2018年4月21日土曜日

「居眠り」に対する不思議な寛容性

Napping in Public? In Japan, That’s a Sign of Diligence - The New York Times:

 今回はThe New York Timesに掲載されたBryant Rousseau氏による記事を元に、日本人の、「居眠り」に対する不思議な寛容性と見えない部分を想像する文化について考えてみます。

 Rousseau氏は日本のビジネス界でしばしば見られる、「居眠り」に対する不思議な寛容性を指摘しています。ほとんどの国で仕事中に「居眠り」することは、評価を下げるだけでなく、悪くすれば解雇されてしまう可能性があります。しかし日本では、仕事中や会議中に「居眠り」する人を見かけても、不思議にも許してもらえる傾向があるというのです。

 「居眠り」という日本語は英語で「sleeping on duty(勤務中の睡眠)」と訳されることが多いのですが、Downing Collegeで日本人学生相手に教鞭をとるBrigitte Steger氏はむしろ「sleeping while present.(出席中の睡眠)」だと述べています。Steger氏は、居眠りに対する日本人の不思議な寛容性は、複数のことをできるだけ同時に行なうことこそ時間の上手な使い方だという考え方が関係していると言っています。つまり、退屈な会議に出席することと同時に浜辺の休暇を夢見ることを同時に行なっているという分析です。

 しかし、そういうことでしょうか。自分には、Steger氏の分析は全く間違ってはいないものの、的を射ている気はしません。むしろ、日本人にある「影の努力」を美徳と考える文化が関係しているのかもしれないと思います。例えば部下を評価するというシチュエーションで、おそらく世界的には上司の見える範囲が全てなんだと思います。上司と同席した会議中に部下が居眠りすることがあれば、大きなマイナスポイントでしょう。しかし日本では、上司が見えない範囲も「想像で補って」評価に加えるということがないでしょうか。会議中の居眠りも、きっと彼(彼女)はこの会議の資料準備で昨日遅くまで残業したに違いない、こんなに疲れ切ってしまうほど頑張っているんだ、とむしろ評価を上方修正するバイアスがあると思うんです。

 もっと言えば、「みなまで言うな」とか「行間を読め」という日本文化の特徴が関係しているのかもしれないと思うのです。例えば短歌とか俳句では、「5・7・5・7・7」とか「5・7・5」という少ない文字数で言いたいことを表現することが求められます。そして、少ない言葉の裏にできるだけ多くのことを想像させる作品が高く評価されます。これって、とても日本人の特徴を表している文化だと思うのです。それは、書き手と読み手がほぼ同じ文化的背景を持っていることを前提とできる、ということです。一方海外の多くの国では、書き手と読み手が同じ背景を持つことは前提にできないので、「みなまで言う」ようにしないと伝わりません。人を観察したり評価したりするシチュエーションでも、海外の人はその人の見えている部分が全てなのに対して、日本人は見えていない部分を想像しようとするのでしょう。

 居眠りに対する日本人の不思議な寛容性。Steger氏は、この寛容性は中年以上の男性に向けられることが多く、若者や女性に向けられることは少ないのが不思議だと述べています。でもそれは同じ居眠りしている光景の向こうに、中年の男性が疲れ切っているのは遅くまで残業していたに違いない、若者や女性はきっと夜遅くまで遊んでいたに違いない、という想像を働かせているからではないでしょうか。偏見です、もちろん偏見なんですが、そういう偏見の想像を働かせていると考えれば、居眠りに対する寛容性が中年以上の男性に向けられやすいのも理解できると思うのです。

2018年4月18日水曜日

「火垂るの墓」のダブルミーニング

「火垂るの墓」ポスターに隠された意味 夜空の影は...「ほんとだ」「知らんかった」(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース:

 今回は、最近ネット上を賑わしていた「火垂るの墓」のポスターの話題を。ネット上の話題も半年や1年遅れて紹介することの多いこの山ちゃんウェブログですが、今回は比較的早めに取り上げた方かも知れません。

 「火垂るの墓」といえば、高畑勲監督の死去を受けて、つい最近の4月13日の「金曜ロードSHOW!」(日本テレビ系)でも放送されたアニメ界の名作です。野坂昭如氏の小説が原作で、野坂氏自身の幼少時の実体験がベースになっているとも言われています。第二次世界大戦末期から終戦直後の混乱期にかけ、清太と節子の兄妹が生き抜こうともがきつつ、ついには悲惨な最期を迎えるまでが描かれています。

