2017年7月21日金曜日

エンジニアに話しかけていいタイミング

よう #365日の百合さんのツイート: "エンジニアに作業中話しかけていいタイミングを聞いたら大体こんな感じだったんだけど、プログラムに限らず作業中ってみんなこんな感じなのかもしれない。 http://t.co/gnp25pxdpP":

 今回は、よう #365日の百合さんのツイート(↓)をご紹介したいと思います。このツイートは3年も前のものなのですが、あまりにエンジニアの(というかプログラマーの)実態を的確に表していて、今さらながら自分の記事にも残しておきたい欲求にかられてしまいました。とにかく、余計なコメント不要、見れば分かる。そんなあるあるネタです。

「フェイクニュース」なのか「オルトファクト」なのか

あなたの言う「フェイクニュース」は、「オルトファクト」の間違いかもしれない | 文春オンライン:

 トランプ米大統領がメディアを攻撃するときによく使う「フェイクニュース」という言葉は、氏の大統領就任以来頻繁に耳にしますが、最近「オルトファクト」なる言葉も耳にするようになりました。今回はそんな話題を、佐々木俊尚氏の記事を元に考えてみようと思います。

 佐々木氏が書かれている「フェイクニュース」と「オルトファクト」に関する例は、福島第一原発事故にまつわる言説で、福島の子供達に甲状腺がんが多発しているという話です。これに関しては首相官邸の公式サイトにおいて、UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)の報告が掲載されており、以下のように明記されています。

心理的・精神的な影響が最も重要だと考えられる。甲状腺がん、白血病ならびに乳がん発生率が、自然発生率と識別可能なレベルで今後増加することは予想されない。また、がん以外の健康影響(妊娠中の被ばくによる流産、周産期死亡率、先天的な影響、又は認知障害)についても、今後検出可能なレベルで増加することは予想されない。

 つまり、信頼性の高い機関から科学的根拠を元に否定されており、自分は福島の子供たちに甲状腺がんが多発しているというのは「フェイクニュース」だと思います。しかし、佐々木氏がSNS上で上記の根拠を示した上でこのニュースはデマだと指摘したところ、甲状腺がん多発を否定するあなたの方がデマだという反論を受けたそうです。

 冷静にこの問題を考えてみると、例えばこの問題の調査に直接関わった本人であれば、実体験にもとづいてどちらの言い分が正しいのか判断を下すことができます。客観的に科学的に正しい判断かどうかは別ですが、少なくとも自分の経験という一次情報を元に確信を持って判断できるはずです。しかし、この問題を論じる人のほとんどは自ら調査をした人ではありません。誰かから聞いたり何かを読んだりした二次情報を元に判断していて、たくさんの二次情報を集めて論じている人もいれば少数の二次情報だけで論じている人もいるでしょう。自分は二次情報であっても情報元の首相官邸は信頼性が極めて高い機関だと思っているので、そこから出ている情報が正しいと考えていますが、単純に数だけで言えば福島の子供たちに甲状腺がんが多発しているという情報の方が多いのかもしれません(その方が衝撃的ですし、スポーツ新聞の見出しと同じで、衝撃的であればあるほど人の注目を集めますから)。

 言いたいことは、以前は情報の流れが一方向に統制されていて、例えば今回の例であれば首相官邸の発表を元に新聞社なども手メディアがニュース記事を作り、その記事を一般大衆に届けていました。しかし現在は、インターネットやSNSを通じて多くの人が情報を発信することができます。そしてネット上を行き交う情報は玉石混交で、たとえ事実でないことでも面白いことや衝撃的なことは瞬く間に広がります。ほとんどすべてが二次情報であるだけでなく、その情報元のあやふやです。この山ちゃんウェブログも「ウェブログ(Wikipediaによる定義は、WebページのURLとともに覚え書きや論評などを加えて記録しているウェブサイト)」という性質上、元記事をURLと合わせて明確にしているつもりですが、さかのぼってその元記事の情報源までたどって検証するところまでは行なっていないのが現状です。情報源を検証できない一般的なブログやSNSの情報は、「オルトファクト」となってしまっている可能性もあるのです。

