2018年1月22日月曜日

無能ほど自分自身を過大評価する

(405) Why incompetent people think they're amazing - David Dunning - YouTube:

 無能な人ほど自分を過大評価するというお話。耳の痛い話ですが、この手の話をするとき、ついつい自分を無能「ではない」方へ分類し、本当に無能な人って困ったものだよという論調で語りがちです。しかし本当にそうでしょうか。あなたの見識が狭いがために、自分自身の無能ぶりに気づいていないだけじゃないでしょうか。そんな問いかけにハッとしてしまいます。元にしたのはTED-Edのアニメーションです(↓)。


 従来の研究で、自分で自分の能力を正確に評価するのはとても難しく、特に能力や技術がないほど自分の能力を過大評価する傾向があると言われています。「ダニング=クルーガー効果」と呼び、優越の錯覚を生み出す認知バイアスでのことで、自分で自分自身の不適格性を認識すること(客観的に自分を見る「メタ認知」)ができないのがその原因だと言われています。例えば、あるソフトウェア企業では、エンジニアに自分自身の能力を評価してもらう実験を行なったところ、32%の人が自分自身の能力を「トップ5%」だと評価しました。また、アメリカでは車を運転する人の実に88%が、自分自身の運転技術が平均以上と評価しているそうです。

 面白いのは、能力がない人ほど自分自身の能力を過大評価するということです。本物のエキスパートよりも、エキスパートではない人の方が「自分自身はその分野に精通している」と思いがちだというのです。そして残念なことに、私たちはみんなこの傾向を持ってます。

 それは、私たちが「自分が認識していない苦手なこと」を持っているからです。つまり、本当のエキスパートはその分野の本当の広さや奥深さを知っているがゆえに、自分はそこから考えるとまだまだだと考えるのに対して、無能な人はその分野を狭く浅くとらえてしまっているということでしょう。いい例えかどうかわかりませんが、地方の公立学校でトップの学業成績をおさめている人がついつい天狗になりがちなのに対して、中央のトップクラスの進学校にいる人は本当のトップレベルを知っているがゆえに自分はまだまだと考えるというようなものでしょうか。つまりは「井の中の蛙」というこだと思うのです。

 なお別の研究では、論理クイズで悪い結果を出した生徒たちに論理に関する講義を受けてもらったところ、生徒たちは自分のパフォーマンスについて低い評価を下すことが分かったのだそうです。経験や専門的知識を身につけるにつれて、「知らないということを知る」ようになり、人は自分を過大評価しなくなるのです。つまりはソクラテスの言う「無知の知」といったところでしょうか。

 しかし一方で、その分野の本当の広さや奥深さを知っていてしたがって自己評価も正しく下せる専門家は、逆にその知識がゆえに逆の過ちを犯す場合があるのです。それは、「自分の知っていることは他の人も知っている」と考えてしまうことです。そのため、他の人がなぜつまずくのかわからず、「名選手、名監督にあらず」と言われるように、他の人を導く存在にはなれないのです。つまり、無能な人も能力が高い人もいずれもが正しい自己認識には失敗するのです。能力がなければ本当の広さや奥深さがわからないために自分の見識の狭さに気づけず、能力が高いと逆に自分自身の能力の高さに気づけなくなるのです。

 では、人はどうやっても正しく自己評価を行なうことはできないのでしょうか。実は私たちは、自己評価の誤りを正すことはこれまでも行なってきました。なんのことはない、それは「他にフィードバックを求める」という方法で、自分が評価する自分と他人が評価する自分のギャップを埋めるということです。他者の評価の方が自己評価より厳しいことが予想されますので、耳を塞ぎたいような内容もしっかり聞いてかみしめることが重要です。

2018年1月19日金曜日

逆さまでも読めるアンビグラムが面白い

【驚異】逆からも読めるポスターが大絶賛 / 極めて難しい漢字のアンビグラムが凄い | バズプラスニュース Buzz+:

 今回はちょっと面白い芸術の紹介です。元記事はyamashiro氏の記事ですが、逆さにしても読める文字のポスターがちょっとした話題になっているのだそうです(↓)。こちらがそのポスター。逆さまにしても読める文字のことを「アンビグラム」というのだそうですが、このポスターの文字部分ははその第一人者である野村一晟氏が制作したのだそうです。