 そして今回、話題になっているポスターがこちら(↓)。「火垂る」は「ほたる」と読み、このポスターはあたり一面を飛び交う蛍に戦果をかいくぐる束の間のひと時を楽しむ兄妹のように見えます。

 しかし、このポスター画像の明るさを調整してみると、兄妹の上に不気味な影があられます(↓)。そう、巨大な爆撃機の影があらわれ、ポスター一面の光の一部は爆撃機から落とされた焼夷弾だと思われます。そう思うと、光にも丸い光と細長い光が描かれているので、地上でふわふわと舞う優しい蛍と爆撃機から落ちてくる鋭い焼夷弾の対比を描いているとも見て取れるのではないでしょうか。ネット上では「だから蛍じゃなく火垂るなのか」という声で溢れているようです。

 戦時下でたくましくも儚い人生を送る兄妹は、兄の清太が14歳、妹の節子が4歳とされています。映画の公開は1988年。自分が13歳の時でまさに兄の清太と同年代、自分にも節子ほどではありませんが歳の離れた妹がいたので、もしこの時代に生まれていたらこんな人生だったのかも知れないと戦慄を感じたことを覚えています。「火垂るの墓」というタイトルそしてポスターに込められたダブルミーニングに "なるほど" と思いながら、戦争の悲劇が繰り返されませんようにと祈るばかりです。

2018年4月17日火曜日

バスも食パンも実は略語だった!

「バス」や「食パン」も略語だった! 元の言葉の意味と由来は? - ねとらぼ:

 今回はねとらぼに掲載されたQuizKnock氏の記事を元に、以外にも略語と知らずに使っている言葉のお話です。日本人は長い言葉をすぐに略して使う習性があるようで、デパ地下とかバイトとか、もはや略語のまま定着している言葉もたくさんあります。そんな中、意外にもこの言葉が略語だとは知らなかったという言葉をいくつかご紹介しましょう。

 まず最初は、元記事のタイトルにもなっている「バス」。バスって、あの「bus」じゃないですか。そもそも英語なんだから、略語かも知れないなんて疑ってもみませんでしたが、実は「omunibus」の略なんだそうです。いや「omunibus」ってあの音楽アルバムでよく見かけるオムニバスじゃないですか。複数のアーティストの楽曲が入っているアルバムを「オムニバス形式」と言いますが、もともとomunibusはラテン語で「全ての人のために」という意味です。そこから派生した「乗合馬車」「乗合自動車」の意味が、現在の「バス」の元になっているのだそうです。

 もう一つ元記事はのタイトルでもある「食パン」。自分は省略前は食用パンじゃないかと思ったのですが、そもそも「食用」なんてあえて付けるのも変ですよね。まるで「パンはパンでも食べられないパンは何でしょう」のように、食べられないパンがあるかのようじゃないですか。実は、美術のデッサンで消しゴム代わりに用いるパンを「消しパン」と呼んだのに対して、食べる方のパンを「食パン」と呼んでいた説もあるそうですが、主流なのは外国で「主食」とされていたことから「主食用パン」と呼ばれ、それが省略されて「食パン」になったという説だそうです。

 他にも、「切手」は何の略かご存知ですか。郵便切手かなと思ってしまいますが、そもそも「切手」が「切符手形」の略なんです。もともとは「商品券」の類を「切符手形」と呼び、それが郵便に使われるようになって「郵便切手」となったようです。

 さらに意外なところで、「ペペロンチーノ」。いやいやもはや料理名だし、そもそもイタリア語のpeperoncinoなんだから、自分は何の略かなんて考えたことありませんでした。しかし、正式には「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ(Pasta aglio, olio e peperoncino)」。アーリオがにんにく、オーリオは油、ペペロンチーノは唐辛子ですから、普段私たちは例のパスタを「唐辛子」としか言っていないわけですね。

 もうちょっと硬いところで「経済」。実は、元記事にはこれが「経世済民」の略だと指摘されているのですが、いわゆる「economy」のことを言っている「経済」と「経世済民(經世濟民)=略して経済(經濟)」はちょっと意味が違っています。経世済民は、より広く政治・統治・行政全般をカバーする言葉なので、いわゆるeconomyのことを言う経済の元の言葉というにはちょっと微妙です。