 「オルトファクト」という言葉は適切な日本語訳が見当たりませんが、英語はAlternative Factsなので「もう一つの事実」とか「代替的事実」とでも訳せましょうか。この言葉は、大統領顧問であるケリーアン・エリザベス・コンウェイ氏が発祥のようです。コンウェイ氏がこの言葉を使った背景はこんな風でした。大統領の就任式にあまり人が集まらなかったという指摘に対して、トランプ大統領は「そんなことない!たくさん集まっていた!150万人はいた」と、推定25万人という報道を否定しました。ショーン・スパイサー報道官も、記者会見で「就任式の観衆としては文句なく過去最大だった」と説明したのですが、コンウェイ氏がテレビ番組でこのことを追及されたとき、「報道陣はスパイサーの発言を虚偽だというが、彼は "Alternative Facts" を述べただけだ」と釈明したのです。

 佐々木氏は「依拠している党派や立ち位置によって事実は異なってしまう」と言われています。しかし、本来「事実(Facts)」の対義語は「虚構(Fake)」です。客観的に正しいことが「事実」で、正しくないものを正しいと見せかけることが「虚構」ですから、事実か虚構かは客観的な観察によって万人が見分けられることのはずです。にもかかわらず「フェイクニュースだ」「いや、あなたこそフェイクニュースだ」という言い合いは、双方が二次情報を元にしているが故に起きる水掛け論です。原理的には、少なくとも一次情報を持つ人にはどちらが事実でどちらが虚構か見分けがつくはずです。しかしここで最初に述べた、福島の子供達に甲状腺がんが多発しているという話が明らかに虚構であると示しても水掛け論に陥ったことを思い出してください。一次情報でこそありませんが、極めて信頼性の高い機関から出ている情報をもってしても、水掛け論に終止符を打てないのです。

 それは先ほど述べたように、以前のように情報の流れが一方向に統制されておらず、様々なベクトルを持ち信頼性においても玉石混交の情報が溢れてしまっていることが原因だと自分は思っています。情報があまりにも多すぎてしかもその情報の方向性がバラバラなので、客観的な事実確認が難しく、情報を受け取った人による正しい情報の見分けが追いついてこないのです。一体何が事実で何が虚構なのか、情報の真贋を見極める能力がかつてないほど重要な時代になっていると言えそうです。

2017年7月19日水曜日

「コーヒーになります」「千円からお預かりします」に違和感?

(ことばの広場 校閲センターから)「コーヒーになります」:朝日新聞デジタル:

 今回の話題は日本語の言葉づかいに関するもので、板垣茂氏による朝日新聞デジタルの記事を元に考えてみようかと思います。例えば喫茶店で、注文したコーヒーを持って来てくれた店員さんが「こちら、コーヒーになります」。例えばコンビニで買い物をした時、店員さんから「レシートのほうはよろしかったでしょうか」「千円からお預かりします」。あなたは、この言葉の使い方に違和感を感じるでしょうか。

 例えば「コーヒーになる」という表現は、持って来たカップに入っているものはまだコーヒーではなくこれからコーヒーに変わるように聞こえる。「レシートのほう」は2つある選択肢のうちレシートの「ほう」、あるいはレシートの「方角」のように聞こえ、「千円からお預かり」はあなたから千円を預かるのではなく千円「から」何かを預かるというように聞こえるというわけです。岐阜大学で言語学の教鞭を執る洞澤伸教授によれば、こうした言い回しは「バイト敬語」と呼ぶのだそうです。「コンビニ敬語」「ファミレス敬語」という言い方もありますが、アルバイトの若者たちが接客の際に使っているからだそうです。若者の感性の中で、断定表現で丁寧さが全くないのは避けたいですが、敬語や丁寧語を完璧に使うのも逆に慇懃無礼な印象を与える可能性があるので、少しだけ婉曲に表すというところに落ち着いたのかなと思います。

 一般的に、断定的な表現は素っ気なく聞こえたり丁寧さに欠ける印象を与えますが、婉曲的表現で少し含みを持たせた言い方は相手を思いやった丁寧な言い方に聞こえます。例えばビジネスの世界でも、ある依頼を断る時に「できません」では取りつく島がなく相手に対して失礼な印象がありますが、「できかねます」「いたしかねます」とすれば、本当は依頼を受けたいのだけれどもやむなく断っている印象を与えられます。日本には相手との距離感を大切にする文化があり、直接表現は相手との距離が近すぎて「ぶしつけ」だとされます。婉曲表現は、相手と適度な距離を取って節度や敬意を表すための手法というわけです。