 それならばと他のアンビグラムを探してみると、ネット上には結構あるようで、例えばこちら(↓)。見る方向を逆にすると逆の意味の言葉が現れるというのは、ちょっとオシャレですよね。

 逆の意味になると言えば、こんなものも(↓)。模倣と独創は逆の意味ですが、独創は模倣から始まるとも考えられ、なんだか哲学の世界をアンビグラムで表しているとも捉えられそうです。

 あとはもう少し軽いもので、こんなものも(↓)。引いた "くじ" にこれが書かれていて、見る方向が変われば「あたり」になったり「はずれ」になったりするなんて、ちょっと面白いかも知れませんね。

2018年1月18日木曜日

コンピューターに学ぶ「仕事を効率的にこなす方法」

コンピューターに学ぶ「時間をより効率的に扱う方法」 - GIGAZINE:

 突然ですが、皆さんは同時並行でいくつもの作業をこなせる「マルチタスク人間」ですか。実は自分はあまりマルチタスクが得意ではないのですが、ついつい複数の仕事を「ながら」でこなそうとしてしまいます。パソコン上でファイル移動をしながら、それを待っている間にメールチェックし始め、返信のためのデータを検索しているうちにファイル移動が終わったことに気づかず、人を必要以上に長く待たせてしまったり。そんな実世界でマルチタスクが苦手な人が、コンピュータのマルチタスクの仕組みにヒントを得ようというのが今回の主題です。

 前置きが長くなりましたが、元記事で紹介されているのはTED-Edによるムービー(↓)で、時間をより効率的に扱う方法をコンピュータの仕組みから学ぼうというものです。


 動画では、1997年NASAのマーズ・パスファインダーが火星に着陸したものの、搭載されていたコンピュータのスケジューラにバグがあったため、重要なタスクを実行できなかったという事例を紹介しています。スケジューラというのはOS(オペレーションシステム)が持つ重要な機能で、同時並行的に行なう必要のあるたくさんタスクにそれぞれどのくらいずつCPUの時間を割り当てればいいか、どういう順番にタスクをこなすべきかを判断する機能です。簡単に言えば、自分がパソコン上のファイル移動とメールチェックという作業を同時にするとき、人を待たせているのでファイル移動を優先するが、移動させている時間ぼーっと待っているのは無駄なのでその間メールチェックをする、という判断こそまさにスケジューラのようなものでしょう。

 一つ目のポイントは、「タスクの優先順位付けに費やす時間は、タスクを実行する時間ではない」ということです。この教訓を聞いて、自分は小学生の頃に夏休みの宿題をこなす計画を立てたり、中高生の頃の定期試験のための試験勉強の計画を立てたりしたことを思い出しました。そして往々にして、立派なスケジュールができたことで満足してしまって、肝心の宿題や勉強はまあ明日から頑張ろうなんてトーンダウンしたりしたものです。他にも、メールボックスの中から重要なものや優先順位の高いものと低いものに仕分けたりする作業も、本来のタスクのための時間ではないのです。実はLinuxのプログラマーも2003年に同様の問題に直面しました。元々は、Linuxのスケジューラが実行すべきタスクをランク付けしてから処理していたそうですが、タスクを実行するよりもランク付けする時間の方がかかってしまうケースが出てきたのだそうです。

 そこで取られた解決策は、直感に反する気がするのですが、そもそも「ランク付け」することをやめ、「限られた数の優先バケツを設ける」という策でした。そうすることで、タスクが実行される順番は優先順位に従ったものではなくなりましたが、トータルの時間は短くなったのだそうです。意外なことに、完璧な順序で物事を実行していくことをあきらめることで、タスク実行の効率が上がったということなのです。例えば、メールの仕分けをして重要なものから処理しようとすると、肝心のメールのチェックや返信の時間が足りなくなってしまうので、頭から順番に処理したりランダムにチェックしていくことがむしろオススメというわけです。