 最近のネットやSNSの流行で、日本語の略語文化はすごいことになっています。「激しく同意」を「禿同」とか、「ちなみに」を「ちな」、「了解」を「り」とか。確かに2チャンネルとかだと、「ちな虎(ちなみにタイガースファン)」なんて表現も普通に使われています。でも「り」って何ですか。たった一文字ですよ。最近の若者は言葉を略しすぎるという指摘もよく見かけますが、日本語の歴史は略語の歴史そのもの。ネットやSNSで見られる略語は正常系の進化かも知れません。

2018年4月13日金曜日

エンジニアにとっての加齢という恐怖

シニアSEに仕事がこない本当の理由 | 日経 xTECH(クロステック):

 今回の話題は、中高年エンジニアと仕事について、人材コンサルタントの崎山みゆき氏による記事を元に考えてみたいと思います。実は、自分もいつの間にか40代中盤に差しかかろうとしており、中高年エンジニアは仕事が無くなると言われると、不安がよぎるところです。

 ソフトウェア開発の現場には若い人材を求める声が大きく、どちらかというとシニア世代は敬遠される傾向があると崎山氏は指摘されています。ある意味で年齢による差別「エイジズム」が強いと言えるかもしれません。これは、米国の老年医学者、ロバート・バトラー氏が1969年に提唱した概念で、歳をとっているからという理由で差別を受けることを指しています。確かに、内閣府が2014年に発表した「高齢期に向けた備えに関する調査」(↓)によると、いわゆる「老人」のマイナスイメージが先行しているように思えます。

 エイジズムには、偏見によるものと制度的なものの両面があります。偏見は高齢の人は仕事が遅いとか考え方が古いとか、人の個性をステレオタイプに分類してしまうことです。一方で、制度的エイジズムは、例えば定年退職や中途採用などに年齢制限を設けることで、実際のところ制度的なものも元を正せば、中高年は仕事を覚えるのが遅いという偏見に行き当たるかもしれません。制度的エイジズムは、1986年米国では年齢による雇用差別禁止法を、日本も2007年に雇用対策法を改訂して、採用にあたっての年齢制限を禁止しました。しかし、制度的エイジズムの根本が偏見であることを考えると、中高年の労働者が働きづらい現場もまだまだ多いのが実態だと思います。そして特に技術革新著しいソフトウェア開発の現場は、中高年プログラマーへの偏見が強い傾向があるようです。

 IT企業でよく言われるのが、プロジェクトマネージャが年下だとコミュニケーションを取りにくいということです。例えばプロジェクトマネージャが30代そこそこの場合、60歳近い中高年プログラマーは父親くらいの世代にあたり、なかなか「あなたは間違っています」とか「私の言うことに従ってください」とは言いづらいのです。そのため、シニア世代のプログラマーは敬遠されてしまうというエイジズムです。

 ただ今回の崎山氏の記事を読んでみて自分が感じたのは、自分の周りにはこの傾向は少ないなということでした。年上のメンバーに言いたいことが言えないということがなかったというか。そう言う意味で、自分の環境は非常に恵まれているのかもしれません。自分の環境がなぜエイジズムと縁が薄いかと考えてみると、2つの大きな要因があると思います。

 1つ目は会社間と発注・受注の関係です。自分のようなメーカー系開発者の場合、ソフトウェアに関してはプロジェクトマネージャやプロジェクトリーダーは社員ですが、実際のコーディングを担当するプログラマーは関連会社か外注さんのケースがほとんどです。大抵はリーダーやマネージャの属する会社とメンバーの属する会社とは、親会社と関連会社とか発注者と受注者という関係があり、年齢的なものでリーダーやマネージャがメンバーに過度に気を使うシチュエーションがありません。実際自分が今関わっているプロジェクトでも、マネージャは自分の上司、リーダーは自分ですが、メンバーは関連会社だったり外注さんですので、メンバーには親くらいのシニア世代の方もいますが、若いメンバーに指示するのと同じように指示することができます。

 そして2つ目は、技術的バックグラウンドの問題です。たまたま自分は入社直後にプログラミングを覚えたので、今でも並のプログラマー以上にはプログラムができること、そして標準化活動などアカデミックな場にも関わっているので、比較的若い頃から年上の人からも相談を受ける立場でした。つまり、技術的バックグラウンドがしっかりしていると周囲には思われていたわけです。そのため、ソフトウェア開発の現場では、年齢が上の人でも心理的に上位の立場からものを言うことができたのです。もちろん、年齢的に上の方に指示する時には、言葉遣いに気をつけたりリスペクトを持った上で、ビジネスとしての指示命令といった言い方をすることは忘れてはいけませんが、年齢が上だからといって言いたいことが言えないわけではないということです