 確かに「…のほう」「千円から」という表現は、国語に関する世論調査(文化庁)でも頻繁に取り上げられ、2013年度の調査では「気になる」と答えた人はそれぞれ6割超、5割超もいたそうです。しかし一方で、テレビ番組で「テーマはこちらになります」、駅で「1番線に参りますのは東京行きとなります」など、「バイト敬語」が着々と浸透しているようにも感じます。自分は、伝統的な敬語や丁寧語を完璧に使い過ぎても逆に慇懃無礼な与えかねない、そんな場合はバイト敬語で少し崩した婉曲表現で丁寧さを表現するのも、新しい敬語としてアリなんじゃないかと思います。

2017年7月18日火曜日

「下流大学は門前払い」インターンの実態

「下流大学は門前払い」インターンの実態 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online:

 前回、勉強→学歴→収入のループについて書き、今回も同じような話なのですが、就職活動における「学歴フィルター」の話題です。元記事は、ジャーナリストの溝上憲文氏によるものです。

 皆さんはインターンシップというのをご存知でしょうか。インターンシップとは、大学生が一定期間企業で働く「職業体験」のことを言います。当初は外資系企業が一部の有名大学の掲示板を使って学生を募集し、10日間ほどで1日あたり1万円ほどという条件で実施されていました。2000年代に入ってからは、不況下の人材採用の一環としてインターンを実施する日本企業が現れ、その後「就活はインターンから始まる」とまで言われるようになってきています。企業側の建前としては、若い人を受け入れることによる社内の活性化や自社の若手社員の成長を促すことだったりと言っていますが、実際の目的は学生の囲い込みだということは周知の事実になっています。学生側もその建前と本音の部分はよく心得ていて、インターンシップに参加して企業にアピールすることで有利に進めようという意図が持って臨んでいるのが実態でしょう。

 そんなインターンシップですが、溝上氏は、インターンシップ参加の選考で「大学フィルター」をかけている企業も少なくないと指摘されています。かつて企業説明会であらかじめ企業側が指定した大学の学生を優先し、席に余裕があるときのみ他の大学生に募集をかけるという「大学フィルター」がありましたが、イマドキはインターンシップもその対象になっているようなのです。ある大手総合商社のインターンシップは50人の募集に3000人が応募するほど高倍率ですので、あらかじめ大学名でフィルターしないと選考しきれないという実態もあります。

 実際、溝上氏が取材した金融業の企業は、事前に対象大学を旧帝大クラスと早慶、GMARCH(学習院、明治、青山学院、立教、中央、法政)クラスで約7割、その他の大学を3割に絞り込んで面談し、参加者を決めているのだそうです。最終的なインターン参加者も、GMARCHクラス以上が9割を占めているのだそうです。他にも、元記事ではあるIT企業の人事担当者の話として、こんな話を紹介されていましたので、そのまま再掲させていただきます(↓)。

もちろんいろんな大学にも広げたいが、採用実績校などの優秀な学生に他社よりも早く接触したいという思いがある。大学名で分けることに批判があることは承知しているが、旧帝大や早慶など偏差値の高い大学にいるということは少なくとも受験プロセスとして受かるための学習をしてきた人たち。学ぶ力、学習する力は社会人になっても再現性があると見ている。少なくとも他の大学生よりも勉強のやり方は知っている。だから大学フィルターは当社にとって優秀な人材を採る手段として有効だと思っている。もちろん入り口の目安であって、実際に採用するかどうかはじっくり吟味して決めている

 溝上氏はこの人事担当者の話を、学歴以外の方法で学生の能力を見抜くスキルが少ないことを露呈していると批判されていますが、実際のところ企業にとっては少ないコストで優秀な学生を採用することが重要なわけで、学歴を持っている学生はある一定以上の水準にある確率が高いということは紛れもない事実です。ましてや、建前上はインターンシップの参加者を決めることと採用活動は一線を画しているはずですから、採用のためでもないのに効率の悪い選別方法を取る必然性は全くありません。企業の論理からすれば、学歴フィルターでまず一定の水準以上の学生に絞り込むというのは、極めて自然な姿だと言えるでしょう。

