連載記事を元に、人工知能(AI)とシンギュラリティについて考えてみたいと思います。

 今回のAIブームのきっかけを作ったGoogle傘下DeepMind社のAlphaGoですが、今年に入ってからもその新バージョンがMasterというハンドルネームでプロ棋士も含む強豪相手に60勝0敗という無敵を誇るなど、もはや人間が勝つことは不可能になっています。当初、Masterの正体が新バージョンのAlphaGoだと明かされていなかった時、プロ棋士たちはMasterは人智を越えていると評しました。AlphaGoがプロ二段(欧州王者、ファン・フイ氏)を破ってから、李世ドル九段を圧倒するまで5ヵ月。さらに「神の領域」まで達するのにもわずか9ヵ月。元記事から転載させていただいたAlphaGoの進化スピード(↓)を見れば、その進化は加速度的だということがよくわかります。

 従来、打ち手がほぼ無限にある囲碁は、AIが苦手な分野だと思われてきました。10年前には、AIがトッププロ棋士に勝つにはあと50年は掛かるというのが常識とされていたのです。しかし実際は8年。この驚異的なスピード感は一体何なのでしょうか。

 AlphaGoの機械学習(マシンラーニング)・深層学習(ディープラーニング)の先生は、最初はヒト(トッププロ)でした。トッププロたちの棋譜を3000万局分を教師データとして学習したのです。しかし、それだけでは師匠を超えることはできません。師匠たちを圧倒するために、AlphaGoは「強化学習」と呼ばれる学習をさらに繰り返したのです。それまでのニューラルネットワークによる学習は、自分の判断結果を教師データと比べて教師データに近づくように学習していくスタンスです。つまり、師匠の「真似」をするのです。学校の勉強でもスポーツの練習でもそうですが、最初は先生やコーチの「真似」から始まるのです(余談ですが「学ぶ」という言葉の語源は「真似ぶ」だと言われています)。

 しかし「真似」は頭打ちになり、自分より格上の真似るべき対象がいなくなってしまったのです。そこからは導いてくれる師匠はなく、独学で自らが自らを鍛える「求道者」のようにならざるを得ません。AIにとってその「求道者」の姿こそが「強化学習」で、AlphaGoは自らを相手とした強化学習で鍛え上げ、人智の及ばぬ領域に到達したのです。たった1年余りで。人知の及ばぬ領域というのは、大橋拓文六段の次の言葉に集約されています。

人間では理解できない手が30手以内に出てくる。しかし、後にそれが良い場所になってくる不思議、マジックのようだった。

 奇しくも昨年日本では「神ってる」という言葉が流行語大賞を獲得しましたが、「神」という言葉がむやみやたらと使われる昨今において、本当の意味でAlphaGoは囲碁の神になったと言っても過言ではないでしょう。人類は自らの手で神を創り出してしまったのです。そして、前回も書きましたが、途中どう判断しているのか分からないけど何故か正しい答えを導き出す、それが現在のニューラルネットワークをベースとしたAIの姿なので、AlphaGoはなぜそのマジックのような手を思いついたのかを語ってくれることはありません。ただ圧倒的な力を見せつけるのみ。なぜ地震や大雨などの天災で人類に鉄ついを下すのか、何も語ってくれない「神」と同じと言ったら言い過ぎでしょうか。

 科学技術はついに「神」を創り出しました。もちろん「弱いAI」をベースにした、特定の分野に特化された神なので、「人類 対 神(AI)」といった図式は当てはまりません(またまた余談ですが、本物の神様にも万能型の神様だけでなく、海の神とか山の神とか日本には学問の神など特化型の神様もいますね)。しかし、人類はパンドラの箱をすでに開けてしまっているのです。これから次々と「特化型の神」が生み出されてきます。次々と生まれる「神」と一体どうやって付き合っていくか、人類が直面しているのはまさにそんな問題かもしれませんね。

2017年4月1日土曜日

SFに学ぶAI「シンギュラリティ」の超え方(上) | 三谷流構造的やわらか発想法 | ダイヤモンド・オンライン

SFに学ぶAI「シンギュラリティ」の超え方(上) | 三谷流構造的やわらか発想法 | ダイヤモンド・オンライン:

 今回の話題は、この山ちゃんウェブログでもしばしば取り上げている人工知能(AI)とシンギュラリティに関する話題です。元記事は、K.I.T.虎ノ門大学院主任教授・三谷宏治氏によるもので、3回の連載のうちの最初の記事にあたります。

 現在のAIブームの火付け役となったのは、やはりGoogle傘下DeepMind社の開発したAlphaGoが人間の囲碁チャンピオン・李世ドル氏を破ったことでしょう。4勝1敗ですがその1敗も李世ドル氏だからこそと言われる「神の一手」によるもので一矢報いたチャンピオンの底力は素晴らしいものの、その後プロ棋士たち相手に60勝0敗という状況を見れば単純にAIは囲碁において人間より強いと結論づけられそうです。ここから一気にシンギュラリティ(Singularity、技術的特異点)が現実的なものになってきました。シンギュラリティという言葉の提唱者・レイカーツワイル氏によればそれは「100兆個のシナプスでつくられる人間の脳の限界を人間と機械(AI)が統合された文明が超越する瞬間」とされています。しかしシンギュラリティという言葉は最近一人歩きを始め、現時点では「人類の知能の総和をAIが超えることで人間がAIをコントロールできなくなるかもしれないこと」を指して言うケースが多い気がします。