 自分の場合、2つの幸運に恵まれていたので、これまで年齢面で気を使って言いたいことが言えないということはありませんでした。しかし、今後は自分自身がシニアエンジニアとなっていくのです。2つの幸運は、いざ自分がシニアになった時には、逆に働いてしまうかもしれないのです。特に2つ目の技術的バックグラウンドについては、下手に技術力があると逆に「老害」と扱われてしまう可能性につながります。

 そうならないためにはどうすれば良いか。明確な答えを持っているわけではありませんが、経験を重ねたエンジニアは若手と競うのではなく少し目線を高くしてアドバイスするような立場を築くことが重要かもしれません。若いうちはバリバリのプログラマーだった人も、全体を見渡してリスクを取り除くような仕事や経験を生かしたプロジェクトマネージャ・プロジェクトリーダーになっていくというキャリアは、自然なことかもしれません。自分の仕事の仕方も、若い頃のように次々と新しい技術を習得していくというより、最近は若い頃の「貯金」で仕事をしているケースも増えてきました。「円熟味」と言えるのかもしれませんが、40代中盤ではまだまだ最前線の技術を追いかけたい気持ちとのジレンマを感じる日々です。これが50代になっていけば、若い頃の「貯金」でする仕事の割合がどんどん増えていくことでしょう。

 若い頃の「貯金」がないと、年齢だけが高い「使えない」人材になりかねません。年齢が上がってきた時に「お払い箱」や「老害」にならないために、若いうちにしっかり「貯金」を作っておくことが重要かもしれませんね。

2018年4月12日木曜日

マルバツゲームはベストを尽くせば引き分けになる

マルバツゲームは引き分けになる | 高校数学の美しい物語:

 今回は「高校数学の美しい物語」の中から、マルバツゲームは引き分けになるという話をご紹介したいと思います。マルバツゲームは、三目並べとか様々な呼び名がありますが、アメリカだとTic tac toe、イギリスだとNoughts and Crossesなど、世界的に遊ばれているゲームです。昔黒板に書いたコレ(↓)です。

 ルールは改めていうまでもないでしょう。9つのマスに2人が交互にマルとバツを描いていき、縦・横・斜めの一列に自分のマークが揃うと勝ちというオセロの簡易版のようなゲームです。このゲームは、実は「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という種類のゲームで、お互いにベストを尽くせば先手必勝か後手必勝か引き分けのどれになるかが決まっています。そして、マルバツゲームの場合は互いにベストを尽くせば引き分けになることが分かっているのです。

 ただ、やってみると分かるのですが、このゲーム先手が圧倒的に有利に思えます。先手が真ん中にマルを打つと、もう後手は防戦一方です。つまり、このゲームの本質は、後手がベストを尽くして引き分けに持ち込むことができるかどうかにあるのです。そういう意味で、後手のつもりになってベストの手を考えてみましょう。

 まず常套手段で先手が真ん中にマルを打ってきた場合ですが、後手のベストの手は角にバツを打つことです。そうした時の先手のパターンは以下のように4通りありますが、基本的な戦略は相手のリーチを妨害することです。マルとバツが一つずつの時、次の先手はマルを揃えようとしてきます。したがって、下の最初の3つのケースはそれに当たりますが、相手のマルが揃わないようにバツを打ちます。実は最後のケースはコレに当たりませんが、その場合だけ特殊な戦略が必要です。この場合は、先手の戦略は次に右上か左下にマルを打ってダブルリーチに持ち込もうという戦略ですので、右上か左下にバツを打って相手の戦略を潰します。これであとはベストを尽くせば引き分けに持ち込めます。

 次は先手が角にマルを打ってきた場合です。この場合の後手は、遠慮せず真ん中にバツを打ってください。実は先手は、下のように対角線上にマルを打って、次に右上か左下でダブルリーチを狙う作戦ですが、後手が真ん中にバツを打っている時点で先手と後手の有利さが逆転しています。遠慮せず自分のバツを3つ揃えようと打てば(↓)、先手は守らざるを得なくなります。結果的には、このケースも引き分けになります。