 一方で学生が企業を選ぶ傾向として、明らかに大企業志向が強まっているそうです。18年大卒の求人倍率は1.78倍で前年の1.74倍を上回ります(リクルートワークス研究所調査)が、従業員5千人以上の企業に限ってみれば0.39倍と前年の0.59倍を下回るのです。大企業に限ってみれば、学生の売り手市場どころか完全なる企業側の買い手市場だと言ってもいいでしょう。

 溝上氏が取材された、建設関連企業の人事担当者の話が面白いので、やはりそのまま再掲させていただきます(↓)。

私たちの世代を含めて以前は大学ヒエラルキーによって入れる企業が暗黙の了解で決まっているところがあった。この大学ならこのクラスの企業だとか。でも今の学生は明らかに入れない大学の学生でも大企業を目指している。それに対して大学側は何も言わない。学生も堂々と『大学フィルターをかけるのはおかしくないですか』とか、『どうして大企業に入れないのですか』とキャリアセンターに平気で聞いてくるが、キャリアセンターの職員も学生に『大企業は難しいし、受けるな』とも言えない。もちろん企業側も悪い。『人物本位で採用します、大学は関係ありません』と言っている。本音と建前が交錯し、大学生に理解を求めるのはなかなか難しい

 つまり、建前上は学歴フィルターは「ない」ことになっているのですが、本音のところでは「ある」のです。以前は公然と「ある」ことになっていたので、学生側も学歴フィルターは「ある」ものとして、自分の学歴と企業のレベルを照らし合わせて身の丈にあった企業を選んでいました。それが最近は学歴フィルターは「ない」ことになっていて、大学側も学生に対して学歴フィルターは「ない」と指導します。ところが、ピカピカの学歴を持って大企業に就職して行くような学生は、企業の本音は学歴フィルターが「ある」ことなどとうの昔に承知済みです(だからこそ彼らは多かれ少なかれ苦労して学歴を手に入れたわけです)が、世間知らずの下流学生は学歴フィルターなが「ない」という建前をそのまま信じ込んでしまいます。彼らは6月の選考時期が来たとき、大企業から軒並み門前払いされることで、自分の世間知らずを思い知らされることになってしまいます。

 学歴フィルターに関するこの「二枚舌」で割りを食うのは、下流大学の学生ばかりではありません。中小企業も、以前は中流学生や下流学生が身の丈相応として選んでもらえていたのが、最近の猫も杓子も大企業という風潮で、学生がなかなか集まらなくなっているのです。

 日本の国民性なのか、経団連も企業も大学も、人に優劣をつけることに批判を受けたくない心理が強く働いているようです。小学校の運動会でかけっこの順位をつけないという心理も、同じ心理の表れだと思うのです。しかし現実社会では、日々熾烈な競争が繰り広げられ優劣がつけられているのが現実です。競争や優劣が「ない」と教えられて育った子供達・学生たちは、社会に出て厳しい現実を目の当たりに思い知らされたとき、どうしてもっと早く教えてくれなかったのかと憤りを感じるのではないかと思うのです。学歴フィルターは「ある」とか、頭のいい人が社会を牛耳っていて頭の悪い人はその搾取にあうとか、そういうシビアな現実をしっかり教えてくれていれば自分ももっと頑張ったはずだと。

 つまり言いたいことは、大人たちは「二枚舌」で子供たちを騙すようなことはやめましょうということです。社会は不平等に溢れていますし、頭がいいとかピカピカの学歴があることのパワーは思った以上に大きなものです。そういうことを思い知らされている大人は、せめて自分たちの子供には社会の現実を伝えた上で、頭がいい側・学歴がある側になれるようサポートしたいものだと思うのです。

2017年7月16日日曜日

「親が貧しい子」は勉強でどれだけ不利なのか

「親が貧しい子」は勉強でどれだけ不利なのか | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準:

 今回の話題は、子供を持つ親として薄々気づいてはいたけど目を背けてきた事実に関するお話です。それは、親の経済力が子供の学力に大きな影響を与えるという事実です。以前この山ちゃんウェブログでは、親の経済力よりも学歴の方が影響が大きいという話題を取り上げたことがありますが、厳密に親の経済力と学歴のそれぞれの因子が子供の学力に与える影響度を数値比較したものではありません。今回は橘木俊詔氏の記事を元に、 親の経済力が子供の学力にリンクする悲しい現実と、親から子・子から孫へと繋がる正の連鎖・負の連鎖について考えてみたいと思います。