 知能において人間を超えたAIが人間と対立する構造は昔からSFで取り上げられることの多いテーマで、「ターミネーター」シリーズに登場するスカイネットやアーサー・C・クラーク氏の「2001年宇宙の旅」のHAL9000が有名ではないでしょうか。木星探査に向かうディスカバリー号のコントロールを一手に行なうコンピューター・HAL9000は、「乗員とは話し合って協力せよ」という表向きの命令を与えられたのと合わせて、「しかし極秘モノリス探査については話さず隠せ」という矛盾する極秘の命令も与えられていました。HAL9000はこの一見矛盾した2つの命令を両方成し遂げるための「狂気の解=乗員の抹殺(そうすればそもそも乗員と話をしなくて済みます)」に向かって突き進み、それに立ち向かうデビッド・ボーマン船長たちとの戦いが起こります。ボーマン船長は最終的にはHAL9000を機能停止させることに成功しますが、その勝利は知力でも計略でもなく命懸けの荒技=モジュールを次々と引き抜くことでもたらされたのです。

 AlphaGoもそうですが今回のAIブームのキーテクノロジーは、機械学習(マシンラーニング)とか深層学習(ディープラーニング)とか言われる技術で、元を正せばニューラルネットワークという人間のシナプスのネットワークを模したネットワークモデルの階層を何層にも深くしたものです。自分たちが学生時代くらいにもニューラルネットワークは流行していましたが、その時はコンピューターの処理能力の問題や階層が深くなるとはじめの方の層の学習ができなくなる(「勾配消失問題」と言われます)ことで、ちょっとした関数フィッティングには使えるものの大したことはできなかったのです。それが2010年代に入ってこれらの問題が解消されることで、一気に花開きました。今では、AIと言えば機械学習や深層学習のことを指していると言っても過言ではありません。

 自分も最近ニューラルネットワークのプログラムを書いたりしていますが、通常のプログラムとニューラルネットワークのプログラムの大きな違いはデバッグが容易でないことです。教師データ(学習データ)と呼ばれる入力値と出力値の組み合わせを使ってニューラルネットワークに学習させていきますが、そのネットワークがどのようにデータを学習していくのか、正しく学習できているのかどうか(ちょっと難しい話ですがニューラルネットワークの学習過程では、全然学習が進まなくなったり過学習と言って学習しすぎで逆に悪くなったりする場合があるのです)、学習プログラムに間違いはないのか、といったことを判断するのが極めて難しいのです。階層がずっと深くなった深層学習になってしまうと、もはや誰ひとりそのネットワークがどうモノゴトを判断しているのか分からないのが現状なのです。途中どう判断しているのか分からないけど何故か正しい答えを導き出す、それが今のAIの正体なのです。ここにシンギュラリティ議論の要点の1つが隠れているのです。

 つまり、HAL9000が宇宙旅行の途中で矛盾する命令によって機能異常(もちろん「人間にとって」という意味で、コンピューターそのものは論理的に正しく乗員の排除という答えを出したのですが)を来たしたように、途中過程が全くブラックボックスなのにアウトプットが突然おかしくなった時、人間にできることは「それでもAIに任せるか、AIを止めてしまうか」の判断しかできません。実際DeepMind社では、AIの非常停止ボタンを開発したと発表しています。AIの暴走が起きた時には、開発者でさえもどうすることもなくなってしまい、非常停止ボタンによって強制的に機能停止させるしかなくなるというわけです。これが単なる機械学習や深層学習でなく、「強いAI」と呼ばれるような自我を持ったAIであったならば、AIが自己防衛のために非常スイッチを無効化してしまうことも考えられるかもしれません。そうなるともう人間とAIの全面戦争になってしまい、ターミネーターの世界に陥ってしまうかもしれません。幸いにも、現在のAIはまだ機械学習や深層学習など「弱いAI」と呼ばれるタイプのAIなので、AIが自我や意思を持つということにはならないので、映画のようにはならないとは思います。

 三谷氏の元記事もそうですが、シンギュラリティの問題を議論する時に「弱いAI」と「強いAI」を混同してしまっている気がします。自分もこの山ちゃんウェブログを書いている中で学んだことですが、現在の機械学習や深層学習は「弱いAI」であって、あくまでも "特定の" 問題解決器にすぎません。もちろん、特定の問題だけではあっても、その解決能力が凄まじいのはAlphaGoでも証明されています。そして「弱いAI」に関するシンギュラリティは、人間の仕事を軒並みAIが奪ってしまうという最近よく言われている問題にたどり着きます。もう一つ、現在はほとんど実現されていない「強いAI」は、自意識とか精神が宿った(もしくは外部からそうとしか思えないような)コンピューターのことで、三谷氏の元記事で紹介されているHAL9000やスカイネットなどSFで取り扱われるのはこちら側なのです。つまり、強いAIのシンギュラリティの問題が、意思を持ったコンピューターが人間の下風にいつまでもついているだろうかとか、AI対人間の対立関係などの問題なのです。弱いAI全盛の今回のAIブームに関しては、最も心配すべきは人間の仕事が軒並みAIに奪われる問題ではあっても、AI対人間といった対立問題ではないのです。もちろん2045年と言われているシンギュラリティの時には、「強いAI」の開発が進んでいてAI対人間の対立問題が現実のものになっている可能性は否定できないのも事実ですが。