 そして、最後は先手が辺にマルを打ってきた場合。このケースも、後手は遠慮せずに真ん中にバツを打ってください。以降の戦略は、先手が最初に角に打ってきたケースと同じです。

いかがでしたか。やっぱり圧倒的に先手有利、というより真ん中に打った方が圧倒的に有利にゲームを進めることができますが、真ん中を取れなくてもベストを尽くせば引き分けに持ち込めるのです。

理論上は完全な先読みが可能であり、双方のプレーヤーが最善手を打てば、必ず先手必勝か後手必勝か引き分けかが決まるという点である。実際には選択肢が多くなると完全な先読みを人間が行う事は困難であるため、ゲームとして成立する。

 「二人零和有限確定完全情報ゲーム」は、理論上は完全な先読みが可能で、互いがベストを尽くせば結果が決まっているのですが、選択肢が多くなると人間が完全な先読みを行なうのは困難になり、ゲームとして成立することになります。そういう意味では、今回のマルバツゲームは人間が完全な先読みできる点で、必ず引き分けに持ち込めますが、他の「二人零和有限確定完全情報ゲーム」である将棋やチェス・オセロ・囲碁などの場合は、選択肢が多すぎて人間には完全な先読みができません。

 つまりゲーム理論からすれば、いくら複雑であろうとも「二人零和有限確定完全情報ゲーム」である限りは、人工知能(AI)などコンピュータが人間を凌駕するのは明らかです。DeepMindのAlphaGoや山本一成氏のポナンザなど、人間のチャンピオンを凌駕するソフトウェアが次々と開発されていますが、理論的にはそれも当然の流れと言えるのかもしれません。

2018年4月9日月曜日

300円を持って170円のパンを買ったらお釣りは?

文系・理系を判定。「300円を持って170円のパンを買ったらお釣りは?」 - まぐまぐニュース!:

 今回は軽めの話題で、「ある日300円を持ってコンビニにパンを買いに行きました。170円の焼きそばパンを買った場合のお釣りはいくらでしょう?」という問題。この問題にどう答えるかで理系脳か文系脳かがわかるという話題で、ネット上で話題になったのは2年ほど前なので何を今さらと思う方もいるかと思いますが、文系脳と理系脳の話題を最近いくつか書いていたので、その流れですお付き合いいただければと思います。@heaaartの記事が元ですが、皆さんはどう答えるでしょうか。

 実は、130円と答えた人は理系脳なんだそうです。極めて単純に
  300円ー170円=130円
ですよね。ところが文系脳の人はこうは答えない。文系脳の答えは、ズバリ30円。そうです。300円財布に入っていたからといって、170円のパンを買うとき300円を渡すわけじゃないですよね。100円は財布に残したまま、店員さんには200円しか渡さないですよね。だからお釣りは30円だというわけです。単純な算数問題としてとく理系脳と、シチュエーションを想像して答える文系脳といったところでしょうか。

 実は、ひねくれ者の自分の答えは...0円でした。文系脳の人は100円玉を3枚持っている暗黙の前提をおいていましたが、自分は100円玉2枚と50円玉1枚、10円玉5枚を前提にしていました。ぴったり払えばお釣りなし。いや、これはかなりひねくれ者ですね。

2018年4月7日土曜日

自分探しよりも何か1つ武器を手に入れる方が重要

30年間も"自分探し"を続けた50代の末路 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online:

 今回はマーケティングアドバイザー・永井孝尚氏の記事を元に、自分探しを続けても自分の市場価値を高めることはできないというお話です。元記事では、反面教師として、永井氏のご友人で「好きな仕事しかしたくない」が口癖の小林氏(仮名、52歳)を登場させています。小林氏は「好きな仕事」を求めて次々と転職を繰り返します。そして52歳になって望んだ面接で、それまでの生き方を全面的に否定されてしまいます。その面接でのやり取りを元記事から転載させていただきます(↓)。