 元記事では親の収入と子供の学力の関連を示すデータとして、文部科学省による小学校6年生の全国学力テストの正答率を親の年収別にカテゴライズした結果が示されています(↓)。なぜ国語と算数だけなのか(他の科目は親の年収との関係性が見えなかったのか)と思いきや、全国学力テストの対象科目は国語と算数だけのようで、そこにデータ操作の意図はありません。

 このグラフの結果からは、明らかに親の年収が高ければ高いほど(グラフの下へいくに従って)子供は高い点数を取ることができている(グラフが右に大きく伸びている)ことが分かります。親の年収と正答率には完全に正の相関関係があり、親の年収が200万円未満の子供と1500万円以上の子供の正答率の差はだいたい20%くらい、国語よりも算数の方がやや差が大きいという結果が得られました。

 その原因として真っ先に考えられるのは、親に経済力があれば子供を塾に行かせる余裕があり、塾などの学校外教育費を多く捻出でき、結果的に子供の勉強量が増えるからだということです。実際、スポーツ・芸術・家庭学習・教室学習のそれぞれの学校外教育費を親の年収ごとにカテゴライズした次の上側のグラフでは、やはり年収が上がるとともにかける費用も多くなっていることがわかります。下側のグラフは、中学受験を予定しているかどうかで学校外教育費の支出がどの程度違うのかを示しており、教室学習(いわゆる塾)にかけている金額は中学受験を予定している家庭は月当たり2万4000円も支出しているのに対して、しない予定の家庭は3900円にすぎず、なんと6倍もの差があるのです。

 中学受験をする予定の家庭の中での親の年収別のデータがないのが残念ですが、お金のかかる私立中学への受験を考える家庭は、親の年収が高いほど多いだろうと容易に想像がつきます。お金持ちの家庭は、子供を私立中学に通わせるために塾に多くの費用をかけているということでしょう。お金持ちの家庭の子供は、小学校から塾に通って名門私立中に入学し、そのまま難関大学に合格するというコースを歩めますが、一方で貧しい家庭の子供は、公立校で落ちこぼれてしまっても補習塾に行くことはできません。

 そして一方で、学歴が生涯賃金に大きな影響を与えるという事実もあります。つまり、お金持ちの家庭に生まれた子供はしっかりと教育に費用をかけてもらえるためピカピカの学歴を得られる可能性が高く、そうして得られた学歴は高い収入に繋がります。高い収入を得られるようになると、また自分の子供にもしっかりと教育費をかけることになり、「高い学力・ピカピカの学歴・高い収入」という正の連鎖があるというわけです。それに対して、貧しい家庭に生まれた子供は、その反対の負の連鎖が生まれることも多いでしょう。

 この「お金持ちの正の連鎖」「貧困の負の連鎖」については、教育に掛ける費用の違いもさることながら、自分は「教育」に対する親の認識の違いも大きく関わっていると思います。つまり、お金持ちの家庭に生まれた人は小さい頃から、勉強ができる→立派な学歴→高い収入というループを親から叩き込まれます。逆に貧しい家庭はその日暮らしになりがちで、子供の目を勉強に向けて生活費を削る羽目にならないよう、むしろ勉強の大切さを子供に教えない傾向があるのではないかと思います。本来は生活費を削って無理してでも教育費をかけることで子供を正の連鎖に乗せることができれば、将来高い年収を得て親も安泰な生活に近づくのです。しかし、貧しい家庭に育った親自身が教育の持つパワーを認識していません(または過小評価しています)から、生活費を削ってでもということに繋がらないのでしょう。
富裕層・貧困層といった言い方がされるように、社会における階層はだんだん固定化される傾向にあります。お金持ちの家庭に生まれれば正の連鎖によって自分もお金持ちの人生を歩めますが、貧しい家庭に生まれれば負の連鎖によって貧しい人生が待っています。本当の極限の貧困にあえいでいる家庭に対しては言えないのですが、生活費を切り詰めて無理してでも子供の教育にお金を回すことができる家庭は、ぜひ負の連鎖を断ち切ることを考えて欲しいと思います。勉強ができることのパワーは、思っている以上に大きいものだと思います。