 二つ目のポイントは、現実の世界でも頻繁に起こるタスクの「中断」と「切り替え」について。コンピュータは、あるタスクを途中で中断して別のタスクに取りかかるとき、「コンテキストスイッチ」と呼ばれる機能を使います。コンテキストスイッチというのは、中断するタスクの途中状態を一時保存して、メモリの内容を入れ替えることです。例えば、机の上に広げていた英語の教科書やノートを脇にどけて、数学の参考書とノートを机に広げるようなものです。もう一度英語の勉強に戻る場合は、今度は数学の参考書とノートを脇にどけ、脇に置いてあった英語の勉強セットを机に戻すということです。机の上を入れ替える作業はそれなりに時間がかかりますので、あまり頻繁に行なうと英語も数学も中途半端になってしまいます。そんな場合は重要な方、例えば英語ばかりをまず勉強して終わらせてから数学の勉強を始める、というように同時並行の作業を諦めて1つずつ順番にこなしていきます。

 つまり、コンテキストスイッチを頻繁に行なうと生産性が低下し、あまり行わないと応答性が下がるので、トレードオフの関係になるわけです。最適に処理するためには、重要なタスクはコンテキストスイッチを最小限にすることで中断を減らし、さほど重要ではないタスクはグループ化してまとめて処理することで中断を最小限にするのです。ちょっと難しいですが、「Interrupt Coalescing」と呼ばれる考え方で、「どれくらいの中断タスクを保持しておく余裕があるか?」から逆算し、ある程度の中断タスクをまとめてグループ化、まとめて消化するというアイデアです。現実世界の時間管理でも、「Interrupt Coalescing」を取り入れて、重要なタスク以外をまとめて処理するというアイデアは役にたつかもしれませんね。

2018年1月16日火曜日

人類はこれを待ち望んでいた!衣服自動たたみマシーン「FoldiMate」

人類はこれを待ち望んでいた! 衣服を自動でたたむマシーン「FoldiMate」 | ギズモード・ジャパン:

 今回は、コレ欲しい!と思えるものを見つけたので、紹介したいと思います。元記事は岡本玄介氏によるもので、そのおすすめ商品こそ、自動で服をたたんでくれるマシーン「FoldiMate」です。まずは、紹介動画を見てみましょう(↓)。


 皆さんは、家事の中で面倒なものは何ですか。食事の後片付けは面倒ですが一応食器洗い乾燥機がありますし、掃除も面倒ですが自動掃除機があります。洗濯に関しては、自動洗濯乾燥機に放り込んでポチッとボタンを押すだけですが、意外に面倒なのは出来上がった衣服をたたむという作業です。そんな面倒な作業を自動化しようというのが、この「FoldiMate」なのです。

 ただ残念なのは、完全自動とはいかないことです。自動食器洗い乾燥機がお皿やグラスを機械にセットしなければならないように、乾いた衣服を1枚1枚手作業で機械にセットする必要があるのです。乾燥機を使わない場合に洗濯物をハンガーや洗濯バサミを使って干すことを考えれば、面倒さは同じ程度かもしれませんが。一度にセットできるのは15〜20枚くらいですので、バスタオルや靴下・下着など手作業の方が早いものは手でたたんで、面倒なシャツやズボンなどはこのマシーンにセットする...というのが現実的な使い方でしょうか。

 完全自動化で決定的な便利さとまではいきませんが、目の付け所はなかなかですよね。

2018年1月15日月曜日

思い出の癒し効果を簡単に得る方法

How to Use Nostalgia to Your Advantage (Instead of Getting Stuck):

 前回、自分が生きた時代でもない古い写真でも懐かしさを感じるという記事を書きました。このブログではこれまでも何度か、古き良き日本と言えるような写真を紹介しているのですが、懐かしさになぜ惹かれるのだろうと思って少し調べてみました。自分が言っている「自分が生きた時代でもないのに懐かしく感じる」という現象の理由までは教えてくれませんが、「懐かしい」という気持ちがそもそもどんな効果があるのかを教えてくれる記事を見つけたので、ここに紹介したいと思います。

 元記事はThorin Klosowski氏によるものですが、いくつかの学術論文を引いて論理的に「懐かしさ」を紐解いています。日本語で言っている「懐かしさ」は、元記事では「ノスタルジア(nostalgia)」と言っていますが、「ノスタルジア」というのは17世紀末のスイスの医師による造語で、面白いことに、当時はホームシックに似た病気と扱われていたのだそうです。Klosowski氏は、社会心理学者のClay Routledge博士による研究結果を示しています。