課長「小林さんですね。A社を皮切りに、さまざまな会社を渡り歩かれて、華麗な略歴ですね。当社の業務はご存じと思いますが、どのような仕事を希望されますか?」
本人「希望というより、自分の好きなことしかしたくありません」
課長「……わかりました。質問を変えましょう。小林さんの売りは、なんでしょうか?」
本人「そりゃ、いろいろとできますよ。A社では◯◯◯の部署で◯◯◯の仕事をして、B社では◯◯◯の仕事を……」
課長「そこまでで結構です。どんな仕事をしてきたかはレジュメで把握しています。お聞きしたいのは『小林さんが得意なこと』です」
本人「先ほど申し上げた通りです。『自分が好きなことしかしたくない』と」
課長「……それでは、質問を変えましょう。小林さんが好きなのは、どんな仕事ですか?」
本人「……どんな仕事が好きか、ですか……。ええっと……」
課長「……わかりました。結果は後日ご連絡します。今日はお疲れさまでした」

 もちろん面接の結果は... 永井氏によれば、好きな仕事を求めて転職を繰り返す小林氏は、結果的に30年間ひたすら「自分探し」しかやってこなかったのです。どこかに「本当に自分が好きな仕事がある」と考え、それに巡り会うチャンスを追い求めて来たのです。ビジネスパーソンとしての「売り」を作って来なかった、つまり「商品力」を磨いて来なかったのです。

 確かに、就職活動の中でその仕事は自分にぴったりだと思っても、いざその仕事を始めてみると、思ったような仕事をさせてもらえず「こんなはずじゃなかった」と思った経験がある人は多いんじゃないでしょうか。実を言うと、自分はあまり深く考えずに今の電機メーカーに就職しました。それでもそれなりに自信を持って就職したわけですが、最初の与えられた仕事は現場実習で製品のペンキ塗りとゴムの緩衝材貼り。その後正式に配属された部署でも、1つ1つのスイッチを入れてパソコン画面上の正しいシンボルの色が変わるかをひたすらテストするという仕事でした。「こんなはずじゃなかった」と思ったものでした。でも不思議と、ここに好きな仕事はないと見限ることはなく、気づいたら18年も同じ会社にいます。幸いにも、ひたすらスイッチを入れては画面を確認する仕事は最初の半年間くらいだけ、その後は比較的好きな仕事(チャレンジングでワクワクする仕事)をさせてもらっています。

 自分は小さい頃から物作りが好きでしたが、就職してからはハードウェアよりもソフトウェアに興味を持ちました。ソフトウェアという分野を志すには遅いくらいでしたが、それでもその仕事をさせてもらい、学会などで標準化活動をしたり講習会で講演したりするアカデミックな場も与えてもらえました。単にモノ作りするだけでなく、事業部門も経験させてもらい、現在は事業部付きの設計部というお客様にも近く物作りもできるという格好のポジションにいさせてもらっています。

 振り返ってみると、入社間もない頃は会社にいる時間も勉強に当てられたので、その時にひたすらプログラムを覚えました。自分の会社は電機メーカーでもそこそこの規模なので、プログラムは外注というケースが多かったのですが、自分はわざわざプログラムを書けるようになったのです。入社数年経った頃には、ソフト開発専門の外注先の担当者さんと比べても負けないプログラミング能力を手にできたのです。この武器を手にしてからは、課題を解決するためにどう実装すればいいか、どの程度の工数がかかるのかなど、立ちどころに判断できるようになり、上の人からの相談事もたくさん舞い込むようになりました。そして、一つの武器を手に入れると、他の武器は向こうから次々とやってきました。この武器を使って手に入れたアカデミックな場では、同業他社のトップエンジニアや顧客筋との人脈を手に入れましたし、アカデミックな交渉ごとで揉まれるうちに苦手だった交渉力やコミュニケーション力もある程度付いてきました。社内では単純な仕事は割り当てられなくなり、チャレンジングでワクワクする仕事が回ってくるようになり、その度に成長することができたのです。

 小林氏も、「好きな仕事」ができないからとすぐに見切りをつけるのではなく、せめて転職時にアピールするための武器を1つ身につけるまではその職場にと止まるようにしていれば、結果はだいぶ違っていたでしょう。武器がない人にはチャレンジングな仕事が回ってこず、一方で1つでも武器がある人には次々と他の武器を身につけるチャンスが回ってくるのです。「売り」がない人はずっと商品価値が低いまま、「売り」がある人はどんどん商品価値が上がって行くわけです。この4月から就職したという人も多いと思いますが、そういう人にアドバイスするなら(ちょっとおこがましいですが)、自分探しなんかしている暇があるなら、できるだけ早くに「何か一つ仕事上の武器を手に入れること」が重要だと思うのです。