2017年7月14日金曜日

世界初の「バッテリーが要らない携帯電話」が誕生

世界初の「バッテリーが要らない携帯電話」が誕生 - GIGAZINE:

 これすっごく欲しい!そんな携帯電話が紹介されていました。ワシントン大学の研究者が開発した携帯電話がスグレモノで、世界初、バッテリーなしで動く携帯電話です(↓)。

 基板ムキ出しで愛嬌抜群の「Battery-Free Cellphone」。ちゃんと基板に「Battery-Free Cellphone」って書いてありますね。もちろん、消費電力を抑えるために液晶は搭載していません。それでもボタンをぽちぽちっとやることで、ちゃんと電話が掛かります。仕組み的には、音声通話にSkypeを利用していて、音声のアナログ信号をデジタル信号に変換する時はマイクやスピーカーの振動を捉えてデジタル信号に変換しているのだそうです。この辺りでも省エネ設計が徹底されていますね。やはり優れているのはその省エネぶりで、こんな風にわずか3.48μWしか使用しないのです。(ちなみに一般的なスマホは液晶だけで3.5W程度使ってしまうので、Battery-Free Cellphoneはその100万分の1程度しか電力を使いません!)

 そうは言ってもほんのわずかでも電力を消費するわけですから、全く電力の供給ゼロというわけにはいきません。電力はバッテリーから供給するのではなく、周囲の基地局となる端末からのRF信号(高周波の電波)を掴まえて電力に変換、フォトダイオードで光も電力に変換することで、バッテリーなしの通話を実現しています。

 この山ちゃんウェブログでは、以前に通話オンリーのシンプル携帯電話をご紹介したことがありましたが、こっちの方がもっと凄いですね。最近はバッテリーを搭載したものばかりで、暇さえあったら充電、充電、充電、...。自分の場合は、スマホにノートパソコン、スマートウォッチ、ウォークマンにBluetoothイヤホンまで充電が必要ですから、家に帰ったら充電ばかりしている気がします。電話だけでもその煩雑さから逃れられるというのは、すごく魅力的です。Battery-Free Cellphoneのただ一つの弱点は、相手の喋ることを聞くモードとこちらから話すモードをボタンで切り替えなけけばならないのが、ちょっと面倒なことですが。

2017年7月13日木曜日

職場の生産性上げたい? 雇うべきは「理系人間」

職場の生産性上げたい? 雇うべきは「理系人間」 - WSJ:

 今回は自分の存在意義を確認するような記事ですが、Lauren Weber氏が「理系人間は生産性が高い」ということが書いてありましたので、紹介させて頂きます。

 Weber氏の報告によれば、従業員に占める科学者やエンジニアの割合が高い企業は、そうでない企業よりも生産性が高いことが分かったのだそうです。つまり、全米経済研究所(NBER)の研究で、工場の従業員の10%が科学者やエンジニアの場合、同じ従業員数で専門技能者がいない工場に比べ、生産性が4.4%高かったのです。

 工場の生産性が理系の人たちに支えられているのは、言われてみれば当たり前に思います。しかし、実は科学者やエンジニアが研究開発や生産技術用のような理系全開の仕事に関わっていない場合でも、その傾向は同じだったというのです。実際、民間の科学者やエンジニアの8割は研究開発部門ではなく、ITや運営部門に属しています。理系の脳を持つ彼らは、どちらかと言えば文系脳の人の方が得意に思える部門でも高い能力を発揮するのでしょうか。元記事の根拠になっている論文の著者の1人、リチャード・フリーマン氏は、其の秘密は彼らが他の従業員に対して行う研修にあると考えているようです。

 例えば、業務システムを更新したり新しい製造プロセスを導入したりする時、指揮棒を振る人も重要ではありますが、それだけでは笛吹けど踊らずということになってしまいます。彼の振るタクトに従って業務の改善を行なう「実務」、そして「研修」によって他の従業員にその改善を浸透させる能力に長けているのは、実は理系脳を持つ人材なのかも知れません。自分は理系の大学・大学院から電機メーカーの設計開発部門という筋金入りの理系人間ですので、こういう話は嬉しい限りですね。