 一般的に「ノスタルジア」の言葉の定義としては、「過去への感傷的な切望または思慕」ですが、Routledge博士は「ノスタルジックになる」ということが具体的にどういうことかという調査をしたのだそうです。方法は、被験者にノスタルジーの経験について詳細に書いてもらい、ナラティブ分析によってその叙述を分析するというものです。その結果、「ノスタルジックな思い出」とは、人生の分岐点となるような出来事や個人的に大きな意味を持つ出来事にフォーカスを当てたもので、かつ身近な他者(友人や家族や恋人)が特に大きな役割を果たしている出来事であることが多い、ということです。例えば、家族や友人との旅行、結婚、卒業、誕生日パーティー、親戚が勢ぞろいする休暇など、ありきたりで1日1日を思い出せない日常とは違った特別なイベントで、かつ自分と身近な人との間の楽しい出来事ということでしょう。どういう出来事にノスタルジーを感じやすいかを調べた研究もあり、それは12歳から22歳にかけての出来事が多いという結果だったのだそうです。確かに自分も、中高生の頃に聞いていた音楽や見ていた映画、その頃の出来事思い出したりすると、ひときわ懐かしさに胸がキュッとなる気がします。

 そして、最近の研究ではノスタルジーには多くの有益な点があると指摘されているのだそうです。例えば、自己評価を高めてくれる役割があったり、人生の意味を見つけたり孤独に立ち向かったりするのにも役に立つというのです。ノスタルジーがあるおかげで、将来を楽観的に考えられるという研究もあるそうです。

 ノスタルジーは、ネガティブな精神状態に立ち向かう時の強力な武器の一つです。孤独を感じたり、うまくいかない時にくよくよしたり、一体何のために生きていのかなどと思ってしまった時は、ノスタルジックな思い出の宝庫のドアを開けましょう。そうすれば、あなたは必要とされる存在でとても価値があるのだというエビデンスを思い出すことができ、前を向いて次の一歩を踏み出せるはずです。

 しかし一方で、思い出の世界に閉じこもってしまい、そこから出られなくなってしまうのは問題です。他にも「思い出補正」による素晴らしい過去にとらわれて、今現在に向き合えなくなってしまう問題もあります。これらはノスタルジアのマイナス面と言えるかもしれません。例えば、若かりし頃の成功を思い出すことで、逆に今の自分はダメだと落ち込んだり、子供の頃に祖母の家で過ごした週末を思い出して、その祖母が今はもういない現実に愕然とするようなものです。

 カリフォルニア大学リバーサイト校で心理学を専門とするLyubomirsky教授は、こういう昔を思い出すことで帰って辛い思いをする場合、過去と現在のギャップに目を向けるのではなく、過去と現在を繋げるような捉え方をしましょうと述べています。つまり、今と比べてあの頃は良かったと思うのではなく、あの頃があるから今の自分があるのだと考えるのです。あの頃の成功があるから今の自分はこうしていられる、あの頃祖母に可愛がってもらったから今の自分がある、というように。

 「ノスタルジー」は、それをうまく使えば精神的な安定を得られたり自分に自信が持てたりするプラス面がありますが、下手に使ってしまうとあの頃に比べて今はダメだとマイナス効果になってしまいます。しかし、この記事で最初に述べた「古い写真を見て、自分が生きた時代でもないのに懐かしいと思う」という感情は、自分の過去と現在を比較するものではないので、過去と現在のギャップに落ち込むことなく、むしろ自分のルーツである古き良き日本の素晴らしさに自信を持つプラス効果だけがあるのではないかと思います。「ノスタルジー」の精神的プラス効果だけを簡単に得る方法、それが古き良き日本の写真を見ることなのかもしれないと思うのです。

2018年1月11日木曜日

どこか懐かしいサムライとゲイシャの姿

Life In 19th century Japan: Color Photographs Of Life With The Samurai And Geisha - Flashbak:

 今回は古い日本の写真をご紹介したいと思います。元記事はFLASHBAKというサイトの記事で、イタリアのFelice Beato氏が江戸時代の日本で撮影したとされる写真が掲載されています。Beato氏は19世紀の有名な写真家で、1862年から1885まで日本に滞在しており、今回の写真はその時の撮影と思われますので、時期的には明治維新の直前くらいでしょうか。

 最初の写真は、戊辰戦争(1868–1869年)の頃の薩摩藩士の写真。現代人の自分から見ても、凛々しいサムライの姿がそこにはあります。




 凛々しい男性たちの次は、可憐な女性たち。一張羅の着物でポーズをとる女性たちは、現代女性とは一味違った凛としたキレイさがあるような気がします。




次はもうちょっと普段の姿に近いだろう写真。当時はこんな風に高い建物が全くない背景と、水面に渡し舟が映り込むほど綺麗な水があったのでしょうね。




最後はゲイシャと紹介されている女性の、なんとも艶かしい姿。現代の女性と比べると、どこか奥ゆかしい色っぽさを感じることができる気がします。


 いかがでしたか。この時代に生きていたわけではないのに、自分はどこか懐かしいような気がしました。現代社会の慌ただしさとは少し違った、ゆっくりと時間が流れていそうな、そんな古き良き日本。たまに思い出したくなる、日本人のルーツに思えます。

2018年1月10日水曜日

小学生にとって宿題は全く無駄だった!

Homework is wrecking our kids: The research is clear, let’s ban elementary homework - Salon.com:

 今回は、小学生の子どもを持つ自分にとっても衝撃的な元記事です。毎日子どもを机に向かわせて宿題をやらせるのが大変だという親御さんはたくさんいると思いますが、その努力が全く無駄だったとしたら。何より宿題をこなすという苦痛な時間を強いられる子ども本人がその我慢が全く役に立たないとしたら。そんな話題です。

 衝撃的な元記事は、Heather Shumaker氏によるもので、デューク大学で宿題に関する研究を行なうHarris Cooper氏の言葉として書かれています。Cooper氏によれば、宿題をすることで成績が上がるかどうかは年齢に依存し、高校生くらいならかろうじて成績向上に結びつくものの、小・中学生にとっては全くの無駄なのだそうです。無駄というのは文字通りの「無駄」で、子どもが宿題をどれだけやっても成績向上に結びつくという証拠は見つからないということです。そして、かろうじて宿題をやる意味がある高校生にとっても、1日2時間が限度なのだそうです。

 自分が子どもの頃から、学校と宿題は切っても切れないもので、小学校から高校に至るまで(もしかしたら大学も)宿題は出るのが当たり前でした。たまに課題を授業中に全部終わらせたら宿題なしなんていう先生がいて、その時は物凄い集中力で家に宿題を持ち帰らないよう頑張ったものです。それはさておき親となった今も、特段の根拠なく無条件に宿題はするべきもので、学業において宿題をこなすことでメリットこそあれデメリットは全くないと思い込んでいる自分がいます。しかしCooper氏の研究によれば、小学生の場合は、むしろ宿題をさせることで学習に対する意欲を失わせる影響があると言うのです。

 しかし宿題擁護派は、学業にとって特段のメリットはなくとも、宿題は「責任能力」を訓練するために役に立つと主張するかもしれません。大人になれば仕事の責任を放り出して遊ぶわけにいきませんので、子どものうちから与えられた責任を果たすトレーニングになるという主張はそれなりの説得力がある気がしますが、Cooper氏はそれも否定します。つまり、子どもの責任能力を養う機会は、親の手伝いやペットの世話など他にいくらでもあり、むしろ宿題のために「良い睡眠」「家族との時間」「遊ぶ時間」を削るのは本末転倒だと言うのです。

 何だか目からウロコな気がしませんか。学校の先生はプリントを作るなど宿題のための労力をかなり費やしているでしょうし、親も子どもに宿題をやらせるためにガミガミ言ったりしてすり減ります。子ども本人も、あとで宿題をやらないといけないと思うと心から遊びを楽しめなかったり、親から叱られながらやる宿題は苦痛なことこの上ありません。宿題が学業にいい影響があるという迷信にとらわれず、いっそのこと宿題なんて無くしてしまえば、みんなハッピーになるかも知れません。

 そしてもう一つ、宿題以外にも特段の根拠なく盲目的に信じてしまっていることってあると思うんです。そういうことに、本当に必要なものなのかと一歩下がって見つめ直してみる態度も必要かも知れませんね。